僕は春奈に振られてからたっぷり5分はその場に立ち尽くしていた。周りの音が聞こえなくなり、一年が終わったことからの周りの喧騒から離れ、ただ、ボーッとしていた。
「おーい、小鳥遊ー」
気がつけば僕の目の前で手のひらが振られていた。大きくて、血管が浮き出た手。男だろう。声の主に顔を向ければ高橋だった。
「まあ、見てたよ。ここ、校舎の中から見えるんだよ」
何とは言わないけど、おそらく僕が振られたのを見ていたらしい。少し気まずそうである。
高橋は僕の方にフルーツジュースを差し出す。例の、上坂先輩が尿と言っていた代物である。気が利くんだけどそれじゃないほうが良かったな。なんか飲みづらい。
そう思ったが、そんなことはおくびにも出さず、
「ありがとう」
と言って受け取っておく。
そのまま流れで高橋と会話をする。
「まあ、なんとなく察したかもだけど、私、春奈のことが恋愛的に好きだったんだけど、春奈に振られちゃった。」
「そうみたいだな。なんとなく、わかる。」
「上坂先輩には無理だよって言われてたんだけどね。」
「……上坂先輩はそんなこと言ったのか。そんなのわからないじゃないか。」
高橋はさぞ話しづらかろう。それでも言葉を絞り出したのは恐るべき胆力だ。
「なんか、わかるらしいよ。僕が友情と好きの違いがわかってないって。」
高橋はしばらく黙ってしまう。何かを考えているらしい。まだ完全に春になっておらず、少し肌寒さを感じる。一分ほど経って彼が口を開く。
「わかる必要は、あるのか?俺には、わからない。なんとなく、感じるんだ。言葉にできない。言語化出来ないってことはきっとわからないんだろう。でも、感情を言葉にしようなんて、傲慢なんじゃないか?そもそも、嬉しいっていう感情と悲しいっていう感情を小鳥遊は言葉で説明できるか?俺には、出来ない。言葉なんて後付けなんだ。区別しないといけないなんて、そんなことはない。」
考えをまとめながら話しているみたいだ。
確かに、僕は自分の感情についてはっきり峻別できるのか?嬉しいとか悲しいとか、言語を通じたレッテルなんじゃないか?嬉しいとか、悲しいとかは感情という名の何かよくわからない集合体を掬ってきて、無理矢理ラベルを貼り付けたものでしかないんじゃないか。
高橋もなかなかいいことを言うな、と思った。
僕が振られようがなんだろうが次の日は勝手に来る。朝の光が窓から入ってきて、覚醒する。終業式が終わったということで今日から春休み。つかの間の安寧を享受する。一旦、春奈のことを忘れて、一日中部屋でグータラする自堕落な生活を春休みの間送っていた。
春休みも半ばに差し掛かった頃だろうか、上坂先輩から
「明日東京に行くから最後にちょっと会おうよ、引っ越しの準備で一日中というわけにはいかないから一〜二時間くらい。」
とラインが来たので、
「構いませんよ、どこで会いますか?」
「いつものカフェで、15時」
というわけで、上坂先輩に会うことになった。
僕が待ち合わせの場所に向かうと上坂先輩がいつも通り先に来ていた。毎度のことながら
「青ーこっちこっち、」
と手を振りながら教えてくれる。わかってるって。
席につくと、すぐに店員を呼んでブレンドコーヒーを一つ頼む。先輩は肘をついてこちらを見ながら、
「青、振られたみたいだねー」
先輩の遠慮のない一言。普通の人ならかなりのダメージを負っただろう。まあ、先輩らしいとも言えるかもしれない。僕は苦笑しながら
「はい、そうです。」
と応えておく。先輩も自分の言葉がかなり酷いものだったことに気がついたのか少し気まずそうな顔をして、コーヒーを一口すする。
「そういえば、友情と恋愛の違いについて高橋と話したんですが…」
と前置きして高橋と話したことを上坂先輩にも話した。すると、先輩は
「ふーん、莊子みたいなこと言うね。」
と一言だけ言った。莊子って誰だっけ?昔の偉い人ってのはわかるんだけど。
「つまり、違いはないの?」
「いえ、多分違いはあるけど説明できないのかなと思います。」
先輩はふふっと笑って
「論理的に説明できないなんて理系としていいのかなー?」
とからかってきた。
「感情なんて、そんなもんじゃないですか?」
「ふーん、まあそりゃそうだけど」
と言って上坂先輩は別の話を始めた。
一〜二時間ほど話しただろうか、日がそろそろ落ちようかという頃、
「じゃあ、そろそろ帰ろうか」
という上坂先輩の発言で会話を終わらせ、駅に向かって二人で歩く。先程まであんなにベラベラとどうでもいいことは出てきたのに、いざこれが最後かもしれないと思うと、言葉がなかなか出てこない。
数分歩くとすぐに駅に着いた。結局一言も話さなかった。正直なところ卒業式から何回もこんな場面があったのでどうせまたどこかで会うんだろうなーと思いながらも少し緊張している。と考えていると、急に上坂先輩が抱きついてきて、
「青、待たね。」
と言って帰っていった。彼女の温もりだけが体に残っていた。