「ワジ? どうしたんだ」
────8月30日、夜。
西の方角を見上げ、静かに佇む少年に、白地に青を差し色にしたジャケットを着た青年が声をかけた。
「……ああ、いや。すぐそこにあの子が居るんだ、と思って」
少年はフッと笑って、東の空を指差す。
帝国方面の国境────たった今、彼の友人が"特別実習"とやらで訪れているという場所。
夕方、かの国の皇子から聞かされた事実。少年の手に握られた彼女からの贈り物らしい青い紙袋を見て、青年は口を開いた。
「ラフィさん、だったか。話を聞く限り相当苦労人みたいだな」
「逆さ。いつも僕と
きっと苦労人に聞こえたのはあの皇子殿下から話を聞いたからだろう。彼はラフィ以上に破天荒な人のようだから。
ラフィ。ラフィ・ウィステル。
長いミルクティーの髪をくるくると遊ばせた彼女。いや、確かもう切ったのだったか。
切っても切れない血の縁に翻弄されているくせに、どうしようもないお人好しで、たとえ相手の手が赤く汚れていようとお構いなしに薄明の元へ引き上げてしまう、白夜色をしたどっちつかずの女の子。
「せっかくだし、明日の朝ならベルガード門まで行ってもいいけど……」
「いや、いいよ。明日は大仕事だしね。それに、近くに行ったら会いたくなってしまう」
青年の申し出をキッパリと断り、少年は微笑んだ。
脳裏に浮かぶ、二人の友人。もう一人の彼女は、確か今は共和国で女優業をしているのだったか。
事件屋、警察、女優。まったく、本業はともかく全員揃って全く別方向の道に進んでいるのだから面白いものだ。
「……おや。見てごらん、ロイド。事件屋殿からの激励だ」
「え……」
「フフ、やっぱり元気そうじゃないか」
紙袋にクッキーと共に入っていた、小さなメッセージカードと、一枚のチラシ。
メッセージカードには、乱雑な、しかし読みやすい字と共に、連絡先と思しき数字の羅列が書いてある。
────
そしてチラシの方。
こちらは青を基調とした小洒落た雰囲気だ。
肝心の内容は……ただの宣伝らしい。
──── お困りごと、ございませんか? 落とし物の捜索から手配魔獣まで何でも受けます。 ご相談は『アルト通り4-32-22-203号室』まで!
チラシの上部にCriminal Case Wistel……事件屋ウィステルの文字が、確かに踊っていた。
「へくちっ」
ある女のくしゃみが響いた。
七耀歴1204年、8月31日。夏の酷暑が引き、半袖の制服では少々肌寒い朝のことだ。
「くぁ……ったく、酷い目にあった……」
あくびを噛み殺しながら、女はしゃこしゃこと歯を磨いていた。すぐ下に濃いクマが残る白夜を虚に宙へ向けながら。
そう、まさかの寝不足である。
「しょーがない。まさかあんな話が聞けるとは思わなかったし」
「そうよ。本当はまだ聞きたいことがあったんだから、手加減しただけ感謝してほしいわね」
左右を陣取るはアリサとフィー。昨夜揶揄ってきた主犯二人だ。
ラフィを含め、ようやく女子が全員揃った仮眠室。当然のように始まる女子会、飛び交う恋バナ。年相応といえばそうだが、ラフィにとっては何の関係もない話────の、はずだった。
『そーいえばお姉ちゃん、管理人のこと好きでしょ』
妹に、その身を売られるまでは。
思わず椅子ごとひっくり返って読み返していたカーネリア(ハードカバー版)を思い切り鼻面に落とした。
ヒリヒリ痛む鼻柱をさすりながら起き上がれば、そこには恋バナに飢えた女子という名の獣の視線。結局深夜まで根掘り葉掘り出会いから今に至るまで全て聞かれ (本当の地下水道での出会いについては流石に少しぼかした) 、ラフィの元々あったかもわからないミステリアスな部分は消えて無くなってしまったのだった。
「並んでる所を見たらニヤけちゃいそうだわ」
「だーかーらー、そういうのじゃないって」
「でも好きなんでしょ? メルキオルの顔」
「まァ……その、顔だけなら……」
だんだん窄んでいく声でそう言うと、左右から肘がどしどしと突いてくる。どうして人の恋路なんかでここまで盛り上がれるんだか。
「……仕事手伝ってくれるし……飯作ってやったら、美味しそうに食ってくれるところは、まァ……いいヤツだな、とは思うけど……」
「え、ご飯作ってあげてるんだ」
「だってアイツ生活能力底辺なんだよ。放っといたらレーションばっかり食いやがる。ならあたしたちが作ってやんないとダメだろ」
今回は仕事に行くとは聞いていたから、初日だけ作り置きをしてきた。昨日聞けばちゃんと食べてからきたそうなので、家の冷蔵庫に期限切れの料理は存在しないだろう。
「なんというか……お母さんみたいね」
「否定はしねェよ。でっけェガキみたいなもんだし」
「それはそれでメルキオルが可哀想かも」
「アイツが可哀想? なんでだよ」
「なんでもないよー」
……フィーの発言も気になるが、そろそろ口の中に歯磨き粉の泡が溢れてきた。
水道から水を出し、両手で皿を作るように水を溜め、口内に注ぐ。
ぐちゅぐちゅ、がらがら、ぺ。うがいを済ませ、女は軽く顔に水を浴びせ、すっきりと目を覚ました。
「おし、今日も頑張るか」
「ええ。実習最終日だもの、気合いを入れていきましょう」
