十五話 いざ、公都へ。
母の話を、少しだけ聞いたことがある。
綺麗な朝焼の瞳を持つ、ミルクティー色の髪の女性。大層美しかったのだと、大人たちが皆言っていた。
ことあるごとにそっくりだと異口同音が生まれる中、滅多に会いにくることのない父を見上げて、そのまま見つめた。
何かが気に入らなかったのか、父は小さく眉を顰めるとそのままわたしを抱き上げた。
父とわたしは、驚くほど似ていなかった。
じ、と形のいい眉を顰め、ユーシスは先頭車両のさらに1番前の席に座る人物を見つめていた。
普段怠そうにでも半分は開いている白夜はすっかり閉じきり、包帯でぐるぐる巻きな膝の上へ帝国時報を広げたまま、双子の頭を両肩に乗せてぐうすかと寝息を立てている。
あぁ、こいつはいつもそうだ。幼い頃だってワンピースを腰あたりで無理やり結んで、木の上で昼寝していたようなやつだ。その服が高級素材のワンピースから身軽そうな制服に変わったのは、いいことなのか悪いことなのか。
(アンゼリカは大声で笑うし、パトリックならはしたないと叱りつけるだろう)
ひと足先にこの女に再会したアンゼリカからは「驚きすぎてひっくり返らないようにね」とだけ告げられている。一見して当時から変わったところといえば、長く綺麗だった髪をバッサリと切ってしまっているところだろうか。
「えーっと、ユーシス……起こして良いか?」
「……あぁ、すまない。この阿呆は俺が起こす」
おずおずと聞いてきたリィンに手のひらを向け、制止する。
こいつの起こし方は身に染み付いている。昔ならば木を揺らして落としたが、さて。
「起きろ、ラファエラ」
「んぐっ」
ミルクティーに覆われた頭の、右頭に寄ったつむじの真上。角度を合わせ、直角に手刀を落とす。ちょっと声をかけただけではこの寝坊助は起きやしないのだ。
衝撃に驚いたのか、白夜の瞳がひん剥かれる。双子がずり落ちるのも厭わず剣に手をかけて、下手人を見上げ、ポカンと口を開いた。
そうして数秒の後、盛大に口端を歪ませ、叫んだのだ。
「げぇっ、ユーシス!!」
「もう一発欲しいようだな」
「いらねェよ!!」
昔よりさらに荒っぽくなった口調に、ユーシスはすこし気をやりそうになった。
が、なんとか持ち堪えて、改めて女を見下ろした。
「リィン、乗ったら連絡くれって言ったよな」
「入れたよ。ラフィが起きなかったんじゃないか」
「はァ〜?……うわ、ホントだ。すまん」
いつ仲良くなったのか、リィンと軽口を叩き合いながら足元に散らばった帝国時報を集めている。
そうして双子を揺り起こし、自身の荷物を雑に肩紐だけ引っ張り、持ち上げる。
「今どこ走ってんの」
「ケルディックとバリアハートの間だ」
そうユーシスが素っ気なく伝えると、そうかよと同じくらい素っ気ない返事が返ってくる。自分で聞いておいてなんて態度だ。
それぞれ同時に目を擦り起き上がった双子にずり落ちたパーカーをきちんと着せ、改めて金属のヒールをカツンと鳴らし、昔馴染みの青年へと向き直った。
そうしていつも通りの口癖が、人の少ない車内へと響く。
「ラファエラは捨てた。ラフィって呼べ、バカ」
誰が馬鹿だと再び手刀が降るまで、あと1秒。
「────これから向かうバリアハートは、東部クロイツェンの中心部だ」
「一応補助教材用意してきたぞ。おらっ」
「投げるな阿呆」
Ⅶ組と対岸に座る女が、バサリと観光誌を幼馴染へと投げつけた。
公都 バリアハート。四大名門・アルバレア家のお膝元であり、数多の領地を持たない貴族が暮らす、生粋の貴族の都である。
この中で本格的に訪れたことがあるのは間違いなく出身のユーシスと、同じく四大名門子女であるラフィくらいのものだ。
「周辺の丘陵地帯には 毛皮の元であるミンクが多く生息している」
「昔はよく追っかけてたなァ」
