────ガレリア要塞跡 上空。
並んで飛ぶカレイジャスとメルカバの甲板から見えるのは、巨大な碧い大樹だった。
突如としてクロスベルに生えたそれをぼうっとブリッジのモニター越しに見つめるラフィの後ろから、メルキオルが肩を抱く。
「……大丈夫? スゴい顔色だよ」
「大丈夫……なんか、引っかかってるだけだから」
「そっか」
胸のどこかにある引っ掛かり。
何かに無理やりフタをされているような、けれどそれを無理やりこじ開けられそうな。そんな感覚。
「伍号機との連絡、取れません」
「これはぁ……シグナルロストしてますねぇ。壊れちゃったんじゃないかなぁ?」
「チッ、神機との戦闘でやられたか……? ワジとはどうだ」
「玖号機ですね。通信を試みます」
通信士がテキパキと仕事を進める中、セリスは振り返って、弟子の様子を確認する。
その恋人の言う通り、酷い顔色だ。青を通り越して白くなりかけている。
苦手な霊視で視たところ天使関連では無さそうだが、さて。
「ラフィ」
「……師匠?」
「一回外の空気吸ってこい。メルキオル、付き添ってやれ」
「言われなくとも」
頷いたメルキオルに背を押され、ラフィはトボトボと甲板へ向かう。
甲板にはテンションの上がったイクスにクルト、セドリックが乗っている。ヨルダは転移でカレイジャスへ行って、仲のいいフィーとアルフィンと一緒に大樹を眺めているようだ。
そして、肝心の大樹を、肉眼で確認する。
────誰?
「……ぐっ……!?」
「ラフィ!?」
「姉ちゃん!!」
記憶をノックする何者かの声がする。
────嘘……!? そんな、ラフィっ、どうして……! ダメ、こっちを見ちゃダメっ!!
「姉ちゃん、しっかりして!! 姉ちゃん!!」
「クルト、セリスさんを!!」
「わかりました……!!」
封印を破るように。
そっと閉じた扉が内側から突き破られそうで。
身体の中の天使が、面白そうにクスクスと笑った。
────それは"間違い"だったの! 思い出しちゃダメッ!!
「……うる、さい……」
脳内に響く声に悪態をつく。
え、と惚けた声を出すあの不思議な少女を睨みつけるように、碧の大樹を睨んだ。
だんだんと、記憶の扉が破れていく。
クロスベルで過ごしたこと。特務支援課に配属されたこと。アルカンシェル殺人未遂事件。創立記念祭。黒の競売会。いつも通りの買い物。日曜学校。教団事件。西ゼムリア通商会議。
オルキスタワーに乗り込む前の、やりとり。
「……こんな大切な思い出まで……なかったことに、してんじゃねェよ……」
────でもっ……!!
「でももへちまもねェって……なァ、キーア」
先ほどから頭に響く声の張本人に手を伸ばす。
泣きそうな声の彼女は、変わらず
「見てるって、言っただろ」
────ぁ
同じ因果を覗き見る力を持つ蒼色の瞳と、彼女の涙で滲んだ目が合う。
虚空に手を伸ばす恋人とその指先を交互に見るメルキオルにクスリと笑って、体重を預けて。ラフィは、そっとこの出会いをくれた彼女に問いかけた。
「ロイド達は?」
────まだ、市内を走り回ってる
「そっか。じゃあ、年内ってところかな」
────そう、だね
「あたしも、それまでにはケリつけとくからさ」
伸ばした手を、ぐっと握りしめる。
「お前が普通の女の子に戻ったら、また会おう」
息を呑む声がした。
それから、ずび、と鼻を啜る音と共に。
────そんな日、来ないよぅ……
泣き言を最後に、頭痛と声は消えた。
あの子磔みたいになってたけど、ちゃんと鼻垂れ拭ってもらえてるかな、とかどうでもいいことを気にしながら、メルキオルのストールを引っ張った。
「なァメル」
「ん? なぁに?」
「あたしさ。お前と……」
出会わなかったら。
一瞬、口から出かけた言葉を飲み込む。
この記憶は、もう存在しない記憶だ。
確かにあったことだけれど、それはキーアとラフィだけの思い出。
あの記憶の最後に燻る、どこまでも真っ直ぐなリーダー殿に向けた、自分には似合わない淡い想いも。
全部、過去のものだ。
「やっぱなんでもない。あと近い」
だから、言わないことにした。
今のこの想いは、目の前の人でなしだけにあげたモノだから。
引っ張ったくせに今度は押しのける。
踏んだり蹴ったりな扱いをしてくる恋人へ、メルキオルはわがままだなぁ、と笑った。
立ち上がった女のパーカーの裾を、小さな手がくい、と引っ張った。
「……姉ちゃん、大丈夫?」
「大丈夫だよ。ほら」
両手を広げれば、イクスは少し戸惑った後、意を決して思いきり飛び込んでくる。
冬の空気の中でポカポカとした子供体温を享受しながら、ラフィは弟を安心させるようにゆっくりと背を叩いた。
「ごめんな、心配ばっかりかけて」
