変人先輩とアクターズ 作:人間っていいな
パーティーの買い出しを終えて夜凪家で夕食を始めたはいいものの、夜凪家の主人である景の機嫌は治らなかった。彼女の怒りを鎮めるには時間が足りなかったらしい。
「……それで何で夜凪は怒っているんだ?」
「レイ知ってる! おにーちゃんがうわきしたんでしょ? ドラマで観た!!」
「……せ、ん、ぱ、い? レイになんてドラマを観せているのかしら?」
ゆらりと長い髪がうねったと勘違いするほど景が怒り狂っていることは男にも理解は出来た。だが、そんな状況にも関わらず男は「素晴らしい怒りだ夜凪!」と歓喜の声を上げ、涙すら流している。
「そうか夜凪、なんで怒っているかはよぉく理解した。だが誤解があるみたいだな……俺は夜凪一筋だぞ!」
「キャー!」
レイが子供とは思えないほど黄色い歓声を挙げる。腐っても顔が整った歳上の男性が自分の姉にまるでドラマのような告白をしたのだ。しかもドラマではなく現実に起こっているのだから、この反応も仕方ないだろう。
「ワー、トッテモウレシイワー」
──当の本人達とは真逆の反応ではあるが。
当然男は夜凪景を異性として見ていない。男が夜凪景を表する時、その頭には(役者としての)という枕詞が付く。景もそれを理解していた。
「夜凪ィ!」
「な、何よ」
男が大声を出すことは滅多にない。その滅多も芝居に関する時だけで、夕食で団欒(?)している時にこんなことは一度もなかった。彼が買ってきたパック寿司を嬉しそうに食べていた双子もびっくりした顔で男を眺めている。
「なんだその棒読みは!? ロボットの演技か!? AIか!? 合成音声か!? そうだと言ってくれ……! そうじゃなかったらなんでそんな発声が下手くそになってしまったんだ……!」
「……先輩はそういう人だったわね」
役者……いや演技? 映像作品バカだろうか。興味と熱意の120%をそれらに明け渡した人間が自分の興味対象以外に怒るなんて無駄なエネルギーを使うわけもなかった。
妙に気が抜けてしまい、先程まで煮えたぎっていたマグマのような怒りが何処かへと行ってしまう。こういうところがズルい人間だ。
「……さて、俺はそろそろお暇する。夜凪が本格的に役者を目指す以上、色々考えないといけないこともあるからな」
「考えないといけないこと?」
「女優夜凪景が一番大成できる場所は何処か……まぁ、事務所探しとかだな。お前もちゃんと探して選べ。一生を左右しかねない問題なんだからな」
「わ、わかったわ……」
いつになく真剣な声色の男に気圧され、言葉に詰まりながらもなんとか返事をする。その言葉を聞き遂げると男はいつも通りの微笑を浮かべ、夜凪家を後にした。
「ふぅ……」
夜はまだ冷える。温かい室内から移動してると尚更肌寒く感じる気がする。
「……む? この辺りにこんなデカい車が停まっているなんてめずらし──」
言葉が途切れた。その車に書かれた文字を目にしてしまったのは偶然か、必然か。
「スタジオ大黒天……」
「……あ? ……お前……」
無意識に口を衝いて出てしまったのが運のツキだったのだろうか。車から降りて来た男に目をつけられ、顔を舐め回すように見られる。
「ふーん……お前、夜凪景の知り合いだったのか? なら丁度いい、明日夜凪をCM撮影に連れて行く。お前も着いてこい」
「……フフッ、それは何とも面白そうなお誘いだ」
黒山墨字。映画監督。世界三大映画祭に入賞している稀有な日本人。
紛れもなく業界における実力者がなぜ自分に同行するように求めたかは分からないが、夜凪に仕事を持って来た上にそれを間近で観られる機会を与えてくれたのだ。断るわけがない。
「……で? アイツにあの演技を教えたのはお前か?」
「いいえ? 出会った時には夜凪は夜凪でした。俺は
波に攫われる砂浜のように儚くにこりと笑みを浮かべると、黒山は眉を顰める。道端に広がっている吐瀉物を見たとでも言わんばかりの苦渋の面を見ても男の微笑は崩れない。
「……くく、俺、やっぱお前のこと嫌いだわ」
