悪役を与えられた藤丸立香が聖杯戦争でオベロンを召喚する話 作:凛夏ナツ
◇
「……オベロン」
アルトリアは半分死んだ目を隣へ向ける。繊細な金の髪が風になびき、白い外套がひらひらと踊っていた。
「なんだい?」
「なぜ私たちは走っているのでしょう」
「あっはは、決まってるじゃないか! 羽虫みたいにぷちっと潰されたいのかい?」
もと来た道を、全速力で駆け戻る。
後ろから迫るのは、かつて妖精國を破滅へと追いやった要因のひとつ。妖精騎士が冠していた名を失ったあとの厄災の姿。巨大な魔犬と大型の竜が、足どりを追っていた。
おとぎの幼女の結界に迷い込んだ二人は、それはもう必死こいて逃げていた。黒い魔犬とアルビオンの竜をみた瞬間に踵を返したものの、いかんせんリーチが違いすぎる。時折降ってくる炎や鱗の生えた頭をかわしながら、アルトリアが悲鳴をあげた。
「知ってますけど! どうせなら私を背負って走ってくださいよー!」
「悪いけどヘラクレスみたいに力持ちじゃなくてね! 妖精王はブランカより重いものは持てないんだ!」
「こんなとこで王さまヅラするのやめてくださいぃ!」
妖精の王さまは現実逃避でもするように、爽やかな笑みを浮かべた。金の髪が光を透かして、きらきらとエフェクトがかかる。
「二匹のおとぎ話の怪物から逃げる──いやあ、ちょっと楽しいねこれ。今度酒場でやる話のネタになりそうだ!」
「だいぶツケためてましたよね!? あーもー、ちょっとは真面目に考えやがれ! そういうとこだぞオベロンんん!!」
頭を現状から離しても、後ろから災厄は追ってくる。
『Gaaaaa!』
一際大きな爆発音が轟く。
魔犬が前足を叩き、竜の咆哮が響くと炎に包まれた建物はおろか地盤ごとめくれあがり、広大な大地に亀裂が走った。
ちりちりと飛び散った火の粉が風に乗り、オベロンの雪の外套に焦げ跡をつくる。ゆっくりと、しかし確実に黒く布地に燃え広がる様子は、かつての忌まわしき記憶を呼び覚ますようだった。
「盛大な熱い拍手をありがとー、アンコールが欲しいのかい?」
抑揚なく呟いた声は空に溶けて消える。
幾度も繰り返される歴史。妖精のからだを積み上げて作った大地。予言とのろいで燃え盛る街。かつてオベロンは、そのすべてを周到に織り込んで、破滅へと陥れるための布石を打った。
「……」
めんどくさい、と思った。
もう一度やるなんてまっぴらごめんだ。蝶の羽一枚ほどもやる気が起きない。ああこれが、身も心も燃え尽きるってやつなのかな。あー、どうでもいいけどメロン食べたい。
「……ろん、オベロン! なに現実逃避してるんですか!」
戻ってきて下さい! とアルトリアから叱責が飛ぶ。
「この結界から抜け出す方法はないんですか?」
「『閉じて』しまっているから、内側からは難しいだろうね。……きみ、魔力は?」
「あるわけないでしょう。連戦に次ぐ連戦ですよ」
「そっかあ。じゃ、よろしく」
少女の背をぽんと叩くと、オベロンは近くの茂みに飛び込んだ。
「へ?」
湖面を思わせる瞳が丸くなる。
よろしく? なにが? ……というか、私に何をしろと?
横を見れば、ひらめく白い外套の姿は無く。赤と黒の災厄の目の前を逃げるのは、アルトリアひとり。
「借りを返すのはツケで頼むよ!」
飛んできた声を理解した瞬間、恨みが芽生える。こいつ……!
