────きらきら空に輝く太陽が潮風香る街を照らす。
カレイジャスの上から眺めた風景は、変わらずそこにあった。
ただ違うのは女の心の持ちようだけ。たったそれだけで、あの日よりずっと街は美しく見えた。
「紺碧の海都、オルディス。北はジュライから南のオルビアまで、帝国の東端に張り付くように広がるラマール州の中心だ」
ゆっくりと降りていくカレイジャスの甲板で、女はB班の皆に向けて今回の実習地についての解説を行う。
「貿易と漁業が主産業で、商人たちからは沿海州の盟主、なんて大層な名で呼ばれてる。あと父さんが貴族派の筆頭なんかやってるからか知らねェけど、バリアハートと同じく
「だから言い方を考えろ」
「あだっ」
すぱんと後頭部をユーシスに平手され、ラフィは患部をさすりながら眉を顰めた。
それをみてクスクス笑ったエマが、今度はラウラに声をかける。
「ラフィさんの故郷、ですか。ラウラさんは一度来ているんですよね?」
「通りすがりに、だが。紺碧の海を望む白い街並みは見事としか言いようがなかった」
「たしかに、さっき見えた街並みも白っぽかった!ガーちゃんとそっくりだねっ」
頷いたラウラは、だんだんと近づいてくる、海都らしい見た目をした空港を手すり越しに見下ろす。その隣でミリアムもアガートラムを出してじゃれついている。
ぶわりと吹いてきた海風を浴びて、ガイウスが目を細めた。
「そうか。これが、潮風……高原とは全く違うな」
「まァそりゃ違うだろうよ。浴びすぎると風呂が大変だぞ」
「……もうフード被っとこっかな……」
「賛成。さみーし」
ラフィがまだこの街にいた頃は髪が長かったから、潮風を浴びると手入れが本当に大変だった。
くるくるの癖っ毛は絡まり倒し、傷んだ毛先はギシギシ嫌な音を立てるのだ。旅に出てから潮風のない生活がどれほど天国に思えたことか。
髪が痛むのが嫌らしいヨルダがパーカーのフードを被ると同時に、冬の足音が近づくオルディスの低気温にやられたイクスもフードを首元に引き寄せていた。
やがてゆっくりと着陸したカレイジャスを降り、一行はその甲板に佇む放蕩皇子を振り返った。
「じゃあオリビエさん、行ってきます!」
「ああ。どうか実り多き実習であることを祈っているよ!」
そのまま手を振り、カレイジャスが飛んでいくのを眺め、白く煌びやかな空港内部へと歩を進める。
駅と似たような意匠のホールを通り抜け、また、走り抜ける潮風が赤服達を迎え入れ────
思わず閉じた目を再び開ければ、目の前には美しい海がキラキラと輝き、穏やかな波音を立てて、そこに存在していた。
「……ラフィ」
心配そうに肩へ触れたラウラに、女はあの時とは違って、胸を張って笑ってみせた。
「大丈夫。もう……逃げないから」
違うのだ。
俯いて、走り抜けるしかなかったあの日とも。
炎のような暖かい手に引かれ、逃げるしかなかったあの日とも。
ラフィの目を見てはっとしたラウラは、安心して肩を撫で下ろす。
「────ラファエラ様?」
ふと、しわがれた声が女の名を呼んだ。
思わずふっとそちらへ視線をやれば、黒のクラシックなメイド服に、まだ茶色の残る白髪を綺麗にシニヨンにまとめ上げた、老年の女性が一行を見ていた。
肝心の名を呼ばれた女は、ぱっと白夜の瞳を見開き、数歩、彼女の方へと近づく。
「アデリナ婆や」
そうラファエラの声が呼んだ瞬間、女性の目から涙が溢れ出す。
そうしてツカツカと小走りで女へと走り寄り、昔よりもずっと大きくなった仕えるべき娘をぎゅう、と抱きしめた。
「本当に、本当に帰って来られたのですね……! さあ、婆やにその可愛らしい顔を見せてくださいまし!」
「わぶっ……婆や、苦しいって!もうあたし子供じゃないんだから!」
「まぁ! わたくしにとってはいつまでも小さなお嬢様ですわ。たとえ5年経っていようと、ね」
愛しいお嬢様の手をそっと握り、アデリナは朗らかに微笑む。
ウ、と照れと気まずさが同時にやってきたラファエラは、しばらくキョロキョロと左右を見渡したあと、勘弁したのかため息を吐いて、申し訳なさそうな顔をしながら口を開いた。
「その、婆や。5年も心配かけて……ごめんなさい。連絡くらいすればよかった」
「いいえ。婆やはお嬢様が健やかであれば、なんだってよいのです。それに……」
あの日、奥様のことを旦那様にひた隠しにするあまり、お嬢様を蔑ろにしてしまいましたもの。
あ、と女の口から声が漏れる。
家を出た理由。父との喧嘩の原因。
それをストレートにぶつけられ、ラファエラはぎゅ、とアデリナに覆われた手を強く握りしめた。
「────さぁ、トールズ士官学院Ⅶ組の方々ですね」
老年の女性は、女の手をするりと離し、後ろにいたⅦ組の面々へと見事なカーテシーを披露した。
「皆様をお連れする役割を賜りました、カイエン公爵邸 侍女長のアデリナ・モントローズですわ。どうぞこちらへいらしてくださいまし」
「まぁ、ラファエラお嬢様!?」
「おお……すっかり大きくなられて……」
「あのお転婆お嬢様が、大人になられたもんだ」
「今なら脱走もされなさそうじゃのう……」
