カレイジャスの甲板には、穏やかな風が吹いていた。
今日の昼過ぎ。このカレイジャスと隣で浮くメルカバは、トリスタ開放作戦に挑む。貴族連合の主力が帝都に引き上げたとの連絡があったからだ。
作戦は八割方成功するだろう。それでも、なんだかそわそわして。
ラフィは甲板に出て、静かに空の女神へ祈りを捧げていた。
これでも元シスター見習いだ。決まった時間に軽く祈りくらいする。わざわざ甲板にまで出たのは、空の下のほうがなんとなく祈りが届きやすい気がしたからだ。
背中の魔剣は、何も言わない。
紅の騎神を封じる鍵の一つ。そして、天使が宿ったせいでそれまで正体を隠していた古代遺物。
これを持ち出したことで、父はすこしの遠回りを余儀なくされた。
だから、間に合っている。
無断でひっつかんで持ち出したことによる良い出来事が増えてしまった。もちろん、一つは師達に出会えたことだ。
結局翡翠の魔剣はセドリックが持っている。血筋に惹かれたのか、決して離れようとしないからだ。かろうじて公爵家の血筋であるユーシスには持つくらいなら許してくれているらしい。
まったく、ウチの天使サマより苛烈な性格らしい。
「ラフィ、ここに居たのか」
ふと、背後から声をかけられる。
祈りを中断して振り向けば、そこにはリィンが立っていた。
「リィン。作戦詰めるの、終わったのか?」
「あぁ。後でみんなにも共有するよ」
片手にペンダントを持ったまま、青年に近寄る。
それを見つけたらしい彼が、ペンダントに視線を向けたまま、ふっと微笑んだ。
「そういえば、ラフィの家出中の話ってあんまり聞いたことがないな」
「そりゃ、あんまり面白いもんじゃねェし」
「そうか? 俺は結構興味あるんだが」
興味津々、と言った様子の彼に、ラフィは困ったなと後頭部を掻いた。
「……聞きたい?」
「聞きたい」
困った。
基本は古代遺物とそれに魅入られた人間の対処だ。話していて気分のいいものではないし、そうそう知るものでもない。
────あぁ、でも。一つだけ、胸を張って話せるものがある。
「じゃあ、リベールでの話でもするか」
忘れられなくなったあの旅は、最初はボース地方から始まった。
パルムを抜け、ハーメル廃道を横目にタイタス門で数日足止めをくらって、ようやく辿り着いたハーケン門。
それはまさにシェラザードがモルガン将軍にケンカをふっかけたところで。
大きなハーケン門をようやく越えたと思えば、タイタス門で数日部屋を共にしたお調子演奏家がケンカの仲裁(?)をして見せたのだから、随分呆れて驚いた覚えがある。
「オリヴァルト殿下とはその時に?」
「そうそう。まさか皇子殿下なんて、あの時は思ってもみなかった」
その時にエステル達に軽く顔を覚えられて。
次に再会したのは、ルーアンのホテルだった。
固定電話でニナと連絡をとっていたラフィの背後に、いつの間にかヨシュアにエステル、クローゼが立っていた。
理由は単純。待ち合わせに来ない弟子を心配したセリスが、その場にいたエステル達に探してきてくれないかと頼んだからだ。
「待ち合わせに遅れるって、珍しいな」
「時計がズレてたんだよ。1時間くらい」
「……なんというか、夏至祭でクレアさんに呼び出された時も似たような理由じゃなかったか?」
「安モンだからすぐに時間がズレるんだよ」
導力波時計なんて便利なものは持っていない。
今だってハマっている腕時計を見れば、ARCUSの表示期間よりほんの少しだけ遅れていた。
「当時のルーアンの市長が古代遺物を隠し持っててさ。その回収が本来の任務だったんだけど」
色々と調査を進めるうちに、エステル達の追う事件と色々重なりあって。
最終的に、エステル達に使われた古代遺物を、現行犯で逮捕。無事に回収して、一旦グランセルの大聖堂に封印した、と言うわけだ。
「それから、師匠が法国に回収の段取りの相談に行ってる間に、クーデターが起きて……」
王城、リシャール大佐、封印区画────《輝く環》。
あの時は本当に、情報量の洪水で頭がパンクするかと思った。
後でセリスにどう報告したものかと、封印区画を進みながらずっと考えていたくらいだ。
それから、王城に招待されて。
それで……ヨシュアが、家出をした。
「リィン」
「ん?」
「お前も、あの人とちょっと似たところあるから言っとくけどさ」
同じ黒髪だし。
童顔だし。
女たらしだし。
似ているところばかりだから、きちんと言っておかなければならない。
「自己犠牲も大概にしろよ。残された方の気持ちもちゃんと考えろ」
「……はは、耳が痛いな」
「おーおー、痛めとけ。お前には道を照らしてくれる太陽は居ないんだから」
Ⅶ組は、リィンを重心に回っている。
リィンが一本の太い柱を担っている。
みんなリィンに寄りかかっている。
彼が折れればⅦ組は総倒れだ。
こんなに折れやすい柱があってたまるか、という話でもあるが。少し離れたところから眺めていても、危なっかしくて仕方がない。
ラフィが引っ張り上げてやればいいのだろうけれど、生憎ラフィもそこまで強くはない。
つくづく、敵も味方もまとめて照らしてしまうあの太陽のようなヒトは規格外なのだと思い知らされた気分だ。
