TSものなんだから、生理はやらんといかんでしょ!!!!!!
というわけで、なんでも許せる人向け。
カゼマルが潜入任務を終え、ドクターの執務室に入った時、妙な空気が漂っていると感じた。
空気がささくれているとでも言うべきか。頬の真横で、貧乏ゆすりをされているような、そんなざわめき。
それが執務室には、ドクターの書類仕事を手伝うオペレーターが何人かいる。だが、肝心のドクターは、そこにいなかった。
カゼマルは持ち前の観察眼で、妙な空気の出所を見破る。デスクワークに励みながらも、時々視線をドクターの机に向けるリーベリ女性、カンタービレ。
まるで出かけてしまった両親を惜しむ幼子のような、寂しそうな、不安そうな顔でペンを走らせる彼女を眺めていると、エンフォーサーから声をかけられた。
「ドクターに、何か御用ですか?」
「ええ、報告書を提出に来たんですけど。ドクターは? 外勤任務中、というわけではなさそうですね」
柔和そうなサンクタの頬が、やや硬い。報告書を手渡しながら、カゼマルが言うと、エンフォーサーは困ったような笑顔を浮かべた。
「ドクターは今日、病欠なんです」
「病欠? 珍しいですね。不健康そうではありますが、病気になったり、倒れたりするイメージなんてなかったのに」
「このところ大変だったので、疲れが溜まっていたのかもしれません」
「つまり、詳しいことは何も把握していないと?」
「お恥ずかしながら」
ふたりのやり取りを聞きながら、カンタービレは落ち着かない様子で、頭部の羽根を振動させる。
医療部のオペレーターがやってきて、ドクターの病欠を伝えて来てから、二時間と経過していない。だというのに、カンタービレは、体感でもう半日ほど過ぎたように感じていた。
心配だった。今すぐドクターを訪ねたいほどに。なにせ、具体的にドクターがどうなっているのか、医者は気まずそうな表情をするばかりで、何も教えてはくれなかったのだから。
―――ドクター、無事かしら。
―――鉱石病に罹った、ということではないのよね?
―――私を置いていったりしないわよね……?
ざわざわと胸の奥でさざめく不安が、カンタービレの心をどよめかせていく。
書類仕事を完璧にこなす傍ら、彼女の心はずっとドクターの安否に傾いていた。
「生理?」
ブリーズは、ポカンと口を開けて訊き返した。
相対するススーロは、渋い顔で頷く。
「ほぼ間違いないと思う。それも、症状が重いタイプだ」
「具体的には?」
「発熱、頭痛、腹痛、吐き気。意識は朦朧としていて、傾眠と昏迷の状態を行き来してる」
「……ドクターって、男性よね?」
「今の体は完全に女性だよ。理屈だけで言うなら、生理が来たって何もおかしくない」
「ケルシー先生はなんて?」
「ロドスで常用している薬を投与して、経過観察するように、って。ドクターしか出来ない仕事は、ケルシー先生が引き継ぐって」
「そっちではなく……」
「元凶ふたりのことなら、いい加減咎める気も無くなってきたみたいだよ」
どちらからともなく、溜め息を吐く。
今朝、一番に飛び込んできたアステシアから話を聞いた時、医療部の反応はかなり割れた。
そんなわけない、冗談だろう、いやでも医学的には有り得なくない、いつかなると思っていた、などなど。その過程でワルファリンに白い目が向けられるまでが、恒例である。
そして、手の空いていたハニーベリーが様子を見に行き、すっかり動転しながら戻って来て、ようやくドクターの生理が事実と飲み込めた。
なお、外勤に出ていたブリーズが帰還し、たった今その話をススーロから聞いた。
「それで、今はどうしてるの?」
「とりあえず薬は飲ませたけど、あんまり効いてないか、副作用が強く出てるのか……。少なくとも、まともな会話が出来る状態ではないよ。ドクターの体に合う薬も、探していかないとね」
「はぁ……人騒がせな」
「ドクターは被害者だよ」
「ワルファリン先生のことよ。なら、私も薬の調合に加わろうかしら」
「調合は今、ミルラが担当してる。これ、今のところわかってるドクターの身体データ」
ふたりのヴァルポの話は、そこから専門的なワードが混じるものとなる。
これ以上のことは、どうやらわかりそうもない。ふたりの話を立ち聞きしていたアズリウスは、そっと身を引いてその場を離れた。
朝早く、ケルシーに呼びつけられて毒を採取された帰り道。偶然耳に入った会話を反芻しながら、ドクターの私室へと向かう。