「ホントだよ……内戦始まってから、姉ちゃんはずっとヘンだ」
あの気楽な帝都暮らしの頃と違って、天使の力やら騎神やらに振り回されて。
いつ姉がキャパオーバーで倒れないか、とイクスは非日常を楽しみつつも、ほんの少し不安に思っていた。
それと。姉がふらついた姿を妹が見ていなくてよかった、と……イクスは珍しく、心の底からホッとした。
「ラフィ!!」
メルカバの扉が開き、セリスが飛び出してくる。
そして平然と弟を抱きしめる弟子の姿を見て、大きく、大きくため息をついた。
「ンだ、平気そうじゃねぇか」
「原因わかってるから」
「そうかよ……自分で対処できるんだな?」
「うん」
「ならいい」
頷いた弟子を見て満足げに笑い、甲板にいる三人を船内へ手招きする。
「カレイジャスも引き上げるそうだ。着いていくから、中入っとけ」
はァい、と返事をした弟子が弟を抱いたまま船内へ入っていく。その背中を優しく見守るメルキオルも、船内に帰っていった。
「ラフィさんかしら」
碧の大樹の、一番奥。
ぐずぐずと泣くキーアの顔を、マリアベルが質の良いハンカチで優しく拭っていた。
「変える前を……ぐすっ。思い出してくれたの」
「ウフフ、やはりそうでしたか。貴女を造る時にかなりサンプルを頂いたそうですからね。相性が良いのでしょう」
嬉しいですか? と聞かれ、キーアはコクリと頷く。
嬉しい。とっても嬉しい。
いつも宿題を教えてくれたあの優しい声は変わっていなかった。
ちょっとだけスレた白夜色も変わっていなかった。
また、全部受け入れてくれた。
あの天使が憑いている限り、認識が歪むこともない。愛情を疑わなくて良いというだけで……ずっと、気が楽だった。
「あのね、ベル」
「はい、何かしら」
「この因果……今まででイチバン、死んじゃった人が少ないんだ」
本当なら、もっと死んでいた。
オルキスタワーを襲撃したテロリスト達は、列車砲の弾丸を切りに来たラフィに赤い星座が気を取られたおかげで生き残った。
帝都で亡くなるはずだった一般市民は、機甲兵をひたすら無力化し続けたラフィの手によって生き残った。
ケルディックの焼き討ちに犠牲者が出なかった。
失意の猟兵は生きる理由を与えられた。
「……スゴいよね。たった一人の女の子が帝国に行っただけなのに」
ラフィが帝国に行くだけで、こんなにたくさんの因果が動いた。
一緒に未来もたくさん動いたから、良いことばかり起こる訳ではないだろうけれど。
だから、前は間違いだった。
間違いだった、はずなのに。
無かったことにするな、と。
彼女は言った。
「あの方は、確かリベールの異変にも関わっていらした筈。つながる因果が多いのも納得です」
「えへへ、ホントにスゴいんだよ。あちこちに繋がってるんだもん」
黄緑色の瞳が、因果を捉える。
帝国から伸びる因果の束。まるで花開くかのように、その因果は世界各地へと散っている。
リベール王国、カルバード共和国、アルテリア法国。
レミフェリア公国、クロスベル。
確定していない因果はノーザンブリア辺りをふよふよと動き回っている。
「えっと、あとはぁ……」
「ちょっと待ってくださいまし。今聞いただけでも四方八方に散らかっているというのに、まだ繋がっているのですか?」
「ウン。辺境域にも……ううん、この子は一定の場所には居ないかも」
あの因果の先にいる子は、数ヶ月前にラフィのバイト先に居た子だ。
古代遺物の人形に乗って、今は冷たい瞳で死体を見下ろしている。
因果を弄ることなく、彼女からそっと視線を離す。
もう一度瞼を開ければ、頭を抱えるマリアベルと、ゆっくり鼓動する大樹の内側が見えた。
「そ、想定以上ですわね、今代のお得意様は……」
「だって、ラフィだもん」
「理由になっていませんわ」
顔の広さなら誰にも負けないだろう。
久々になんだか楽しくなってきた。ここの所ずっと、気分は重苦しかったから。
少し機嫌のいいキーアに気がついたのか、マリアベルが微笑む。
「そういえば、あの方に棘の彼を宛てがわれたそうですが……"前"はどうだったのです?」
ふと、マリアベルがそう聞いてきた。
キーアは少し悩んでから、ふっと息を吐くように、ポツリとこぼした。
「ロイドじゃダメなの」
「あら。それはどうして?」
「ロイドはね、優しすぎたの。優しすぎて……ラフィの深いところまで踏み込んでいけない」
ロイドでは"枷"を外せない。
真っ直ぐすぎて、あの性根の捻じ曲がった天使に気に入られることはない。
それは灰色の彼も同じこと。
だから────ほんの少し遠くにあった、彼の因果を引き寄せた。
「……幸せそうで、よかった」
シンプルな指輪は、二人の左手の薬指に輝いていた。