「こんの……囮にしやがったなオベロン──!」
ばかオベロンんんん! なんでさ! ありったけの声で叫びながら駆け抜けていく夜空色のマントと二匹の厄災を見送って、オベロンは茂みから立ち上がった。
「──さて。きみには向かないだろうからね、アルトリア」
追っ手が厄介ならば、操っている本体を倒せばいい。
魔犬とアルビオンの竜のさらに後ろ、尖塔の上で無邪気に微笑むありすを見据える。小さな移動用の姿に縮むと、降り注ぐ瓦礫の隙間を縫って飛び出した。
「いやあ、悪いねお嬢さん」
「っ、きゃあ!」
動きが鈍くて反応の遅いマスターを殺すのは簡単だった。
あっというまに到達すると、背後からありすの首を鎌でかき斬る。体ごと屋根から転がり落ちた幼女の口が、可愛らしい悲鳴をあげた。ぐしゃりと地面に潰れ沈黙する。跳ね返った血しぶきが白い外套にまだらをつくった。
「……」
いまだ、ブリテンを象った景色の中で。
柔和な笑みを絶やさぬままに遠くの紅葉に色づいた森を見つめ、オベロンは白い外套をひるがえした。
ほんとうに下らない。忌々しい妖精どもの記憶を再現したコレの、どこがハッピーエンドなんだか。さっさと滅ぼして正解だったな。
物語は永遠に続く。
か細い指を一頁目に戻すように。あるいは二巻目を手に取るように。その読み手が、現実を拒み続ける限り。
「……おかしい」
空色の瞳が細められる。
確かにありすの首を落としたからか、遠くで暴れていた二匹の厄災は崩れて塵に返り始めているし、まがいものの妖精たちの姿も消えた。
しかし、抉れていた大地が綺麗にふさがって、倒壊した建物までも元通りになるのはどういうことだ?
地面に仰向けにくずおれたありすの体に目をやる。ぴくりと少女の指先が動いた。
「いたい、いたいわ!」
首の断面から血管が生え、肉と皮膚に覆われた上から頭部が形成される。生えてきた歯と唇が鈴を転がしたような声でしゃべった。
「ひどいわひどいわ! どうしてこんなことをするの!?」
ありすはアリスに会いたいだけ! 鬼ごっこがしたいだけ! せっかくありすが見えるひとがたくさんいるのだから、たくさん遊びましょう! もうあの暗くて狭い実験台の上で、痛くてかなしい思いはしたくないの!
不死、逆再生、死に戻り、復活。
言い方は何でもいい。とにかく死んだはずの少女は、生き返った。己の支配する領域の中ではあり得ない力を誇る。永遠の今日を繰り返す不死の結界、『
「これじゃあジリ貧じゃないか……!」
舌打ちが漏れた。飛びすさって後退する。
殺しても死なない。結界は破れない。霊基を削られて、消滅を待つだけの消耗戦。長期戦は不得手だった。
「『変身するわ、変身するの』」
私は貴方、貴方は私。変身するぞ、変身したぞ。俺はおまえで、おまえは俺だ。
『…………で』
嘆く少女の小さな体が何倍にも、天まで届こうかというほどに膨れ上がる。人の形をしていた頭からは左右に枝分かれした角が伸びて、幾重にも獣の呪いが腐った巨体を取り巻く。全身が体毛に覆われ面影など跡形もない。丸々とした巨体が呪われた大地を陰らせた。
「こいつは、」
ソレの正体を、オベロンは知っている。自らを戒め、利用した存在なのだから。
おしまいで海になった。
はじまりに海があった。
「……悪趣味なオマージュも大概だな」
肥大化し続ける肉塊。
オベロンは、苦虫を噛み潰したようにそれを見上げる。頭に響くのは、巡る運命を重ねてなお、救われることのなかった哀れな一匹の妖精のこえ。
『…………いで』
ながれぼしがすぎたあと、
大地はみんな河になった。
これいじょうむかしはないほどの、
それはむかしのお話です。
『いかないで』
ごめんなさいごめんなさいごめんなさい。
わたし、ちゃんと悪い子になるから。何回やってもうまく出来なくてごめんなさい! だれよりも惨く、残忍に妖精たちをころしてみせるわ!
私は
みんなに愛されたバーヴァン・シー。
その通りに振る舞うから。
女王の後継者らしく振る舞うから。
……そうすれば、私をみていてくれるでしょう?
