ふ、と目を覚ました。
見覚えのない、白い天井が視界いっぱいに広がっている。
寝起きでぼうっとする意識の中、痛む体を無理やり起こそうとして、腹あたりに布団よりも固い何かがあることに気がついた。
綺麗な紫苑色の髪の下で、泣きはらして真っ赤になった目を閉じる、かつての仲間。それが腹のつっかえの正体だった。
(心配かけちまったかな)
いつのまにか着替えさせられていた病院着の下。特に背中一面をガッツリ固定されているのを感じる。大袈裟だとは思うが、気を失っていたあたりそこそこ出血はしていたのだろう。
ラフィは後頭部を掻いて、そっとクローゼの頭をベッドの上に移動させた。
ふと、コンコン、と窓が叩かれる。
何事かと振り返れば、窓の外には見覚えのあるシロハヤブサが窓枠へと留まっていた。
痛む体を引きずりながら、窓へと近づき、開く。
「ジーク、久しぶりだな」
「ピューイ♡」
「あァ。あたしも会えて嬉しいよ」
久しぶり、と言わんばかりにラフィの手へとシロハヤブサ────ジークは頭を擦り付ける。
大袈裟に包帯の巻かれた腕へ心配そうに嘴を擦り付ける彼に、「大丈夫だ、痛くないよ」と安心させるためにその触り心地のいい頭を指先で撫でる。
「……ん……ジーク……?」
おっと、起こしてしまったらしい、
ゆっくりと体を起こしたクローゼを振り返り、ジークに片手を預けたまま、女は微笑んだ。
「おはよ、クローゼさん」
「ピュイ!」
髪と同じ紫苑色が、めいいっぱいに開かれる。
寝起きでふらつきながら立ち上がったクローゼを、ラフィは慌てて抱き止めた。
「よかった、起きてくれて……!!」
「すんません、心配かけました」
「いいえ、いいえ! ラフィちゃんが無事なら、それでいいんです……!!」
無事とは、ちょっと言い難い怪我ではあるけど。命に別状がないのは確かなので、ラフィは黙って王太女殿下の抱き人形に徹した。無茶した自分が悪いのは確かなので。
「……ごめんなさい、取り乱してしまって」
「いやァ、これはその……全面的にあたしが悪いし」
「ふふ、言われてみればそうかも。もうあんな無茶はしないでくださいね?」
「ピュイ!」
「ハイ、肝に銘じマス……」
落ち着いたらしいクローゼがクスクスと笑って、そっとラフィから離れる。
無茶はするなと言ったクローゼに同調するようにジークも一鳴きする。
まいったな、と目を逸らした先────部屋の出入り口。
導力で制御されているらしい扉がスッと開き、今度はくすんだ金髪の向こうで輝く薄紫と目があった。
「────ラフィくん!!!!」
「ぐえっ」
こちらの事情などお構いなしに思い切り抱き締めてきた兄代わりのような存在に、ラフィは思わずギブギブと皇族らしく上品な赤で染まったコートの背を叩く。
「目が覚めたんだね!! すまなかった、ボクがもっとしっかりしていればこんな事にはっ……!!」
「待って待って、オリビエさんのせいじゃねェから! いででででで!!」
「オ、オリビエさん! 背中はやめてあげてください!」
「はっ」
我に帰ったオリビエの手がパッと背から離れる。全く、危うく傷が開くところだった。
王族に続いて皇族にまで抱き締められるとは。いくら己が四大名門出身とはいえそろそろロイヤルパワーで蒸発しそうだ。
さすさすと傷ギリギリを摩りながら、白夜色はじとりとオリビエを睨みあげる。
「悪いのは帝国解放戦線の奴らだよ。ったく、アイツら無駄な足掻きしやがって……」
「君のおかげで無駄になったんじゃないか。宰相殿も感謝していたよ」
「うげ、それはあんま嬉しくねェ」
明らかに嫌そうな顔をすれば、オリビエはずっと申し訳なさそうだった表情をほっと綻ばせ、ははは、と笑った。
「オリビエ! いきなり走り出すなど、一体何が……」
「ジーク、どうしてこの部屋に……」
続いて部屋に飛び込んできたのは、先ほどまで嫌というほど見ていた紫と青の軍服だ。
ラフィは国の中枢を担う二人と一匹に囲まれながら、軍服の持ち主たち────ミュラーとユリアに向かってヘラリと笑う。
「おはようございます、ミュラーさん、ユリアさん」
「そう、か。目が覚めたのだな」
「良かった……本当に」
心底安心した様子の二人に、あれ、思った以上に自分が重症だったらしいと思い至る。