―――それにしても、生理だなんて。
アズリウスは呆れ果てながら、天井を見上げた。
女性化からそれなりに時間は経ち、ロドスもドクター自身も、全体的に適応してきたと、アズリウスは思っている。変な噂が流れたり、セクハラまがいのちょっかいをかける女性オペレーターもいるが、それも少しずつ落ち着いてきた。
それがまさか、生理とは。アズリウスは自分の腹をさする。
―――ケルシー先生が、急に私を呼びつけたのも、きっとドクターの薬を作るためですわね。
―――ドクターの体質は特殊というお話ですし、専用の薬が必要になるのでしょう。
―――だからって、いつもより扱いが手荒いのは、流石にどうかと。
アズリウスの思考がドクターの心配から、ケルシーへの文句に変わり始めたあたりで、目的地に辿り着いた。
意識は朦朧としているという話だったが、今はどうだろうか。閉ざされた扉を、控えめにノックする。
「ドクター、アズリウスですわ。入ってもよろしくて?」
返事はない。試しに扉の取っ手をつかむと、鍵はかかっておらず、すんなりと開いた。
質素な、オペレーターの宿舎と大差ない内装の部屋は静まり返っている。
無人かと思ってしまうほどの静けさの中、少し首を伸ばすと、奥のベッドに横たわるドクターの姿が見えた。
横向きになったドクターは、マスクも防護服も身に着けていない。露わになった素顔は青白く、苦しそうな寝息がこぼれる。
アズリウスはドクターを起こさないように、そっとベッドの傍に近づいて、目線を合わせた。
普段あまり見ることのないドクターの素顔は、線が細く、生まれつき病弱なお嬢様といった印象がある。アズリウスはその頬に手を伸ばしかけ、触れるギリギリのところで留まった。
彼女は、神経毒を分泌する特異体質だ。それも戦闘に応用できるほどに強力で、人を卒倒させる程度わけはない。
それを知るオペレーターは、アズリウスを差別したりはしないものの、恐れて距離を取る。中には、解毒薬を常備する者さえもいる。
ドクターは、そんなロドスにおいて、アズリウスとのスキンシップを恐れない少数派のひとりだった。
―――けれど、もし。今のドクターを蝕んでしまったら。
―――ドクターは、二度と私に触れてくれなくなってしまうのでしょうね。
―――あるいは、他のオペレーターが触れさせないように働きかけてくるかもしれませんわ。
―――だから、こらえねばなりませんわよ、アズリウス。
伸ばしかけた手を握りこぶしに変えて引っ込め、逆の手で覆い隠しながら、自分に言い聞かせる。
誰もいない、ふたりきりの部屋と、無防備なドクターの素顔。アズリウスは、胸の奥をきゅっと締め付けられるのを感じた。
寝苦しそうなドクターの表情が、痛々しい。しかし、アズリウスにはどうすることもできない。
アズリウスはチクチクと痛む心を抑えて立ち上がり、その場を後にしようとする。そこでふと、気が付いた。
ドクターの体はベッドの奥の方に寄っていて、手前側には空きがあることに。ちょうど一人分のスペースが。
その間隙をじっと見つめていたアズリウスに、ほんの少し魔が差した。
―――少しだけ。
―――触れられない距離を保っていれば、少しぐらいは……。
毛布をそっとめくり、ドクターを起こさないように、隙間に入り込む。
ベッドの中は、ほんのりと暖かく、ラベンダーの優しい香りがした。
「………………」
アズリウスの胸に、安心する温もりと、落ち着かない高鳴りが湧き上がる。
毛布をめくった時、目に入ったが、今のドクターは生まれたままの姿だった。
触れれば折れてしまいそうなほどに細い手足とウェストが、アズリウスと一緒に入った毛布の中に隠されている。その事実が、背徳感と、高揚と、倒錯的な甘みを昂らせる。
手を伸ばせば届きそうな場所に、ドクターの全てがある。アズリウスは重く、激しくなる心臓の音を聞きながら、緊張もしていた。
すると。
「ぅ、ん……」
ドクターが小さく呻き、目蓋がほんの僅かに開かれた。
目覚めたわけではないらしい。ちょっとだけ驚いたアズリウスを、さらなる驚愕が襲う。
滑らかに伸びてきたドクターの腕がアズリウスの背中をとらえ、引き寄せたのだ。
手を伸ばせば届く距離から、鼻と鼻が突きそうな距離へ。アズリウスの頭が真っ白になる。
決して、素早い動きではなかった。けれど、全く反応することが出来ない。
