悪役を与えられた藤丸立香が聖杯戦争でオベロンを召喚する話 作:凛夏ナツ
◇
夜なのに、太陽があった。
宝具の顕現。冬木の空を赤黒く染めあげ、今にも降ってきそうなくらい巨大な天体。呪われた惑星。いいや、降って
呪われた炎のなかで。不気味な烏帽子を被り、黒の着衣がゆれる。炎獄の中で道化が組んだ手を振り上げた。
「ンンンンン、我が名は
太陽を背にして地上を見下ろす黒い人影の正体は、一つ目の怨霊・
ヒトは生きながらにして魔性のものに生まれ変わり、ただ置き換わり、変換される。周囲に湧き出すのは、人の死肉を漁る食人鬼。つかみ、引きちぎり、悲鳴が上がるのもお構い無く頭から食らいつく。
端的に言って、地獄だった。
「ンン、貴女の新たなる目覚めにふさわしい舞台を、ここに!」
燃えて、燃えて、燃えてしまえ。
お前たちが悪鬼羅刹とさげすむ呪いを、自ら唯々諾々と受け入れてお仕舞いなさい! 醜悪なる炎に巻かれてしまえ!
全てを燃やし尽くさんと黒い炎の波が迫る。
みるまに動けぬ立香にまで襲いかかり、
──眼前に衝撃が突き立った。
それは、巨大な盾だった。
十字架を模した、とある英霊から力を丸ごと譲られたゆえあるもの。頑強にして最強なる、前世から夕焼けの少女を護り続けた守護の盾。
それを構えた小柄な背中に、炎は侵攻を阻まれた。
脳裏で重なるのは、終局特異点で最期まで立香を護りきって消えた、あの時の光景。彼女が振り向く。大きな紫紺の瞳と涼やかな声が耳を打った。
「聖杯戦争のマスターとお見受けします。無事ですか、そこの方!」
頭で分かっていても、息を飲んだ。
また、今世でも会えた。聖杯戦争の争うべき敵として出会ってしまった。人理の焼却から始まった、二人ぼっちの道のり。何もかもを乗り越えて支え会い、ここまでこれた。
紛れもない、あなたは。
「……マシュ」
呆然と呟けば、桃色の髪の少女は首をかしげた。
「はい、確かに私はマシュ・キリエライトですが……あれ?」
ぽろぽろと温かいものが頬を伝う。
驚き半分、悲しみ半分といった顔で、桃色の少女は曖昧に笑ってみせた。
「あれ……あれ? おかしいですね、すみません。何故でしょう……」
不意に背後の茂みがガサゴソとゆれる。
「ぼんやりしてる暇は無いですよ、マスター!」
藪の中から飛び出してきた選定の杖が、光の刃を放つ。道化の方へ飛んで行くと、呪符に相殺されて爆発した。
「アルトリア、どこから!?」
「もちろん、山のなかを突っ切って来ましたとも!」
野生児よろしく得意気な顔をしたキャスターは、立香の問いにえへんと胸を張ってみせた。しかし、すぐに表情を曇らせる。おろおろと少女の前に屈みこむ。
「立香、その魔術回路の暴走はどうしたのですか!? 肉体の構成元素も変質しかけてて……うわあ、どうしようこれ、どうしたら……」
「あはは……大丈夫だよ、アルトリア……」
「そんな真っ青な顔でバカ言わないで下さい!」
「マシュとアルトリアが無事なら……それで……」
前線では未だ、村正とオベロンの二人がかりで戦闘が続いている。涙をぬぐい、マシュが再び盾を構えた。
「キャスターさん、その方の治療をお願いします。私が前に出ます。出来る範囲で構いませんから」
『先輩』
夕焼けの少女はマシュの背中を見つめる。
「……マシュ」
少女を聖杯へ造りかえんと、赤黒いひび割れが頬に走った。じわじわ思考は加速して、るつぼに嵌まっていく。
少女の心に泥がつけこむのは、正義感にあふれた
まだ、まだ、こんなところで終われない。簡単に死んでなんてやるものか。後輩のまえでくらいは、カッコ悪いとこ見せたくないよね。まけたら、だめなんだから。
立香は、にやりと笑んでみせた。激情で噛み締めた唇から鮮血が滴る。前を見据えて静かに告げた。
「……道満。君には私が、聖杯の泥なんかに屈する奴に見えるのかな?」
道化の瞳が見開かれた。
カルデアで私と旅を共にしてきた、君が? 数々の危機を見届け、心の闇につけこんできた、君ともあろう陰陽師が?
『行っておいで、立香ちゃん』
優しく、呼ばれる声がした。
あれから、随分と時間が経ったのだ。手元に写真も残っていない。彼の顔は、どんなだっただろうか。匂いは? 医務室のアルコールの臭いなら、覚えているけれど。かすかに記憶をよせるのは、毎回レイシフトでケガをする度にぷりぷり怒りながら手当てをしてくれた、あの声。
「……ロマニ」
地面についた両手で砂利を握りしめて、唇を噛む。
「……私はさ、」
はじめは、ちっぽけで弱かった。
すぐに屈して負けてしまいそうなほど、どうしようもなかった。いつ折れるとも分からない、危うげな脆さ。特異点Fの炎に怯え、オルレアンで巨大なワイバーンの爪と牙に恐怖した。
「みすみす悪用されるのが見えていて、闇を受け入れるワケが無いでしょう?」
それから、時が経った。
人理の焼却に耐え、魔術王の終局を越えて、世界の漂白に抗い、神話の海を乗りこなして、失意の庭すらも破って奈落の底から這い出してみせた。
普通じゃないことを経験して、普通であること。
健常であろうとすること。
完璧で強靭な精神力を
それこそが藤丸立香の異常であり、狂気であり、日常の前では蓋をして押し込めなければならない唯一の取り柄。
「心の我慢比べなら、負けないよ。負けるわけがない」
黒い雷は勢いを増して、夕陽の髪を天へと巻き上げる。やっぱり君は、肝心なところで抜かったね。絶対に堕ちてなんてやるものか。
「
ハッタリ半分、見栄っ張り半分。ぱちりと立香の周囲を電光が弾けた。熱くなってぼやけた視界の向こう側で、アルトリアとオベロンが叫ぶのが見える。
「ダメです立香!」
「マスター! きみ、魔術回路を焼き潰すつもりか!!」
だめ?
