扉を開いたその先は、あの大きな大聖堂の中身としてはあり得ないくらいに小さな部屋があった。
呆気に取られたメルキオルの視界は非常に片付いていて、ベッドひとつだけがぽつんと置かれていた。
白いレースカーテンの向こう側には広大な海が広がり、外からはカモメの声が聞こえてくる。
手前に置かれたベッドには、2人の女性が居た。
全く同じ、ミルクティー色の髪。当然、片方はラフィだ。もう1人の女性の膝に頭を預け、心地良さそうに眠っている。
眠る前に泣きじゃくったのだろうか。その目尻は赤く、頬には涙の跡が残っている。
「いらっしゃい、メルキオルくん」
ラフィにばかり気を取られていたメルキオルに、もう1人の女性が声をかけた。
吊り目に輝く朝焼け色が優しく細められ、部屋用らしいワンピースドレスに、ミルクティー色をした真っ直ぐな髪がこぼれた。
「……あなたは……」
「アリエルよ。この子のお母さん」
そして、先代の天使憑きでもある。
ゆっくりラフィの癖っ毛を撫でていたその白魚のような手で、背に生えた、半透明の"藤色"をした翼にするりと指を通す。実体は無いようで、その手は羽毛に触れることなくすり抜けた。
「まぁ、本人ではないのだけれどね。この子が生み出した、心の番人みたいなものかしら」
穏やかに、女性はそう言った。
「……なら、僕はあなたを倒さなきゃいけないわけだ」
「そういうこと。この子が目覚めるのを拒否している以上────このわたしを無視することはできないわ」
アリエルはそっとラフィの頭を膝から降ろし、ベッドに寝かせつける。
そして、パチンと彼女の指が鳴る。
次の瞬間、周囲の景色はブリオニア島の裏側……騎士像の麓に切り替わっていた。
変わらず眠り続けるラフィが、何やら結界のようなもので包まれ、そこに蹲っていた。
「外でもやり始めたようだし。わたしたちも、楽しみましょうか」
「いいよ。望むところさ……ん? 外でも?」
ダガーと爆弾を構えたメルキオルが、ふと疑問を口にする。
先代天使は笑って、唇に人差し指を当てた。
「教会のお偉いさんがちょっと、ね」
がきん。
片手剣が伸びた法剣を弾き、火花を散らした。
すでに肩で息をしているユーシスは、じっと余裕そうにまっすぐ立ったカーネリアを見上げ、まだ動けるとふらつきながら立ち上がった。
「どうした、その程度か」
法剣を振り翳しながらそう言い捨てた、守護騎士第一位。
ユーシスの近くには、同じように体力の限界を迎えたラウラとガイウスがふらふらとしながらも立っている。
破戒は天使との戦いの傷が癒えていない。唯一まだ戦えそうなほど体力が残っているのは、クロワール公爵と遠くから援護射撃を続けるイクスの2人だけだった。
「メルキオルさん! 返事をしてください!!メルキオルさん!!」
「声が届かない……よほど深いところに潜ってしまったみたいね」
「そんなっ!?」
ヨルダとミリアムがラフィを起こす三人を守るために広げた手とバリアの奥から、エマと天使のやりとりが聞こえる。
ユーシスはチラリと隣の公爵を見る。彼もこちらに視線を向けており、互いに騎士剣を構え、目の前の強敵を見据えた。
「一つ聞こう、紅耀石殿。この通り天使殿は我が娘を起こすことに協力してくださっている。これ以上戦うことに意味はあるのかね」
その問いかけに、アインはそっと瞼を伏せ、首をゆるゆると横に振った。
「てっきり奥方から聞いているものかと思っていたが」
「そこの友人のおせっかいで、一時的に妻の記憶は封印していてね」
「……ふむ。《白面》の洗脳術を元にしたモノのようだな。解いてやろうか?」
「解くなら本人に解いてもらうよ。それよりも質問に答えて頂こう」
碧色をした瞳がじっと紅耀石を見つめる。
それに耐えきれなかったのか、彼女は戦闘で少しだけ乱れた髪を後ろへ流しながら、口を開いた。
「そこの天使殿は獅子戦役の頃から存在していてな。当時、ある7人の人間を狙って大量虐殺を起こしたという前科がある」
「……」
「たった1人で師団を壊滅した、と言った方がわかりやすいだろうか」
ぎ、と天使を睨む視線が一対。
「帝国各地の霊脈が活性化し始めているという報告もある。お前────また"やる"つもりだろう」
その視線に、天使はうっそり微笑んだ。
「これはワタシの、女神から託された"使命"であり"本能"よ。当然でしょう? 起動者も、地精も、魔女も……また事を起こすなら、全部殺してみせるわ」
「ハァ……よりによって空の女神公認なのがタチの悪いところだな。女神様も何故このような者をお造りになったのだか」
頭を抱えたアイン。
相対する赤服たちと公爵は口をぽかんと開けて、天使を見つめている。
そして、天使の直近にいたエマが、彼女が動いた拍子にびくりと跳ね、メルキオルとラフィの肉体から手を離しそうになる。
「大丈夫よ、エマちゃん。そんなに怖がらなくても良いわ。あの面白い運命の男の子はワタシもこの子も気に入っているから……最後にするか、決着次第では殺さないでおいてあげる」
今はこっちに集中なさい。
そう言ってエマの手首を掴み、再び左胸に押し当てる。
「わ、かりました。もう一度、再接続を試みます……!!」
再び魔力を回し始めたエマに微笑み、天使は右手の指をぱちんと弾いた。
周囲に力の弾丸が展開され、全てがカーネリアを向く。
