ある日曜日、僕はカフェに来て、本を片手にコーヒーをすすっていた。カフェといってもいつもの学校近くのカフェではない。大きな本屋に本を買いに来たついでにここに寄っているので、結構まちなかのカフェだ。僕はそのカフェの窓際の席に座り、一人コーヒーと本を楽しんでいるわけだ。なかなかオシャレな休日ではないだろうか。空はあいにくの様子でヒタヒタと一定のリズムで水が落ちる音が聞こえる。僕が読んでいるのは太宰治の「人間失格」だ。かなり有名な作品だが、恥ずかしながらこの年までとうとうこの本を読むことはなかった。意外とカフェは静かなもので少しの話し声と僕がページをめくる音。そして、雨音しか聞こえない。
文豪の文章というものはいいものである。彼らの本はこと構成力に至っては他の本と大差ないように思う。例えば夏目漱石の「吾輩は猫である」なんかは猫を通じて少し変わった日常を書いているだけと言っても過言ではない。なんなら少し冗長ささえ感じる。驚くような展開もないし、熱い展開もない。それなのに何故か魅力を感じる。何故かはわからない。しかし、その一文一文に不思議な魔力が込められていて、人を惹きつけるかのように話に引き込まれるのである。それが所謂才能というやつなのだろう。
僕のお気に入りは「三四郎」だ。あの作品は夏目漱石の言葉選びの才能が存分に活かされた作品と言えるだろう。物語の途中で迷える子羊(ストレイシープ)という言葉を選んだ彼には天才の称号さえ霞んで見えるかもしれない。あれの考察はすればするだけ楽しい。でてくる場面とも相まって、とんでもなく小説を魅力的にしている。
僕もそろそろ春奈を諦めたほうがいいのかもしれないな。適当な人と不本意ながらも付き合うことにしてもいいのかもしれない。三四郎について考えているとそうも思う。しかし、もしかしたら春奈が僕のことを好きかもしれないという妄想が拭えない。これが恋なのか。
そう、少し陰鬱な気分になってふと外を見ると、五月と、愛梨が歩いているのが見えた。相合い傘をして、手を繋いで歩いている。嗚呼、羨ましい。そう思うと同時に激しい後悔の念が沸き起こる。どうして、あの時上坂先輩の言うことを無視してさっさと告白しなかったんだろうか。いや、その選択が間違いであることはわかっている。生徒会に入った以上振られることがわかっていて告白はできないし。それでも考えてしまう。春奈が好きじゃないなら好きじゃないでさっさと玉砕すれば良かったと。そうやってしばらく悶々としていた。
恋愛をする人間とは往々にして迷える子羊(ストレイシープ)になるのかもしれない。
その日はよく眠れなかった。外で落ちている雷が怖いわけでもなく、翌日の学校が憂鬱なわけでもない。ずーっと春奈は僕のことが好きなのだろうかという疑問が頭をぐるぐるしていた。今僕が春奈と、仲良くできているのは僕が女の子だからというのは大きな要因であると思うし、客観的に見て明らかに彼女は僕に恋愛感情を持っていない。どう考えても好きではないが、それでも期待してしまう。そんな自分が腹立たしい。こんなことになるなら恋なんてしなければよかったとさえ思う。
夢を見た。
夢の中では僕はふわふわしていて、どこかに浮いているかのようだった。僕は春奈と楽しく喋っていた。周りは真っ暗で何も見えない。しかし、不思議と恐怖はなかった。五月や他の人はおらず、二人だけの時間を楽しんでいた。そこに、上坂先輩が現れる。上坂先輩は頭に角のようなものをつけて、尻尾がついていた。春奈は
「うわー悪魔だー」
と言って走ってどこかに、去っていった。僕はといえば上坂先輩のコスプレ癖がまた出たかなどと思いながら、
「何やってんすか?これなんすか?悪魔のコスプレですか?」
そう言って、尻尾を触る。悪魔、好きなのかな、最近悪魔を殺す漫画も流行ったし。というかこの尻尾、やけに質感がリアルだな。
「こんなんどうやってつけてるんですか?」
「うるさい、触るな!!」
と言って尻尾がもがいて僕の手の中から抜け出そうとする。なにこれ、尻尾が動いたぞ、きも。
「貴方もこちら側の人間でしょ?」
上坂先輩は気を取り直してそう言うが、正直何を言っているのか理解が追いつかない。こちら側もクソもないでしょ。こっち側って何?
