アクナイ二次~TSドクターの受難~   作:よるめく

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大人の女性がふとした時に見せる幼い素顔が大好きです。


ドクターと子守歌

 夜が更けていく時間帯、自室に戻っていたドクターは、眠る前の読み物に勤しんでいた。

 

 手にした紙束の正体は、学術都市クルビアの学会誌に掲載された論文の写し。テーマは、心理学。

 

 先のハニーベリーのように、そちらの専門家ではないが、オペレーターのケアも仕事である以上、学んでおいて損はない。片手でメモを取り、時々甘めにしたミルクティーを啜っていると、とんとんと控えめなノックが聞こえてきた。

 

「どうぞ。鍵は開いている」

 

 緊急の案件を持って来たアーミヤか誰かかと思ったが、そんなことはなかった。

 

 静かに入室してきたのは―――カンタービレ。

 

 柔らかな紺色の部屋着を纏い、肩にロドスの制服を羽織った彼女は、陰のある無表情。

 

 珍しい来客に、ドクターは文書を置いた。

 

「カンタービレ? どうかしたのか、こんな夜中に」

 

「大したことではないのだけれど……」

 

 カンタービレは、持参した枕を抱きかかえて口元を隠すと、目を逸らした。

 

 閉じた扉に背を向けたまま、落ち着かない様子の彼女が何か言うのを待つ。やがてカンタービレは、恥ずかしそうに上目遣いをして、ぼそぼそとお願いをする。

 

「ドクター、今夜は一緒に、眠ってくれる……?」

 

「えっ」

 

 意外な申し出が、ドクターの腕に意味不明な挙動をさせる。

 

 動いた手の甲がカップにぶつかって、残った中身を揺さぶった。

 

 ふたりそろって驚いたことで、逆に冷静さを取り戻したドクターは、誤魔化すように咳払いをして椅子を勧める。

 

 カンタービレは、すんなりと腰を下ろした。

 

「急にどうしたんだ? 悪い夢でも見たのか?」

 

 こくんと、枕に深く顔を埋めるような首肯が返ってきた。

 

 なるほど、驚かされてしまったが、要は悪夢のせいで眠れなくなったということのようだ。

 

 そういうオペレーターは少なくない。ヘビーレインやスズラン、アーミヤでさえ、そういうことがある。特にアーミヤは、徹夜の習慣が抜けてきたこの頃になって、ドクターの下に来ることが増えた。

 

 カンタービレも、そうした若いオペレーターの誰かから、話を聞いて来たのだろう。

 

 ―――それにしても、心臓に悪い。

 

 あらぬ想像をしてしまった自分を恥じつつ、どぎまぎする心臓に酸素を押し込む。

 

 まだ子供であるアーミヤたちはともかく、カンタービレは成熟した女性である。

 

 それが男性の部屋に来て、一緒に寝てほしいは流石に如何なものか。いや、今は女性となっているのだが、そういう問題ではなく。

 

 ただ、そうは言っても、無碍に追い返すわけにもいかない。彼女が眠くなるまで雑談でもして、ベッドを貸すぐらいが落としどころか。

 

 ある程度解決の算段を立ててから、カンタービレを見つめる。その瞳は、彼女にしては珍しい期待の色と、縋りつく子供のような甘えが混在していた。

 

「だめかしら……?」

 

「うっ。……とりあえず、どんな夢を見たのか、聞いてもいいか」

 

「ええ」

 

「何か淹れよう。ミルクティーでも大丈夫か?」

 

「私が淹れるわ」

 

 ドクターよりも早く席を立ったカンタービレは、茶葉の場所を言い当てて、ドクターが飲んでいたカップをソーサ―ごと持ち上げる。

 

 匂いを嗅いだだけで、なんの茶葉を使ったのか、どういう味付けが為されているのか理解したらしい。しばらくして出されたミルクティーは、ドクターが飲んでいたものと同じ茶葉を使っていた。

 

 だが、彼女が淹れたものの方が、各段に香りが高く、美味だ。

 

 そのことを伝えると、カンタービレは幾分落ち着いた表情で、眠りを妨げた夢について語り出す。

 

