「それにしても、リィンが家を出ようとしてる、ねェ……あんまりおすすめできないんだが」
近郊都市 トリスタ。
すでに夕日の差す街に降り立ち、青々とした葉をつけるライノの木を見上げ、ラフィは呟いた。
「そういえば、ラフィさんも家出されたのでしたね」
「あァ、5年前にな……ミュゼには悪いことをしたと思ってる」
いくら彼女が“未来を見通す”ほどの頭脳を持っているとはいえ、幼い少女をあんな貴族主義の凝り固まった家にひとり置いて行ってしまったのだ。罪悪感を覚えるのは当然のことだろう。
「ま、リィンなら一人でもやっていけるだろ」
「……」
「アイツが何考えてんのかは知らねェけど、寮生活も上手く行ってるみたいだし」
地頭も良いし、あの剣術の腕もある。外国に出れば遊撃士としてもやっていけるだろう。
遊撃士の知り合いもリベールや共和国に数人いる。“同業者”のツテも借りればさらに広まるだろう。リィン本人が本気ならば紹介しても良い。
「裏のツテしかないし、ボクは紹介できねーかも」
「あの純粋培養80%に裏紹介したらケツしばくぞ」
「いでっ、もう叩いてんだろ! つーかしないっつってんの!!」
ぺち、とデコピンをイクスに食らわせたラフィの腰をイクスの小さな拳が叩く。
ポコポコ怒る弟を見てケラケラ笑う姉を眺めて、エリゼはずっと緊張して張りっぱなしだった肩の力が抜けるのを感じた。
「じゃあ兄様が色々わかった上でテコでも曲げなかった時はお願いしてもいいですか?」
「おう、任せとけ……っと、ジャストタイミングだったな」
長い坂を登り切った先、大きな校舎の出入り口。
どうやら帰り際らしいリィンがこちらに歩いてくる姿が三人の視界に映った。
どうやら夏服に着替えたらしく、いつもの赤色ではなく綺麗な白を纏った青年は、こちらを認識するとそのライノの瞳をまるくして駆け寄ってくる。
「エリゼ!?ラフィにイクスまで……どういう組み合わせだ……?」
「ウィステル宅急便でーすっ」
「よォ。姫さん届けにきたぞ」
「もう、姫様は別に居ますよ。……お久しぶりです、兄様」
あぁ、とまだ状況を飲み込めていないまま呆然と返事だけするリィン。
数秒考えた後、顔を真っ青にしてバッとラフィを見て、叫んだ。
「まさか、何か事件に巻き込まれたのか!?」
「あたしのことなんだと思ってんだお前」
「何があったんだ、ゆっくりでいいから兄様に話してみなさい」
「おい話聞けシスコン」
エリゼの肩を掴んで、しゃがみ、視線を合わせる兄バカの頭へ手刀を落とす。
頭を抑えて抗議するようにこちらを見上げるリィンに向かってため息をついて、エリゼの背を叩いて促した。
少女はコクン、と頷いて口を開く。
「兄様、少々お話がございます。私、怒っているのですよ」
シスコンはぽかんと口を開けて、再び処理落ちしていた。
「悪ィな、手伝ってもらっちまって」
夕日の差すトールズ校舎の廊下。
掲示板に画鋲でチラシを突き刺していくラフィの隣で、長身の青年が女の腕では届かない場所へとチラシを貼り出していた。
「いや、オレも一度皆が頼る“事件屋”殿と話したかったんだ」
「そんな大層なもんじゃねェぞあたしは。……えーと」
「ガイウスでいい」
「じゃ、ガイウス。あたしもラフィで頼む」
青年────ガイウスは最後のチラシを貼り出し、数歩下がって出来上がりを眺める。
シュバルツァー兄妹が屋上で話している間に仕事を終わらせてしまおうと職員室に向かう途中で、ラウラとフィーを除くⅦ組の面々と遭遇した。
その際に何をするのかと尋ねられ、素直に答えれば、イクスにまとわりつかれているマキアスと、今まで接点のなかったガイウスが手伝うと言い出したのだ。
マキアスはイクスと外側の掲示板を巡っており、たまにイクスの楽しそうな笑い声が外から聞こえてくる。