「もうっ、みんなあたしのことなんだと思ってんのよ!!」
街行く大人達に笑顔で歓迎され、山盛りのオレンジだの獲れたての魚だの作りたてのパンだの食堂のサービス券だのを持たされたラフィはがうとそう吠えた。
「ふふ、皆お嬢様が帰って来られて喜んでいるのですよ」
「だからってこんなにお土産持たせることはないでしょう!? あーもー重いっ!!」
「あらあら。だからお持ちしましょうかと申しましたのに」
「今は婆やよりあたしのが力持ちなんだからダメ!」
ぷんすこと積み上がった荷物を持ち前の筋力で保ち続けるラフィ。
ふらふら揺れるそれを横から影の手で支えながら、ヨルダはじとりと姉を見上げた。
「あのさ。さっきのウジウジいらなかったよね」
「ゔっ」
「なんでこんな愛されてるのにあんな卑屈になってたの?」
増え続けるお土産の下で、女は妹の指摘に俯いた。
「……5年。5年もだぞ。勝手に家を出て、あたしが皆のこと大好きでも……皆は、怒ってると思ってたから」
その呟きに、ふと周囲がしんと静まる。
何かまずいことを言ってしまったかと怯え、キョロキョロと白夜をあちこちに向けるラフィ。
あー、これは面倒なことになるぞ。察知したヨルダは姉の懐にサッと入り込み、防御体制をとった。
「……あの、今はその……わかってるから。そんな怖がる必要なかったんだって」
両手が塞がり身振り手振りできない中、必死に弁明するラフィ。
数秒の後────どさりと、土産の重さが増えた。
「お嬢様ったらそんなこと気にしてたのかい!?」
「相変わらず考えすぎるお方ですわね!」
「ほら、これも持ってけ! 公爵閣下と食べな!」
「あ、ありがたいけど重たいって!! 誰だディオドン乗っけたの!!」
ついでに頭をわしゃわしゃ撫でられ背中を励ますように叩かれ、気恥ずかしさから女の耳と頬は真っ赤に染まっていた。
ついにてっぺんに中型の魚までもが乗り始めたお土産タワーを見上げつつ、ユーシスは人の波の外から懐かしいものを感じ取っていた。昔もカイエン邸から脱走するたびにこうして道ゆく人々におやつになるものをもらっていたのだ。
ふらふら揺れるタワーをヨルダだけでなくⅦ組も少しづつ手伝いながら、ようやく辿り着いたカイエン公爵邸。
流石に貴族街となると平民達のようにドンドコお土産を乗せてくる人は居なかったが、代わりに上品な大人達はラフィに帰還を祝福する言葉を贈り、また屋敷に伺いますと社交辞令をにこやかに述べていった。
「結局お前らにも持ってもらっちまったな……」
「フフ、途中からいつ倒れてもおかしくはなかったからな」
「む、これは……なにっ、クロスベル創立記念祭限定みっしぃキーホルダーだと!?」
「あははっ! ラフィ、すごいもの贈られてるねー」
どうやら綺麗に箱のまま積み上げられているようで、ラウラがソワソワとし出す。そういえばケルディックでぬいぐるみを見てから気になっていると言っていたか。
「欲しいならあげようか?」
「い、いや……これは民がそなたを思って贈ったものだ。私は来年、実際に記念祭に行って買うとしよう」
「そっか。じゃ、そん時は一緒に行こう」
クロスベルも、独立国がどうの市民投票がどうので揺れてはいるが、きっと来年には落ち着くだろう。
そう見込んで、特に何も考えずそう言い放てば、ラウラは目をまん丸にしてこちらを見ていた。
「……いっしょ、に……」
「……え、嫌だったか」
「っ違う! その、とても嬉しいのだ!! うん、必ず一緒に行こう!!」
「ん、そんならよかった」
ぽっぽと頬を真っ赤にするラウラと、機嫌良さそうに笑うラフィ。
比較的小型の荷物を渡されていたイクスは、積み上げた荷物に顔を半分隠しながら、じとりと姉を睨みあげた。
「姉ちゃんの人たらし」
「人たらし……ふふ、確かにお嬢様に相応わしい称号かもしれませんね」
「だろ?」
ええ、と頷いたアデリナは、ゆったりと公爵邸の表門を開け、一行を屋敷へと導く。
敷地内に入ったというのにまだ遠く見える巨大な屋敷を見上げながら、イクスはアデリナが歩き始めるのを待っていた。
「旦那様譲りの素早い頭の回転に、奥様譲りの快活さ。ミルディーヌお嬢様とも違う、人を惹きつける人……それがラファエラお嬢様だもの」
「……ウン。知ってる。ボクらもすっかり毒気抜かれちまったし」
「あら、やはりご存知でしたのね」
赤服達が全員通ったのを確認して、アデリナは門の鍵を閉めた。
そうしてアデリナを待っていたイクスの小さな背を、ぽんと押した。
「さぁ、坊ちゃんも」
「坊ちゃん?」
「お嬢様の弟なのでしょう? ならばわたくしにとっては坊ちゃんですわ」
「……なんか、ちょっとむずかゆいかも」
「まぁ!」
クスクス笑った侍女長は優しい手でそっとイクスの頭を撫でる。
てっぺんから、ゆっくりと毛流れを整えるようなその動きは、ラフィのそれとそっくりだった。
「きっと、いずれ慣れますわ」
「……ン……アデリナサンも、行こ」
「えぇ、もちろん」
なんとなく逆らえずに、先に行った姉達を追う。
片手で荷物を、片手に老女の手を握りながら。