「姉ちゃん、姉ちゃん」
「起きて、お姉ちゃん。もう朝だよ」
「んん……」
双子に揺すられ、白夜の瞳がうっすらと開かれる。
見慣れぬ天井────そうだ、今は実習中だったか。
目を擦り、起き上がる。なんだかしっかり眠れた気がしない。
「……おはよ、二人とも……」
寝ぼけ眼のまま、双子の水色とピンクの髪をうりうりと撫で回す。嬉しそうに笑う二人に微笑んでから、思い切り伸びをした。
「ん……ミリアムとエマは?」
「さっき起きて顔洗いに行ったー」
「わたしたちは準備万端。お姉ちゃんもさっさと準備して」
「はいはいわかった、わかったから引っ張るな」
寝巻きの袖をぐいぐいと引っ張る可愛い弟妹の姿に思わし口端が緩むのを感じる。
洗面セットを荷物から取り出し、二人について部屋から出る。確か洗面所は一階だったか。
「ウィステル嬢に、イクスとヨルダだったか。今起きたところだろうか」
その一声でしょぼついていた目が一気に冴えた。
階段を登ってくるこの屋敷の主人の姿を視界に収め、ラフィはぺこりと頭を下げた。
「子爵閣下……おはようございます」
「「おはよーございまーす」」
「うむ、おはよう」
双子の元気……とは少し言い難い挨拶にも嫌な顔ひとつせず、ニッコリと返事を返してくれる。
こういうところが民に好かれるのだろうな、と勝手に考えつつ、ラフィは階段の端に双子を寄せて、自分自身もなるべく寄った。
そしてゆっくりと上がってきたアルゼイド子爵がちょうど同じ段に上がった時。
「あの。長いでしょう、あたしの苗字」
女は緊張でカラカラになった口から声を上げた。
「大方ラウラから聞いたんでしょうが、あたしだってこの制服を着てる以上、今はただの監督役だ」
青い羽のブローチに触れ、ラフィは子爵を見上げた。
「配慮は結構です。あいつらと同じように扱ってください」
「……フフ、そうだな。ではラフィ、と」
「はい」
ようやく言えた。ふぅ、と息を吐けば、ふと頭の上にまた温かい手のひらが乗った。
数回、ゆっくりと寝癖込みで跳ねたおす癖っ毛の流れに沿って動かされる。白夜の瞳が小さく丸くなり、照れ臭さで耳がほんの少し色づく。
「実習期間はあと一日……短い時間だが、有意義に過ごせることを祈っている」
「……ウス」
ひとしきり撫で回したあと、子爵はそのまま階段を上がり、奥の部屋へと帰っていった。
……まだ撫でられた頭が温かい。子供扱いは勘弁してほしいが、子爵閣下にとっては事実、ラフィなど彼の娘と同年の子供でしかない。
「姉ちゃん照れてる」
「子供扱いに弱いよね、お姉ちゃんって」
「うるせ。ほら、顔洗いに行くぞ!」
洗うのはお姉ちゃんだけでーす。
そう呟いたヨルダの整った髪をぐしゃりと撫でまわし、バッチリ決めたはずの髪型が崩れた妹の悲鳴を聞きながら女は階段を降りていった。
8/29、実習二日目。
すっかり霧の晴れたエベル街道は、夏の深緑が木漏れ日を作り、昨日とはまた違った涼しさを一行にもたらしていた。
葉の隙間から見える夏の太陽に手を翳せば、手の中を流れる血潮が薄ぼんやりと透けて見える。
「ラフィ〜っ! なにしてるの〜?」
「ぐえっ」
見上げるためにピンと伸ばしていた背に、ミリアムが思い切りタックルを仕掛けてきた。
うっかり朝食が出そうになった寸前でなんとか止め、腰をさすりながらミリアムを見下ろした。
「何って、特に何もしてねェけど」
「空見上げてたじゃん!」
「いや空くらい誰だって見上げるだろ」
ラフィだってノスタルジックな気分になる時くらいある。夏らしい入道雲が遠くでもくもくと立ち上がる姿を眺めたって良いだろう。
……ただでさえ、今目の前に見たくもないものがあるのだから。
「機械仕掛けの魔獣、か」
リィンの呟きに頭が痛くなる。
眉間にできた皺をぐりぐりと伸ばしてからもう一度魔獣を見据えれば、すぐ正面にいたのは機械仕掛けの魔獣などではなく、幼馴染の顰めっ面だ。
「うおっビビった」
「どうせ何か知っているのだろう。吐け」
「吐けって、なんであたしが……いや冗談冗談。ちゃんと言うから」
額をごつんとぶつけ、圧をかけてきたユーシスの肩を押して引き剥がす。
期待を込めてこちらを見つめる友人たちに押し負け、女は口から苦い記憶を吐き出した。
「イクス、ヨルダ……あとミリアムも知ってんだろ。コイツは結社《身喰らう蛇》の人形兵器だよ」
「やっぱり? 見覚えあると思った」
「そういや管理人がちょくちょく借りて来てたよーな……」
