ぴよぴよ、ぴぴぴ。
朝によく聞こえる鳥の鳴き声で目を覚まし、起き上がる。
4人で眠るにはかなり狭いベッドの上で、ラフィはぐぐいと伸びをした。
時刻は8時。起きるにはちょうどいい時間だろう。
双子は昨晩、久々にメルキオルの仕事について行っていたらしい。三人揃ってシャンプーのいい匂いを漂わせながら泥のように眠っている。
起こさないようにそっとベッドから這い出て、室内用のスニーカーを履いてからキッチンへと向かう。
食パンを軽くトーストし、雑にマーガリンを塗って食べる。寝ぼけ眼のままサクサクと食べ進めながら、片手でココア(通常ブレンド)をかき混ぜる。
パンを食べ終えた後にずっと混ぜていたココアを一気飲みし、ご馳走様でしたと席を立った。
そのままサクッと台所で洗い物を済ませて、顔を洗いに洗面所へとつま先を向けた。
バシャバシャ顔に水をかけ、泡で出てくる洗顔をざっくり顔に塗し、すぐさま洗い流す。
保湿液を塗り終わったら、下の戸棚から化粧用品を取り出して、時短スタイルで化粧を顔に施していく。
最初は面倒だと言ったが、師や友人達に素材はいいのだからやれと言われて渋々やっている。最近は下地塗った後にアイブロウとアイシャドウを同じ色で一色、それからまつ毛をあげてマスカラを雑に塗りたくるだけだ。
あまり変わった気がしないが、まあいいだろう。やらないよりはマシだ。
さて、ここまでで1時間。時計は9を指している。
今日は10時から出勤だ。体だって全快したのだから、バリバリ働かねば。
ふぁ、と小さくあくびをして、洗濯機の蓋をぱかりと開けた。
久々に引っ張り出された双子の仕事用の服と、メルキオルのいつもの服が濯ぎまで終わった状態で放置してある。先にこれを干さないとパジャマを脱げなさそうだ。
洗濯かごへ濡れた服を移し、持ち上げてベランダへと出る。
夜の間に乾いていた自分の洗濯物はポイポイと室内へと投げ入れ、空いたハンガーに暗殺者達の黒色をした洗濯物を手早く干していく。
「……ねえちゃん、おはよー……」
「おはよう、イクス。朝飯自分で作れるか?」
「んー……」
眠い目を擦ってイクスが起きてきた。
そのまま真っ直ぐキッチンへと向かい、自分の朝食を作り始める。
洗濯物を畳むのは今日の当番であるヨルダに任せるとして、いつも通りの適当なTシャツと短パンを乾いた洗濯物の中から掻っ攫って、洗面所でパジャマを洗濯機に放り込みがてら着替えた。
回し始めるのは全員が起きてきてからだ。そのまま洗面所からリビングへ出ると、見慣れた水色頭がどすりとお腹へとタックルをかましてきた。
「どうした、朝飯出来たんだろ。冷めちまうぞ」
「……むー」
ぐりぐりと頭を擦り付けるイクスに眉尻を下げ、ラフィはワシワシとその髪をかき乱した。
────クロスベルから帰ってきてから、イクスとヨルダが更に甘えてくるようになった。
もちろん、姉としてはこれ以上ないくらいには嬉しいが、それだけ不安を感じさせてしまったということなのだから間違いなく反省点ではある。
(あれだけ泣かれちゃもう無茶なんかできねェよな)
少しリィン達に顔を見せて、帰ってきた瞬間、目にじんわりと涙を溜めた双子に思い切り抱きつかれた。
それからわんわんと声をあげて泣く二人を、あんなことがあった後だから顔を合わせづらいメルキオルと一緒に必死に宥めたのだ。
……もう無茶はできない、と毎回考えて結局無茶してるのだから、今回の決意だっていつまで持つんだか。
「ほら。満足したか」
「……へへ、うん」
「ならよし。お、良い焼き加減じゃねェか」
机の上の食パンは絶妙な焦げ具合だ。耳が濃く色づき、表面も綺麗にキツネ色だ。
傍に添えられた苺ジャムを塗って食べれば、きっとかなり美味しいだろう。