「
いつもより覇気のない返事をしたフィーの首根っこを引っ掴み、着替えを済ませるべく仮眠室への道を戻る。
妙な胸のざわつきはまだ収まっていない。自らの意思と反して高揚する身体を宥めつつ、女は大きく伸びをした。
「姉ちゃん、ホントによかったの?」
13:50。
昼下がりの陽気が気持ちのいい、ガレリア要塞の外通路。
鉄の外壁にもたれたイクスの問いかけに、姉は片眉をぴくりと上げた。
「何が?」
「列車砲の見学。姉ちゃんだけなら行けたんだろ?」
列車砲。今、Ⅶ組の面々が見学に行っている兵器の名だ。
その名の通り、線路を利用して巨大すぎる銃口から放たれる弾丸のこれまた巨大すぎる反動を卸す仕組みを持つ、帝国最低最強の兵器。
その銃口は常にクロスベルへと向けられている。その気になれば街一つ消し飛ばせるレベルの兵器の銃口が、だ。
……それは何を意味するのかがわからないほど、ラフィは無知ではなかった。
「好きじゃないんだよ。あんな大量破壊兵器」
「ふーん……ま、ボクは姉ちゃんと過ごせてラッキー、ってだけだけど」
「そりゃよかった」
水色の頭をわしゃわしゃと撫で回せば、弟は嬉しそうにニヘ、と笑った。
わざわざ兵器を見にいくより、こうして弟達家族と共に居た方が有意義だと考えたのだ。
……わかっている、逃げているだけだと。このまま貴族派と革新派の対立が深まれば、父に向けられる銃口から。
列車砲は正規軍の所有物だ。間違っても領邦軍が持てるものではない。もし、今内戦が起きれば……間違いなく、決定的な切り札のない貴族派は蹂躙され、大敗するだろう。
(……せめて、今は……現実逃避をさせてほしい)
ただでさえ不安だらけな数日間だ。これ以上の物事を考えるのは、せめてオリビエ達が無事に帰ってきてからにしたかった。
「イクス、お姉ちゃんも」
「居た居た。おーい」
要塞内から、見慣れた桃色とミントグリーンが日差しを浴びてゆっくりと歩いてきた。
風景こそ違うが、いつもの4人が揃った。その事実に、ゆるりと口端を上げた。
「食堂のモニターで通商会議の中継流してくれてるみたいでさ。一緒にどうかな」
「わたしはここで日向ぼっこでもいいけど」
「へェ、そうなのか。ちょっと興味あるかも」
そういえば、要塞内に導力ネットを引いた、とナイトハルト少佐が案内の時に言っていた気がする。
クロスベルからも近い。映像受信も問題ないのだろう。
「いーじゃん、オリヴァルト殿下の勇姿見にいこーぜ!」
「宰相と大統領にひたすらもみくちゃにされてそうだけどな」
「オリビエおにーさん、面白いからイジりたくなるのもちょっとわかるかも」
双子に袖を引かれ、要塞内に入るための出入り口へとゆっくり歩き出す。
平和だ。訓練をする兵士たちの声、鳥の鳴き声、風の吹き抜ける音、穏やかな日差し。全てが、まだ何も起きていないことを示していた。
────が、けたたましい着信音がその平穏を壊した。
「チッ、誰だよもう……はい、こちらラフィ」
『本当に繋がった……!ラフィちゃん、クローゼです!!』
「はァ!? クローゼさん!?」
ARCUSの向こう側から聞こえてくるのは、随分と緊迫した様子なクローゼの声だった。
『どうやら貝殻はきっちりと作動してくれたようだね』
「オリビエさんまで……もしかして」
『はい、おそらく想像通りかと』
『テロリストどもが襲撃してきたのさ。そちらは大丈夫かい?』
「いや、こっちは平和そのものですけど────」
周囲を見渡し、そう返した……次の瞬間。
巨大な地響きが、四人を襲った。
「何……!?」
「爆発かよ!!」
「うおっ!?」
「っと、危ないな……大丈夫かい、ラフィ」
「だ、大丈夫……じゃなくて!!」
すぐさま鉄橋の端へと駆け寄り、下に広がる演習場を覗き込む。
────《アハツェン》の格納庫が燃えていた。
「オリビエさん、クローゼさん!!たった今こっちも大丈夫じゃなくなりました!!」
『なんだって!?』
「《アハツェン》が暴走してるッス!おかしい、早すぎる……!!二人とも今すぐオルキスタワーから避難してください!!」
間違いなく、狙いは列車砲だ。
『わかった。聞いていたね、宰相殿!!』
『皆さん、あらゆる意味で此処は危険です。今すぐ脱出を───!!』
声が遠ざかっていくのを最後に、通信はぷつりと切れた。
そうして即座に再び着信音が鳴り響く。迷いなく受話ボタンを取り、スピーカーモードに変えた。
『ラフィ! やっと繋がった……!!』
「悪ィ、オリビエさんと話してた!! 今すぐそっちにいく!!」
『わかった、今は演習場出口に向かっているから、そこで合流しよう!!』
それだけ伝えて、リィンの声は途切れてしまった。
家族と視線を合わせ、背中の剣を引き抜いた。
「ちょっとだけ、あたしのワガママを聞いてくれないか」
棘の暗殺者達は頷き、各々の武器を取り出す。
「もちろん。お姉ちゃんのお願いならなんでも」
「良いぜ、好きなようにボクを使いなよ」
「仕方ないなあ。後でご褒美もらうからね」
「ありがとう────行くぞ!!」
まずはリィン達と合流するところからだ。
安物の腕時計は、ちょうど2時を指していた。