悪役を与えられた藤丸立香が聖杯戦争でオベロンを召喚する話 作:凛夏ナツ
「ンンンンン、いやはや、困りましたなあ。拙僧のマスターが居なくなってしまいました。これでは聖杯戦争の続行など不可避」
自分のマスターが目の前で殺されたというのに、道満の表情は変わらない。むしろ、楽しんでいるようにも思えた。長い爪が式神を挟む。緑の紅をひいた唇が祝詞を紡いだ。
「『陰は陽に転じ、五行来たりて水星へと走らん』」
道化の背後の空気が歪むと、光の粒が集まって人体が再構成される。宙に揺蕩う銀の三つ編み、アクアマリンを思わせるドレス。先ほど間違いなく殺されたはずの幼い少女は、あどけない表情で首をかしげた。
「ああまるで、長い夢でも見ていたみたい。道満おじさま、一体ありすはどうしていたのかしら」
「な、」
「眠っていたので御座いますとも。ありす殿」
目を見開く立香たちを他所に、道満は穏やかに微笑んだ。
「何せ、拙僧が電子の海から拾い上げて構築しなおしたプログラムですからなあ。
朝の訪れはまだ来ない。少しの動きではりつめた均衡が崩れそうな中、道化の話は続く。
「拙僧が何故、冬木全域に届く陣を組んだのかご存じで? もちろん、彼の平安の世の再現に他なりませぬ」
血風
などと。
「嘘にございます」
「へ?」
思わず立香の目が丸くなる。
「まあ、何と申しますか。つい一昨日の夕刻まではそのように想っていたのです。 ええ、ええ、本当ですよ? なのですが、まあ。やめました」
「何がしたいんだお前」
クーフーリン・オルタの呟きにも、大きな口元をつりあげる。身体を震わせて浮かべた笑いにあわせて、ちりちりと鈴が鳴動した。
「ンンン。正に! 正論!! 拙僧は何のために、何を成すべきだったのでしょう」
それすなわち、
「──面白いから、にございます」
快楽主義で、刹那主義。享楽的で独善的。
ただ愉悦を得られる展開を探し、その方向へ流れるだけ。平坦で安泰な物語にノイズを与えて試練をつくり、眺めて愉しむ。それこそが拙僧の役目。瞳孔の開いた瞳で、男は声高らかに呼ばう。
「既に術式は起動した。敷かれた陣は魔力を吸い上げ、一晩もあれば発露に至るでしょう!」
意味するのは、宝具の展開。
怨霊、
そして、この記憶を口に出来るということは。
「きみ、は」
数メートル先の男を見上げ、片手を伸ばす。
リンボでも、生前の蘆屋道満でもない。二人分の記憶を併せもって、立香が前世でカルデアに喚びつけた存在。長き旅路を共に歩んだサーヴァントのひとり。忘れるわけがない。
「きみは、カルデアの道満なんだね。……憶えてるんだ?」
ちりん。ちりりん。
道化は我が意を得たりと頷く。
「ンン、いかにも。拙僧はアルターエゴ・蘆屋道満として召喚されました。記憶についても言うまでもなく。輪廻が一つ廻ったくらいで何をおっしゃいますやら。『地獄の底までお供致します』そう申したはずですぞ。
一歩踏み出して少女との距離を詰めると、爪の先を立香の心臓に突きつけてささやく。白みだした空を背に、巨大な影が少女を飲み込むように覆い尽くした。
