七十五話 脱走令嬢
────走っていた。
背後から迫り来る人形兵器を切り裂き、女はまた前を向いて走り出す。
相変わらずの息苦しさに、軽い酸欠のような眩暈を覚える。それでも、走り続けた。
ぼやける視界の中、襲いかかってくるのは人形兵器ばかり。どうやら自分はこの程度で完封できると思われているようだ。
────走っていた。
また弟妹に会うために。
また愛する人と会うために。
もう一度、親友と会うために。
こんな最悪な世の中でも、燦然と輝く光に手を伸ばす。
会いたい。会いたい。会いたい。
ただ、今は。会いたい。それだけだ。
────走っていた。
巨大飛行艇脱出の定石は、まず甲板を目指すことだ。
女はようやく辿りついた甲板へ続く扉が勝手に開くのを、そのまま通り過ぎた。
太陽の光に目を焼かれる。思わず眩しくて目を細めた。
肩で息をしながら、甲板に佇む蒼色に手を伸ばす。
許せない。
アレのせいで、私達は────
「……全く、お転婆なお姫様ですわね」
電池切れのように倒れ伏した女を、甲冑を着込んだ騎士の女性が受け止めた。
この女はいつもここで力尽きる。だからここで待っていた。
ぱやぱやと跳ねるミルクティーの癖っ毛を撫でて、騎士は女を抱き上げた。
そして、彼女が必死に必死に走り抜いてきた通路を歩きながら引き返す。
女の顔は、ひどく泣いたのか毎日酷い隈と泣き跡に目元を彩られている。
それを見ていられなくて、騎士は気がつけば女の世話を焼くようになっていた。
父は乱心し、級友は裏切り、兄弟と恋人とは引き離され、力を封じられて軟禁状態。これでスレないほうが難しいだろう。
「おや、《神速》殿。姫君はまた?」
「ええ。甲板で倒れましたわ」
貴賓区画に足を踏み入れれば、騎士の少し上の位────執行者のうちの一人が話しかけてきた。
彼は仰々しく、演劇ぶった態度を崩さない。するりと女の頬を撫でようとするから、騎士は思わずその気持ちの悪い手を弾き飛ばした。
「……用がないのならば、この子を寝かせてきますわ」
「つれないな」
「つれなくて結構。それでは」
執行者を振り切り、騎士はある一つの部屋に足を踏み入れた。
客室はそのままだが、ある程度シックな家具が揃えられた空間。シンプルなベッドに彼女を寝かせ、騎士はその隣の椅子に腰掛けた。
甲冑を外し、楽な格好になる。
「……ぁ……める……よる、だ……」
「……」
「う、ぅ……いくす……みるでぃーぬ……!」
うなされる女に、騎士は片手を貸すことしかできなかった。
そっと添えた手はぎゅうと握られ、苦しみを逃すためにギリギリと力を込められる。
「いやだ……ころしたく、ない……いやだよ……りぃん……くろう……!」
この女は、呪いに蝕まれている。
正しくは、騎士の上司────深淵の魔女の結界に。
女の中に眠るバケモノの対処法を知っていた魔女によって、ずっとこの子は苦しみを覚えながら眠っている。
時折起きるものの、先ほどのように夢遊病のように走り、警備の人形兵器を破壊し、甲板にたどり着いたところで再び倒れる。
帝都を占領してひと月余り。ずっとそれの繰り返しだった。
「たすけて、ししょー……せんせぇ……」
「……助けは、来ませんわよ」
「うぅ……ぐすっ……」
この船は、一言で言えば上空の要塞だ。
陸路などない。近寄るものは味方以外全て撃ち落とす。
そんな場所に、彼女の求める助けなど来るわけがないのだ。
「また、泣いていらっしゃるのですか」
ふと、扉が開き、一人の少女が入ってきた。
全身を黒装束で覆った黒兎だ。
感情のないその声は、まっすぐ女に向けられていた。
「ええ。今日はまだ完全に覚めてはいませんから」
「……そう、ですか」
明らかに、黒兎は残念そうな顔をした。普段から余り表情の変わらない彼女だが、やたらと女には懐いていた。
女が完全に覚醒している時にかつて師と共にゼムリア各地を回った話をしてもらい、続きが気になっているとか。
黒兎は女に近づき、ぽすんとベッドに隣り合わせになるよう寝転び、女の背に顔を埋める。
「今日はこちらで眠るんですの?」
「はい。ラファエラ様は体温が高いので」
要するに、くっついているとあったかいからここで寝る、ということだ。彼女は眠っている間にすっかり黒兎の昼寝スポットにされてしまったらしい。
「……みるでぃーぬ……寝れ、ないの……?」
濁った白夜色が、うっすらと開かれる。
ろくに見もせず、女は黒兎の頭を撫で、ぎゅうと抱え込んだ。
「大丈夫……ねえさまが……いる、からね……」
「んむ……」
無理をした笑顔を浮かべる女に抱きしめられた黒兎は、相変わらず無表情だ。
だが、女の方は精神が安定したのか、再び寝入ってもうなされなくなった。顔色も少しだけ良くなっている。
きゅっと握った騎士の手も、先ほどよりずっと弱い力だった。
「ふふ、妹だと思われてしまいましたわね」
「どうでも良いです。ふぁ……」
黒兎は小さく欠伸をすると、本格的に寝入る体制に入る。
