変人先輩とアクターズ 作:人間っていいな
一応考えてはいるので温かい目で見守ってね
「……おい、夜凪」
先程感じた怒りと同種。唯一違うのはその矛先が今度は自分に向かっているという事実に耐えられず、夜凪景は目を逸らす。
「……チッ」
たった一回の舌打ち。それだけで景の背中にドライアイスを詰め込まれたような悪寒が走る。この感覚は初めて彼と出会った時以来のものだ。
「せんぱ──」
「なぁ夜凪」
語気を強めて景の言葉を遮る。これは演技ではなく、真の感情から来るリアルだ。だからこそ、誰よりも感情に没入できる景ですら圧倒され、口を挟むことができなかった。
「もう一度お前の言い分を聞かせてくれないか?」
そう言った男は既にいつもの微笑を浮かべていたが、それが景にとって却って不気味に感じる。いつもの癖だろうか、なるほど同じ表情でもまるで違う意味を持つのかと新たな学びを得ていた。
「昨日先輩が帰ってすぐにあの人が来てお話して」
「で?」
「今朝いきなりあの人に車に連れ込まれて……」
「で?」
「誘拐だと思って暴れたわ……」
「で?」
「お、終わり」
夜凪のあまりに拙い説明を聞き終えた男は深々とため息を吐き、頭を振る。また怒られるのかと思ったが、雰囲気から察するにそうではないらしい。
「まず夜凪、お前はスマホを持ってるな?」
「先輩が買ってくれたから当然あるわ。ごめんなさい、お金は返すから」
「いらん。あくまで俺が連絡するのに不便だからやったまでだ。……夜凪、お前が誘拐だと勘違いしたのはあいつが胡散臭かったからだろ? なら、何でソレ使って調べなかった?」
問いながらも男は理由については察している。単にスマホを使って調べる習慣がなかった。ただそれだけの理由だが、そんなことは言い訳にならない。夜凪景は自らの無知ゆえに一つの仕事を取り逃がしかけた。それが事実だ。
どんなに実力があっても、それを発揮出来る場所が与えられなければ宝の持ち腐れだ。たった一度のミスどころか何も悪いことをしていなくても全てを失いかねない場所……それが夜凪景が入った世界なのだから。
今回は胡散臭いヒゲだったから大事にはならなかったが、業界に影響力がある奴を敵に回せばいかに実力があっても腐っていく役者なんて掃いて捨てるほどいる。
「お前、この前俺に初めて自分から
前々から思っていた。この先輩の言葉には嘘がない。やると言ったらやるという気概があるし、それを本気だと伝える言葉の重みがある。間違いなく、今自分が帰ったら先輩は私との関わりを終わらせるだろうという確信があった。
「か、帰らないわ。私、役者だもの」
「……じゃあ最後に言っておく。百歩譲って芝居ならまだしも、日常生活で
いや普通に暴行罪だろと突っ込む人物はこの場にはいない。それなりに親交がある景はもちろん、初対面の柊ですらこの男がやると言ったらやる気だということは理解したためだ。
スタジオ大黒天の面々の雰囲気はピリついていた。
CMの撮影が開始し、現場を遠目に捉えられる位置まで離れた大黒天メンバーが言葉を交わす。
「墨字さ〜ん……なんであんなアブナイ子連れて来ちゃったんですか……」
「あ? メリットがあるからに決まってんだろ」
何の意味もなく部外者を連れてくるほど黒山墨字は無駄を好んでいない。半分は義理。一応夜凪景に演技指導を施して来た者をいきなり蚊帳の外にすれば、夜凪景の不信を買う可能性もあった。さっきの事故後の説教で反発もしなかった辺り、夜凪はアイツを指導者としてある程度以上の信頼を寄せていると見たが、そう間違いでもないだろう。
「メリットって……車窓ぶっ壊されるデメリット以上のものがあるんですか?」
「知らん。それを知るためでもある」
視線の先では夜凪が妙に手際良く調理をし始めたかと思えば、終いにはフランベまで披露をしている。もしかしてとは思っていたが、まるで趣旨を理解していない。
「墨字さん、あの子全く趣旨理解してないですよ!」
「…………」
とりあえずカットをした後、ジッと男を見つめる。向こうもこっちを見つめて来ているので、こちらが何を言いたいのかは分かっているのだろう。
苛立つクライアントに「五分間だけ時間を下さい」と断りを入れ、景を手招きで呼び寄せる。
「夜凪、お前の料理の腕が素晴らしいのはよく知っている。だが今は料理人の役じゃない、父親のために初めてシチューを拵える娘の役だ。お前のその芝居はその役に沿っているか?」
「ご飯は美味しい方がいいでしょ?」
二人以外の全員が「そうだけどそうじゃねー!」と胸中でツッコミを入れる。対して、男は「確かにそうだな」と呟いた後、顎に手を置き五秒ほど考え込んだ。
「……ふむ。夜凪、俺の手作り料理とファミレスの料理だったらどっちが食べたい?」
「先輩の手料理! 作ってくれるの? 食べてみたいわ!」
「何故だ? 自慢じゃないがファミレスの料理の方が美味いぞ?」
その質問に今度は景が考える。ご飯は美味しい方がいい、という考えは変わらない。それならば、何故自分はより美味しいファミレスを選ばなかったのか?