アイスコーヒーをコップに注いでからワキワキと食パンに手をつけたイクスの正面に座り、弟が朝食を食べ進める様子を眺めながらコーヒーを啜る。
「昨日、楽しかったか?」
「楽しくはねーよ、仕事だし。あ、でも珍しく管理人がめちゃくちゃミスってたのは笑った」
「メルが?」
苺ジャムを塗りたくり、がぶりとパンに齧り付くイクスが頷く。
「なんか最近雑念が多くて集中できないんだってさ」
「雑念ね……アイツそんな引きずるタイプじゃねェだろ」
「ボクもそう思ってたんだけどさぁ。ホント面白いくらい手元狂ってたぜ」
急所外したり、誤爆したり。
狂った手元の詳細を聞いたら雑念程度で狂って良い手元ではないことがわかる。ターゲットの急所は外すんじゃないよ。痛いのは苦しくて可哀想だろうが。
「結局尻拭いはボクとヨルダがやったし。人に腑抜けるなとか言っといて腑抜けてんの管理人の方だろ」
「まァまァ。その雑念、多分あたしのせいだし」
「キスしたからだろ? その程度で動揺してんじゃねーってハナシ!」
その程度。
キスが、その程度。
……それはちょっと、自分にも刺さってくる。
「つか姉ちゃん、時間大丈夫?」
「へ? うわヤベッ!! もう出ねェと!!」
時計の長針が6を指していることに気がついたラフィはガタンと大きな音を立てて立ち上がった。
ひったくる様に黒いリュックサックを手に取り、慌てて外履に履き替え、イクスに向かって両手を広げた。
それを合図に、イクスも思い切りラフィに抱きつき、頬擦りをする。
「行ってきます。また昼にな」
「うん、行ってらっしゃい!」
ばたん、と閉じた扉を眺め、イクスはホクホクとした温かい気持ちを堪能していた。
ラフィが家を出る前に起きると、見送りができる。最近はギュッとハグもしてくれるから、起きれたら起きるのが双子の目標になっていた。
サクッと着替えたイクスは、そのままトテトテ寝室へ向かう。
まだグースカ寝ている片割れと上司を見据え、腰に手を当て、どう起こそうかと頭を悩ませる。
よし、決めた。肌寒くなってきたからとラフィが出してくれた毛布を握りしめ、イクスは決意を固める。
「二人とも起きろ〜っ!!」
「……んむ〜……」
意を決して、ガバリと毛布を剥ぎ取った。
案の定ヨルダはぎゅむと目を瞑って、それまで伸びていた体をキュッと丸める。体の下でバタバタと影の手が暴れて毛布を探している。
一方管理人は綺麗な寝顔のままだ。ヨルダを湯たんぽ代わりに温まっているらしい。
「起きろって、もう姉ちゃん行っちまったぞ〜!!」
「むう……おねえちゃん……いっちゃったの……」
「んん……」
ペチペチとイクスの子供らしい手がヨルダとメルキオルの頬を叩く。
ヨルダは目を擦ってむくりと起き上がった。それに釣られてメルキオルも眉を顰める。
が、寝ぼけたヨルダの影の手によってべしりとベッドから叩き落とされた。頭を打ったのか絞り出すような呻き声が聞こえる。
「……おはよう、いくす……」
「おはよ、ヨルダ。メシどーする?」
「……いくすといっしょがいい……」
「またそれかよ。しょーがねーな」
最近ヨルダはイクスにもかなり甘えたになった。
そりゃあ、一応イクスも兄ではあるのだから、妹に甘えられて嫌な気はしないけれども。
寝ぼけ眼を擦る妹の手を引いて、リビングのテーブルに着かせて、イクスは姉にも褒められたパン焼きの腕を思う存分振るうことにした。
「いたた……酷いじゃないかヨルダ……」
「おはよー腑抜け管理人」
「メシどうする?腑抜け管理人」
「ぐ、ここぞとばかりに突いてくるね……自分で作るよ」
自身の朝食を作るためにキッチンへやってきたメルキオルに場所を譲り、イクスは焼き終えたパンと苺ジャムを持ってヨルダの元へと歩み寄った。