残りのメンバーは……どうやらリィンとエリゼの会話が気になるらしい。屋上に続く扉へと張り付いていた。
「ノルド出身だったか。何回かリィンから話は聞いてるよ。大変だろ?」
「あぁ、知らないことばかりだ。外はこんなに複雑なのかと日々驚いている」
複雑ねぇ、としみじみ呟く。今一番ややこしいのはクロスベルだが、帝国もまぁまぁ面倒ではあるだろう。
自分にだって絡みついている、鬱陶しい貴族主義。対する革新派の貴族嫌い。火花がバチバチ散っている最前線・帝都に住んでいるからこそわかる面倒さ。
いつ内戦が始まってもおかしく無いほど、貴族派も革新派も巨大な組織になっている。
(ノルドか……そういや爺さんも月イチで行ってたな)
ふと、師匠の師である老人を思い出す。
後進を育てるのが大好きな人で、孫弟子であるラフィにも時折稽古という名の手合わせをしかけてきていた。
去年の暮れなんかにはわざわざ共和国の東端に呼び出してきて────いや、そのおかげで“同業者”と知り合えたから悪いことばかりではなかったが。
「ラフィのことは、たまにバルクホルン先生から聞いていた」
「待て待て待て知り合いかよ!?」
「日曜学校の講師をしていただいていたからな」
思い返していた人物の名が突然飛び出し、思わず目を剥く。何か飲み物を口に含んでいたらきっと吹き出していた。
穏やかに笑うガイウスは、そのまま言葉を続ける。
「今まで見たどんな弟子よりもじゃじゃ馬で、その分天賦の才を持ったとんでもない孫弟子だ、と」
「じゃじゃ馬って……爺さんの前で暴れた記憶数回しかねェけど」
「嬉しそうだったぞ。本当の孫を語るかのようだった」
「……待て。じゃあノルドの期待株ってのは」
「気恥ずかしいが、オレのことだろうな」
────まったく、少しはノルドのあやつのように大人しくせんか。
あの手この手を使って友人のいる立ち入り禁止区画に侵入するたび引き合いに出されていた知り合いでもなんでも無かった男が、今目の前にいる。
確かに自分よりもよっぽど大人びているし、木に登って大聖堂に忍び込んだりもしなさそうだ。
「じゃあガイウスは師匠の弟弟子ってことか……この場合なんて言うんだ? 叔父弟子?敬語使った方がいい?」
「さぁ、そこまでは知らない。それに今のオレはトールズの一生徒だ、リィンたちと同じように扱ってくれ」
困ったように眉を下げたガイウスに、そうかと一言だけ返す。
将来は爺さんの下につくのか、とか。師匠と先生のことは聞いてるのか、とか。色々聞きたいことはあったが、今ここで聞くのは……なんだかまだ早い気がした。
張り終えて余ったチラシと画鋲を手に、ラフィは掲示板の仕上がりを眺め、一度うんと頷いた。
「じゃあ、チラシと画鋲の余り返しに行くか」
「あぁ。職員室はあちらだ────ん?」
ふと、階段から見覚えのある少女が駆け降りてくるのが見えた。
「……悪ィ、これ頼めるか。流石にほっとけねェ」
「わかった。追いかけてやってくれ」
ガイウスに画鋲とチラシを託し、咄嗟に走り出す。
遠目だが、彼女は泣いているように見えた。どうやらリィンは対応を間違えてしまったらしい。
階段を駆け下り、正面入り口から飛び出した黒髪を追いかける。
幸にして彼女の足はラフィのそれよりもずっと遅く────校舎裏ですぐにその手を引けた。
「エリゼ嬢ちゃん」
「! ラフィさん……」
「あーあー、目ェ真っ赤にして……美人さんが台無しだぞ」
パーカーの袖で涙を拭いてやると、少女はその手を掴んで、数秒ぎゅうと頬へ押し当てた後、耐えきれなくなったのか、鼻を啜ってラフィへと抱きついてきた。
幼い頃、怖い夢を見るたびにぐずっていた従妹を思い出しながら、今目の前で泣いている少女の背をゆっくり叩く。
「兄様が、兄様が酷いんです」
「うん」
「何にもわかってない! どれだけ私たち家族が兄様のことを想っているか!!」