鋭い耳鳴りのようにピンと張り詰めた脳が、遅れて茹で上がった。
「ど、ドクター!?」
「ん……」
寝言なのか、単なる寝息なのか、それさえも判別がつかないドクターの声。
すぐ近くから聞こえてきたそれを認識した途端、アズリウスの頭は今更のように回り始めた。
このままではいけない、と理性が警鐘を鳴らす。自身は長袖のパーカーを着込み、素肌を極力出さないようにしているが、ドクターは裸だ。下手をすれば、毒してしまうかもしれない。早く離れなければ。
そう思うのに、体は全く動かない。強く抱きしめられているわけではない。振り払おうと思えば出来るはずだ。
なのに、背中を締め付ける細い腕の感触が、アズリウスを強張らせる。唇にかかる、苦しそうな吐息が全身を甘く痺れさせた。
アズリウスは、なけなしの正気を振り絞って呼びかける。
「ドクター、いけませんわ、起きてくださいまし! ドクター、ドクター!」
だが、ドクターは一向に目覚めない。
目蓋も力なく閉じられ、ぴくりともしなくなってしまった。
危機感が防波堤となって陶酔を押しとどめ、いっそこのまま抱きしめ返してしまおうか、という悪魔の囁きを跳ねのける。
それ以上のことは、出来ない。
がちがちに緊張しきったまま、アズリウスはパーカーの袖に両手を引っ込め、フードを目深に引き下ろす。
気のせいか、ドクターの顔が近づいているような気がする。本格的に接してしまったら、意図せず毒殺してしまうかもしれない。
アズリウスは心の中で叫んだ。
―――だ、誰か……!
一秒が、永遠のように長く感じる。
火山灰のように降り積もった焦燥が嵩を増していき、圧し固められて、後悔と罪悪感に変化していく。
動かない体に鞭打って、無理やりにでもドクターを引き剥がすという選択肢が、今更浮上してきたところで、扉の開く音がした。
入ってきた誰かの驚愕の気配が、背中越しに伝わってくる。
「な、何してるの!?」
「その声は、ススーロさんですか? た、助けてくださいまし、このままでは、ドクターが……!」
ススーロは目の前で起きていることに対し、しばらく理解が及ばなかったようだが、数秒で気を取り直してドクターに飛びつく。
アズリウスを全裸で抱きかかえる危険性は、彼女も承知の上だ。
「ドクター、何してるの! 起きて、早く!」
「んん、う……ん……?」
激しく揺さぶられたドクターは、掠れた呻き声とともに目を覚ます。
真珠のような瞳が、アズリウスの少し変わった形の瞳をじっと見つめた。
まだ意識が完全に戻っていないのか、ドクターは数秒かけて、ようやく自分の状況を把握したようだ。ゆっくりとアズリウスの背に回していた腕を引き戻す。
アズリウスとススーロが、ほっとしたのも束の間、ドクターが言葉を発する。
「アズリウス……?」
「は、はいっ」
怒られてしまうだろうか。起き上がる前に声をかけられ、上擦った声で返事をしたアズリウスに対し、ドクターは予想外の行動に出た。
アズリウスの頬に手のひらで触れ、弱々しい微笑みを見せたのだ。
「すまない……」
「~~~~~~~~~~~~!! し、失礼致しますわ!」
アズリウスは弾かれたように起き上がると、猛烈なダッシュでドクターの私室を出て行った。
ススーロはしばらく立ち竦んでいたが、すぐに我に返って、ドクターに問い質す。
「ドクター、私のことがわかる?」
「……ススーロ」
「うん。気分はどう? 痛むところとかはない?」
「問題ない……」
「大ありだよ。でも、アズリウスの毒の影響は無いみたいで良かった」
折りに触れて焦点のぼやける瞳が、ススーロを見つめる。
アズリウスの毒はかなり強力で、すぐに解毒剤を用いても、しばらくは効力が残るほど。
もし毒に侵されているようなら、今すぐ治療しなければならなかったが、今のドクターの場合は、常備薬と生理の薬の兼ね合いもある。ただでさえ、女性化による体質の変化が大きいのだ。下手に投与する薬は増やせない。
幸い、アズリウス自身が素肌で触れ合わないように気を遣っていたのか、毒の影響は見られなかったが。
ススーロはベッドに腰かけると、ドクターの前髪を指で払う。
「全くもう、君って人は。あんまり心配させないでほしいな」
「ん……」
ドクターの一時的な覚醒の刻が過ぎ去っていく。
再び目を閉じ、眠り出したドクターの横顔を見下ろして、ススーロは苦い微笑を浮かべたのだった。