むすっとした皇太子が増えた。
金色のヒツジンぬいぐるみをクルトに押し付け、自分は青灰色のヒツジンぬいぐるみを抱きながら、新しくラフィが買ってくれたアイスを食べて。
気まずそうなラフィとクルトをよそに、やっぱりほっぺを膨らましている。
「……あの、殿下?」
「…………」
「せめて返事をしてください」
「…………」
「殿下」
黙っていちゃわかりませんよ、と続けるクルト。
変わらずむすっとしているセドリック。抱きしめた青灰ヒツジンはそろそろ中の綿が飛び出そうだ。
見かねた女は、ちょいちょいとクルトを手招きし、耳打ちをする。このままではセドリックのほっぺが膨らんで戻らなくなってしまう。
「呼び方。殿下、は嫌がってただろ。それと敬語」
「……あぁ……そんなことで?」
「それだけが原因じゃねェけどな。あとは自分で気づけ、この朴念仁」
突然の罵倒に戸惑いを隠せないでいたが、やはり黙りっぱなしのセドリックが気になったのか、クルトはしばらく視線をさまよわせた後、ようやく口を開いた。
「……セドリック」
「……なに」
「僕は、何か悪いことを言ったかい」
まるで自覚のない言葉に、セドリックはさらにむすっと不機嫌になる。
素直に問いかけたのに理不尽だ、と言いたくなるが、ぐっとこらえて、クルトは主人の言葉を待った。
「クルトは」
「うん」
「わかってないよ。僕がどれだけ君を信頼しているのか」
強い抱擁から解放されたヒツジン人形の手を弄びながら、セドリックは呟く。
アイスはすでに食べ切ったらしく、甘い匂いのする水がカップの中に残っていた。
黙ってラフィがそれを回収して、クルトと自分の分と重ねる。
アイス屋台の近くに置かれたゴミ箱に、ポイっと捨てた。
「そりゃ、イクスは頼りになるよ。強いし、いろいろ知ってるし、気も合うし」
「……」
「それでも僕の護衛は君だろ、クルト」
空色の瞳が、まっすぐクルトを見つめる。
優しい性格で、彼の兄と違っていつも真面目で。その分たまにやらかす悪戯はものすごいものだけれど。
いつも、いつも、この目で見られたら、怒る気も失くしてしまう。
「強いとか弱いとか関係ない。僕の護衛は後にも先にも、クルト・ヴァンダールただ一人だ」
だって、こんなにも眩しいのだから。
あまりにまっすぐに伝えられた言葉に、金色のヒツジンぬいぐるみに顔を埋めたクルトの耳がぽぽぽと赤くなる。
言葉の返事がないから、と覗き込んだ皇太子。
そこに、ずっと傍観していた女の手がすっと入った。
「あー、殿下? 今はちょっとやめてやってほしい」
「どうしてですか」
「なんつーか……今脳焼かれちまってんスよ、コイツ」
ラフィにも覚えがあった。
────幻滅した? あたしが、帝国人……それも、貴族で。
あの日、空中庭園で。
二人に全部打ち明けた日。
────馬鹿ね、するわけないでしょ。生まれた家がなんであろうと、ラフィはラフィ。あたしの可愛い妹分だもの。
────でもね……怖かったのに、打ち明けてくれて本当にありがとう。
ただ、抱きしめて、そう言ってくれて。
それで……
ああいけない、お人よしっていうのはこれだから、とブツブツ呟く。
オリビエもクローゼもラフィも、もう焼かれ倒してこんがりだ。
こういう人は他人の脳を焼いているという自覚がないから本当に困る。もうコゲコゲの炭ことヨシュアは隣で微笑んで腕組後方彼氏面してるだけで止めもしないし。
帝国の至宝とおんなじ顔をした少年が眉をひそめて首をかしげる。
