「そうか、あの翼はアリエルさんの……」
日が沈み、家々の明かりが漏れ始めた時間帯。ユーシスのそんな言葉が、夜闇にぽつんと響いた。
「天使憑き、か。摩訶不思議なこともあったものだね」
「僕はもう何も突っ込まないぞ……突っ込んでなるものか……!」
ラフィの肩に肘を置くアンゼリカに、頭を抱えて俯くパトリック。
四大名門子息子女が久方ぶりに集い、貴族らしくなく学院の正門前で不良のように屯する光景は、彼ら彼女らを知る人物にとってはあまり珍しいものではなかった。
「少なくとも、母さんの手がかりは少し掴めたと思う。フェルナンさんも色々調べてくれてたみたいだし、礼言っといてくれ」
「……あぁ、わかった。本当に父上も心配していたから、一度手紙でも出しておいてくれ」
「おう」
フェルナン・ハイアームズ。パトリックの父であり、サザーラント州の主人。
かなりの人格者であり、ただパトリックの友人であるというだけでラファエラ、ユーシスにアンゼリカを気にかけてくれる優しい人だ。
「……で。あの“弟”はどう言うことなんだい?」
「げ、せっかくスルーできると思ったのに」
「あぁっ、そうだ!流されるところだった!」
「ユーシスお前言ってなかったのかよ……」
「言えとは言われていないからな。イクスはもちろん、ヨルダのことまで全部説明しろ。俺も気になる」
じ、とアンゼリカとパトリックに詰め寄られ、降参だと両手を上げる。まだ痛む体がほんの少しだけ軋んだ。
「……雨に濡れるガキを保護しただけだ。帝都の裏路地で倒れ込んでてな」
「保護者はいないのか」
「多分。あたしの予測だけど、口に一切出さないし」
きっと保護者枠はメルキオルなのだろうが、アレを保護者と言って良いのかわからない。
……あの腹が立つ顔を思い出したらイライラしてきた。ヨルダがついているとはいえ、好き勝手していないと良いが。
「一応孤児院のツテもあるが……紹介しようか」
「いや、いい。アイツらは孤児院で大人しくできるようなタマじゃねェ」
申し出をしたパトリックには悪いが断ると、不満そうな顔で「……そうか」とだけ言われた。流石にあの子達を孤児院に預けてはいけないだろう。なんてったって殺し屋だ。
「ラファエラ」
「ラフィって呼べ。ったく、何だ」
「……私は心配だよ。昔からお人好しで騙されやすいからね、君は」
「いつの話してんの」
「根っこは変わっていないだろう?」
ふと、アンゼリカが口を開いた。
肩に回していた手を正面へ持ってきて、ラフィの頬をむに、と挟む。
「あの少年からは、底知れない暗いものを感じた。本当に、騙されてはいないかい」
……驚いた。
昔から鋭いところはあったが、まさかここまでとは。
学院に来てから、イクスは戦闘以外で殺気を見せていないし、異能すら使っていないというのに。
「……大丈夫だよ。アイツらの暗い部分は“知ってる”から」
頬に当たる手に自分の手を添え、ラフィは小さく笑ってみせる。
しばらくじいっと見つめていたアンゼリカは、はぁ、とため息をついて、ミルクティー色をした妹分の髪をわしゃり、と撫でた。
「この人たらしめ」
きょとん、とアンゼリカを見上げる妹分は何のことやら理解が追いついていないらしい。
昔から変わらないタレ目の上目遣い。本人はミルディーヌもいる以上姉ぶっているが、年上キラーでもあることに気づいていないらしい。
「あっ狡いぞアンゼリカ。僕も撫でる」
「わぷっ……なんで同い年のお前に撫でられなきゃ、」
「ならば俺も乗っておこうか」
「ユーシスまで!?」
「フフ、大人しく受け入れると良い。私よりも比にならない間家出していたのだからね」
ラファエラの髪は触り心地がいいんだ、とか。相変わらず角のない丸い頭をしている、とか。好き勝手言う幼馴染達に顔を真っ赤にして、もう、と手を跳ね除けた。
残念そうにこちらを見る男組を睨みながら、ふと、双子を拾った日のことを思い出す。
花散らしの雨の中、死体の上でぐったりと眠っていた二人を、なぜあんなにも必死になって保護したのだろうか。
イクスが目を覚ますまでは猫のように懐かなかったヨルダ。地下水道の一件まで、どこか一線を引いていたイクス。
二人は≪四の庭園≫の殺し屋。その直属の上司が、あのメルキオル。
話を聞けば聞くほど真っ黒で、どうしようもない。本来の自分ならば切って捨てるはずの、腐った部分。
なぜ自分は、あんなにも──────────
「姉ちゃん」
は、と顔を上げる。
裾を引っ張る、小さな手。イクスが、不満そうにこちらを見上げていた。
「どうしたんだよ、考え込んで。らしくないぜ。……もしかしてオニーサンたちになんか言われた?」
つか髪の毛ぐちゃぐちゃじゃん。やられたの?
