事件屋ウィステル   作:フッ軽布教女サッチ

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六十六話 眠りの水底にて

「ラファエラ」

 

柔らかい声が、あたしを呼ぶ。

 

「あらあら、目を真っ赤にしちゃって。どうしたの? 街の子たちに虐められちゃった?」

 

引き攣った息を整えて、ゆっくりと声の主へと近づく。

優しい手が、あたしの頭を撫でた。

 

「とても辛いことがあったのね。ほら、大丈夫よ。ママがついているわ」

 

────ああ、そうだ。

母さんは、ずっと一緒って約束してくれた。

死んだなんてありえない。私を置いていったなんて、嘘だ。

涙が止まらない。もう疲れたから、泣きたくないのに。

 

「眠たいのね。ええ、ゆっくりお眠り。起きるまでわたしもそばにいるから」

 

温かい抱擁が、私を包む。

重くなっていく瞼の向こうで、朝焼け色が愛おしそうに細められた。

 

 

 

星の在り処が、聞こえる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「危険だと判断したらすぐに引き上げます。うぅ……まさか巡回魔女の資格も得てないのに禁呪を使うなんて……」

「ワタシも補助するから大丈夫よ。まぁ、ロゼに何か言われたら天使にやらされたとでも言いなさい」

 

指パッチン一つで美しい装丁が施された本を召喚した天使が、項垂れるエマの背をそっと撫でる。

それが、メルキオルが"この空間"に放り込まれる直前に見た風景だった。

 

見た目はオルディスだ。石畳、塩の香り、美しい青空、遠くに見える水平線。

だが、異質なのは立ち並ぶ建物だ。七耀教会ばかりが不規則に乱雑に立ち並んでいる。

その上、導力トラムの線路がまっすぐ、一本だけ伸びていた。

 

『────聞こえますか、メルキオルさん』

「うん、聞こえるよ」

『よかった……おそらく今、光の中を泳いでいると思うのですが』

「……いや、地に足つけてるんだけど」

『え?』

 

直接頭に語りかけてくるようなエマの声に返事をする。

靴の爪先でこんこんと石畳を叩いてみる。下に空間は無いらしく、硬い音が周囲に響いた。

 

『今の状況を教えていただいても?』

「オルディスっぽいけど、七耀教会が乱立してる場所にいるよ。導力トラムの軌道敷もある」

『……そんなはずは』

 

パラパラと紙を捲る音がしばらく響いた後、軽く歩き始めたメルキオルの頭に、もう一つの声が響いた。

 

『あの子……《影の国》を擬似的に、一層だけ再現しているようね。そんなに起きたくないのかしら』

 

天使だ。

影の国……何度か話してくれた、リベール最後の冒険。

オリビエと、恩人たちと巻き込まれたと、懐かしそうに語っていた。

すると横から、破戒の声も入ってきた。

 

『影の国って言やぁ、輝く環の裏面じゃあなかったか?』

『流石によく知っているわね。道化師あたりの報告を受けて、でしょうけど』

『クク、正解だ。面白そうな玩具だからな、記憶に残っていたのさ』

 

人の脳内で勝手に会話しないで欲しいんだけど。

メルキオルがゲンナリと歩き続けていると、背後からガタンゴトン、と線路を列車が走る音が聞こえてきた。

振り向けば、一本の導力トラムが、たった一本の軌道敷の上を走ってきていた。

やがてメルキオルを追い越し、目の前の停車駅にトラムが停まる。

 

そして、乗れ、と言わんばかりに、ドアが開いた。

 

「トラムが来たから、一回乗ってみるよ」

『トラムが!? ああもう、滅茶苦茶です……!』

『線路があるならトラムも来る、か。当然の道理だな』

『うん。お姉ちゃんらしいね』

 

無人のトラムに乗り込み、ドアが閉まる。

ガイウスとヨルダのやり取りに心の中で同意を返しながら、ゆっくりと座席に腰掛けた。

変わらず協会が立ち並ぶ景色が、窓の外を流れていく。

 

一瞬、目を閉じる。

 

視界が開けた。

見覚えのあるミルクティー色が、正面に座っている。

 

「……ラフィ」

 

今よりもずっと幼く、髪も長い。

教会のシスターに似た服を着た彼女は、傍に置いた長剣に触れ、ゆらゆらと足を揺らしながら、俯いて、その白夜を長い睫毛に隠した。

 

「私、正しいことしか知らなかったの。パパも、ママも、アルおじさまも、みんな正しかったから」

 

小さな手を開き、少女は両手を見つめる。

 

「正しくないことを知ったのは、家出してから。知ってた? 星杯騎士って、教会の狗なのよ」

 

古代遺物を回収するためなら、なんだってやる。

侵入。窃盗。騙し。場合によっては、殺しも。

そういった世界は、箱入りの貴族令嬢の価値観に大きく打撃を与えた。

 

瞬きすれば 、彼女は少しだけ成長した。

今も着ている、まだぶかぶかなパーカーを羽織り、鞘に入ったままの長剣を握りながら。

 

ふと、靴が水に触れた。

薄まった、透明感のある薄い液体。むせ返るような潮の香りと、ほんのすこしの錆びた匂いがする。

 

「そうやって、裏の世界を知った気でいた。ホントはそんなの、全く知らなかったのに」

 

首から下げられた、星杯のペンダントがきらりと輝く。

ガタンゴトン。トラムが揺れた。

 

「裏で生きてきた人が、そう簡単に表に戻れるわけじゃない。散々見てきたから、それは知ってる。知ってるのに……」

 