ああ、そのうちクルトもコゲコゲの炭になってヨシュアと同じ顔をするのだろう。武器も同じ双剣だし。ラフィはため息をついた。
「ま、仲直りしたようでなにより」
「あはは……心配、かけてしまいましたか?」
「ウチの弟が引っ掻き回さないかどうかでね」
イクスはあまり心の機敏に敏くない。
テンションのままに突っ走って、あとでやらかしたと気づき、不器用にうだうだ悩むタイプだ。
一時期は悩みすらせず相手が悪いとキレていたから、マシといえばマシになったかもしれないけれど。
メルキオルと同じで、こういう人間関係の拗れの解消に一番向かない人間だ。庭園の人間はみんなそうなのだろうか。
ヨルダは本の虫になった結果、そこそこ人の気持ちを察せるようになってきたが。
「ま、殿下がそのまま真っ直ぐ育ってくれりゃァ帝国は安泰だな」
「……でも、僕には兄上みたいな強さはない」
「主従そろって同じこと言うなよ」
生憎、自分は劣等感を覚えたことはない。
覚えるべき相手────ミルディーヌは、嫉妬すらさせてくれないほどの高みにいたから。
幼い頃から完成されていた彼女に嫉妬や劣等感を覚えるなど、烏滸がましいと、ラフィ自身も幼いのに自覚していた。
だから、これは見当違いかもしれないけれど。
「イクスとクルトと一緒だ。オリビエさんの強さと殿下の強さは違う」
「僕の、強さ……」
「そう。オリビエさんは確かに強いさ。あたしも何度あの人に救われたかわからない」
言ってしまえば、オリビエは知能犯だ。
陰謀渦巻く社交界に、その身ひとつで放り出されても生きていける。
そのよく回る頭と、恐ろしいまでの根回しの速さ。保険を掛けるのが上手いのだ。
ミルディーヌが先手を打つ指し手ならば、オリビエは後手に回る遊撃手と言えるだろう。
「殿下の強さはそこじゃない。人を惹きつけるある種のカリスマ性だ。この街から逃げちまったあたしには無い強さです」
「カリスマ性? 僕にそんなのあるわけないでしょう」
「あるから言ってるんスよ。なけりゃイクスがあそこまで懐くもんか」
カリスマ性、と言われてセドリックが真っ先に思い浮かべたのは鉄血宰相だろう。
あの人もあの人で物凄いとは思うが、それはセドリックには似ても似つかない。
なんてったって、あの人は強引すぎる。
セドリックに一番近い人と言えば、クローゼだ。
あふれんばかりの善性を隠すことなく、周りの人を惹きつけ、手を貸したいと思わせる。
自然と人に囲まれる。それは、頂点に立つものとして何より必要なものだ。
それこそ、政治で威圧が必要なものはすべて
「組織のトップってのは音頭取りだ、って昔に伯父様が言ってたんだ。組織が国に変わった程度で変わるこたァ無い」
音頭取りはオリヴァルトより、セドリックのほうが向いている。
お前は皇帝に相応しい。
そう暗に告げれば、セドリックはクルトと同じようにヒツジンに顔を埋めて、耳を赤くした。
「……照れるところ無かっただろ今」
「朴念仁って言葉、まだ喋れないクルトの代わりに今ここで叩き返しておきます」
「聞こえてたのかよアレ」
「……別に、僕も喋れるが……セドリックと同意見です」
金色と青灰色からそれぞれの瞳が覗いて、年上のお姉さんをじとりと睨む。
「「ラフィさんの子供たらし」」
「なっ、またそれかよ!?」
大体あたしもまだ
そう叫んだ女を見て、仲直りした
────ずっと悔やんでいたんです。あの時、僕に"力"があれば……
────は、はは、これが……オズボーン宰相がくれた"力"だ!!
────違う、こんなつもりじゃ……クルト、クルト!!目を開けてくれ、クルト──ッ!!