「……先輩が私に何かしてくれるのが嬉しいから」
「そうだな。つまり夜凪が演じるべきは料理が上手い人間ではなく、人に喜んでもらうために料理をする人間だ。今回のCMに沿ってより詳しくするならば、父親の笑顔のために料理をする娘の演技だが……引き出しはあるか?」
「ないわ。私、父親に料理を作ったことないもの」
「じゃあいつも通り演るぞ。俺が父親、夜凪は娘。父親への感情をそのまま使え」
さて、と黒山は独りごちる。
黒山墨字が男を現場まで引っ張って来た理由のもう半分……それは興味だ。あの暴走ブルドーザーのような
『カチン』
「え? 嘘、まさか声帯模写……?」
困惑する右腕の口を塞ぎながら、片時も目を離さぬように視線を向ける。
確かにカチンコの音で気持ちを切り替え、役に入る役者もいる。裏を返せば、カチンコなぞなくとも役に入れる輩が多いということだ。
『夜凪が前者だったら』。その気持ちだけであれを身に付けたのだとすれば、努力の範囲とベクトルがおかしすぎる。
「ふー、今日も疲れたなぁ……景、惣菜でいつも悪いけど晩御飯買って来たから──」
ほんの一瞬だった。時間にして十秒にも満たないであろう短時間だったが、男の芝居を眺めていた者に『父親』を感じさせるには充分だった。人が良さそうな笑みと仕事に疲れた気だるさ、何より娘への深い愛情を抱いているという情報が流水のように軽やかに脳に入り、処理をしているという事実に恐怖を覚えたほどだ。
しかし、それを超える驚きを与えて来たのは夜凪景の方だった。
「フーッ……! フーッ……!」
目は血走り、手負いの獣のような息を荒げる。幸い、男の首に伸ばした両手はすんでのところで掴まれ、締めることなく済んでいる。
明らかな異常事態を察した男が再びカチンコの声帯模写で演技の終わりを告げるが、景は役から帰って来なかった。
「ちょ、ちょっと墨字さん……止めた方が……」
「黙って見てろ」
現場が手持ち無沙汰になり休憩時間のような空気が流れ、各々自分のことをしている点と景達が隅でやりとりをしていた点の二つが重なり、どうにか景が首を絞めようとしているところは見られていないが、こんな光景見られたら景の女優人生とスタジオ大黒天の業界信頼が潰れてしまう。それでも黒山は止めなかった。
「ふーむ……」
渦中にいるはずの男の顔は涼しげだ。それどころか敢えて景の両手を首元に添えてから手を離し、自由になった両手で景の細身の身体を抱き締めた。
「よ゙な゙ぎ゙、゙お゙ぢづげ。゙お゙れ゙ばお゙ま゙え゙の゙ぢぢお゙や゙じ゙ゃ゙な゙い゙」
顔面はピクリとも動いていないが、声色は絞り出すようなものだった。直接触れられている首元はもはや赤を通り越して青色のアザになっている。僅かに力は緩んだようにも見えるが、手は離されていない。
(あと一押しか……)
背中に回していた右手を頭まで持っていき、幼子にするように撫でる。名前の通り、夜空を溶かしたように煌めく黒髪は少しの引っかかりもなく、するすると指から逃げていく。
「……せん……ぱい……?」
「戻ったか、夜凪。よし、今度は設定を変えて演るぞ」
「ちょ、先に治療しないと!」
「要りません。時間、押してるんでしょう?」
確かに時間的余裕は全くないことは理解しているが、それを補って余りあるほど男の首に出来たアザは痛々しい。
「先輩……ごめんなさい……私……」
「? なぜ謝る? 俺がお前に思い出す感情を指示し、お前は言う通りにやった。結果がよくなかったならそれは俺のミスだろう。役者として己の感情に呑み込まれて芝居にならなかったのは頂けないが、そんな反省は後からいくらでも出来る。お前が今すべきはCMを撮ること、そのために必要な感情の引き出しを増やすことだ」
「でも……」
珍しく景が折れずに反論してくる。
たかだか自分の首を本気で絞めたくらいでなんだというのか。むしろこんな稀有な経験を積ませられたことに誇らしさすら覚えてるというのに。
「やはりお前は変わっているな、夜凪」
「なっ……! 先輩にだけは言われたくないわ!!」
