なおコーデネタ。風雪一過ネタも突っ込んだ。
ノーシスは、眼下の花を注意深く観察していた。
ガラスの奥に置かれた、大きな黒い花。
翡翠の破片を埋め込まれているかのように煌めくそれの中心に、ふさふさした球状の物体がある。
新たに発見された新種の花は、春キャベツほどの大きさで、半人工の飼育エリアの中にあっても瑞々しい。
特殊な細工が施された仮設テントに入ったドクターは、氷像のように動かないノーシスへ近寄った。
「どうだ?」
「解凍は問題なく終わった」
「それだけか?」
「植物というものは、そうそう表情を変えないものだ。君にまとわりつく子供たちと違ってな」
「言ってくれる」
相変わらず歯に衣着せぬ物言いに、ドクターはほんのり苦笑する。
マゼランが雪原で見つけた花は、独特な構造をしていると、パフューマーは言っていた。
切り立った崖に根を下ろすこの種は、葉ではなく花弁から陽光を取り込み、熱と養分を吸収しているのだという。
熱を集め、分厚い花弁の中にあるゲル状物質で保温する。このゲルは種子の保護にも使われ、
そして、特殊な薬効を持つのもゲル状物質とのことだった。
「ルートは確保したから、そう遠くないうちに、ちゃんとした研究所が出来るはずだ。エンジニア部も何人か来る」
「それまで私は、この粗末なテントで研究をせねばならないわけか」
「文句は段取りも放り出して逃げようとした、案内人に言ってくれ」
「ふっ。それで、君はこの後どうするつもりだ?」
「しばらくは、周辺の哨戒と現場監督を指揮する。君たちの安全を確保しなければ」
「建設家の真似事か。確か、イェラグでも似たようなことをしていたのだったな」
「ああ、解雇された君の代わりにな。ちゃんと工場区画の整備は進んでいるのか?」
「とうに終わっている。君が去り、御三家の騒動が落ち着いた後、再稼働の前に、君が指摘した部分は全て改善された」
「そうか、今度視察に行くとしよう」
「視察か」
ノーシスはまた、鼻で笑った。
目を閉じ、背筋を凛と伸ばし、ステッキ代わりのアーツユニットを突いたまま行われるその癖は、鼻持ちならない貴族のそれだ。
「ここのところ、随分と忙しそうだが、そんな暇はあるのか? エンシオディスもロドスに来ている。妹の不始末を埋め合わせると言って」
「悔しいが、随分と助けられているよ」
「その体たらくで、彼の牙城を視察すると? なかなかどうして、面の皮が厚いものだ」
「かつて雪山事変の折り、所詮彼の遊び心に過ぎないとはいえ、私は君に代わって、カランド貿易が所有する工業区を視察し、欠点を指摘した。それが改善されたのならば、見届けるのも私の責務だ」
「近頃の君は、言い訳ばかりが達者だな。元からそうなのか?」
「………………」
ドクターは、マスクの下で唇を曲げる。
アーミヤにもケルシーにも、しょっちゅう余計なリスクを背負いこむな、他国の政治面に軽々に踏み入るな、と言われ、そのたびに反論をしてきた。
言い訳ばかりと言われても仕方がないが、雪山事変の件では、まさに彼が言い訳をする原因の一端を担っていたのだ。
帰還後、同行していたSharpも助け舟を出してくれず、大変だった。
ドクターは、うっかり零しそうになった文句を飲み下す。
ノーシスに、三度鼻で笑われた。
「何度も言うが、取捨選択をした方が良い。君の体がそうなってからというもの、オペレーターからの人気も高まっているだろう。少女たちが君を好く姿など、まるで羽獣の雛が親に懐くが如し、だ。ヴィクトリアの社交界に現れたエンシオディスも、君ほどではなかったものだ」
「よしてくれ。正直に言うと、私も距離が近すぎるとは思っているんだ」
「時間を割くならば、拒絶もやむを得まい」
「私がただの研究者であれば、な。そうではないのは君も同じだろう、イェラグ議会初代議長殿?」
「私の場合は、研究に差し支えないよう、タスクを選んでいる」
「選んだ以外のタスクは?」
「然るべき者が行うように手配する」
当然だろう、と言わんばかりの口調だった。
だが、そうでなければ、ウルサス帝国にほど近い雪原に留まって研究など出来まい。
同じ雪に覆われた大地だが、ここはイェラグから離れた場所なのだ。
ドクターは視線を花に戻した。
「まあ、いいさ。君が手を上げた研究だ、上手くやってくれ」
「元よりそのつもりだ。ロドスとしては、この花から作られる薬が、鉱石病治療に繋がるかどうかが鍵なのだろう?」
「例えそうでなくても焦らないさ。みんな、暗中模索には慣れている」
「未開の闇を恐れる者に、研究者は務まらない」
その後しばらく、ふたりの間でトークが続いた。
実験資材がまだ届いていないことや、現状は解凍したサンプルの生育を見守る必要があるためか、いつになくノーシスとの会話が弾む。
もしかすると、彼も未知の薬効や雪原の研究所というものに、心を躍らせているのかもしれない。
エンシオディス経由で伝わったカランド貿易の研究、エンヤの仕事ぶりと方針、ペイルロッシュ及びブラウンテイルの近況など、しばらく訪れていなかったイェラグの話を聞いているうち、オーロラがテントの中を覗き込んできた。
「ドクター、医療部の人たちが来たよ」
「わかった、すぐ行く。アスベストスは逃げてないな?」
「そこで飲んだくれてるよ」
オーロラに誘われるまま表に出ると、アスベストスがスキットルの中身を一気に呷るところに出くわす。
既に飲み干してしまったのか、逆さにして、最後の一滴も引っ張り出そうとする彼女を、医療オペレーターが制止した。
「アスベストスさん、お酒を飲んだんですか? 検査前に!?」
「あー? 別にいいだろうが」
「よくありません! って、うわ、この匂い……相当度数の高いお酒ですね? まさか一気飲みしていませんよね?」
「うるせえな、いいからさっさと薬だけ寄越せ。アタシはもう行く」
「待った、それは危ないよ!」
顔を赤くして立ち上がったアスベストスの腕をマゼランがつかむ。
凄く鬱陶しそうなアスベストスに、一晩留まるように説得するマゼラン。飲酒に怒る医療オペレーター。
そんな光景を見て肩をすくめていると、医療オペレーターの怒りの矛先がドクターに向いた。アスベストスに酒を渡したことがバレたらしい。
にわかに騒がしくなる雪原の日は暮れ、空は茜色に染まっていった。