幻想再帰のアリュージョニスト二次創作「コルセスカさん変形する」【togetterでも投稿中】 作:鳳卵
そうして語り続けることで、完全に存在を確立した女教師は、元生徒たちの前で両手を広げながら、話を続ける。
「結論から述べよう。
肯定派のラリスキャニアが提唱している仮説は、成り立たない。
だが、ある意味正しくもある」
「どういうことですか?」
この時には、疑問する地下アイドルは、すっかり生徒気分となり、頭の中からはすっかり疑問が拭い去られていた。
ここは教室、今は講義の時間。
彼女の頭に残ったのは、それだけとなっていた。
それまでに何があったのか、この先に何を予想していたのか、現在を除いた全てを忘れ去っていたのだ。
「なに簡単なことだ。
『輝き』(クオリア)、二人のアイドルとしての資質。
そしてそれはまた、二人の『脅威度』の話でもある。
違うか?」
「そ、それは…」
「君は、ある集団が、アイドルグループであるかどうかを証明しようとしている。
しかも、そのグループは、世界を、それも地上地下含めたゼオーティア全土を、制覇する野望とそれを実現する力を兼ね備えている、とそう言いたいわけだ。
なるほど、よく分かった。
では、採点をしよう」
「もう!?」
「私の採点に余計な時間は不要。
断言しよう。
合格者は――君だ」
そして女教師が指差したのは、『本体』の方であった。
「なっ!?」
「そして、不合格者は排除する。
悲しいことだよ、私の教室から不合格者を出してしまうなんて」
ラリスキャニア――いきなり不合格とみなされ、暗に『偽物』と指摘された方は、呆然するしかない。
なぜですか?と、動揺しながらも、ラリスキャニアは質問する、そのはずだった。
けれど、そう尋(たず)ねる前に、既に相手は語り出していた。
続けて繰(く)り出すつもりだった抗議が追いつかない。
なんだったか、グレンデルヒの変のときに、機械女王が使っていた銃のような猛烈な勢いだ。
「なら逆に聞くが、君は、あのコズエに『輝き』があるとでも言うつもりなのかい?」
それが、始まりだった。
女教師は、とうとうと語り出した。
どこかで見た流れだが、その時、地下アイドルは、即座に反論に移ることが出来なかった。
ラクルラールは、かつて『地上』を制覇した教育システムそのもの。
その技術と講義の時間は、多くの人々と組織に承認されていたものだ。
それこそが、ラクルラールが持つ教師としての権威の力だった。
教育、それも壇上や教卓から講師が教えを説く近代型の教育は、工場や軍隊といった集団行動を前提としたものである。
画一的な行動、それによる大量生産や品質管理された製品や振る舞い。
アイドルやエンターテイナーのような芸術(アート)の分野でも、いや芸術だからこそ、そうした教育の見本でもあった。
なぜなら、芸術とは、常に社会を反映するもの。
正確には、社会が理解出来ないような芸術は、絶対に世に出回らないのだから。
また別の角度から言えば、教育とは社会的に認められた模倣の一種であり、積み重ねである。
教育、それは失われし先人(せいこうしゃ)の模倣。
生き抜くため、成功した先例(かこ)にならい、最適解の振る舞い(ミーム)を身につけんとする試みなのだ。
そして、それは成功してきた。
圧倒的なまでに、ずっと成功し続けてきたのだ。
そうでなければ、文化も社会も在りはしない。
今日の世界は、無限の教育という模倣の上に成り立ってきたのだ。
ラリスキャニアを抑えつけていたのは、そんな、『人類』の社会そのものを形作ってきた強大な呪力であったのだ。
メイファーラ・リトを、そしてその同類とされる瓦楽天(がらくてん)コズエについて語るラクルラールは、まぎれもなくソレを背負っていた。
その嵐の如き弁舌に晒されたラリスキャニアの脳裏に、女教師の情報がーーいや、神話が蘇った。
ある者は曰く、それは単独では『守護の九姉』最弱の存在である、と。
また別の曰く、それはあくまで失われた偉人の代理に過ぎない、と。
だが最後には、皆が口を揃えてこう言ったのだ、それでも彼女は、不滅の勝利者である、と。
その強大な力の前では、一人の“興行主”の役割など、嵐の前の塵より儚い存在でしかなかった。
その言葉は、リズミカルに、
規律を示し、
論破する。
あるいは、優しくさとす。
それは技術論であり、
正式な場における実績の不足の指摘であり、
市場調査マーケティングにおける評価と査定、
他分野での失敗や敗北の実例、
または、まるで親のような経歴の解説であり、
本人以上に付き合いが長いとでも言わんばかりに、詳細な性格の弱点分析であった。
そしてなにより、専門家(スペシャリスト)として教師として、積み重ね続けた経験による、予測と断定。
その全てが否定であり、あらゆる言論が断罪であった。
ラリスキャニアは、それに圧倒されてしまった。
何を言われたのか、それは正確には思い出せない。
その語りのあまりの勢いに押されて、何も記憶することが出来なかったのだ。
だが、その勢いは凄まじかった。
美しい声、メリハリのある抑揚、音学的な発声。
そこに用いられている技術は、よく聞けばありきたりなものだ。
量産された教科書(テキスト)であれば、どんなものにでも載っているだろう。
その演説は、そんな程度のテクニックだけで構成されていた。
だが、逆に言えば、それはまさにお手本(ロールモデル)といえる振る舞いでもあった。
ラリスキャニアも、学生時代には、ずっとこの女教師の顔を見ていたはずだ。
だがそれでも、彼女がここまで情熱的に語る姿などは、記憶のどこを探しても、全く見つかりはしない。
そのことだけは、確信出来たのだ。
世界を改変するのに、唯一無二の才能(オリジナリティ)も、影響力ある『邪視』(まなざし)も必要ない。
必要なのは、ただ『現実的』な冷たい論理と確固とした実在感を示す語り手の肉体のみ。
その語りかけは、まさにそれを誇示するかのようであった。