「あいつは鈍ちんだからなァ」
「迷惑だからって、誰も兄様のことを迷惑だなんて思ってないのに!!」
背に回る手の力が強くなる。わあ、と泣き出したエリゼをゆらゆらと子供をあやすように揺らした。
もしかして、ミルディーヌも同じように思っていたのだろうか。そんなことを考えながら、ゆる、ゆる、と少しずつ回っていると、視界に見覚えのあるオレンジ色が映った。
「……ラファエラ……?」
氷色の瞳をまんまるにして、青年は事件屋の本名をポツリと呟いた。
「よォ、泣き虫パトリック」
に、と笑って見せれば、青年────パトリック・T・ハイアームズはズカズカと大股で寄ってきて、エリゼを抱いたままのラフィの肩を大きくゆさゆさと揺らした。
「もう泣き虫じゃない!……って、違う!何故こんなところに、そして何故女学院の生徒を連れている!!」
「事件屋の仕事だよ。ユーシスから聞いてねェか」
「く、口調が……ぐっ、頭が追いつかない……!」
「つかエリゼ嬢ちゃんが苦しそうだろ。いい加減離せ」
パトリックの勢いに驚いたのか、ぴたりと涙を止めたエリゼが、不思議そうに彼を見上げている。
少女の無垢な視線に押されたのか、青年はこほんと咳払いをして、きゅ、とネクタイを締め直した。
「一応名乗っておこう。僕はパトリック・T「泣き虫パト坊だよ」ハイアームズ……もう泣き虫じゃないと何度も言っているだろう!!」
「ハイアームズ家の……お初にお目にかかります」
あんなに泣きじゃくった後だというのに、エリゼは初めて会った時のように、綺麗なカテーシーを披露して見せた。
その後すぐにお前も見習えといいたげなパトリックの視線がラフィに突き刺さる。関係ないとポケットから取り出した飴をパクリと咥えた。
「シュバルツァー男爵家の娘、エリゼ・シュバルツァーと申します」
「バカ兄貴を問い詰めに行くってんで、あたしと……もう一人が護衛についてきたんだ」
「まぁ、チラシのついでではなかったのですか?」
「チラシの方がついでだよ」
こちらを見上げたエリゼの頭をうりうりと撫でてやると、もう、と少女は頬を膨らませる。
「待て、バカ兄貴というと……」
「リィンだよ。友達なんだろ?」
「なっ……あんないけすかない男、友人ではない。知り合いだ! いくらお前の友人であろうと、僕だって付き合う相手くらいは────」
そこまで言葉にして、ハッとエリゼへと視線をやる。
しかし時すでに遅し。少女はすっかりラフィの後ろに隠れて警戒体制に入っていた。兄と喧嘩中(一方的)とはいえ、兄を悪く言う人間に喋る言葉などないのだ。
「悪ィ、どっか静かなとこねェか」
「……あぁ、それならそっちの旧校舎の方に、確かベンチが」
「わかった、ありがとな……ほら嬢ちゃん、行くぞ」
こくん、と頷いた少女を連れて、ラフィは段々と植物の増える旧校舎の方向へと歩いてゆく。
そしてぼうっと見つめていたパトリックの鼓膜を、遠くからリィンの妹を呼ぶ声が揺らした。
「……旧校舎の外にいるならば大丈夫だろう……ラファエラもついているし……大丈夫だよな……?」
少し心配になって、校舎裏をウロウロとしていたところをリィンに詰め寄られるまで、あと5分を切っていた。
旧校舎とは名ばかりの遺跡じゃねェか。
トールズ士官学院において仮名として旧校舎、と名付けられている廃墟に足を踏み入れた感想がそれである。
「あ……ラフィさん、あっち」
エリゼが指をさした先────青いリボンを尻尾に巻いた黒猫の姿が、扉の奥へと消えていく。
尻尾にリボンが巻いてある以上、どう考えても飼い猫。放って置けないと、依頼という形で捕獲を頼んできたエリゼと共に、ラフィは旧校舎へと足を踏み入れていた。
「本当に追いかけんのか?下から魔獣の気配するけど」
「えぇ。余計に猫ちゃん一匹では危ないでしょうし」
「仕方ねェな……」