そんなことを思っていると、急に上坂先輩が僕を抱きしめる。ふんわりとしたいい匂いが僕の鼻孔をかすめる。なんだなんだ、と思っていると、上坂先輩が背中に回していた腕を離して、
「ほら、貴方にも生えてきたじゃない。貴方も人間の皮を被った悪魔なのよ。」
そう言って、僕の頭にいつの間にか生えてきていた角といつの間にかおしりから生えていた尻尾を触る。少し抱きしめられるのをやめられると悲しいものがあるが、それどころではない。
えっ、何これ。怖。
「やっぱり気づいていなかったのね。」
と言う上坂先輩の顔はボヤケていた。上坂先輩がボヤケていたのではない。視界がボヤケてきたのだ。しばらくすると、視界が暗転して、目を開くと、いつもの天井だった。
「夢か……」
朝起きたとき、遅刻ギリギリで春奈について考えずにいれて安心した自分がいた。
放課後になって、生徒会室に向かう。実はラグビー部の問題は既に解決した。僕は頑張った。褒めてほしい。
というわけで書いてもらった書類を五月に渡す。
「青、この新人戦3位とか、総体ベスト4とかって何?ラグビー部は出てないはずだけど。」
と五月が厳しい顔で問い詰める。
「実績だよ、うちのラグビー部、他の高校のラグビー部と合同チームを作ることになったから。」
五月は驚いた顔で
「なるほどね」
と言って、書類の処理を始めた。
そう、ラグビー部は他の高校と合同チームを作ることになったのだ。それにより、なんとか予算を確保することに成功した。
かなり大変だった。遠坂先生と一緒に相手の高校まで行って頼んできたのだ。ちょうど一人退部したせいで人数が足りていなかったらしく、快く受け入れてくれた。こちらの高校からも何人かラグビー部に入ってくれた。どうやら本当はラグビー部に入りたかったけれど、流石に二年生が一人では廃部になるだろうと思って、入らなかっただけで、入りたい人はいたらしい。
「ねえ、休日出勤なんだけど」
と遠坂先生に言われたので
「給料は発生しますよね?」
「労働基準法なんて教師に適応されないんだよ」
と笑顔で返してくれた。教師だけにはならない。そう、決意した
「せっかく今日は数学をたくさんやろうと思ったのに……」
というのは無視した。この人キモいな。
上坂先輩に報告すると、上坂先輩がニヤニヤしながら、
「ふーん、そうしたんだ」
と言う。
「まあ、なかなか面白かったよ、青。」
と続けて何処かへ行ってしまった。
サッカー部には結局大して予算の額が変わらなかったことを報告した。
「検討の結果、予算はこうなりました。」
そう言って、紙を渡す。
「あっ、こうなったんだ、わかったよ。」
とやけにあっさりだった。僕たちの驚いた表情に気づいたのか
「まあ、僕らは上坂先輩にそそのかされただけだから」
と笑っていた。
上坂先輩が元凶か、クソが。
「でも、予算の度に言ってたんですよね」
「えっ?今回が初めてだよ。」
とのこと。毎期サッカー部は予算について文句をつけてるって言ってたのも嘘か。あのアマ。
こうして予算は無事に通ったのである。
その日の夜、上坂先輩にラインを送った。
「ちょっと、今回の予算の騒動の元凶、先輩じゃないですか!!」
「えー、知らなーい。」
「ふーん、」
「まあまあラグビー部がなんとかなりそうでよかったじゃない」
絶対に許さない。何故先輩はこんなことをやらかしたのだろうか、単に面白いからという理由でこんなことをするか?と思ったが、元会長が上坂が自己中心的で手段を選ばない人だと言っていたことを思い出した。
「うん、やりかねないな。」
そう思って眠りについた。