映画公開後、ロドスのバーは、いつもよりも賑やかだった。
酒が入っているせいもあるだろうが、人数がやや多い。バーメイドを受け持つラ・プルマも、素早く動き回っていた。
しゃかしゃかとシェイカーを振る音を聞きながら、あるサルカズ傭兵は端末の画面を食い入るように見つめる。両隣には、キャプリニーの男女。三人で鑑賞しているのは当然、密かに話題となっているニェンの映画だった。
三人が生唾を飲み込む音が、喧噪の中に溶けていく。映画は今まさに佳境。マドロック演じる姫君が、ドクター演じる妹に対して、胸の内に秘めていた想いを伝えるシーン。
妹の両頬を包み、キスするような距離で語らうふたり。サルカズ傭兵は、たまらなくなって、思わずテーブルを叩いた。
「あっ」
キャプリニー男性のカクテルが零れて、端末にかかる。
サルカズ傭兵は慌てて端末を取り上げると、服の袖で拭い始めた。
「うおおっ、すまねえ!」
「ちょっと、画面隠さないでよ! せっかく良いところだったのに!」
「わ、悪かったって! 今再生しなおすから……」
「再生し直したってどうしようもないでしょ! ムードが台無しじゃない!」
サルカズ傭兵は、端末を拭きながらキャプリニー女性に平謝りする。
布巾を持ってやってきたラ・プルマは、その画面を覗き込もうとした。
「何を見てるの?」
「ついさっき公開された映画だよ。クロージャさんが監督をしたっていう話で、主演がうちの隊長とエフイーターさんなんだ」
キャプリニーの男性が、倒れたカクテルグラスを立て直しながら答えた。
彼の言う隊長とは、マドロックのこと。このサルカズ傭兵とキャプリニーの男女は、マドロックがリターニアを巡っていた時に合流し、彼女とともにロドスへやってきた感染者だ。
先の見えない逃亡生活の果て、ロドスに辿り着いた彼らの生活は、良い意味で激変した。
リターニアの謎めいた術師に追われながら、一時は死さえ覚悟した彼らが、今や普通にバーで映画を見ている。
感染したことで遠く離れた普通の生活が、彼らの下に戻ってきたのだ。焦がれながらも諦めていた、人としての生活が。
だが、彼らの隊長は、もっと大きな変化の渦中にいるようだった。
あてどなく彷徨っていた頃、彼らは、マドロックの素顔を見たことがほとんどなかった。
後から、時々防具を脱いで素顔で混じっていたと知ったのだが、それが隊長本人だとは気付いたのは、ロドスに来てからである。
彼女は常時、全身を奥歯まで武装して、気を張っていた。だというのに、今や素顔を惜しげもなくさらして、映画に出演しているとは。
端末が壊れていないことを確認したサルカズ傭兵は、ホッと胸を撫でおろしながら、感慨に浸る。
「まあ、俺としちゃあ、隊長とドクターが一緒のシーンが一番の見どころなんだけどな」
「その見どころ、あんたのせいで台無しになっちゃったけどね。ホントにいいところだったのに」
「……ドクターも出てるの?」
「おう、マドロック隊長が炎国の王女様で、ドクターがその妹君の役をやってるんだ。よかったら、一緒に見るか?」
「んー」
ラ・プルマはバーを見渡す。
普段静かなこの場所は、どうにも騒がしく、席もいっぱいだ。穏やかな夜を求めてやってくる常連が、入って即座に回れ右をするほど繁盛している。
無表情の裏で、葛藤の天秤がハイテンポなメトロノームのように、落ち着きなく揺れ動く。しかし、飛び込んできた注文が、秤の皿を仕事の方に傾けさせた。
「あとで見る」
「そうか、仕事中だものな。じゃあ、端末に共有しておくよ。明日にでもゆっくり見るといい」
「うん」
こくんと頷いて、ラ・プルマがバーカウンターの裏側へと戻っていく。
キャプリニーの女性は、未練がましく一時停止した端末の画面を見下ろして言った。
「それにしても、どうして隊長とドクターが一緒にいると、こんなに映えるのかしら」
「ふたりとも美人だからね。けど、ドクターも女の人だったとは……」
キャプリニー男性が、ドクターがメインとなるシーンを思い返す。
映画のあらましは、絵に描いた怪物を具現化する力を持った魔人“
クロージャがハイディとパゼオンカに頼みこんで書いてもらったシナリオに、ストーリーは微妙だが、演出のインパクトだけはあるニェンが加わって、評価はかなり高め。
だが、映画を見たオペレーターたちが見どころとして挙げるのは、やはりクライマックスで行われる王族姉妹の語らいだった。
巫女としての才は一切ないが、強く、王族として親から期待されていた姉。虚弱で巫女の才は歴史上随一だが、民に慕われていた妹。各々抱えた理想と現実のギャップ、それによるすれ違いと衝突を経て、最後に和解する流れは、色んな意味で興奮を煽る。
なんというか―――本人たちにそんなつもりはないのだろうが―――妙に扇情的なのだ。お調子者のオペレーターが、“結婚しろ!”と騒ぐ程度には。
ちなみに、キャプリニーの男性も、同じことを思っていた。
「僕、隊長がその気なら、ドクターと結婚してもいいんじゃないかって思えてきた」
「何を言ってるの!?」
「まあ、気持ちはわからんでもない」
「はあ!?」
瞠目するキャプリニー女性を余所に、サルカズ傭兵とキャプリニーの男性は、空のグラスで乾杯をした。
実際、プロポーズめいた台詞が劇中にある。愛憎、嫉妬、諦観、双方向の劣等感が渦巻く姉妹の仲に加えて、衛士の痛々しいほどの忠義と、そこへ付け込む魔人の手管もあって、エンディングになる頃には、恋人同士のようなやりとりが増えるのである。
こうした演技には慣れていないのか、どこか硬い表情のドクターとマドロックの様子が、逆に味を生んでおり、男女問わず、“そういう気分”になる者は多い。
サルカズ傭兵もそうなのだが、彼の心にはひとつ引っかかるところがあって、イマイチそうした気分にはならなかった。
何が悪い、というわけではない。ただ、鱗獣の小骨のような感覚が、没頭を妨げているのだ。
即ち、既視感が。
「しかしこのドクターの素顔、どっかで見たことがあるような……」
「え、そうか?」
「ああ。どこだったかは思い出せねえが、ロドスに来るずっと前に、どこかで……」
腕を組み、首をひねってサルカズ傭兵は考え込むが、答えは出ない。
うんうんと唸る彼から離れた席、バーの隅、賑やかさとは隔絶されたかのような、暗い沈黙が占める場所で、同じ映画を見ていたとあるサルカズ女性が、口元を引きつった笑いの形に歪めた。
バキッ、と静かな破壊の音。彼女の手の中で、端末の画面がひび割れた。
「ふ、ふふ……」
黒い炎が沸き立つような不穏な空気をまとったサルカズ女性は、不気味な笑いを誰にも気づかれないように零す。
サルカズ女性―――Wは、怨念に満ちた赤い瞳で、ノイズの走ったドクターの素顔を見下ろしていた。