「此度の聖杯戦争の勝者は決まったようなもの。ンンンンン勿論、愛しき貴女が求めるのであれば、拙僧は従順にいつまでも、お待ちしておりますとも。一言仰って下されば良いのです」
お会い致しましょう。陣の中心。──零れて溢れた、ゆめの、狭間で。
道化の巨体が、肩口から斜め下にかけて切り裂かれる。 下半身と生き別れになった上体が、ケタケタと笑い声をあげた。余裕があるところを見るに、式神だったようだ。
「皆さま、諸共に巻き込まれて頂きましょう。おぞましい悪鬼どもの
言うだけいって、道化とそのマスターは消えていった。オベロンが、目の前で鋭い鎌を振るって付着した血を飛ばす。
「……まったく。やあ、無事かい?」
「……」
立香は壁に突き立った呪いの槍を見つめた。
良かったような、悪かったような。はたまた何も感じられないような、複雑な心境だった。けれど、一番心を占める感情は。
柔らかな慈愛を湛えた空色の瞳が、身を屈めて立香を覗き込んだ。眉を下げて心底悲しそうな表情が、目の前にある。
「哀しいねえ、マスター?」
さらりと大きな手が夕焼けの髪をすく。
小さな子を英霊に殺させて。自分はなにも出来なくて。つらくて、息が出来ないだろう? 足元がおぼつかないだろう? でも幸い、
ぴたりと内心を言い当てて、空色の瞳が優しげに細められた。
「こんな悲劇を強いる世界なんて、きみには不要なものだと思わないかい?」
「……そんなの」
ふわりと秋の森の匂いがして、ぼんやりと頭が
「……いらないって思ってるのは、オベロンの方でしょ」
人も妖精も英霊も、呪われたブリテンも。
全てが気持ち悪いから、汎人類史ごと滅ぼしたいと思っているのは。
「私があの時、何のために妖精國と君を倒したと思ってるの」
オベロンは大げさに目を見開いて、おどけてみせた。
「おや、地雷をふんでしまったかい? でもきみは考えたはずさ。なんで今回も見殺しにしなければならないのか、ってね」
赤いものが滴る少女のこめかみに口づけながら、華やかに微笑んで告げる。
可哀想なマスター。
人類史を救うためならば、どれだけ自分が不幸になってしまおうが大胆な方に踏み出せる。踏み出してしまう。
……ぼくならできるよ? あのいけ好かない道化だって、奈落の底に真っ逆さまだ。きみはあたたかな夢の中で、幸せに漂っていれば良い。明日への希望を失ってしまえば、後にのこるのは失意と永遠の終わりのみ。
白い終末が立香を腕に閉じこめて、優しくわらう。
耳元で、ささやいた。
「命じなよ。『滅ぼせ』と。こんな世界なんかいらないと、一言告げるだけさ。もう疲れただろう?」
分かっておくれ。ぼくは立香を心配してるんだ。
心底少女を思いやる声音が、頭の芯に絡みついて心を揺さぶる。雪のように真っ白な外套は、立香の視線が及ばない背中だけが、ベッタリと赤黒いナニカで汚れていた。背に回されていたオベロンの手が夕焼けの髪をさらえば、血濡れの指先が微かに赤い跡を残す。静かに手の甲の令呪をなぞった。
ほら。その方が、きみにとっても楽だろう?