 内容は、ドクターの予想通りだった。

 

 カンタービレを“教育”した者たちのこと。その通りにした顛末のこと。彼女の心に巣食った後悔は、未だに彼女を苦しめている。

 

 吟遊詩人のような口調でありながら、カップを包んだ両手の僅かな震え、雨中の湖面のようにいくつもの感情を広げる瞳が、それを物語っていた。

 

 一通り話し終えたカンタービレは、ミルクティーをこくこくと呷る。

 

 染みついた上品さごと嚥下したあと、彼女は寒そうに身震いをした。

 

「ごめんなさい、いつまでも引きずっていてはいけないと思っているのだけれど」

 

「気にしなくていい。誰だって、嫌な記憶を引きずりたくはない。それでも、影法師のようについて回る。だから厄介なんだ」

 

 マスクを外した口元に浮かぶ、皮肉っぽい微笑みは、ミルクティーの水面には映らなかった。

 

 カンタービレは、俯いたドクターの横顔をじっと見つめる。不意に視界が霞んで、目蓋が重くなった。

 

 ドクターに悪夢を吐き出して、気が抜けてしまったらしい。目をこするカンタービレを見て、ドクターは頃合いを察する。

 

「眠れそうか? 今日は、私のベッドを使っていい」

 

「ドクターは、どこで眠るの?」

 

「ソファにでも寝るさ。いつものことだ」

 

 笑いかけるが、カンタービレは名残惜しそうな表情のまま、席を動かない。

 

 どうしても、一緒に眠ってほしいようだ。

 

「……ドクター」

 

 呼び声は、甘えん坊な子供のようだ。

 

 参った。なんと説得すべきか悩んで目を泳がせると、さっきまで読んでいた論文が目に入った。

 

 それに曰く、人間には年代ごとに経験すべき発達課題がある。発達課題をスキップすると、精神が年齢とともに変化するライフスタイルについていけなくなってしまう、というものだ。

 

 親と信頼関係を作る、同年代の子供と遊ぶ、学びの中でアイデンティティを確立する。カンタービレが育てられた環境は、異常なものだ。子供に教養を仕込み、暗殺者へ仕立て上げる。成熟した気品ある女性の姿と、今ドクターに見せている幼子のような眼差しは、まさしく論文に書いてあることそのものではないだろうか。

 

 彼女の時間は、幼子で止まってしまっている。

 

 ドクターはしばし悩んだ末に、不承不承頷いた。

 

「わかった、一緒に眠ろう」

 

 そういうと、カンタービレは初めて、嬉しそうな、安堵したような顔を見せた。

 

 一緒にベッドへ潜り込み、枕元のランプを残して部屋の明かりを消す。

 

 暖かな橙色の、淡い光に照らされながら、ドクターはいそいそと身を寄せてくるカンタービレの髪を撫でる。添い寝をせがむ子供たちにそうするように。

 

 奥底から湧き上がってくる罪悪感と緊張を表に出さないようにしつつ、諭す。

 

「カンタービレ、他の人に……特に男性にこういうことはしない方がいい」

 

「あなた以外に、するつもりはないわ。それに」

 

 カンタービレは少しおとがいを上げた。鼻先で視線が交わる。

 

「あなたになら、どうされても構わない」

 

 ドキッとして、体が強張る。

 

 ドクターは内心で、今の自分は女性だからと言い聞かせて心を無理に落ち着かせた。

 

 女性であることを受け入れられない身でありながら、まさか、こんな。自分の都合の良さに、自分で嫌になりそうだ。

 

 カンタービレの手が伸びて来て、手の甲と指の背が頬を撫でる。

 

「ドクターは、平気?」

 

「……ああ、心配には及ばない。なんなら、子守歌でも歌おうか」

 

「聞かせて」

 

 ドクターは鼻から息を吸って、ベーシックな子守歌をハミングで歌う。

 

 二周目からは、カンタービレの鼻歌も加わった。

 

 ふたりはハミングに合わせて、相手の髪を撫でる。ゆっくりと光量を落としていくランプが消える頃、カンタービレはすやすやと寝息を立て始めていた。

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