やがて、部屋には二つの寝息が広がった。
自分より年下の女の子達を見守る騎士は、とん、とんと女に握られた手をその肩に当て、優しく叩く。
蒼の騎神に抱えられて帰ってきた彼女を、今でも良く覚えている。
満身創痍で、全身────特に背中からの出血が止まらなくて。ひゅう、ひゅう、と、呼吸音も妙だった。
あのいつも飄々としているカイエン公が青ざめて駆け寄り、必死に手当をしていた姿が未だに忘れられない。
それから、彼女がハッキリと目覚めたのはほんの数回だった。
『あんた、クソ親父に協力してるのか』
理知的な光の宿った白夜色は綺麗で、強い意志を感じた。
貴族の娘とは思えないほど口調は悪いが、それでもその根底には誇りがしっかりと隠されている。
……それも魔女の結界の影響で直ぐにまた眠ってしまったが。
随分と主が気に入りそうな子だ、と思った。
だからかもしれない。
どうも、彼女を放って置けないのは。
それから、彼女が完全に寝ついて暫く経った頃。
どがん、と。あの部屋の扉が蹴り開かれた。
意思のある白夜色にきらりとシャンデリアの光が反射する。
きっちりと一つにまとめられたミルクティー色の髪と、黒いパーカーがひらりと舞う。
────脱走令嬢のお目覚めである。
「あっテメェラフィ!!」
がたんと立ち上がった元同級生たる青年には目もくれず、彼女はぴゅ〜っとまっすぐ中央の巨大階段を登る。
そして二階の廊下にたどり着くと、流れるように剣を引き抜き、槍投げのように振りかぶり……
「そら、行けっ」
ガシャンと窓ガラスを丸々一面粉々に砕いた。
するりと手元に戻ってきた剣を掴み、割れた窓に向かって飛びあがろうとして。
「バッカ野郎!!」
「あだっ⭐︎」
「お前いっつも無茶な逃走経路取りやがって!!」
容赦なく青年に拳骨を落とされ、羽交締めにされる。
びゅうびゅうと割れた窓から盛大に上空特有の寒い風が吹き込んでくる。
「飛び降りようとしたな!? 今翼出せねぇだろ!?!?」
「結界の範囲外まで出れば翼も出せるし。そこまでは剣に捕まればなんとかなるかなァって」
「なんとかなるかなァ、じゃねぇよ!!」
夢遊の時とは違い、明確な意志を持って脱走する時、女は毎回奇想天外な手口を取る。
扉を蹴破るのはいつものこと。輸送便に紛れようとしたり、盗んだ小型飛空艇で走り出そうとしたり。
今日は窓を叩き割って飛び出そうとしたらしい。
抱えられてだらんと猫のように大人しくなったラフィは、じとりと己を抱える裏切り者を見上げた。
「脱走してほしくねェならこの結界なんとかしてくださ〜い」
「解いたら解いたでオルディーネぶっ壊して飛んでくだろお前」
「チィッ」
「おいコラなんだその馬鹿でかい舌打ちは」
明らかに不機嫌そうだ。そりゃあそうだろう、脱走に失敗したんだから。
ずりずりと自分で立つ気のない女を引きずる青年が、階段へ差し掛かった時。
「なんや、姫さん起きたんか?」
「誰が姫だこのアホバカボケナス」
「口悪ッ!? なんでそんな罵倒されなあかんねん!?」
「デカブツ乗ってたくせにあたしに一秒で負けたから」
「上等や訓練場出んかい!!」
「……それは俺も含まれているのだろうか……」
どうやらラフィはカイエン公に雇われた猟兵達……特に方言の方が嫌いらしい。
色々理由はつけているが、きっと妹と仲の良いフィーを置いていったから、とか。そこら辺だろう。
Ⅶ組に酷く情が移っているのは、青年も同じだから、少しわかる。
流石に階段で引きずられるのはまずいと思ったのだろう。女は自分の足で立ち、スタスタと一階へ降りていく。
「ふふっ。騒がしいと思ったら、見習いちゃんが起きたのね」
「おはようございますわ、ラフィ」
「ん。おはよう、センパイにデュバリィさん」
基本、眠っている彼女の元に入り浸るのは女性陣だ。だからか、目覚めも女性陣の見守りの元であることが多い。
だからだろうか。いつのまにか彼女は青年の仲間────スカーレットと仲良くなり、何故だかセンパイと呼ぶようになっていた。きっと教会の縁だろう。たまに二人して法術の練習をしているのを見かける。
「ん……おいていかないでください、ラファエラさま……」
「っと、悪いなアルティナ。起こしちまったか」
「……あなたがおきているなら……おきます……」
どすんと抱きついた黒兎を、女はフードをとってその白銀の髪を撫でた。相変わらず子供たらしも健在である。
心地良さそうに目を細める少女に微笑みかける女を眺め、青年はそこに座っていた怪盗紳士の紅茶を勝手に取って飲んだ。
「……なんか、あいつ馴染んでね?」
「蒼の騎士よ。流石に断りくらいは入れたまえ」
「あっわり。いや美味いなこれ」
「ほう、わかるかね!」
こだわりの紅茶を褒められノンストップで話し出した怪盗紳士をよそに花の園を見つめる。どうやら今日の彼女は女性陣が独占するらしい。
顔色は最悪だが、悪くない顔をしている彼女の後ろ姿を見送る。
背中の包帯は、まだ取れていなかった。