いやメルのヤツ使ってんのかよ。
そんなツッコミはいまは心のうちに仕舞って、黒煙を上げる人形兵器に近寄り、ガシャリとその機体をひっくり返す。
「リベールでは見なかった型だけど……ほら、ここ」
胴体後部、おそらく燃料の補給口であろうパーツに、見慣れたマークが刻印されている。
空中都市で待機中に
「自身の尾を喰む蛇……文字通り《身喰らう蛇》、ですか」
エマの言葉に頷き、ゴンと蹴りを喰らわせる。
結社が関わるとなにをするにも人形兵器が絡んでくる。直接使える人員が少数精鋭の強化猟兵部隊しか居ないから、機械で人数不足を補っているのだろう。
代表的なものはとある執行者の駆るパテル=マテルと呼ばれる超大型兵器だが、当然小型のものも存在している。
グランセル城地下の封印区画、四輪の塔の裏側、ヴァレリア湖畔の研究所……空中都市リベル=アーク。その全てで少なくとも小型の人形兵器には出会い、壊してきた。
「……つまり。このレグラムに、その結社とやらの魔の手が忍び寄っていると言うのか」
そう声を上げたのはラウラだ。
制服のスカートを握りしめ、じっと人形兵器を見つめている。
当然の反応だろう。大切な故郷に得体の知れない組織の得体の知れない兵器が徘徊していたのだから。
……だが。
「いや、多分コイツは輸送途中で落とされたんだろうな。ほら、リィンが切り落としちまってるけど、ここ」
人形兵器の、腕の部分。
僅かに綺麗な縦線状の凹みが残っている。きっと列車のコンテナで輸送されていたのだろう。
なんらかの原因でコンテナから落ちて、なんらかの原因で起動し、線路からそう遠くないこのあと場に移動して来た。あまりにもふわふわとした推理ではあるが、小型の取り巻きがいない以上、そう考えるのが自然だ。
「周囲に警備型も見当たんねェし、レグラム付近にはこいつしかいないんだろ」
結社ならば、こんな一匹だけ放つなどまどろっこしいことはしない。
そう伝えれば、ラウラはホッと肩を撫で下ろし、いつも通りの凛とした表情を見せる。
「そうか……少し、安心した」
そんなラウラの隣で、ユーシスは変わらず眉間に深い皺を作っている。
……この状況が何を示しているのか、よくわかっているのだろう。
エベル街道に落下した人形兵器。もし運ばれて来て、何処からか落下したのならば……
残りは何処へ行ったのか。
────そうだな、その愛領心に免じて依頼人でも教えてやろうか。
誰が運んでいるのか。
────クロワール・ド・カイエン────お前の父親さ。
何かと最近関わってくる結社。
そこに所属しているあの猛毒おじさんの依頼人がカイエン家当主となれば、当然同じ四大名門であるアルバレア家も怪しく見えてくる。
そして、このエベル街道を走る鉄道、エベル支線の行き先はたった一つ……クロイツェン州が州都、バリアハート。
いや、バリアハートは中継地点という可能性だってある。決めつけるのは早計だ。
ユーシスに向かって首を横にふれば、彼は下唇を噛みながら顔をぷいと背けた。
「……とにかく、依頼はこれで達成だろう」
ガイウスの鶴の一声で、全員が顔を上げる。
「あぁ、そうだな。とりあえずレグラムに帰ろう」
それにリィンが同意し、一行はゾロゾロと人形兵器のいた軽い広場から抜け出した。
「お姉ちゃん、疲れた。おんぶ」
「はいはい。イクスはまだ歩けるか?」
「ヨユー」
手を後頭部で組み、ニィと笑う弟。
微笑み返した姉は疲弊した妹を背負い、ゆっくりと友人達を追って街道を戻り始める。
夏の太陽が、女を照らす。
どうも妙な胸騒ぎを覚える中、温かな妹の体温を感じながら、大地を踏み締めた。
帰ってきたレグラムは、街道へ出る前とは打って変わって少々騒がしかった。
人の声が入り口にまで聞こえてくる。今だけオルディスに帰って来たかのような、そんな妙な感覚に襲われた。
「んー、水上定期船が戻って来てるみたいだね。なんだか変な連中も居るけど」
ほら、あそこ。
ミリアムが指し示した先に居たのは、“見慣れた”白と紫の制服を着た兵士達だ。
思わず「げェッ」と声を上げ、咄嗟にヨルダごとしゃがみ込む。
「わっ、びっくりした」
「ラフィさん?」
「どうした、潰れたカエルのような声を出して」
エマとガイウスが奇妙な行動に出たラフィを見て首を傾げる。驚いたヨルダはそのまま地面へと降り、定位置であるイクスの隣へと収まった。