「だってそーじゃん、腑抜けてないかチェックするって言って自分がミスしまくってたんだから。はい、ヨルダ」
「ホント面白かったよね。ありがと、イクス。いただきまーす」
両手を合わせて挨拶をしたヨルダは早速パンにジャムを塗ってかぶりついた。
もきゅもきゅと咀嚼する片割れを眺めつつ、イクスも隣に座る。すると正面にラフィが作り置きしていたコーヒーだけコップに注いで持ってきたメルキオルが座り、ずず、とそれを啜る。
「……ラフィ、何か言ってた?」
「そんな引きずるタイプじゃねーだろって」
「本当に人のことよく見てるな……」
彼女の働く喫茶店のものと同じ味のするそれを味わいつつ、揺れる黒い水面を眺める。
振り返った瞬間触れた、柔らかい唇。
だんだんと蒼色に染まっていく白夜色。
パッと広がった、綺麗な翼。
飛び去る直前に見せた、出会った時には考えられなかった、優しい笑顔。
「はぁ……」
「うわ、あの管理人が恋する乙女の顔してる」
「姉ちゃんマジで罪なオンナ〜」
彼女の痕跡が残る家で、彼女の手で淹れられたコーヒーを飲みながら、彼女のことを考える。
他のパトロンと同じようにオトしたら面白いだろうな、なんて、ゲーム感覚で攻めていたというのに。今ではこっちが骨抜きだ。
壁のフックに引っ掛けた赤いストールを視界の端に収めながら、プスプスと湯気が出そうなほど熱くなった顔を誤魔化すようにコーヒーを口に含んだ。
そんな上司の様子を見ながら、ヨルダは先日のガレリア要塞での女子会を思い返していた。
アリサに突かれフィーに突かれミリアムに突かれ、針のむしろになっていた姉の姿を。
────そ、そりゃ、顔は良いし、ちょっとカワイイとこもあるし……好きっちゃ、好きだけど……
────あたしは、アイツが生きてきた世界を知らないから。本当の意味で隣には立てないんだ。
(あーあ、もどかし)
初恋に浮かれる殺し屋と、とっくに愛を見出しているというのに立場を気にする元ご令嬢。
よくある恋愛小説ならば逆なのに。哀れにも魅入った白夜に引き上げられ、光に向かってもがく男を眺めながら、ヨルダはパンの最後の一欠片を口へと放り込んだ。
「はい、お待ちどうさん」
モーニングセットをカウンターに置き、ラフィはニッコリと客に笑いかけた。
いつもの常連たちで賑やかな店の中。女は珍しくやってきた新規客の相手をしていた。
「ありがとうございます」
「ん。しっかり食えよ。嬢ちゃん細っこくて見てらんねェや」
新規客は小さな少女だった。
歳はミルディーヌと同じくらいだろうか。華奢な子で、オーバーサイズ気味の服から見える手首はラフィの手でも一周ぐるりと指を回せそうなほどだ。
長いプラチナの髪の隙間からチラリと見える赤い瞳が、隣の席に座るラフィを追う。
「……あの、仕事はしなくて良いのですか」
「良いんだよ。今はマスターもあっちで熱中してるから」
顎で指し示した先では、賭博好きのクレーマンを中心に導力ラジオから聞こえる競馬中継で男どもが一喜一憂している。
全く、クレーマンは夏至祭でスったばかりだと言っていたというのに。マスターも珍しく今回は馬券を買ったようで、初心者らしく券を握りしめながらドキドキとしている。
「見ての通り、基本は常連しか来ない店だからさ。新規客を気にしそうなミーシャさんはまだ仕事中だろうし」
「そういうもの、ですか」
「そーゆーモンさ」
自分用に淹れたコーヒーを啜り、ラフィは少女に食事を促した。
少女は細い腕でハムサンドを掴み、小さな口でぱくりと噛み付く。
「どう?うまい?」
「はい」
「そりゃあよかった」
端的に美味しいと述べた少女のプラチナを、ラフィはわしゃりと撫でた。