「奇遇ですね、俺もですよ」
翌日。
俺のスマホには二件の通知が表示されている。一件は夜凪。『たす』の二文字だけだが、新手の暗号か? 残念ながら俺には読み解けそうにない。もう一件は黒山さん。恐らくCMの撮影場所であろう住所のみが送られて来ている。
「予想はしていたが迎えはなしか。──さて、漕ぐか」
自転車で向かうにしては遠目の距離ではあるが、大した問題ではない。夜凪の稽古に付き合うだけの体力は保っているし、俺がカメラの前で晒されるわけでもないのだから汗をどれだけ掻いても問題ない。
走行中に夜凪の育成について考えていたら二、三度ほど轢かれそうになったが結果的に無傷なら関係ない。事故って入院でもしたら夜凪の稽古のために病院を抜け出さないといけなくなるから手間がかかる。
現場に到着すると、苛立たしげに腕時計を眺めて「遅い……」と呟いている女性がいる。将来小皺が増えそうだ。
「……あれ? 君だれ? ここ関係者以外入っちゃダメだよ」
「黒山墨字さんに同行を依頼された者です」
「えっ!? じゃあもう墨字さん来てるの? どこ?」
「え? いや知らないですけど……」
「え? 一緒に来たんじゃないの?」
「いや来てないですけど」
「???」
いい困惑顔だ……と呟き、スマホで写真をパシャリと一枚撮る。残念ながら男の撮影技術はプロには遠く及ばないが、それでも昨今の技術の進歩のおかげで高画質なものが収まる。
「ちょっとちょっと!! 何勝手に撮ってるの!」
「すみません……貴女の(困惑)顔があまりにも(夜凪のお手本として)綺麗だったのでつい……」
「えっ、あっ、そ、そう……? なら仕方ないなぁ」
なんか知らんけど許してもらえた。この人情緒不安定か?
「あっ、あの車……やっと来た……ってあれ? なんか蛇行運転してる」
「夜凪ッ!」
まるで地面が爆発したような勢いの速さで駆け出す。運動神経は優れている方だったが、常軌を逸したその速さは正に火事場の馬鹿力と呼ぶべきものだった。その勢いのまま車体の横っ腹に跳躍し──
「って、ちょっとおぉぉ!?」
──華麗な飛び蹴りで窓をぶち破った。
「夜凪! 大丈夫……か……」
蹴りと共に車内に突入。ガラス片で夜凪が怪我をしないかだけが気掛かりだったが、幸い夜凪が助手席にいるのは見えたから後部座席に突っ込んだのはよかった。……けどなんか取っ組み合ってる。
「黒山テメェェェェェェェ!! 何夜凪に手ェ出してんだこらロリコンがァァァァ!!」
「ハァ!? よく見ろやどう考えても俺が絡まれてるだろうが! 節穴か!?」
「あ、夜凪、もうちょいで壁にぶつかるから脱出するぞ。しっかり掴まってな」
「え? ええ……」
「うおぉぉぉ!! お前ふざけんなァァァァ!!」
そう言い残して黒山墨字を乗せたスタジオ大黒天の車は壁に激突した。幸い時速は30kmほどだったため、命の別状どころか大した怪我も無いだろう。
「ちょっと! 何もそこまでする必要なかったでしょ!?」
「……は? あんた本気で言ってんの? 確かにあの車は大した速度は出ていなかった。あの髭みたいに大した怪我すらしてなかっただろうね。でも万が一、億が一に夜凪の顔に傷でもついたらどうすんの? あんた、その損失を分かった上で言ってる?」
自分に向けられているものではない。
頭では確かにそう理解しているはずなのに、彼に触れられている箇所が異様に冷たく感じる。その理由が自分の冷や汗だと気づくことは、恐怖に頭が支配された景が気づくことはなかった。
「あ、あの……ごめんなさ……」
「え、あー、あはは、こちらこそ……お姉さんが運転していたわけでも無いのに八つ当たりしちゃいました。ごめんなさい」
男が怒りを鎮めたのは柊雪の涙を見たためだ。だがそれは、女を泣かせた罪悪感からではない。真に恐怖に歪む泣き顔とはこうなのかとその眼と脳に焼き付けるためだ。
「……ふふ」
パシャリとさっきと同じように自分を撮る男を眺めながら、柊雪は理解した。
──ああ、この男はイカれている、と。