幻想再帰のアリュージョニスト二次創作「コルセスカさん変形する」【togetterでも投稿中】 作:鳳卵
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天使(レオ)触手がどうにか助かったあと、気を取り直して、ラリスキャニアは、説明を再開した。
今度は、弁解のための説明ではない。
これはいわば、舞台を再開するための口上だ。
「話を戻そう。ボクは、悪夢を克服するために絵画に挑戦していて、気づいたことがある」
「気づいたこと?」
「ああ、端的に言うと芸術を創ることは、苦痛を乗り越えることにすごく向いてるんだ。芸術には、元々そんな性質がある」
「だが、絵画と演劇では大きく違うぞ」
「演劇にも絵画と共通する性質があるとうことですか?」
"二人"の触手の反応は、大きく異なったが、それは互いに補完しあって本体(マスター)の話を促していた。
ラリスキャニアは、二つの意味を重ねてうなずくと、さらに説明を加えた。
「技法で言うなら『重ね描き』といったところだろうか?
絵画も舞台も、ある程度の試行錯誤を前提とした芸術なんだよ」
「なんだか強引な気がするが…」
「試行錯誤、ですか?」
「そうだ」
ラリスキャニアは、今は舞台袖になっている自室の壁を指さした。
壁には投影された無数の幻像の窓の群れがあり、その上には、賞を取ったという"恐ろしい狩人"の油絵がかけられている。
彼女は、指さした指で遠くからその絵をなぞるようにしながら、自分の分身である触手たちに語り続けた。
「最初は念写で普通に動画を作ろうとした。けどダメだった。悪夢の印象(イメージ)はいつもいつも嫌になるぐらい鮮やかなのに、いやだからこそ、それを外界に投影しようとするとあまりの恐怖からどうしても失敗してしまったんだ」
「だから、絵画にしたと?」
「そうだ。絵画は念写とは違う。印象(イメージ)を一瞬で定着(さつえい)することは出来ないし、その出来栄えはあくまで描き手(ボク)の腕前(スキル)に左右される。だが、その短所は逆に長所でもあったんだ」
「少しずつ描いていくことで、貴方は悪夢の恐怖を克服していったのですね」
ラリスキャニアは、天使(レオ)触手の言葉にうなずき、説明を続けた。
「ボクは、何度も何度もスケッチを繰り返し、絵の具を重ね塗りするうちに、だんだんとこの絵の悪夢と向き合えるようになっていったんだ……」
「それで『重ね描き』か。」
「そう、少しずつ、少しずつ描いていくうちに、ボクは自分の心の傷(トラウマ)にも段々と向き合えるようになっていった。一筆一筆と画布に絵の具を重ねていくうちに、ボクは思いに束縛されるのではなく、それを制御して表現できるようになっていったのさ」
「『重ね描き』と『厚塗り』(インパスト)を一緒にしてないか?いや、俺には絵画の専門知識なんて無いが」
「そうなのか?ボクも専門知識はあまり無い。ボクの絵画はほぼ自己流だからな。要所要所でネットの助けを借りたが、詳しいことは覚えていない。だが…」
「そうか、それはそれとして…」
次の瞬間、ラリスキャニアと悪魔(アキラ)触手は向き合い、同時に口を開いた。
二人の言葉が、重なる。
「「問題なのは、リーナの劇がそうした表現の対象として適切かどうかだな」」
ラリスキャニアは、己の信条を述べる。
「大事なのは重ねることだ。絵画も、そして演劇も。
試行錯誤したり、失敗や不快でさえも、積み重ねていくことが大事なんだ。
最初(スタート)から完璧とか究極を求めるべきじゃない。
そんな姿勢(スタンス)は、むしろ逆効果だ。
そういう意味では、むしろ『完璧』こそが最も不完全と言っても過言じゃないかもしれない。」
「それは、それ以上積み重ねることが出来ないからか?どうにも言い訳というか、ジェラシーの変形に感じるがなぁ」
悪魔(アキラ)触手の指摘も、ラリスキャニアは軽々とかわす。
「別に他人が完璧や完全を名乗るのは、構わないさ。
地獄にいるという賢天主(クイーン)は、万能完璧の支配者だと聞くし、あの女神(ルウテト)だって、司るのは『母』と『死』だ。
不変にして普遍の起源(スタート)と終着点(エンド)
少しは例外はあるが、それは『普通』どうしても拒絶できないものだし、その強さを否定することは誰にも出来ないだろう」
「『普通』は、そうかもしれないな」
転生者(シナモリアキラ)を模した触手は、同じく一度死んだはずの存在(てんせいしゃ)であるラリスキャニアにそう応じた。
「ああ、『普通』はね。」
ラリスキャニアは、特に嫌味も皮肉もなくそう答えると、何の気兼ねもなく話を続けた。
「ただ、ボクはそれはアイドルの強さでは、ボクが求めるべき姿勢(スタイル)ではないように思う。
絶対的カリスマもアリだが、それはアイドルの基本的姿勢(スタンス)じゃない。一緒に歩み、成長したくなる。傘下に加わり助力したくなる。そして、常に未完成。
それこそが、ボクが求める『アイドル』なんだ」
ぱちぱちぱち。
ラリスキャニアのアイドル信条を聞き終えた"二人"の触手は、そこで軽い拍手を送った。
だが、話はまだ終わらない。
それだけで納得するほど、地下アイドル迷宮の観客は甘くはない。
そして、当然そこに生きるアイドルであるラリスキャニア自身とその分身(しょくしゅ)たちも、突き詰めていない表現(アート)を許すほど、甘くはないのだ。
観客を納得させるには、まず自分を納得させてから。
あまりに質(クオリティ)を追求していては、結局時流を逃し、情熱(きもち)さえ冷めてしまうが、かといって自問と研鑽無しでは、その出来栄えに、まず自分自身が失望してしまう。
真に承認を得るとは、けっして単に観客を甘く見て媚びることでは無いのである。
それゆえ、悪魔(アキラ)触手は、追求の手をゆるめない。
それこそが、彼に望まれる役割であり、ただ純粋に役割をこなす道具であることこそが、彼の存在意義であるのだから。