左手でエリゼの手を握り、パーカーのポケットへとつっこむ。
まだ開けていない飴があと2個残っているのがバレて、エリゼに半目で見られても気にしない。これが逸れ対策には一番手っ取り早いのだ。
右手で長剣を引き出し、正面に構える。そして猫が消えていった通路をそっと覗き込んだ。
「あれ、ラフィじゃん」
警戒した割には部屋は伽藍堂で、ぴょこ、と見慣れた水色の髪が、部屋の中で一際目立っていた。
「ンだ、イクスか。チラシは?」
「貼り終わったし、サラキョーカンに残り渡してきたぜ。つかエリゼおねーさん屋上に居たんじゃねーの?」
長銃を背負ったイクスが部屋の入り口へと歩いてきて、二人を見上げている。
イクスによると、マキアスはチラシ貼りを終えた後、皆を追って屋上へと上がっていったらしい。
イクス自身は“飼い猫”を見かけて遊ぼうと追いかけてきたらしいが。
「……猫ちゃん、見当たりませんね」
「そ。だから軽く探索してたってワケ。アレとか」
「ンだこれ、祭壇か?」
「多分機械じゃね? 操作部ついてるし」
少年が指差した先には、確かに操作部らしきボタンが数個ついた石碑が立っている。
ひとまず触らなければいいだろう。そう結論づけて、三人は機械の上に立つ。
「壇と床の間に隙間があるし、下に続いてる……エレベーターっぽいな」
「となると、隙間から落ちてしまったのでしょうか」
「流石にそれはないだろ。つかボクもここに入ってからは見てないし」
となると、こっちの文字は階層か。
猫を探して見渡すエリゼとイクスの間で、ラフィはじい、と操作部を眺める。
その瞬間。
「きゃあっ!?」「うわっ」「うおっ!」
がこん、と大きな音と共に、エレベーターが下降を始めた。
「ら、ラフィさん、なにか触りましたか!?」
「いいや、なんも。勝手に動きやがった……絶対離れるなよ、嬢ちゃん。イクス、周り警戒」
「りょーかいっと」
ごうん、ごうん。独特な音と共にぐんぐん降りていくエレベーター。
数回階層を過ごし、ようやく止まったかと思えば、正面には不気味な赤い壁。
エレベーターのボタンを何度押しても動く様子はない。どうやら────閉じ込められたようだ。
「……あの壁、飾りでしょうか」
「さァ。見事な彫刻だが」
壇から降りて、壁へと近づく。
チクタク、チクタク。時計の秒針に似た音が絶えず鳴っている。
全体的に暗い色合いの地下の壁の中で、一際異彩を放つ赤い壁。見事な花のような彫刻が施され、ぼうっと光を放っている。
あの猫の姿は何処にもない。一体どこへ行ったというのだろうか。
正面の壁をもっと間近で見るべく近づいた、その瞬間。
────第四拘束解除後ノ初期化ヲ完了────
「誰だッ!!」
無機質な声が、突如周囲に鳴り響く。
エリゼを背に庇ったまま、剣を手に周囲を見渡しても、無機質な壁が存在するだけ。
イクスに視線をやっても、少年はフルフルと首を振る。イクスですら感知出来ていない声の主は、その言葉を止めることなどせず。
────《起動者》候補ノ波形ヲ50あーじゅ以内ニ確認────
がしゃん。
金属音が、壁の向こうから聞こえる。
咄嗟に二人の手を取って、エレベーターへと駆け出す。
だが、無情にも……すでにそこには“ぽっかりと空いた穴しか存在していなかった”。
────コレヨリ 第一ノ試シヲ 展開スル────
壁がゆっくりと下がり、その内側が顕になる。
「オイオイオイ待てよ……!」
「チッ、どうなってんだこの学院!!」
「ひっ……!?」
がしゃん、がしゃん、がしゃん。
金属と金属がぶつかる音が鮮明に聞こえる。
カタリ、カタカタ。負けじと震える長剣に、いざとなれば“力”を使うことも視野に入れ、音の持ち主を見上げる。
剣、脛当て、籠手。全てにおいて、巨大なその物質。
首なし騎士が、こちらを“存在しない頭”で見下ろしていた。