幻想再帰のアリュージョニスト二次創作「コルセスカさん変形する」【togetterでも投稿中】 作:鳳卵
まず、
・反論①:本物と偽物の区別をつけることへの批判
「『ラリスキャニア』に、アイドルは常に『本物』であり、同時に『偽物』です!」
次に、
・反論:②本物の価値を賞与し、嘘と偽物を蔑むことへの批判
「『浄』と『不浄』、陽(ひかり)と陰(かげ)そして生成と消滅の律動(リズム)の循環(サイクル)と螺旋(らせん)!
それこそが、反動として『本物(オリジナル)』 という幻影を、ボクを形作っているのです!
その、どちらか片方だけでも成り立たちません、どっちも必要なのです!」
更に、
・反論③:本物の価値を賞与し、嘘と偽物を蔑むことへの批判
「あらゆる『本物』の定義は…『真実』の『価値』と『意味』は、いつも残らず後から決まります!
だって物事の全ては、“現在”から振り返って都合良く再構成される『言葉』(じゅもん)なのですから!
しょせんは、結婚式の公式動画(PV)や立志伝(ゴーストライティング)のような、都合の良く編集された年表(メモリー)に過ぎません!」
「だから、そんなものは所詮は後付けなのです。
人々が見るべきなのは、舞台裏の準備(スタッフ)などではありません。
輝くものは、いつだってその上で演じられるものなのですから。
つまりアイドルは、夢こそが本物!」
そしてそこから、
「先生、そんなふうに自己を正当化し続け、その存在と価値を固定して何になるのですか?」
「なんだと!
貴様、何が言いたい!」
攻勢を強めて、
「貴女がやってることは、化石の保存作業に過ぎないと言っているのですよ!」
「化石!
この私を化石だと愚弄(ぐろう)するか!」
「ええ、『不死』とはただの虚飾!
変化を無くした死体に過ぎません!
生きていないものを、ヒトと生きられないものを後生大事に保管して、いったい何になるのですか!」
・反論④:不変の本物の価値を称揚することへの批判
「不変の存在は生きてはいない。
生きるとは、変わり続けることだから!」
「それはまるで、エスカレーターや動く歩道を逆向きに走っているように。
あるいは、溶鉱炉へ続くベルトコンベアに乗っているように。
アイドルは、そしてそのファンだって、同じ場所に留まるためにも、変わらないように変わっていく!
迷い続け、ブレ続けていく!」
一気に追い込みをかけ!
・反論⑤:才能と生死転生、アイドル活動について
「敗北(デス)と復活(ライフ)、予測と演算(シミュレーション)
そう、“アイドル活動(ライブ)”こそが、ボクの、“ボクら”の生そのもの!」
「アイドルの力とは、その生のきらめき、感情の爆発。
つまりは、アイドル小宇宙を爆発させることによって発生しているのです!
生とは死の声を傍らに聞くこと、死を伴走者として走り続けること。
ボク"ら"は、その伴奏によって、叫び(うたい)続け、
生を讃(たた)え続けます!」
更に交互に!
「そう!
突き詰めれば、アイドルの表現(パフォーマンス)は、その全てが生の讃美歌!」
「だってそれが!」
「「生きていくってことだから!」」
決着を期す!
そう、それだからこそ、彼女"たち"は、あえて学友の引喩(パロディ)まで用いたこの危険なネタを選択していたのだ。
それは、『性(エロス)』すなわち性的表現を古代からの神事や文化(ミーム)と絡めることで、それと密接な関係を持つ“生きる”こと自体を、肯定するために。
それには当然、学園あるあるの身内受けと見なされる、と言う危険が伴(ともな)う。
しかしその危険を犯してでも、ここは一気に決めにいくべきなのだ。
だから最後に、学友(ミヒトネッセ)の応用(アレンジ)として、独自(オリジナル)の教師パロディによって一気に相手の権威の零落を――
「何を言うか、この未熟者が!」
けれど、遅すぎた。
彼女“たち”は、もっと早く気づくべきだった。
女教師のその姿の意味に。
文化的に規定される『風の色』を持つ異なる色彩のマフラー、それを身につけ、ラクルラールの分身がすぐ間近まで迫(せま)っていた。
それも何人も何人も。
女教師“たち”は、腰のベルトに揃(そろ)いの大きなバックルを付け、それを風車のように回転させて呪文の流れを力に変える。
あれは、糸車(ポピン)
糸(スレッド)を巻き取り、情報と実体の両方を支配するラクルラールの呪力の象徴。
それに対抗可能な『ラリスキャニア』側の象徴といえば踊り(ダンス)ではあるが…しかしそのために適切な立ち位置(ポジション)を取ろうにも、自由に動くことすら出来なかった。
強風が支配しているこの疑似『浄界』では、そんなことすら難しい。
それでも、慌てて動こうとして…必死に攻撃を避(よ)ける地下アイドル“たち”は、この疑似『浄界』を構成しているのが見えるものだけではないことを、うっかりと忘れてしまった。
うっかりと、足を取られる。
とは言え、それを責めるのはあまりに酷と言うものだろう。
それは、絡(から)みつきうねりくる多色の糸を避けたその隙間(スキマ)、空間そのものを罠にした“見えざる落とし穴”だったのだから。