幻想再帰のアリュージョニスト二次創作「コルセスカさん変形する」【togetterでも投稿中】 作:鳳卵
そして嘲笑で飾られた不朽なる“彼女たち”は、多重に響く声音で同時に叫(さけ)んだ。
その主張内容は、単純なる威圧。
先制的な勝利の予告であった。
「「「「「お前は我々の手駒。超越者たちの世界遊戯の駒でしかない。お前の前世もそうだったしそれはこれからも変わらないのだ」」」」」
その言葉が示す札(カード)画面の中では、先程の台本使い地下アイドル“たち”に対し、巨大な機械と一体化したラクルラール人形が向き合っている。
それは、強化プラスチックの箱に、半分だけ色がついた球体のカプセルがたくさん詰め込まれた装置。
ヒトは、その名を『カプセルトイ』もしくは『ガチャマシーン』と呼んだ。
札部屋のラクルラールが、その“ガチャの札”に対し金貨が大量に描かれた『エナジーマネーカード』を加えると、それは水没するかのように先の札に同化。
結果として、マシーンは大量のアイテムを吐き出して一気に対戦相手を追い詰めていく。
「見ろ。頼みの綱の援軍(えんぐん)にしたところで、この有様(ありさま)ではないか」
更に、先程とは逆側のラクルラールはまた別の札の状況を指摘する。
そこでは、『ラリスキャニア』の助力に来たらしき別の地下アイドルが、晒(さら)し者になっていた。
『SNA333』の一員らしき彼女は、鬘(カツラ)を使った独特な髪型にシナモリアキラ肌色(ペールオレンジ)の肉襦袢(きぐるみ)と言う独特なファッションを身に纏(まと)っている。
だが、その格好はラクルラールの良い餌食(えじき)であった。
一見、無垢(むく)の木で組まれた温かみのある木造の部屋と見えたその場所は、実のところあまりに“暖かすぎる”部屋であった。
サウナ耐久ファッションショールーム。
それは、彼女にとって完全なる逆境でしかなかったのだ。
『ラリスキャニア』の疑似餌変身触手を媒介とし、ここに参戦しているのは『SNA333』の分派(ユニット)、その名も『ちゃんこ9』
彼女たちは、『死の女王島』改めて『アイドル島』の開拓(アイカツ)においても、土木作業中心に活躍する新進気鋭の集団である。
その技能はかつての第五階層(シナモリアキラ)挑戦者、異界の格闘家ゾーイ・アキラに由来している。
彼女がサイバーカラテ使い(シナモリアキラ)となったことで、当然ながら、その技術の全ても自動的にサイバーカラテに組み込まれることとなった。
すなわち、神事であり芸能としてのルーツを持つ『SUMO』と転生トラブル掃除屋(スイーパー)の業(ワザ)と呪力(ミーム)は、残らずサイバーカラテアイドルである『333』にも受け継がれたのだ。
流石に量子テレポーテーションなど社外秘(けんりをもっていないもの)や予算の都合上出来ない技能も幾つかはあるが、それでもその『改心した元強敵の悪役』と言う位置付けがもたらす呪力(ミーム)は、実に強大である。
だが、そんな彼女たちもここでは黒星(はいぼく)を重ね、残るはもはや新人ただ一人。
その四股名(げいめい)を『明星(モーニング・グローリィ)』愛称はモニ子。
かつて、芸能面でも大活躍したという異界(ねこのくに)のスモー・アイドルに由来する名を持つ女。
もちろん、彼女も何の抵抗もしていないわけではない。
モニ子にも、長所(つよみ)ぐらいはある。
『ボディポジティブ・モデル』あるいは『プラスサイズモデル』
その豊満な肉体(ボディ)を活かせる売り出し方は、現代モデル業界では既(すで)に常識。
当然、SUMOアイドルもその路線で大(おお)いに奮闘したのだが…だが、実はそれは罠であった。
あのラクルラールが、モデルの常識を知らないわけがない。
それは、ボードゲームで言うところの“指し手の誘導”であったのだ。
確かに、現代モデル界では『ボディポジティブ・モデル』は評価され、その価値(ミーム)を承認されるようになった。
過酷な減量による健康被害、そしてそれが過食症の蔓延(まんえん)や早過ぎる死をもたらすことへの非難。
そもそも生来の体質や病、体格の関係で目指せる人間が限定されるような価値を、“誰もが着られる”はずのファッション/おしゃれを売り物にする業界が、理想として掲げることの問題。
そして、この世界(ゼオーティア)に根強い、人体改造を嫌う自然派(ナチュラリスト)思想に由来する反発。
そうした風潮(ムーブメント)が、衣服やモデルの業界に革新的いや革命的な変化をもたらしたのだ。
もはや単独価値、痩身美(やせたいけい)だけが評価される時代ではない。
今や多様な美、あらゆる体型が評価される時代が訪れた、かに思われたのだが…
しかし、ラクルラールがモデル対決の場を整(ととの)えたのは、よりによって“サウナルーム”であった。
それは、芸術性の追求と革新的挑戦による新しき文化(ミーム)の開拓の試み(チャレンジ)としての、提示(ちょうはつ)であったのだ。