髪が、切られる。

見慣れた癖っ毛が、ぴよぴよとあちこちに跳ねながら、揺れに合わせてふわふわ踊る。

落ちるギリギリで止まった太陽の光を浴びて、空と同じ色をした瞳が開かれた。

成長し切った彼女は、メルキオルと目を合わせることもせず、横にそらす。

 

「双子も、メルも。あたしの自分勝手な理由で閉じ込めてた。今までごめんなさい」

「……違う」

 

「帰ったら、あたしの部屋も自由にしてもらっていいから。好きに生きてね」

「ラフィ待って、僕は」

 

 

「さよなら────メルキオル」

 

「そんな言葉が聞きたかったんじゃないッ!!」

 

 

手を伸ばし、掴もうとした腕は、たどり着く前に霧散した。

トラムのドアが開き、溜まっていた赤い海水が排出される。

 

『……メルキオルさん』

 

気遣うようなエマの声に、メルキオルは首をゆっくりと横に振った。

だん、と強く、強く、ラフィが居たはずの座席を力一杯叩く。それに合わせて、残った青い羽がふわりと舞った。

 

「僕にこんなものを教えておいて!! 今更目の前から消えるだって!? 巫山戯るのも大概にしなよ!!」

 

許せない。

君が暖かい日差しの下で笑っていないと。

暖かい手でこの手を引いてくれないと。

中途半端に陽の元へ引き摺り出されて、放り出されて、どう生きていけというのだ。

 

「連れ戻す。何があろうと、絶対に」

 

羽を一枚、潰れるほどに握りしめた。

そのまま立ち上がり、止まったままのトラムから降りる。

相変わらず乱立する教会から、右────トラムが進んでいた方向に視線をやると、そこには一際大きな教会が佇んでいた。

アルテリア法国の中央大聖堂だ。

 

迷わず扉に手をつく。

 

扉は、拍子抜けするほどあっさりと開き。

 

次の瞬間、メルキオルは、真っ青な光に包まれていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なぁ、クロワール」

 

娘の、いつの間にか深い仲になっていたらしい青年が娘の心を探索している間。

ふと、友人が横から声をかけてきた。

 

「なんだ、エルロイ」

「いい機会だ。記憶の封印、解かねぇか」

「……君のことだ、最初からそれが目的だったのだろう」

 

破戒はクク、と喉を鳴らして、ひとつ、頷いた。

 

「お前はもう乗り越えられる。俺ぁそう思うがな」

 

信頼を寄せてくる友の隣で、忘れた記憶の情報を手繰り寄せる。

 

アリエル・ウィステル。己の妻だった、らしい人。

娘のようにミルクティー色の髪をした、朝焼けの瞳を持つ女性。

イマイチ見た目のイメージもつかないが……確かに、昔から血筋に劣等感を覚えてばかりだった自分を変えた女性らしい。

 

破戒に頼り、記憶を封じてもらう前。己はひどく錯乱して、心はもう壊れかけだった。

仕事も手につかず、部下たちに頼りっぱなしになり、部屋に閉じこもる。

そう、まさに今の娘のように。

 

海都の主人として最悪のザマを見せていた自覚はある。

だから、応急処置として彼女の記憶を封じた。

結果的に今こうして平然としていられるのだから、その選択は間違いではなかったと断言できる。

 

たとえ、世界でたった1人の愛娘を傷つけたとしても。

 

「……ラファエラが、無事に帰ってきたら……頼む」

「よし来た。男に二言はないな?」

「ああ。もう尻込みなどしないさ」

 

どす、と破壊が肩を組んできた────その時。

 

 

 

どごん、と音を立てて、石製の扉が蹴破られた。

 

 

 

「────通報を受けて来てみれば、なんだこのザマは」

 

低い、女性の声。

ふわりと煙草の匂いが香り、土埃の中から1人の女性が足音を立てて現れた。

 

その手に握るは、一本の法剣。

 

「ッ、ガーちゃん!!」

「ミリアム?」

 

大きく振り上げられたそれは真っ直ぐ天使とエマの元へ飛んでいき、咄嗟に貼られたアガートラムのバリアによって弾かれた。

 

「ほう、いい反応速度だ。鉄血の子飼いには惜しいな」

「褒めてくれるのは嬉しいけど……なんでアナタがここにいるのさ」

「そりゃあ、可愛い元部下の様子を見に来たに決まっているだろう」

 

どうやら完全に暴走したようだからね。

女性は、そのカーネリアを細め、天使の6枚翼を見据えた。

 

「あら、総長さん。ワタシを殺しに来たの?」

「貴女を、というよりも……器の馬鹿娘を、だな」

「姉ちゃんを……!?」

 

その言葉で、Ⅶ組のメンバーは皆一気に武装を引き抜く。

 

「ラフィならばあるいは、老衰で死ぬまで暴走しない……そう信じていたのだがね」

「……貴様、何者だ」

 

法剣を握ったままの彼女に、ユーシスがぎり、と剣を強く握りしめながら問いかけた。

すると女性は、ぴくりと片眉を上げ、あぁ、と声を漏らす。

 

「まだ子供達には名乗っていなかったか。いや失敬」

 

首元のペンダントが、水の反射光を浴びて、その星杯をしかと映し出す。

 

 

「星杯騎士団、守護騎士が一位。アイン・セルナートだ。うちの部下たちが世話になったようだな。

 

此度は教皇の指示のもと、復活したラマールの天使を殺しに来た。そこを退いてもらえると非常に助かる」

 

 

不機嫌そうに伏せられたカーネリアと、静かに微笑む海の蒼色がぶつかった。

 

 

 

 

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