『……いかないで、おかあさま』
脳裏にちらつくのは、赤いフリルたっぷりのドレス。お気に入りのハイヒール。冬の女王がただひとり、救おうとしても掬えなかった愛するもの。穴の底から這い上がった、終末装置を閉じ込めていた強大な奈落の栓。
「オベロン、いきなりバゲ子たちが消えて……っ!」
異変を察知して引き返してきたアルトリアが、巨大な影をあり得ないとばかりにねめつける。大きすぎて、てっぺんがどうなっているのかも分からない。
「……うそだ。私が、あの時たしかに!」
ふわふわで、ふさふさの大きなからだ。
ろくにんはそれを、けるぬんのす、と呼んでいました。
「ああ、嘘だとも。あのお嬢さんが作り出した再現に過ぎないさ。その力と質量は本物だけどね」
ひょうたんから駒、嘘から出たまことってやつさ。それが偽物だろうがどうでもいい。絶対的な悪性を宿すのは変わらない。
いのちを吹き込まれた獣神が、視界いっぱいに無数の黒い腕を伸ばした。
「っ、どうしよう、このままじゃ……」
「うーん。どうやら僕たちは、眠れる獅子のしっぽを踏んづけてしまったようだね」
飄々とのたまうオベロンに、少女は半ば涙目でぶちギレる。
「もう、オベロンはなんでそんなに余裕そうなんですか! 何か秘策があるならさっさと、」
『───ン』
『──オベロン』
魔力のパスを通して響く、希望の声。
『オベロン、どこにいるの』
「はぁ」
オベロンの空色の瞳がすがめられた。
『しぶとく生き残るのだけは得意』ってきみの言葉は、本当だったなあ。ああ、やっとか。遅すぎるよまったく。
白い外套をはらって、腰を折る。芝居がかった仕草で呪いの厄災へと告げた。
「素敵なお嬢さん、この物語を終わらせたあとに、かわりのお茶会でも開こうじゃないか。あいにく、消費されるのは嫌いでね。夜のとばりが落ちきったのなら、朝のひばりを鳴かせれば良い。そうすれば、」
濁ったピンク色の空に亀裂が走る。深いふかい結界の底から、上空をふりあおいだ。
「おのずと太陽が昇ってきてくれるはずさ。ほら、主役の登場だぜ──立香?」
すべてを照らす、まばゆい光。
淀んだ空間を裂いて現れたのは、オレンジの髪と澄みきった夕焼けの瞳だった。
「オベロン、みつけた!!」
衝撃がないように、背中と膝裏に手を添えて受けとめた。オベロンを見上げて、少女は弾けるように笑った。まばゆさに目を細め、柔らかな体を抱きしめる。
「やあ、ずいぶんと楽しかったようだね。マスター?」
傷だらけの肌を確認し、そっと首筋の赤い跡をなぞる。
「へへ、おまたせ。戦いってこんな感じだったなあって思い出した。でも、ちゃんと無事に帰ってきたでしょう?」
「きみ、無事って言葉の意味知ってる?」
立香は眉の寄ったオベロンの額を、遠慮なくグリグリ指でほぐす。
「まあまあ。……ここ、ナーサリーの結界に似てるね?」
ちょっと前世とは違うけど、と何でもないようにつぶやく。瞬時におおまかな状況を把握してみせたのは、さすがと言うべきか。冷静かつ楽しげに、立香は笑ってみせる。
「鬼ごっこかぁ。逃げる役は飽きちゃったから、今度は私がつかまえる番だよね? オベロン、手伝ってくれる?」
やはり、お日さまのような少女がいると、こんなときでも安心感が生まれるもので。妖精王は皮肉げに言ってやる。
「やだなあ、きみは僕のマスターなんだから、気負わず堂々と命令すればいい。なに、これでも王さまだったからね! 主従関係については分かっているとも! ようはあれ──」
「『責任をおっ被せるってことだろう?』とか、オベロンなら言いそう」
「……」
目を丸くしたオベロンにふふっと笑うと、立香は横へ目線を向ける。
「アルトリア」
「!」
様子を見守っていた杖の少女は、ぴくりと肩を跳ねさせた。立香に正面から会うのは前世ぶりで、いざ目の前にすると言葉が出てこない。
かつてのように。
揺らがぬ意思を持つ瞳が、少女を見据えていた。
今は、あなたのマスターじゃないけれど。
「あなたの力を、もう一度だけ貸して欲しい」
きょとんとした予言の子は、満面の笑みで杖を握りしめた。
「もちろん! 妖精國での借りは、まだまだ返しきれていませんから!」
「……へぇ」
意識を引き戻すように、少女の髪を一房すくって口づける。オベロンは薄っぺらい笑みを浮かべた。ああ本当に、きみはどこまで擦りきれた生き方をするのか。
「……やっといつもの調子が出てきたんじゃないかい? 前世のきみらしくなってきた! よおし、僕も一肌脱いで、頑張るぞー!」
「うん、そうだね」
少女はきゅ、とグローブを引っ張ってはめなおした。
たくさんの異聞帯を踏み越えても、滅ぼすための物語は今世まで終わらない。自然と口角がつり上がる。すべては、聖杯戦争で生き残るために。
「それじゃ、始めようか」
もう一度、