「大事なパーティーを抜け出して、な」
「クソ親父どもの長ェ話聞くより良かっただろ」
昔話に花を咲かせ始めた二人の間で、こほんとエマが咳払いをする。
ハッとしたユーシスはじとりとラフィを睨んでから、どこ吹く風な本人にため息をついて解説を続ける。
「領内の鉱山からは良質な七耀石が採れる。故に、街の職人街には宝石店も多く存在する」
「宝石と毛皮……確かにバリアハートの名産ですね」
「特に宝石は良く聞くな。帝都にも店が出てるんだったか」
そうリィンから話を振られたマキアスが、ぼーっとしていたのを隠すようにメガネのブリッジを押し上げ「あ、あぁ」と返す。
「店の名前は覚えていないが……正にバリアハート産の宝石の専門店があったはずだ」
「あァ、そういやあったな」
「一回警備依頼来たよね」
マキアスの言葉へ雑に返したラフィの言葉に、ヨルダがひとつ補足する。そうだったか、と忘れたらしい姉に少女は思わず呆れた。数日前のことも忘れるとは。いや、彼女にとってはあの誘拐事件の方が色濃いせいだろうけれども。
「あとは……そこの男も言っていたが、あの街は明確に貴族の街だ」
「もうちっと詳しく言うと、身分がほぼ平民な貴族かぶれが多いんだよ。所謂公爵家へのくっつき虫がな」
言い方を考えろ、と青年は幼馴染へと観光誌を投げ返した。
「ンだよ。お前だってそう思ってるだろ」
「口に出すのを少しは躊躇えと言っているんだ」
「おっ思ってるって認めたぞこいつ。聞いたかレーグニッツ」
「ええい、茶化すな!」
ガバリと立ち上がってラフィに指を突きつけたユーシスを、どうどうと宥めるエマ。隣であるばかりにそんな役回りである。
ケラケラ笑うラフィの声とユーシスの疲れ果てた怒声をBGMに、マキアスはそっとリィンに耳打ちした。
「……いつもああなのか、あの人」
「さぁ……とにかく、破茶滅茶な人ではあるよ。弟妹含めて」
そうしてラフィの右脇で未だグースカ眠るイクスと、姉とその幼馴染の喧嘩にヤジを入れるヨルダを見つめ、リィンは眉間を揉むのであった。
ラフィにとって、ユーシスの兄であるルーファスは苦手な人間に分類されている。
本心の読めない表情。ヒトを手玉に取って糸で吊って踊らせるようなゾッとさせる雰囲気。幼い頃から、この人はずっと笑顔の奥でつまらなさそうな顔をしている。
「あぁ、ラフィくん。少し待ってくれ」
閉鎖的で居心地の悪い車内からわれ先にホテルへ飛び出して行った双子を追って逃げるように踏み出そうとした瞬間、くだんの人から引き留められた。
「ラフィさん?」
気を遣って立ち止まったエマに向かって早く行け、と指をホテルの入り口へと向ける。大人しく中へと入った彼女の背を見送り、女はじとりとルーファスをその白夜で睨みつけた。
「……なんスか」
「そんなに睨まないでくれたまえ。久々に会ったのだから、少しくらい話をしてもいいだろう」
車内へ促すように差し出された手を視界にも入れず、女のロングブーツはぴくりとも動かない。
右肩にだけかけた黒いリュックサックを背負い直し、絶対に車には戻らないという意思を、目上の人間であるルーファスへと提示した。
テコでも動かない女を見て、ルーファスは小さく肩をすくめ、窓の空いたドアを閉める。
「ならば単刀直入に言おう。お父上から見かけたら目をかけてやれと言われていてね」
「あのクソジジィがそんなタマかよ。連れ戻してこいとか言われてンでしょう」
「いつまで喧嘩を続けているつもりなのやら。あの野心家が君の話をする時だけ驚くほど萎れているというのに」
普段から社交界へ出入りしている彼の言葉にピクリと肩を跳ねさせる。
しばらくじっと見つめてくるルーファスにいろんな感情が混ざった白夜を向け、口に出したかった言葉を全て飲み込み、女はホテルへと駆け出した。