「ほら、子供達。ここからはワタシも支援してあげるわ、立ちなさいな!」
どかん、と岩が弾けた。
地上に張り巡らされた爆弾。少しでも地に足をつけば即座に爆発するであろうそれを、先代天使は藤色の翼を羽撃かせながら見下ろしていた。
わざと力の弾丸を打ち込みながら土煙を上げさせ、メルキオルの視界を遮っている。
しかし、それはメルキオルにとっても好都合であった。元々視界の悪い場所での戦いは、ラフィと比べればメルキオルに軍配が上がる。
────貴方が力尽きるまでに、ラファエラに直接触れられたら貴方の勝ちよ。
戦い始める前に言われた、己の勝利条件を思い出しながら、次の一手を考える。
あの藤色をした天使は、戦いながらラフィをあちこちテレポートさせているらしい。大抵土煙が上がる時はラフィが動かされた合図だ。
つまり、この先に彼女はいない。咄嗟に踵を返し、きらりと見えた藤色に向かって爆弾を放り投げた。
「あら、危ない」
笑いながらそう言って、先代天使は爆弾を跳ね返した。
……強すぎる。ラフィが必死に使いこなそうとしている力を意のままに操っているからだろうか。
なるべく姿勢を低くしながら、周囲に視線を配る。きらりと煌めいた結界を視界に収めて、真っ直ぐそこへと走り始めた。
あちこちでフェイクの爆弾を爆発させながら、自身の足元からも爆風をあげる。
騙すには嘘の中にほんの少しの真実を混ぜ込めばいい。昔、木馬團の先輩からそんな話を聞いた覚えがある。
案の定見当違いな場所を攻撃していた先代を見上げながら、ようやく辿り着いた結界の表面を短剣でガンと叩く。
ばきり、と結界にヒビが入ると同時に、ラフィの指先がぴくりと動くのが見えた。
「ラフィ! 起きて!!」
「ふぅん、やるじゃない。でもそこまでよ」
「っぐ……!!」
すかさず打ち込まれた力の弾丸を受け流し、その場から飛び退く。
次に視線を戻したときには、既に眠る彼女の姿はなく。青年は舌打ちをして再び走り出した。
『────見つけた!!メルキオルさん、無事ですか!!』
「ッ……!!」
『もしかして、声を出せない状況なんですか? でしたら、心の中で念じてみてください』
突然聞こえたエマの声に、足を止めかける。
目の前に打ち込まれた弾丸にひやひやしつつも、メルキオルは爆弾を撒きながら再び走り出した。
(ごめん、戦闘中でさ)
『そちらもですか!?』
(そちらもって……そういえば、今戦ってる相手が教会のお偉いさんがどうとか言ってたな)
『ああもう、誰がとかはもう聞きません! こちらは守護騎士の第一位の方がラフィさんを殺しにかかってきていて────きゃあっ!?』
エマが悲鳴を上げたと同時に、こちらでも力で練り上げられた剣が雨のように降り注ぐ。
一発でも当たればひとたまりもない。必死に避け、弾き、結界の煌めき目指して走り続ける。
守護騎士第一位が、ラフィを殺しにかかってきている。
第一位といえばあの高名なカーネリアだろう。オジサン達に一番注意しろと言われていたのは外法狩りだが、総長たる第一位もヤバいとは聞いていた。
さっさと叩き起こさなければ。
上空で羽ばたく藤色を睨みながら、足の回転速度を上げた。
「そこだっ!!」
見えたヒビ入りの結界めがけて、今度は短剣を投げ込んだ。
ばりん、と音を立てて結界に穴が開く。
そして、薄らと白夜色が長いまつ毛の隙間から覗いた。
「……メ、ル……?」
「おはよう、寝坊助さんッ!!」
ようやく聞けた彼女の声に笑みを浮かべ、再び撃ち込まれた弾丸を引きつけながらギリギリで回避する。
ゆるりと瞳を開けたラフィは、ぺたぺたと寝ぼけながら結界に触れる。突き刺さった短剣の、刃の側面を撫でながら、夢見心地で微笑んだ。
「メルがいて、母さんもいる……ふふ、都合のいい夢……」
「夢だったら戦ってるわけがないだろう!?」
「それはどうかしら。わたし達、"手合わせしているだけ"だもの」
夢として都合のいい設定をつけてくる先代天使をぎりと睨み、再び転移させられたラフィを、光と音を頼りに探し出す。
既に戦いの影響でボコボコになった地面を乗り越えながら、裏を描いて大回りしながら結界へと迫り、短剣を引き抜こうと手をかける。
「……起きたくないな……」
呟きに、思わず顔を上げた。
「どうして」
「だって……起きたらお別れしないといけないから」
開いていた白夜は、再び伏せられる。
きゅっと膝を抱え込んだ彼女は、そのまま顔を隠してしまった。
「イクスも、ヨルダも、メルも、母さんもいない世界なんて……いらない」
震えた声が耳に届いた、次の瞬間。
「君はいっつもそうだ。僕らのことばかり考えてるのに、僕らの気持ちに見向きもしてくれない」
ぎり、と短剣を握る手に力が込められる。
「……メル?」
「誰が、いつ、何処で、居なくなるなんて言ったのかな」
ばりん、と音を立てて結界が破られる。
藤色の光に照らされながら、青年は目を丸くした居眠り娘を抱きしめた。
「僕は!! 君から離れる気なんか、1ミリリジュたりとも、無い!!
だからさっさと起きろ────ラフィ・ウィステル!!」
光が藤色を吹き飛ばし、白に染まる中。
震える手が、メルキオルの背に垂れたストールを、そっと握りしめていた。
就職で忙しいのでちょっと頻度が落ちるカモ