顔を真っ赤にして怒る景を見て、今のは失言だったのかと頭を捻る。褒め言葉として述べたことに対して怒られた辺り、やはり夜凪は変わっているのではないかとも思ったが今度は口には出さなかった。
「まぁいいか。それより夜凪、設定を変える。俺たちは早くに両親を亡くした兄妹だ。歳の離れた兄である俺は妹に不自由をさせないために高校卒業後すぐに働きに出た。夜遅くまで仕事をこなし、きっと兄は疲れて帰ってくる。そんな兄を少しでも労いたい妹は初めて手料理を作る……こんなところか。行けるか?」
「出来るわ。出来るけれど……また深く潜り過ぎて先輩に何がしてしまうのが怖い。こんなの初めてだわ……」
「確かに現状の夜凪は危うい。殺人犯役をやらせたら出来ないか本当に殺してしまうかの二択だろうと思わせるほどにな。だからこそ、俺と稽古をしている」
「でもそれじゃ先輩を傷つけてしまう……ううん、もう傷つけてしまった」
「それでも構わないと言っている。俺が傷つこうが、例え命を落とそうが、その経験が女優夜凪景の糧になりさえすればそれでいい」
痛いのが好きなわけじゃない。当然、死にたいわけでもない。
──だが、それがどうした?
人の価値は等しくない。それが分かっているからこそ、自分なんかの命より夜凪景の経験の一つとなる方が余程重いだろうと考える。
命すら厭わないその思考回路はまさに『悪魔』と言ってもいいだろう。取り憑かれたのは夜凪景という才能か、それとも────
「す、墨字さん……さすがにもう任せてらんないんじゃ……」
「……夜凪、今回の現場に限ってはお前のことはそいつに任せるつもりでいる。そいつの指示に従えないなら今すぐ帰れ。役者じゃないやつはお呼びじゃないんでな」
「なっ……!? 私は役者よ!」
「じゃあ演れよ」
その言葉にグッと息を詰まらせる。確かに演じることが怖いなんて言う役者はいないかもしれないが、身近な人を傷つけるかもしれないことに恐怖心を抱くなという方が無理難題だ。
先輩はウソをつかない。自分が演技として何をしても嫌ったり嫌がったりはしないだろう。本当に怖いのは、それを免罪符にしてどんなことでもするようになってしまうかもしれない自分だ。
初めて、役に入り込むことが怖くなった。
「景、ただいま。……なんかいい匂いがするね」
そんな景の心情を察してなお男は芝居を始めた。首元を見れば痛々しいが、痛みを感じていないのか、あるいは我慢をしているのか表情に歪みはない。
景は声を出せなかった。普段ならば、潜ることに集中すればすぐにその感情を引き出せたはずなのに、温かい首元に思い切り力を込めた感触がこびり付いている。今回は妹役なのだからそんな心配は無用と分かってはいても、心は別だ。
悩む景を男はずっと眺めていた。その瞳を見ていると吸い込まれてしまう気がして直視できず、顔を俯かせる。
とりあえず夜凪が演技を始められない状態であることを理解した男は、俯いた景の顔を顎から持ち上げ──唇を奪った。
「!!??」
無論、初めての体験に景の脳味噌はエラーを起こし、思考を停止する。時間にして数秒にも満たない長さだったが、あまりの衝撃に沈んでいた気持ちがどこかへ行ってしまった。
「これでおあいこってことで演るぞ、夜凪」
「出来るわけないでしょう!?」
キスなんて作品越しの知識しかないけれど、こんななんでもないことのように唐突にされるようなものじゃないくらい分かっている。というか、するならするでもう少し雰囲気を考えて欲しいと思うくらいには景の乙女回路は残っていた。こちとらファーストキスだぞ。
「……はぁ。先輩を見ていると色々考えている自分がバカらしく思えてくるわ……」
「自分のバカさを俺の責任にするのはやめ……グッ!!」
先輩の言う通り、さっきの首締めがキスとおあいこなら今の暴言は対象外だ。その分はこの拳でチャラにしよう。
「ふ、ふふ……やるじゃないか夜凪……格闘家の役を演じる日も近いな……」
結構イイ一撃が入ったのにも関わらず笑みを浮かべる男は、その顔立ちでも賄えないほど変質者に近い様子である。
「……最近の高校生って怖いなぁ」
まともな感性(スタジオ大黒天比)を持つ柊雪は一連の流れを見た後にそう呟いたのだった。