────僕は、一体どこで、何を間違えたのだろう。
「────ッ!?!?」
飛び起きて、呼吸をする。
寝汗と冷や汗が混ざったものが寝間着をぐしょぐしょにして、背中に通った風がひやりとそれを冷やした。
悪夢。
悪夢だ。
あんなの、僕じゃない。
セドリックはそう必死に否定して、バクバクと速く鼓動する心臓を抑え、ゆっくりと息を吐いた。
周囲を見渡せば、そこはカイエン公爵邸だった。
カイエン公はとっくの昔にここを放棄したらしく、その娘であるラファエラが帰ってきたのならば、たとえⅦ組と共に指名手配されていても迎え入れぬ理由はない。
謹慎という名目で実家に帰らされたアデリナ不在ながらも、使用人たちはそう判断して、セドリック達を迎え入れたのだ。
少し離れた場所にあるベッドに、クルトが眠っているのを見て、ようやく安心する。
夢の中で抱えた彼は今よりずっと頼もしく成長していた。
だが、それ以上に、血まみれの彼を抱きしめた感触が、生々しく手に残っている。
荒れ果て、砂と枯れ木ばかりになった帝国の光景が脳裏から離れてくれない。
ようやく仲直りしたばかりなのに、なんとも不吉な夢を見たものだ。
今また布団をかぶっても眠れる気がしない。のどが渇いたという建前の元、セドリックはそっと部屋を抜け出した。
夜のカイエン邸は静かで、セドリックの足音が廊下に響く。
誰か起こしてしまわないか心配になるが、結局誰にも気づかれることなく厨房までたどり着く。
そっと扉を開ければ、よく油の差された扉は音もたてずスルリと開く。
その奥に、くすんだ金髪が見えた。
「……兄上?」
「おや、セドリック」
今回、焼き討ちされるかも、という情報をラフィに齎した功労者がそこにいた。
オリヴァルトの手にはワイングラスが握られており、ほんの少しだけ酒の匂いがした。
「またお酒ですか? ほどほどにしないと体に悪いですよ」
「いや、何。日常的に飲んでいないといざシェラくんに会ったときに耐えることもできなさそうだからね」
「……そういえば、酒豪でいらっしゃるんでしたっけ」
兄がアプローチしている相手。
リベール旅行中に知り合ったそうだから、ラフィの友人でもあるのだろうその人。
なんでも大の酒好きで、気持ちよく酔っぱらうが全く潰れないのだとか。
是非会ってみたいとアルフィンがはしゃいでいたが、セドリックとしては彼女の酒癖について語る兄が今まで見ないほどにガクブルしていたから、少し怖い気持ちもある。
「それで? セドリック。君はどうしたんだい」
兄は空いていたワイングラスにただの冷や水を注いで、セドリックに差し出す。
遠慮なくそれを受け取って、寝汗と対照的にカピカピに乾いていた喉を潤した。
「まさか怖い夢でも見たのかな?」
「……そのまさかですよ、兄上」
「ほう」
まさか当たっているとは思わなかったのか、オリヴァルトの目が見開かれる。
15歳にもなって悪夢で飛び起きるなど、自分でも恥ずかしい気分だ。
それでも、事実は事実で、喉も乾いていたからここに来たのだ。
冷や水を流し込んで、セドリックはため息をついた。
「妙にリアリティのある夢で……未来を見るって、あんな感じなのかな」
「……未来、か」
「えぇ。僕もクルトも、18歳くらいになっていました」
────ずっと悔やんでいたんです。あの時、僕に"力"があれば……
知らない学校の屋上で、リィンにそう吐露して。
────は、はは、これが……オズボーン宰相がくれた"力"だ!!
見覚えない赤い機甲兵……いや、騎神に乗って、倒れ伏すクルトと、知らない男女の前でそう高笑いして。
────違う、こんなつもりじゃ……クルト、クルト!!目を開けてくれ、クルト──ッ!!