きみは責任を感じる必要もない。
誰もきみを責めない。
なぜなら、彼らは既に失われているのだから。
目の前で見殺しにしたあの子は。今まで見捨ててきた人々は。きみを責める人類は、きみが知っていた人々は、とっくの昔に綺麗さっぱり消え失せているのだから。
──ただ望み、ただ願え。
「ほら、りつか」
肩を掴み、ぐっと綺麗な顔が近づく。
ただ一言命じろと、雪のように可憐な笑顔でオベロンは迫った。有無を言わせず、逃げることを許さない。分かっていて、口答え出来ないようにそう演じているのだから。性急に問い詰められて心の定まらぬまま、少女は口を開いた。
「私は……」
ふいに、後ろからざり、と足音が近づく。ズカズカと怒らせて踏み鳴らしたブーツが、オベロンの膝裏にローキックをかました。ついでに頭にも一発。
「──ったぁ!?」
打撲音。
ボコリと鈍い音を立てて、さらさらの金の髪が地べたにしゃがみこむ。夢から覚めたように、はっと立香は我に帰った。
「なに調子こいてるんですかオベロン」
氷のように冷たく、低い声。杖の少女は珍しく、かっと湖面の目を見開いていた。やーばい、これはダメだ。荒ぶっていらっしゃる。恐る恐るフォローをしようと立香は声をかけた。
「あああ、アルトリア。顔こわいよ?」
「立香はちょっと黙ってください」
「……あ、ハイ」
すごすごと立香が引き下がったのを確認すると、少女は般若の顔でオベロンを見下ろす。
「ちょっとした
「心外だなあ。僕はマスターのことを思って、」
がつん。
痛そうな音を立ててもう一発、王冠を被った頭に鉄槌が落とされる。尖った王冠の先が食い込んでる? 知るかそんなもん。涙目のオベロンが、頭を押さえて恨みがましくアルトリアを見上げた。
「きみ、手加減ってものを知らないのかい?」
「奈落の塵カスに返していないので、まだ優しいと思うのですが」
麦穂のようなツインテールとマントをひるがえして、少女は振り返った。
「立香」
きょとんと立香は首をかしげる。夕焼けの少女の体は不自然なほどに綺麗だった。呪いの裂け目に飛び込んだというのに、ほとんど外傷を負っていないように見える。
「どうしたの、アルトリア」
ありすの結界は妖精國ブリテンの記憶を抽出したもの。お話はあくまでおはなし。絵本のページを閉じればおしまい。頭の中だけの世界だ。苦しいのは、心だけ。
言葉を選んで口を開いた。
「立香は、サーヴァント達のことをよく理解していますから。結界の仕組みを分かっていたからこそ、『死にはしない』と飛び込んだのかもしれませんが……」
夕焼けの少女を諌めつつ、後ろでオベロンの笑顔が更に深まるのが見えた。口のはしが引きつり出している。先ほどから、彼に至っては世界を滅ぼしかねない勢いで立香に詰め寄る始末だ。
……オベロン、怒ってますね。相当頭に来ているみたいです。まったく、止めなければどうなっていたことか。このあと目の前の少女が酷い目に遭わないか、アルトリアは無性に心配になった。
「あの結界の中で受けた傷や呪いは、そのままあなたの心の傷です。どうか、忘れないで。オベロンも、頭を冷やしてください」
ねじれた言葉でいたずらに立香を傷つけたいのか、と暗に含ませた。虫の舌打ちが響く。
「ありがとう。心配かけちゃったね、ごめん」
「セイバーとそのマスターも探して、帰ろうか。魔力がスッカラカンなんだから、ちゃんと休息をとろうね、マスター」
薄っぺらな言葉に背中を押されて、歩きだす二人。
「……」
表の声とは違った
オベロンはああ言ったけど、立香の魔力回路、ちゃんと魔力が循環してる。全然スッカラカンなんかじゃないし、むしろ……。
「……気をつけて、立香」
などと言っても、あなたは真っ直ぐに彼を信じて、進み続けるのでしょうね。杖の少女の呟きは、誰に聞かれることもなく朝もやに溶けて消えた。
◇
「さァ、じゃんじゃん食ってくれよ!」
昆布と鰹でしっかり出汁をとった豚汁。ピリッと胡椒が効いた新鮮なトマトとレタスのサラダに、ごろっとした里芋の煮付け。鯛の活け造り。