そういえば、こんな痛みはブリオニア島以来だろうか。"枷"を外した反動だからか、なんとなくあの時よりも若干酷い気がする。
「待っていてくれ、今看護師の方を呼んでくる」
「へ?看護師?」
ユリアがそう言い残して部屋を後にする。
ここにユーシスが居れば「阿呆に似合いの面だな」とでも言われそうな顔を晒したラフィに、クローゼはクスクス笑って、疑問に答えてくれた。
「ここはクロスベルの聖ウルスラ病院ですよ。ラフィちゃんは背中の大怪我と大量出血でここに運ばれてきたんです」
数秒、言葉を咀嚼する。
クロスベル。いや、確かにオルキスタワーまで飛んできてはいた。
あの時は必死で、何も考えてなくて。ただでさえ微妙な関係のクロスベルに、帝国から、空を飛んで……
「……オリビエさん。あたし、もしかして不法入国者?」
「まあ、そうなるね」
「…………」
「ラフィくん?」
「…………」
「ラフィくん!?!?」
「ダメです、気絶しています!」
「ラフィく───ん!?!?!?」
あっけらかんと言ってのけたオリビエに、女は再び白目を剥いてぶっ倒れることになったのだった。
話を聞けば、どうやら自分は丸一日眠っていたらしい。
目が覚めてからさらに一日経って、今は9月の2日。リィンたちは特別実習を終えて学院に戻り、メルキオルと双子も、オリビエから事情を伝えて、帝都に帰っているとのこと。
随分心配していたから帰ったらきちんとお詫びをしておけ、と皆から釘を刺されてしまったから、久々に双子の好きな卵焼きでも焼いてやるか、と心に誓った。
オリビエたちは予定が押しに押していたのにギリギリまで聖ウルスラ病院に滞在していたらしく、自分は大丈夫だからと説得してクロスベル市内へと帰らせた。
まったく、こんな一市民に王族・皇族の大事な時間を無駄に割くべきではないと言っても二人揃って駄々をこねるのだから、無駄に疲弊してしまった。
「それにしても、リースさんがこっちに来てるなんて知らなかったよ」
絶対安静、と看護師たちに押し込められたベッドの上から、隣で林檎を剥く、シスター姿の女性に向かってラフィは声をかけた。
「知らなかったって……ヘミスフィア卿が表立って動けない今、私が居なければ身元不明自称事件屋フリーターの不法入国者になっていたの、わかってる?」
「わかってるわかってる! マジで助かりました!」
「本当かしら」
剥いた側から林檎を頬張る女性────リース・アルジェント。ラフィにとっては従騎士見習い時代の頼れる先輩であり、かつてリベールで起こった《影の国》事件に共に巻き込まれた仲間でもある。
ラフィに差し入れるために持って来た林檎を自分が食べているあたり、変わらず健啖家らしい。当然、食べる前に許可は取られたが。
現在、ラフィの身柄は七耀教会預かりということになっている。
後見人は
これにより不法侵入の罪はほんの少し軽くなり、その場にいたオリビエの皇族としての権力を振り翳して無罪になった……というゴリ押し戦法である。
「それで、アレは何なの」
「アレって?」
「惚けないで。あの翼のことよ」
……翼。
まあ、聞かれるとは思っていた。
だって見られたのだから。むしろ事情を知るオリビエはともかく、クローゼが何も聞いてこなかった方が驚きだ。
「アレは……コイツの中に眠ってる、ウチの血筋に憑く天使、らしい」
「そんなことは知っているの。バルタザール卿の報告ではあそこまで強大な力ではなかったはず」
「……先生、そこまで報告してたのかよ……」
こりゃあ誤魔化せなさそうだ。いや、元々誤魔化す気などなかったが。
ぽりぽりと後頭部を掻き、女はベッド脇に立てかけていた長剣を膝の上に乗せた。
「曰く、普段は枷がハマってるんだとよ」
「枷……天使に?」
「そう。この剣は依代なんだけど、同時に枷として作用してるとか、なんとか」
ラフィだって詳しいことは何もわからない。目が覚めてから何回も詰めてはいるが、返事が全くないのだから。本当に自分勝手なやつで嫌になる。一度叩き折ってやろうか。
「昨日のは特殊な方法で枷を無理やり外して、あたしにかかる負荷を考えずに、肉体が崩壊しない程度のフルパワーを出した状態だったらしい」
「……なるほど。その結果が極度の筋肉痛と、背中の大出血だった」
「そーゆーこと」
動かせるのは動かせるが、とんでもない痛みが体を動かすたびに襲ってくる。こんな状態で歩いて帝国に帰るどころか、列車の揺れでも簡単に気絶できそうなのだから、到底無理に決まっている。
