「お嬢様、本当にもう行かれるのですか?」
髪を縛って、いつも通りの黒いパーカーを羽織った女の用意を手伝うのは、年若いメイドだった。
もともとミルディーヌの付き人だが、かなり優秀で、アデリナの覚えもいい。次の侍従長に、なんて推薦が出るくらいには。
そんな彼女は、少し寂しそうにラファエラへ問いかけた。
「
「……そう、ですか……」
俯いたメイドは、手に持った鞄をそっと主人に手渡す。
ありがとう、と礼を告げて、片方の肩にだけ紐をひっかけた。
海都の焼き討ちは防げた。
かつてラファエラと一緒に日曜学校の授業を受けていた青年が、必死にオリヴァルトまで焼き討ち作戦の情報を伝えてくれたから。
だが……それと引き換えに、というべきだろうか。
ケルディックが燃えた。
今朝の定時連絡で、半泣きのトワから聞いたことだ。
アルバレア公爵の暴走だった。幸い、負傷者は多数出たものの、
なんでも四肢のどこかを必ず欠損した機甲兵が幽鬼のようにケルディックに火を放ったとか。
死にかけた住民も、バランスの取れていない機甲兵が体勢を崩した隙に逃げ出して無事。
……間違いなく、調子に乗って双竜橋で機甲兵を潰して回ったラファエラの影響だろう。特徴が四肢の欠損なあたり。
なんとも恰好つかない襲撃だが、しっかり町は燃えたし、大市も焼け落ちて惨い有様だとか。
父────クロワールの反応はといえば、しっぽ切りに出たらしい。
当の本人の息子であるルーファスから、カレイジャスへ
結果、昨日のうちにアルバレア公は正規軍に拘束され、バリアハートは中立化。
こっちにかかりきりになっている間に、随分と事態が進んだものだ。
ログナー侯は自ら手を引いた。
ハイアームズ侯はそもそも乗り気じゃない。
アルバレア公は逮捕。
(一人になっちゃったね、父さん)
あの人は、一体どうするのだろうか。
パンタグリュエルで見た狂気を、ずっと持っているのだろうか。
なら────娘の自分が、止めてやらねば。
カバンを整えながら難しい顔をしていると、ふと正面に立つメイドが視界に入る。
あまりに寂しそうな顔をするものだから、ラファエラも彼女をそっと抱きしめた。
「大丈夫。そんな顔しなくてもちゃんと帰ってくるわ」
「お嬢様……」
「もちろん、ミルディーヌも一緒にね」
「……! はいっ……!」
ミルディーヌの名前を出した途端、メイドの顔がぱぁっと明るくなる。
まったく、わかりやすい子だ。年若いとは言っても、ラファエラよりは年上だろうに。
ラファエラの心配もめいいっぱいしていたのだろうが、それ以上にミルディーヌの方が心配だったのだろう。
何せ、あの子は様子のおかしいクロワールに邪険にされ、たった一人、帝都で暮らしているのだから。
彼女のためにも、父を何とかしなければ。
そう決意を新たにして、女は家族と一緒に民たちの行ってらっしゃいの大合唱に背中を押され、オルディス空港を駆け抜けた。
空港では、オリヴァルトとミュラー、トヴァルが待っていた。
「よう、来たなラフィ」
「トビー先輩!?」
どうしてここに、南西部を回ってたんじゃないの、と周囲を飛び跳ねるラフィの頭を撫でて、トヴァルはくしゃりと笑う。
「そりゃあお前、南西部も落ち着いてるってのに妹分の顔見に来ちゃ悪いかよ」
「悪くない!」
「だろ?」
自分の時と比べて随分と嬉しそうな妹分の姿を見て、オリヴァルト────否、オリビエが大げさに腕を広げた。
「おお、なんというジェラシー! トヴァルくんといいボクといいヨシュアくんといい、各地に現地兄がいるだなんて……ラフィくんのエッチっ」
「人聞き悪ィな」
「フッ、この悪名を撤回してほしければ、このボクをベストオブお兄ちゃんと認めて胸に飛び込んで────あだっ☆」
「そういう所だ、このお調子者が」
容赦のないミュラーのげんこつがオリビエの脳天に降り注ぐ。
それを見ていたセドリックとクルトは、お互いああはやっぱり成れないな、と顔を見合わせて笑った。
そんな中、停船していたメルカバの扉が開き、中から真っ赤な髪のシスターが覗く。
「お前ら、そろそろ行くぞ」
はぁい、と返事をした一行が次々とメルカバに乗り込む。
そして、ラフィは入る直前に振り返って。
「オリビエさん、ミュラーさん!」
「なんだい、ラフィくん」
ニッコリ笑った。
「全部終わったら、エステルさんとヨシュアさんにみんなで会いに行こうな!!」
返事も待たずに、ミルクティー色はメルカバの中にヒュッと引っ込む。
程なくして、メルカバは青い空に飛び立って、ステルスを起動して消えた。
それを見上げながら、オリビエは、大きく吸って、息を吐く。
「……まったく、それがどれだけ難しいか解って言っているのかな」
「解った上で言ったのだろう。あの子はそういう子だ」
無名だった昔ならばともかく、今のオリヴァルトはちょっとした外出も許されない身分だ。