「……どこまで話したっけ?」
「クーデターが終わった後」
「あァ、そこか」
それから、確か。
別の仕事が入った師匠の代わりに一旦ケビンが来ると聞いたから、雨の中空港で待っていたのに来なくて。
遊撃士協会にびしょ濡れになりながら行ったら、エステルとロレントに行ったと聞き、子供ながらに腹立たしい気持ちがムクムクと湧いたのを覚えている。
ヨシュアを探すと決めたエステルと合流したのは、王都でのことだ。
その時に、結社の執行者────殲滅天使レンと知り合った。
無邪気な子供を装っていたが、当時からラフィの底に眠っていた天使の影響だろうか。なんとなく普通の子には思えなくて、ティータと買い物に出ていた時によく世話を焼いた。
『ねぇ。もしかして、気づいてる?』
そう殺気を滲ませた彼女が大聖堂に訪ねてきたのは、夜のことだった。
その時はなんのことかな、と返して、毛布を被せた。いくらリベールとはいえ、夜は冷えるから。
あまり体を冷やすと、ドレスの裾から見える古傷が痛んでしまう。
彼女は目を丸くして、しばらく温まって。それから、他愛もない普通の話をした後に帰っていった。
「……はは」
隣でリィンが、くしゃりと顔を綻ばせて笑った。
「何」
「いや、ラフィはずっとラフィだったんだなって」
相手が善人であろうと罪人であろうと、変わらない態度を取る。
引き返せる人間には必ず手を差し伸べる。
善悪の狭間にいるお人好し。
それが、この1年間見てきたラフィ・ウィステルという名の女の子だ。
当の本人は「なんだそれ」と呆れて、話の続きを始めた。
「結局レンには逃げられてさ。エステルさんが結構落ち込むから、見てられなかった」
だから、一緒に行くことにした。
その先のロレントでは濃霧に昏睡騒ぎ、ボースでは古代龍騒ぎに巻き込まれ。
エステルが誘拐されて。師匠と合流して。
ここでようやく、ヨシュアが戻ってきた。まったく、人騒がせな家出息子だ。
「人のこと言えないんじゃないか?」
「うるさいな。あたしは父さんには居場所把握されてたし、あんまり心配かけてないから」
事実、一人暮らしを始めてからは時々プレゼントが送られてきていた。ほとんど全部お焚き上げしてしまったが。
それから────リベール中の導力が止まった。
エステルたちのことをケビンに託して、セリスとラフィは救護活動のために各地を駆け回った。
教会はどこも人手が足りていなかった。いつもは導力器で持ち上げていた荷物を生身で持ち上げたら腰を痛めた人とか、家の灯りが付かなくて教会に避難してきている人とか、様々な要因で困っている人が教会に押し寄せていたから。
「導力が止まってるから、メルカバも動けなかった。アレが最後だよ、あんなに歩いたのは」
もう二度と長距離を歩きたくない。飛行艇万歳、文明の利器万歳だ。
今から空中都市に乗り込むからと王都でアルセイユに拾ってもらって、あの空中都市に乗り込んだ。
レーヴェに妨害されてアルセイユが墜ちたこと。
地下道を走り抜けたこと。
レールハイロゥに乗ったこと。
中枢塔を駆け上り、執行者たちと対峙したこと。
輝く環を目にしたこと。
レーヴェが、死んだこと。
「……影の国とかも、いろいろあるけど。とりあえず、リベールでの旅はそれくらいかな」
語り終えて、ふぅ、と息を吐く。
冬の冷たい空気に触れた吐息は白く染まっていた。
「楽しかったんだな」
リィンが、そうつぶやく。
「そう見える?」
「あぁ。すごく、満足した顔をしていると思う」
楽しかった。
あぁ、そりゃあもう楽しかった。
尊敬する人達と一緒に駆け抜けたあの旅路。
ラフィが同行したのは後半だけだったけれど、それでも大切な思い出だ。
「あたしさ。今、あの時と同じ胸の高鳴り方をしてるんだ」
「え……」
胸に手を添える。
きらりと星杯が煌めく。
「こうして、リィン達と帝国中を駆け回って、それぞれの理由を持ちながら、デカい企みに立ち向かっていく。どっちかっていうと、リシャール大佐のクーデターの時に似てるかな」
内戦。戦争。
そう名付けているけれど、実態としては貴族派のクーデターだ。
あの時の再現みたいで、不謹慎だが────心の奥底では、楽しんでいる。
ノイズがあるとすれば騎神関連だけだろう。度々覗く殺意にはホトホト困らされている。
「俺も……俺も、楽しいよ。ラフィと肩を並べて戦えているのが」
リィンも、思い切って口を開いた。
内戦が始まってから、機甲兵戦に陽動に、いろいろ頼りっぱなしだ。
戦術リンクを繋げて戦うことも減った。
それでも。
それでも、後ろにひとり、頼もしい友がいる。それだけで、リィンはまっすぐ前だけを見て進めた。
心をそのまま伝えれば、白夜色の瞳がニっと細められ、拳が突き出された。
「どうせ何があろうと最悪なんだ。最後まで楽しもうぜ、
すっかりお互いを指す言葉になったその単語に返事を返すように、リィンは17歳らしい、まだ幼さの残る笑顔を返して。
「あぁ。望むところだ、
その拳を、ぶつけた。
絆レベルアップ!
- lv7 オーバーライズⅡ/ コンビクラフト-