幻想再帰のアリュージョニスト二次創作「コルセスカさん変形する」【togetterでも投稿中】 作:鳳卵
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また、その悲劇には別の要因も考えられる。
あるいはそれは、『知識』
「おのれ、この、ちょこまかと!」
ラリスキャニアは、巨人の動きに対し、常に死角へ、あるいは手足の稼働範囲の限界へと、逃(のが)れ出ていた。
もちろん、敵は希代(きだい)の人形師。
人体の構造や動きについては、誰よりも深く知り抜いている。
けれど、今回のその敵手は、他ならぬその人形師の生徒なのだ。
だから、教師(ラクルラール)の知識から導き出され答えは、当然のように生徒(ラリスキャニア)だって知っている。
師が十の死角を潰(つぶ)せば、弟子は十二の方位へ逃れ、コーチが百の巧みな動きを取れば、生徒は百ニの奇怪な挙動で、これを逃(のが)れる。
おまけに、『人体』という構造には、どうしたって潰すことが出来ない幾つもの死角と限界があるものだ。
地下アイドルは、それらを存分に利用していた。
もちろん、その限界は『人体』というカタチにとってのもの。
現在、女教師が操っているのは、元は単なる校舎の廃墟、がらくたの塊(かたまり)に過ぎない。
だから、本来は簡単なことのはずなのだ。
わざわざ『人体』の再演をするのを止めて、普通にただの瓦礫(ガレキ)の雨を使って、相手を押し潰せば良い。
それだけで、全ては片付く。
逃げ回るラリスキャニアくらい、ぺちゃんこにするのは朝飯前のはず。
けれど、それが出来ない。
どうしても、出来ない。
ラクルラールは、まるで徹夜して仕事に打ち込む仕事人(ビジネスパーソン)のように、一心不乱に、ただひたすらに『人体』の再演を、“そうあるべきヒトのカタチ”を、繰り返し繰り返しなぞり続ける。
それは単なる愚直なこだわりか、病的なまでの負けず嫌いが生み出した、奇怪なる発作なのか。
いや違う。
そうすることしか、彼女には出来ないのだ。
そしてそれが第三の、そして最後の理由にかかってくる。
まずは『名声』
今更に今更な話だが、そもそもラクルラールはとてつもない『有名人』である。
その実力と実績は、世界(ゼオーティア)の『上下』を問わず、津々浦々に響き渡っている。
なにしろ、その来歴は古代ラブディにまで遡(さかのぼ)れるのだ。
彼女のことを知らぬ者がいないのも、当然のことと言えよう。
だがその高名は、同時に足枷(あしかせ)にも成る。
有名であればあるほど、評価されていればいるほど、より多く、より優秀な活躍ぶりが求められるのだ。
これは、既に残した実績が比較基準(アンカー)となってしまうがゆえの、終わりのない回し車競争(ラットレース)である。
世の中は、成功者であり強者であるほど、より派手により強そうに振る舞うことを求めてくる。
言わば、ラクルラールは、シナモリアキラ(サイバーカラテ)界隈で言うところの『横綱相撲』を強いられているのだ。
つまり、彼女にとって戦いにおける選択肢は、ほとんど存在していない。
弱者を無視してあっさり跳(は)ね除けるか、圧勝してその強さを見せつけるか、そのどちらかしか選べないのだ。
そして、いったん戦いになった以上、無視は“逃げ”として扱われてしまう。
ゆえに、現在の女教師は、本来得意とする搦(から)め手のほとんどを封じられ、単純粗雑な力押しで攻めるしかなくなっているのだ。
一方、地下アイドルはその真逆である。
なにしろ、彼女は日の当たらない地下の住民。
そんな彼女がどんな振る舞いをしようと、その名声がこれ以上下がることは無い。
よって、その選択肢、戦術の幅はほぼ無限大だった。
多くを身につけた者と、何もかも失い、孤独のままに戦うしかない欠落者。
その対決の行方(ゆくえ)は、火を見るより明らかだったのだ。
そして、それらの格差を仕上げる最後の理由は…女教師のその不可解な行動、非効率にこだわる、奇妙な振る舞いである。
それは一見すると、第五階層で知らぬ者がいない『サイバーカラテの型』に見えた。
サイバーカラテの型に、呪術的な効力が発生することはここでは常識であるし、巨人とはいえそれが『人体』であるならば、それが型を使うこと自体は、極めて自然な戦術である。
それだけなら、疑問を抱く余地は無い。
だが……
「これで…なにっ!?」
「その動きなら、“熟知して”いますよ」
それを回避することは、容易だった。
なにしろ、よく知られた型なのだ。
どれだけ合理的で強力であろうと、その限界や弱点も、当然また広く知れ渡っている。
それだけではない。
それに気づいたラリスキャニアは、思わず立ち止まって独白する。
「欠けている…二つも」
「そこか!」
もちろん、それを隙と見て巨人は即座に攻撃を仕掛けた。
分身に支えられた地下アイドルに、その身長に倍するほどの巨大な拳が迫る!
だが、やはり……