凛の家の食卓に並べられたのは、壮々たる料理の数々だった。ふわりと漂う匂いに腹を鳴らし、立香は瞳を輝かせる。
「か、懐石フルコース……!」
「んな大層なもんじゃねェ。儂を褒めても何も出ねェよ、ただの家庭料理だ。嬢ちゃんはジジイをおだてるのが上手いねェ」
などと言いながら、立香の前に手作りだという杏仁豆腐やぴかぴかした桃とオレンジの砂糖漬けが追加される。照れながらも何かしら、しっかり出てくる所が村正クオリティである。さすがおじいちゃん。
じゅるりと溜まった唾液を飲み込む。もう待ちきれない。
「うぅ、頂きます!」
出汁が染み込むまで煮込まれたつやつやの里芋に箸を入れると、すうっと通って割れる。ふわりと湯気と食欲をそそる匂いが立ちのぼった。たまらず一口、かぶりつく。とたんに落ちた衝撃に固まった。
「おいひい、美味しすぎる!!」
夕焼けの瞳を細める。ほっぺたが落ちるとはこの事か。ほくほくだし、噛めば噛むほどじゅわっと旨味が溢れてくる。カルデアでもたまにしか食べられなかったおじいちゃんの料理、最高。
「なるほどね、あのデカいピエロ男に届く前に、そのマスターにしてやられたってワケか……。セイバー、私もおかわり!」
「ほいよ」
デカいピエロ男とは、恐らく道満のことである。
差し出された炊きたてほやほやのシジミご飯を、むしゃくしゃしたように深海の瞳の少女が頬張った。潮の香りと深い味に思わず目もとを緩める。
あれから、凛たちが少し離れた場所で倒れている所を発見し、連れ帰った。目立った外傷もなく、なんでも『夢でもみていたかのような』気分だったそうで。
クーフーリン・オルタとアルトリアの二人とは、あの場で別れた。『いつでも俺を呼べ』『はっ、あちらからマスターの気配が!』とそれぞれ別の方向へ消えていった。ついでにホームズの姿もなかったことを記しておく。
「こら兄ちゃん、まだ残りはあるから焦らず食え」
「……ん」
置かれた茶を一気飲みしたオベロンが、フォークを鯛の刺身に突き刺して食らいつく。黒い外套を放り出し、白い洒落たシャツに醤油が跳ねるのもかまわず咀嚼していた。よっぽど気に入ったらしい。
「『陣の中心』で会おう、そう言ったのよね? なら、冬木市の中央ということで良いのかしら」
「そうだと思う」
立香は豚汁に手をつけながら、壁に貼られた地図を見やる。中心にほど近い場所には、[[rb:柳洞寺 > りゅうどうじ]]という寺があった。巨大な山門を構えた、由緒ある寺だ。
「奇襲……は無理そうだから挟み撃ちかしら」
これから何をどうする、などと話さなくても、冬木を破壊しかねない脅威である、彼の道化を倒すことが暗黙の了解となっていた。互いに聖杯を巡って争うのは、その後だ。
オベロンは鯛の刺身が盛られた皿をぺろりと空にしていた。無言で黙々と食べていた辺り、彼の感想も分かるというものだ。
「デザートにメロンのタルトも用意したんだが、いるかい? お前さん好きだろう?」
「いる」
村正の声に、間髪入れずに虫の返事が返る。刀鍛冶を見上げる曇天の瞳は、さながら待ちきれない子どものように輝いていた。
「あいよ、ちょっと待ちな」
いそいそ給仕する村正が、何故か一番嬉しそうである。各人にお茶をつぎ足し、新しい皿を出して、食器を引き上げる。
「いやあ、いい食いっぷりだ! 若人ってのは景気がいいねえ!」
綺麗に空になった皿を山と積み上げ、台所へ引っ込んでいった。
◇
満腹になったあと。客室の扉を開けば、ベッドの上に黒い塊が寝転がっていた。しかも、何やらカチャカチャ音がする。
「……そこ、私の場所では? 部屋貰ってたよねオベロン?」
声をかけても反応はない。
どうやら、メロンタルトを食べているらしい。シーツにポロポロと、バターがたっぷり練り込まれたタルト生地の欠片が落ちる。これは掃除が大変そうだなあと思いながら、シーツごと引っ張って床に落としてやろうと踏み出した。