少女の眉がぴくりと動く。初対面の女の子相手にこれは不味かったか、と思わず両手で降参のポーズを取る。
「悪ィ、あんたと同年代の従妹がいるからつい」
「いえ。気にしていません」
「……そうか……じゃあ、もう少しだけいいか」
無機質な声でそう述べた少女に、そう問いかける。
なんだか、あの大雨の日のヨルダと同じような目をしているから。全てを暗い闇の底から見ているような、そんな瞳を。
「……? はい、構いませんが」
「ありがと。じゃ、失礼して」
ゆっくり、櫛で梳くように。まるで人形のように感情を出さない少女の頭を、ゆるゆると撫でる。
ヨルダなら気持ちよさそうに目を閉じるし、ミルディーヌならばもっとと強請るように頭を擦り付ける所だが、少女はどうもせず、ただただハムサンドを齧るだけ。
ああ、空の女神よ。どうかこの子にも、心を許せる相手ができますように。
ガラにもなくそんなことを祈りながら、女はそっと手を引っ込めた。
頭を撫でる手がなくなったことに気がついたのか、ハムサンドを食べ終えた少女が無機質な瞳をラフィへと向ける。
「もういいのですか」
「あァ、うん。堪能させてもらったよ。綺麗な髪だな」
「あまり他人と違う所は無いかと」
「撫で心地めちゃくちゃ良かったぞ」
実際シルクのような肌触りだ。普段から丁寧に手入れされているのだろう。
ふと、背後で男どもの雄叫びが上がった。どうやら競馬の決着が付いたらしい。
マスターはニコニコと満面の笑みを浮かべ、客達はハズレを引いたのか馬券を握りしめたままテーブルに突っ伏している。
「悪いね、ラフィくん。仕事を任せてしまって」
「いや、いいッスよ。当たったの?」
ラフィがそう問い掛ければ、マスターは嬉しそうに馬券を見せてきた。曰く、試しにダークホース一点賭けをしてみたら端金が大金に化けたらしい。
「せっかくだし新しいコーヒー豆でも仕入れてブレンドを開発してみようか」
「やりィ、マスターの新作!」
ウキウキとバックヤードへコーヒー豆のカタログを取りに行った老紳士の背を見送り、席を立とうとしたのか荷物を手にして目を丸くした少女に、ラフィは笑いかけた。
「嬢ちゃん、良ければまたおいで」
「何故ですか?」
「もうすぐマスターの新作コーヒーが飲めるからだよ。あんた、名前は?」
そう問い掛ければ、少女は数秒迷ったあと、小さな口を開いて名を告げた。
「オランピア」
「よし、オランピアな。覚えた」
少女────オランピアには少し高すぎる椅子から降りるために、手を差し伸べる。
オーバーサイズの服から覗く小さな手が恐る恐る伸びて、ラフィの手に重なり、すた、と少女は喫茶店の洒落た床へと立った。
ぼー、とこちらを見上げる赤い瞳が、店内の光を宿してキラキラと輝く。
「オランピア? どうした?」
「……あ、いえ。なんでも」
そのやりとりを聞いていたのか、ふと競馬で爆死した二人から声が上がる。
「ラフィちゃんの人たらしー!!」
「男顔負けのイケメンー!」
「おいコラ! カワイ〜女の子に向かってなんだそのヤジ!!」
ヤジを飛ばした二人の元へ去っていくミルクティー色をした豚のしっぽのような髪を見つめるオランピア。
「……あれが、彼の……」
そこへカタログ片手に表へ出てきたマスターが、ぽっぽとつぶやく。
「オランピアくん、だったかな。見ての通り変な喫茶店だからね」
「……?」
「たとえ君が何者であろうと、ここではただのお客さんだ。君の世界に疲れたら、またいつでもおいで」
パチクリと瞬く赤色を、老紳士は優しく見つめる。
やがて少女はしばらく俯いて、再び紳士を見上げた。
「はい」
端的な返事に、マスターはニコリと微笑むのだった。