そう言ってじろ、とずっと年上のはずの四大名門子息子女を睨みあげるイクス。
きょとん、とする三人にラフィは小さくフッと笑って、今度は自分が弟の水色の頭をわしゃりと撫でた。
「なんでもねェよ」
されるがままになっていたイクスは、にぱ、と笑い、頭をラフィの胴体へとくっつけて、すり、と額を擦り付けた。
なんだかぐちぐち考えても仕方がない気がしてきた。双子が無事ならそれで良いだろう。
二人の正体がなんであろうと、自分の弟妹であることは変わらないのだから。
「エリゼ嬢ちゃんは?」
「もう来るぜ。ほら」
どうやらイクスだけが走ってきたらしい。学院の出入り口からゆっくりと歩いてくるシュバルツァー兄妹を確認して、ラフィはポケットへと手を突っ込み、パーカーの裾でイクスの肩を温めるように覆う。
「今日の晩飯、何が良い?」
「ハンバーグ!」
「昨日も食っただろ……ったく、今日だけだぞ」
やった、とはしゃぐイクスをどうどうと宥める。
まだ材料は少し残っていたはずだ。ヨルダ達はとっくに食べた後だろうし、きっと足りるだろう。
腰元で鼻歌を歌う弟の肩をとんとんと叩きながら、こちらへと近寄ってくるリィンへと視線を向けた。
「体調は?」
「大丈夫だ。抑えてくれたおかげでそこまで疲弊感もない。そっちこそ、痛みがあるんだろ」
「筋肉痛みたいなモンだ、すぐ治る……嬢ちゃん、門限は?」
突然話を振られたエリゼは慌てて持っていた懐中時計を確認して、ぴゃっと飛び上がる。
「あと1時間です!!」
「うっそ!?ヤバいって、のんびりしてる場合じゃねー!!」
「早く行くぞ、列車逃しちまう!!」
「はい!……兄様、それではまた!」
「あぁ、またな」
珍しく大慌てする妹の姿につい頬が緩んだのか、だらしない顔をするリィン。
拳を向ければ、肩を震わせながら同じく拳をぶつけたきた。互いにじゃあな、と別れの挨拶をした後、家出娘は半分駆け出しながら旧友達へと大きく手を振った。
「じゃ、帰るわ。またな!」
「……あぁ、気をつけて」
「あまり無茶をしないようにね」
「たまには顔を見せに来い!」
お前らはあたしの母親か。
そんなツッコミを心の中で入れながら、ラフィはイクスに手を引かれるまま駅へと歩き始めた。
平穏な日常と、ほんのちょっとの非日常。
イクスにとって、ラフィとの生活はその一言で集約される。
もちろん、非日常は特別実習のことだ。“仕事”で数回訪れたことのある場所を、昼間に大手を振ってもう一度訪れる。今までの自分たちならば、考えられなかったこと。
マキアスという弄りやすい年上の友人もできた。ヨルダは平穏を享受して、近頃笑顔が増えたように思う。片割れが幸せなのは嬉しいことだ。
(だけど、ちょっぴり退屈なんだよな)
普通。何もかも普通。
毎日依頼をこなして、姉のバイト先まで行って、一緒にご飯を食べて、笑い合う。なんの変哲もない、普通の日常。
ラフィに頭を撫でられるのはものすごく落ち着く。汚れたことを何にも知らない綺麗な手は、優しくて、暖かくて。
休暇をもらってからは、余計に退屈で。血を浴びることもなくなって、普通の子供みたいに過ごしてる。
庭園で死んだ目をした子供とも目を合わせることなく、たまにケルディックに行ってミミと遊んで。
平和とは、停滞である。
そんな煽り文句をどこかで聞いた気がする。
陽の光の下は全てが止まっているように見えて、退屈で、退屈で、退屈で。