「あ、」
普段ならそんなことはないのだが、今回に限って何故か身体が重かった。心なしか頭もぼんやりする。歩みの鈍くなったつま先が、入り口のわずかな段差に引っかかった。前のめりに身体が傾く。
まあ、このまま倒れても顔面からぶつかるだけだし……別にいっか。ここ、ふわふわのカーペットまで敷いてあるし。受け身をとるのもめんどくさい。
「ぐえ、」
「受け身くらいとれ。やっぱりバカなの?」
がくりと襟首を掴まれて首が締まった。そのまま背中から引きずられつつ、立香を捕まえた足音がベッドへと向かう。適当にシーツの上に投げ出されて、ようやく相手の顔を捉えた。
「首締めてるバカはそっちじゃん! この雑な扱い、やっぱりオベロンだ」
「一言多いんだよ。さて、言い訳を聴こうか?」
どこか疲れきったように少女を見下ろしたオベロンは、ため息をついた。立香は前世から変わらない、全く同じ議題で説教をされているので慣れたものだ。へらりと頬をかいた。
「いやあ。死にはしないからいいかな、みたいな?」
「こっちが聞いてるのは、何でありすのニセの妖精國で無茶したのかってことだよ。そういうところが気持ち悪いんだけど?」
だーかーら。カーペットに突っ込んだことじゃない。誤魔化さないでさっさと答えろ。睨めばベッドに仰向けになった少女は唇を尖らせた。
「オベロンだって嘘つきのくせに?」
「きみ、俺の在り方を理解しながらそれを言うのか。さては、マスターの矜持とやらを忘れたんじゃないの? 新しい人生を楽しんでるようで何よりだよ」
虫の黒銀の髪が、呆れたように揺れる。それを見てとった少女は不満げに足をバタつかせた。
「む。オベロンはずっと前からの付き合いだし、信頼してるし、ちゃんと好きだから言うんですぅ」
「……」
オベロンは無言でこめかみを押さえる。
人が黙って我慢していれば、こいつはのうのうと。立香の人たらしには、長いこと頭を悩ませてきた。それこそ前世から。あっけらかんとライクの好意を示しながらディスるとは、少女も器用なことをするものだ。
「オベロン?」
見上げれば、虫は立香の寝転ぶベッドに乱暴に座る。片手を引かれて起こされたかと思うと、ぽすりと腕のなかに収まっていた。脈絡のない行動はいつものことなので、立香はされるがままに後ろに寄りかかることにする。頭に顎を乗せられて、ぎゅうぎゅうと長い腕が立香を締めつけた。
──『お会い致しましょう。──零れて溢れた、ゆめの、狭間で』
道化の言葉を思い出す。ゆめの狭間とは、どういうことだろうか。
そもそも何が溢れるって? 道満はオベロンみたいに夢に関する魔術は使えないはずだけど……陰陽師だから出来たりするのかな? 考えているうちに眠たくなってきて、くたりと身体の力が抜けた。なんとなく体調が悪かったのも手伝って、あっさりとまぶたが閉じかける。
しかし。視界に入ったあるものに、立香の意識は覚醒した。
「あ。オベロン、タルトふた切れも持ってる! 私にも頂戴!」
先ほどまで彼が食べていた、村正お手製メロンタルト。ベッドを散々汚して食べてくれやがったのだ。もらってもバチは当たるまい。デザートは別腹なのだ。
「やだね」
「へへん、なら勝手に貰っちゃお」
反応は読めていたので勝手にサイドデスクへ手を伸ばしたが、背後の腕がいち早く置かれた皿を取り上げる。
「もう、くれてもいいじゃんかケチ」
しょんぼりと後ろのオベロンに寄りかかれば、口もとにフォークが差し出された。
「ん」
「……え? くれるの?」
「…………バカだな」
きみはまた、なんでも簡単に欲しいものを手放して。このくらい、我慢するものでも無いだろうに。
小さな呟きは、少女には聞こえない。
「え、ほんとに?」
上を見上げれば、そっぽを向いて無言で唇にタルトが押しつけられる。いつもなら見せつけるように全部食べてしまう、あの食い意地はったオベロンが、珍しい。明日はきっと雨だ。気が変わらないうちに、ありがたく頂くことにした。