今更ながら、この依頼を受けたことを後悔した。
どこへ行っても父の影が付きまとう。あの母を忘れた、薄情者の影が。
自分がラファエラであると知らない人間ばかりいる帝都が少しだけ恋しくなっていた。
「メガネサンさぁ、なんで金髪サンにそんなツンケンしてんの?」
「へ?」
手元で銃弾…………は、“姉”に止められたため。10ミラコインを弾きながら、イクスは年上のお兄さんへと一つ尋ねた。
突如問いを投げかけられた青年────マキアスはこほんと咳払いをして、ずり落ちたメガネのブリッジを押し上げる。
「そりゃあ、奴が貴族だからさ。あと僕はマキアスだ」
「貴族……そういやコッチって身分あンだっけ。めんどくせーな」
高くコインを放り投げ、キャッチする。そっと手を開けば、女神の顔がホテルの上品な光を反射してきらりと輝いた。……裏側だ。今日はあまりついてないかもな、とイクスはフカフカのソファに寝転がり、沈む。
向こうの方でまだ荷解きを続けるリィンとユーシスを背景に、手際よく準備を済ませたマキアスはイクスの正面で水筒に入れてきたコーヒーを啜った。
「こっち……ということは、君は帝国外から?」
「いちおー?ホームはカルバード。故郷なんざあってないようなモンだけど」
なるほど、通りで。
納得したのか、マキアスは再び口を閉じる。イクスからの質問には答えたし、今はこのコーヒーを味わいたかったのだ。
奥の方から聞こえる騒がしい音をBGMに、イクスは何度もコインを弾く……が、ずっと裏だ。イクスは少し不機嫌になった。
「ラフィも貴族らしいけど」
「彼女自身貴族嫌いだろう。あの人は……どうも貴族とは思えない」
それはまぁ、完全に同意だとイクスは頷いた。
貴族からの自分勝手な依頼は基本的に終わった後「クソ野郎が!」と手配魔獣に鬱憤をぶつけているし。新聞読むときは机に足乗せてるし。食事のマナーは悪い……らしいし。イクスは本当のマナーがわからないから、本当かどうかは知らないが。
鞄から持って行きなさいとマスターに持たされた水筒を取り出し────不服なことに子供用の、細い飲み口が付いているやつだ────に口をつけて、グイッと煽った。中身はどうやらオレンジジュースらしい。
「メガネサン、犯罪者と貴族だったらどっちが嫌い?」
「マキアスだ。それは流石に犯罪者だな。法を守らない人間はもっての外さ」
「じゃあさ。もしボクが人殺しだって言ったらどうする?」
なんともないように、イクスが告げる。
ふと、部屋の中が突然静かになった。どうやら荷解き組もこっそり聞き耳を立てていたらしい。
キン、キン。
イクスがコインを弾く音だけが響いていた。
「……イクス、君……流石に冗談が過ぎるぞ」
「あ、バレた?メガネサン騙されやすくておもしれーな」
ケタケタと笑う少年の声と3人の青年の安心したようなため息が重なった。
「いちいち間にうけてたらボクはともかくヨルダにゃ絶対ついてけねーからがんばれ〜」
じゃ、オレ“姉ちゃん”のとこ行ってくるから。
ウェストポーチに必要なものを詰め込んだイクスは、眉間を揉むマキアスに軽く手を振り、高級そうな扉を開けて去っていった。
そうして数秒後、時計で時間を確認したマキアスはメガネを外し────自分のベッドに顔をぼふんと叩きつけた。
「災難だったな、マキアス」
「本当に……心臓が止まったかと思った」
「フ、それは大変だな。実習中はそこで寝ているがいい」
ユーシスの煽りに「なんだと!?」とマキアスが噛み付く。メガネがなくて目つきが悪くなっている分、なんだか普段よりも凄んでいるように見える。
癖で後頭部を掻いたリィンは、じっとイクスが去っていった扉を見つめる。
(……嘘じゃ、ないかもな)
僅かに感じ取った殺気に、鳥肌を立てながら。
難産でした