「それで、枷を外す方法は?」
「…………」
後で上司に報告するためか、手元のメモ帳にペンを走らせるリース。
把握しておかなければと思ったのだろう。何の気も無しに枷を外す方法を問いかけ、そのまま返事がないことに気がつき、視線を上げた。
そこには顔を真っ赤にして、布団を口元まで引き上げた、可愛い後輩がいた。
「……言わなきゃダメ?」
ここにエステルとアネラスがいれば卒倒していたであろう光景に、思わずくらりと目眩がした。
なぜ枷を外す方法を聞いただけでそのような反応を? 頭をブンブンと振って、リースは命令した。
「言って。先輩命令」
「ハイ…………まず、前提として。コイツはその気になりゃいつでも自分の意思で好きに枷を外せんの。やったらあたしが死ぬからやってないだけで」
「そう。で?」
「……負荷が酷いからって、あたしの絶対に生き残るという意思を確かめるために、とか……チッ、もっともらしいこと並べやがって……」
先ほどから彼女はしきりに唇に触れている。
口に何かがあるのだろうか。珍しく恥ずかしがったラフィに、次は?と視線で促す。
すると「あー」とか、「うー」とか、色々呻いた上で、布団にぼふりと顔を埋めてから、小さな、本当に小さな声で答えを言った。
「……愛している人に、キスしろって」
見える耳が端っこまで赤くなっていく。
ぴしゃり、と雷が落ちたような心地だった。私たちの可愛い後輩が。
いつのまにこんなオマセさんになったのだろう。いや、彼女も17歳。いわゆる思春期……恋だってするに決まっている。
「……その話、オルテシア卿には?」
「してない。つーか知ったの昨日だし」
「そうじゃなくて。それで枷が外れたということは、恋人がいるんでしょう」
「へ?…………ハァ!?」
ガバリと布団を自分から剥いで、女は筋肉痛で呻いた。自業自得である。
痛みのあまりもう一度布団に突っ伏した後輩の背をそっとさするリース。
「アイツは!! そういうのじゃない!!」
「でも外れたじゃない、枷。愛する人へのキスで」
「あぅ……いや家族としてだって!!誰があんなサドサイコ野郎なんか!!」
「じゃあ保護したっていう双子でもよかったのに」
「………あ─────!!!!あンのクソ天使ィ〜〜〜〜ッ!!!!」
ようやくその事実に気がついたのか、布団に向かって思い切り女は叫んだ。
猫のよくするごめん寝のような体制になったラフィ。リースはもはや菩薩の表情である。
「ほら、扉の外の人たちも気になってるみたいだから。吐いて」
「誰が吐くかァっ!!……え?」
扉の、外?
痛みを軽減するためにゆっくりと体を起こし、じっと病室の出入り口を見る。
数秒後、ガタリと何かが何かにぶつかって扉が揺れた。
『ちょっとエリィ、ノエルも押さないでくれないか……!』
『あっ、ごめんなさい……気になっちゃって……』
『冤罪です、一番ひどいのワジさんですよ……!』
『シッ、黙って……僕にはこれをニナに報告する義務が……』
『ねー、なんで中に入らないのー?』
『キー坊、しーっ』
ピキ、と額に青筋が立つ感覚がした。
ゆらりと剣を鞘に入れたまま浮かせ、病室の扉を開けるボタンを突っつく。
「「「「わーっ!?」」」」
「おーおー派手に転んだな」
「言わんこっちゃない、です」
「ティオ、見えないよー」
どちゃどちゃ、と4人の人間がなだれ込んできた。その後ろでは幼い少女の目を塞ぐ、少し年上らしい女の子と、赤髪の男性が苦笑いをしていた。
黄緑色、小豆色、銀色、茶色。カラフルな頭に向かって、女はベッドに座ったまま、サイドテーブルに置いたペンダントを手に取った。
「盗み聞きとは感心しねェなァ……」
「待ってラフィ、ワジだよ。君の大親友の」
「おう親友。死ぬ覚悟はできてんだろうな」
「は、はは、相変わらず照れ屋さんだね」
「オリビエさんみたいなこと言っても無駄だぞ」
そして剣を鞘から抜くように操り、切先を4人へと向ける。
後輩の子供らしい姿に、リースはそっと回復アーツの準備をしながらため息をついた。
「……はぁ。それ以上体痛めても知らないから」
「上等だ!我が深淵に宿りし天の御使よ────!」
その日、聖ウルスラ病院の一室から真っ青な光が漏れ出したという。