この腕の中で、血を流して冷たくなっていくクルトを見つめて。
────僕は、一体どこで、何を間違えたのだろう。
「……あんなの、悪夢だ。悪夢に違いないって、そう思っているのに」
手に残る感触が、アレは現実だと訴える。
騎神を操作する感触。
死にゆくクルトの重み。
荒野と化した帝国から吹く、乾いた風。
この感触が残る限り、もう一度眠る気にはなれなかった。
「さっきは誤魔化したけれどね」
「……?」
「ボクも見たのだよ。悪夢を」
「えっ……」
オリヴァルトは、なんともないようにワインを嗜みながらそう言った。
「あらゆるものが最悪だった。Ⅶ組の中にラフィくんはいないし、宰相閣下の暴走は留まるところ知らず。父上は撃たれるし、乗っていたカレイジャスは爆破されて死ぬ感触まで味わされた」
「僕のよりずっと酷いじゃないですか!?」
「……そうかもしれないね。だが、何より後悔したのは……」
セドリック。君が強大な力に飲まれるところを、見ていることしかできなかった。
そう懺悔するように、絞り出すように、後悔を滲ませて、オリヴァルトは言った。
その瞬間、兄の悪夢と己の悪夢が繋がっていることに気づく。
セドリックの夢にも、あのむすっとした事件屋は欠片も出てこなかった。
赤い騎神が強大な力だとするならば、確かに夢の中の自分はひどくその力に酔っていた。
あの様子じゃ、きっとロクに兄の言葉も聞こうとしていなかっただろう。
「正直、内戦が始まる前の僕なら、ああなっていたと思います」
「そう……だね。君は随分と宰相閣下を慕っていた」
「えぇ、憧れでした。強くて、堂々としていて」
気弱な自分も、いつかあんな風に胸を張れるようになりたい。
そう思って、憧れていた。
「けど……僕はもう、僕の強さを教えてもらいましたから」
ギリアス・オズボーンに憧れた。
イクス・ウィステルに憧れた。
オリヴァルト・ライゼ・アルノールに憧れた。
だが────ようやく、自分の強さを直視することができた。
絶対に、絶対に
兄は弟の成長に驚いて、微笑み、セドリックの頭を撫でた。
「本当はボクが教えるべきことだったのだけれどね」
「兄上が言っても説得力がなかったと思います」
イクスの姉である、という事実を抜きにしても。
一度すべてを捨てて逃げて、それでもなお、捨てたすべてと向きなおろうとする彼女だからこそ、セドリックは冷静に話を聞けた。
セドリックから見て、すべてを持ち得るオリヴァルトの言葉では、きっと自分は劣等感から聞く耳も持たなかっただろう。
そう言って笑う弟を見て、オリヴァルトはワインをくるくる回し、微笑む。
「……あの子は、ボクに救われたと言うけれどね。ボクもあの子に救われてばかりさ」
リベールで出会った、四大名門の子女。
ずっと己の正体を知らずに懐いてくれた妹分。
エステルのような燦然と輝く日差しでも、セドリックのようなすべてを包み込む木漏れ日でもない。
ただ、夜と朝の畔でじっとしているだけの女の子。
眩しくない。ただ隣でそっと寄り添ってくれる……それだけで、どれほど救われたことか。
あの子が、この街を好きだといったから。
帝国を変えてくれと、あの空中都市で言ったから。
立ち上がる切っ掛けをくれたから。
今、ただのオリビエだったはずの男は、こんなに必死になっている。
「兄上が」
「うん?」
「ラフィさんと息がピッタリな理由、分かった気がする」
リベールの異変を乗り越えただけではない。
この人たちは、ひどく似ているのだ。
だからお互いに次に何をするかが分かり、それに応じた一手を打てる。
「兄上、ラフィさんのこと、もっと教えてください」
「……フフ、いいだろう。ではボクとあの子の出会いでも語ろうか」
こうして夜は更けていく。
次の日、寝不足で中々起きることができずにクルトを呆れさせたセドリックと、容赦なくラフィに目覚ましドロップキックを食らったオリヴァルトが並んでもそもそ朝食を食べているところを、双子とメルキオルが微笑ましそうに見守っていた。