幸せそうなヨルダを見るたびに、自分は壊れているのだと嫌でも自覚させられる。
人としておかしいことなんて、庭園の大人達は教えてくれなかった。トチ狂ったヤツが生き残るような世界だったから。
夏用の掛け布団の中で、正真正銘安心しきって眠るヨルダと寝たフリをするイクスをとん、とん、と一定のリズムで優しく叩くラフィの温もりを感じる。
自分たちを闇から引き摺り出したヒト。間違いなく陽の光の下で生きてきた、自分たちとは全然まったく違う道を歩いてきたヒト。
悪ぶってるくせにお人好しで、優しくて。その微笑みを向けられたら、甘えたくなってしまう。
静かに目を開ければ、姉は目を瞑っていた。どうやら寝ながらこの心地よいリズムを刻んでいたらしい。
ラフィの胸元にすっぽりおさまるヨルダは、やっぱり幸せそうで。少し前までこの時間帯は人を殺していたとは思えないほど、普通の子供だった。
「……ん……なに、寝れないの……?」
姉がうっすら開けた白夜をこちらへと向ける。
先ほどまでリズムを刻んでいた手がイクスの肩へとかかり、ぐい、と小さな体を引き寄せた。
自然とヨルダとくっつく形になると、今度はヨルダがもぞ、と動いた。起こしてしまったかと焦ったが、どうやら違うらしい。
間に挟まれた妹はイクスの腕を探し当て、ぎゅ、と掻き抱いた。姉の懐を独占して兄の腕を抱き枕にするとは、なんて贅沢だ。
「大丈夫よ……姉様がずうっと一緒だからね……」
……どうやら寝惚けて自分たちのことをミルディーヌと勘違いしているらしい。彼女が二人に分裂したとでも思っているのだろうか。
腕に感じる妹の温もりと、背を温める姉の手のひらがイクスを眠りに誘う。
本当に、ずっと一緒にいてくれるのだろうか。
こんな壊れた自分でも、見限らずに居てくれるのだろうか。
姉の穏やかな寝顔と、妹の小さな寝息を聞きながら、イクスの意識はすとん、と驚くほどあっさり落ちていった。
翌朝。
目を覚ましたイクスは、目を擦るヨルダと共にとんでもない光景を目にしていた。
「ン、起きたか。ごめんオリビエさん、ちょっと待っててくれる?」
「もちろんだとも。君曰くボクはいつもフラフラしている暇人だそうだからね」
「ったく、2年も前のこといつまでも突かないでよ」
いやぁ、あの頃は君も若かったねぇ。
老けたみたいに言うな、このバカ詩人。
軽口を叩き合う姉と謎の金髪男を寝ぼけ眼でぼうっと眺め、とりあえず座れと促されて、男の正面へと座り、男を観察し始めた。
まだイクスの腕を抱き枕にしているヨルダはうぅんと唸りながら椅子に座って、こてんと兄へともたれかかる。
紫苑の瞳に、少し燻んだ金髪。白を基調としたコートを見に纏ってはいるが、姿勢は良く、育ちもかなり良さそうだ。
ラフィよりもずっと年上に見えるが─────
「いやオリヴァルト皇子じゃね!?!?」
「バカ、レストランの酒盗み飲むような輩が皇子殿下な訳あるか!!!!」
「あっはっはっは!!」
お前は何を言っているんだとこれでもかと表現するラフィに、心底愉快といった様子で大笑いする男。
混乱するイクスに、男は指を一本立てて、しぃっと、黙っていろと促した。
「ボクはオリビエ・レンハイム。漂泊の詩人にして愛の狩人さ」
「クソボケ酒泥棒の間違いだろ」
「あぁん、ラフィくんったら冷たい!」
男の名はオリビエ・レンハイム。
またの名を、オリヴァルト・ライゼ・アルノールと言った。