そこで事情を知るユーシスが肩をすくめ、ラフィの脇へと手を差し込み、よっこいせと立たせる。
「全く、“地元の兵”を見てその行動はどうなんだ」
「いや、見覚えある顔がいたからさァ……なんで部隊長のおっさんがこんなとこに……」
後頭部を掻きながら呟かれたラフィの言葉に、ぴんと来たらしいラウラが答えを出した。
「もしや、ラマール州の領邦軍か」
「あぁ、そうだ。あそこのちょび髭の男は屋敷から脱走したラファエラを捕まえる名人でな」
ユーシス達を連れて脱走した時も、カイエン邸からならば必ずあの男が迎えに来ていた。大抵ラフィと追いかけっこをして、先回りで捕まえるのだ。ラファエラ様係、なんてものの係長をやっていたくらいだ。父から受けた信頼は他の兵の比にならないだろう。
彼のことは今でもよく覚えている。勿論、どれだけ逃げても捕まる恐怖も。
「チッ、階段塞ぎやがって……!!」
「塞いではいないけど」
「視線が通っている時点でダメだそうだ」
階段脇で部下に指示を出しているだけだが、ラフィにとって奴の視線が通る場所はレーザーセンサーの壁と同等。まぁ、きっと彼の中のラファエラ・カイエンはふわふわの長髪を持った可愛らしいお姫様だから、今のガラの悪い事件屋とは一致しないかもしれないが。
ぐぬぬと歯噛みしながら階段を見つめていると、見慣れた金髪が階段を登ってくる。
軽く上げられた右手に白夜の瞳をぱちくりと瞬かせ、女は金髪の持ち主の名を呟いた。
「トビー先輩」
「よう、戻って来てたか」
入り口で立ち止まる一行を見て、その視線の先にいる領邦軍を認識し、トヴァルはあぁと納得する。
そして、対岸の波止場から定期船を徴発したこと、何故かラマール州の兵が乗り込んできたことなどを教えてくれる。
「それと、子爵閣下にラマール州のお偉いさんが訪ねて来ているらしい」
「ラマール州の……?」
一体誰だ。大叔父様か、他の親族か。
脳内で“お偉いさん”と呼ばれるような人間を洗い出し、ここまでの領邦軍を動かせる人物を探す。
「街道から帰って来たってことは、手配魔獣も倒したんだろ?」
「あ、そーだ」
「トヴァル殿、それが少々厄介なことになっているのだ」
脳回路を必死に回して古い記憶の棚から必死こいて容疑者候補を探すラフィをよそに、イクスとラウラがトヴァルに答える。
人形兵器と思しき機械仕掛けの手配魔獣が居たこと、《身喰らう蛇》の紋章を確認していること。
どうやらこれ以上存在はなさそうだということ。
「ふむ、そうか……ここで結社が出張ってくるとはな。わかった、残骸の方は俺でも調べておく。それとラフィ」
「……違う、再従姉はまだ家を継いでないからそんな権力ないし……分家のおじ様は……」
「はぁ……ったく、話・を・聞・け!!」
「んぎゃーッ!?」
トヴァルに頭をぐわしと掴まれ、めりめりと力を入れられる。
色気もへったくれもない声を上げたラフィは、解放された後に額をさすりながら抗議するような視線をトヴァルへと向ける。
「アインには俺から連絡を入れておくから、お前は実習に集中。いいな?」
「はァい……痛ェ……」
「考え事に夢中になるクセ、そろそろ治せよ。じゃあな!」
そのまま報酬をリィンに預け、トヴァルは街道へと出ていった。
「……えっと、とりあえず……アルゼイド邸の様子を見にいきましょうか?」
「そうだな。行くぞ、ラフィ」
「あっちょっと、引っ張るなって、ラウラ!」
エマの提案に頷いたラウラに手を引かれながら階段を降りた。
一瞬部隊長の男と目が合った。
彼はその青色の瞳を丸くし、口を開け、驚いた後────安心したように目尻に涙を溜めながら微笑み、会釈をした。
部下の領邦軍兵たちが不思議そうにこちらを振り向くも、彼らは若く、新兵らしかった。
(……そっか、心配かけてたんだ)
侍女長と同じくらい世話を焼いてくれていたのだ。
イケてるちょび髭に向かってにぱりと笑顔を作って、そのままラウラの手に引かれていく。
帰ったらおっさんと、あと婆やにも、手紙でも書こうか。
どことなく晴れやかな気持ちで、また夏の空を見上げた。
ドレープタイを引っ掴んで、握り拳を振りかぶる。
ばき、と固いものを殴る感覚がした。
「この街に何しに来やがった」
自分とそっくりなタレ目が、痛みに歪んでいる。
「アンタの悪行、あたしは知ってんだぞ!! クソ親父!!」
さっきまでの晴れやかな気持ちなど、霧散して消え失せてしまっていた。
夏休み突入のため更新頻度が死にます