少なくとも、もう2度とあんな気軽にリベールには行けない。
そう寂しそうに見送るオリヴァルトを見て、トヴァルは「まぁ」と声を出す。
「ラフィのヤツなら皇子殿下も連れ出しちまうんじゃないですか?」
「ほう? その心は」
「アイツ、教皇猊下のお孫さんと脱走する名人だったんで」
皇族を脱走させるくらい、へでもないでしょうね。
懐かしむようにトヴァルはつぶやく。
確かにそうかもしれない。弟であるイクスから侵入方法を教えてもらっても可笑しくないだろう。
ほんの少しだけ見えた希望にちょっとだけ心を浮つかせるオリヴァルトの隣で、尻拭いをすることになるであろうミュラーが痛む頭に手を添えて、大きく大きくため息をついた。
────公都バリアハート、アルバレア邸。
客間の前で、ノックするための拳を構えたまま、躊躇うラフィが居た。
その姿を後ろで腕を組んで見守るセリスも。
数秒、じっとしていると、中から小さく笑う声が聞こえてきた。
『開いているわ』
ハッとしたラフィの背を、セリスが押す。
意を決して開いた扉の先には、ベッドに座らされたスカーレットの姿があった。
「……センパイ」
「久しぶりね、見習いちゃん。オルテシア卿も、お久しぶりです」
「あぁ。堕ちるところまで堕ちたな、従騎士スカーレット」
ちょっと師匠、と責めるような弟子の言葉を聞いて、セリスはそっぽを向いて口笛を吹いた。
くすくすと笑ったスカーレットを見て、ラフィは眉尻を下げ、その手をぎゅっと握る。
「……リィンから、聞いた。死のうとしたって」
いじけるように呟いた見習いを、スカーレットは微笑んだまま見つめる。
「帝国解放戦線って、みんなそうじゃん。ヴァルカンだって、あそこでスカウトしなきゃ自殺しかねなかった」
「目的を果たしてしまったもの」
「そう、それ。目的果たしたって」
ぱっと上がった白夜色が、スカーレットをまっすぐ貫く。
「鉄血宰相が死んで、はいお終い。それでいいの?」
「いいから、こうなっているのよ」
「────良くない」
思わず、え、と間抜けな声が口から出る。
まさか否定が飛んでくるとは思わなかった。ヴァルカンを救い上げたことは知っているが、まさか長年の情念を否定されるとは。
変わらない白夜から顔をそらそうとしたところで、ぱしりと頬を挟まれる。
「あのさ。悔しくない? お前が死んだから自分も死にます、って」
「……悔しい? 何がどう悔しいの」
「どうせならお前が死んでからはめちゃくちゃ幸せに暮らしました~バーカバーカって、煉獄で煽りたくない?」
考えたことなかったけど、確かにそうかも。
スカーレットはまさかの一言目で納得してしまった。
後ろでセリスが頭を抱えている。
「あともう一個言わせて。クロウといいセンパイといいさ。なんで
「それは……」
「アイツお人よしなの。一回手が血で汚れたら、一生それを引きずって生きかねないの」
あの真っ新な、降り積もったばかりの雪のような男に殺しなどさせてたまるか。
ヴァルカンは戦場で死にたいという拘りがあった。猟兵とはそういうものだと、ラフィも知っている。
だが────一般人であったクロウと、シスターであったスカーレットが彼に殺してもらいたがるのは、どうしてか何度考えてもわからなかった。
じっと、スカーレットを白夜色が見つめている。
「生きる理由がないならあたしが作ってやる」
「……見習いちゃんが?」
「そう、あたしが。実際、ヴァルカンには内戦が終わった後の職あげたし」
そういえば、《V》は捕虜になったのだったか。
確かに、いつも死に場所を求めていた彼がおとなしく捕虜になるとは思えない。
この子が、与えたというのか。
「……まだ、取り返しはつくから。センパイも、クロウも。だから、生きてよ」
あぁ、なんて甘い子なのだろう。
本当に取り返しがつくとでも思っているのだろうか。
ぎゅうと回された手を受け入れて、スカーレットも、彼女の背中へ腕を回す。
その後ろから、セリスがスカーレットの目の前に、一枚のメダリオンを差し出した。
「ほら、受け取れ」
そっと手を伸ばし、受け取る。
星の光を背にした、一杯の杯。
抱きついた少女の腰に、目の前のシスターの胸元に下がったものと、まったく同じそれ。
「オルテシア卿……? どうして、これを……」
「そいつの言う生きる理由。それと総長からの伝言だ」
赫灼の彼女が、優しく笑う。
「行き場がないならいつでも帰って来い、だとさ」
掌の中で星杯が輝く。
輝きはあの頃と変わらず。信仰の証は、ずっとそこにある。
それを握りしめて、もう一度、腕の中の後輩を抱きしめた。
「……そうね。いっぱい、幸せになって……鉄血をあざ笑ってやらないと」
確かに、これでハイお終いは、ちょっと悔しいかもしれない。
ほんの少し、もう少しだけ生きてみよう。
そっと体から離した後輩は、憑き物が落ちたようなスカーレットを見て、嬉しそうに笑った。