そんなの、しらないよ。かたなきゃだめ、なんだから。
黒い影が蠢いて、少女を覆い尽くす。
細いゴム性のチューブを溶かして、熱で空洞をくっつけるように。完全に魔力の通り道を塞いでしまえば、聖杯との繋がりは切れるはず。器としては使い物にならなくなって、下手すれば立香自身もこと切れるだろう。もともと持っていた魔力なんて微々たるもので、使えなくなっても問題ない。あとはまあ、私の信頼するサーヴァントがどうにかしてくれると信じて。
「あれ?」
気づけば視界は、真っ暗だった。
……ああ。わたしはなんで、こんなことしてるんだっけ。なんで、たたかってるんだっけ。
ここでまけちゃ、だめなことだけは、わかる。じんるいのきたいを、せおってることだけは、おぼえている。
ぜったいに、かたなきゃだめ。まけたらだめ、まけたらだめ。かつためなら、なんだって──
「ふふっ、あはっ、ごめんねオベロン! あとよろしく! ってことでぇ……」
黒雷が夕焼けの髪に絡んで広がる。
もはや、思考のブレーキが効かなくなっていた。ピンチの時のアドレナリンよりひどい脈動が身体を駆けめぐる。表面上は意思だけで抑えこめても、今この瞬間、確かに立香は狂っていた。ハイになった笑顔で叫ぼうと手をかかげる。
「……んむぐ!?」
最後の令呪、私の全てと引きかえに持っていって! と唇に乗せようとして、立香の口が手のひらで塞がれた。みれば、アルトリアがすがりついている。ほそい腕が必死に立香を抱きしめた。
「ダメです! ダメったらダメ!! 行かないでください。……そんなことしたら、今度こそ立香は本当に耐えきれなくなっちゃいます! だから今は冷静に! こらえてください!!」
「……ぁ、」
死にたがりもいい加減にしてください! そして、私の応急処置を大人しく受けて下さい!
涙目で叫ばれて、ようやく座り込んだ少女は自分が正常な判断を手放していたことに気づいた。震える腕をのばし、ゆっくりとアルトリアの背をさする。麦帆の髪が、項垂れるように地面にへたりこんでいた。
「あ、……ご、めん。あるとりあ。……ごめん」
「分かれば良いんです。何度でも立ち上がってしまう、そんなところも貴女らしいのですから……ぐす、」
ぐずりながらアルトリアは杖をかざす。赤黒い夜の闇のなかで、柔らかな光が立香を包んだ。
「魔術で痛みとだるさを誤魔化しました。歩く程度は問題無いはずです。同時に回路の遮断も。わざわざ破壊しなくたって術はいくらでもあるのですから、ちゃんと相談してください」
さっきの無茶で半分回路がダメになっているのですよ! ばかぁ! ぽろぽろと湖面を思わせる瞳から雫がこぼれる。とうとう泣かれて、立香は困ったように少女を抱きしめ返した。
「……ん、ごめん。ありがとう」
「その言葉は、オベロンに伝えてあげてください。私たちがかわりにサポートに入りますから」
言うなりがばりと立ち上がると、戦闘へ突っ込んで行く。道満、覚悟しろぉー! なんて雄叫びを上げて、にらみあっていたオベロンと道満の間に割って入った。
道化が村正とアルトリアの二人を相手取っているのを観察していると、夕焼けの少女の前に一陣の風が吹いた。血で汚れた黒い外套が、無言で目の前に立っている。
「オベロン」
「……」
呼びかけても微動だにしない。
両手を広げてみせれば、ようやくのろのろとしゃがみこんだ。腰に手が回って引き寄せられ、首もとに重みがかかる。さらさらの柔らかい髪の感触が肌を撫でた。
「ごめん」
「嫌だ」
熱くて柔らかいものが、首筋に押しつけられた。
顔を埋めたまま、ささやき声が話す。意外と広い背中に手を回して、優しく撫でた。
「ごめんって」
「誰が認めるかよ」
ぽつり、と冷たいものが落ちてくる。瞬く間に降りだした雨は、オベロンの頬を濡らした。
魔力回路を焼くということは、サーヴァントとの契約が切れたも同然。きみってやつは、そんなことにも頭が回らなかったのかい? くらいは言われるかと思ったのだが。
静かに虫は少女を抱きしめるばかりだ。
「アルトリアのお陰でだいぶ楽になったんだよ。すごくてね、もう頭に声が響いたりしないんだ」
「限界が露呈しただけの間違いだろ。もういっそのこと死んじまえ」
なじる言葉には覇気がない。
抱きしめる力が強まる。冷えた手をとって指を組まれた。冷たい爪先がするりと立香の指先をなぞる。あんまりにもしょげているし、言葉を尽くしてもダメだった。困り果てた少女は、さらさらの黒髪に口づけを落とす。
「もう、死ぬような真似なんてしないから」
ぴくりと虫の体が震える。
「……」
あたかも戦うことが、自分の好きなように生きることだと決定づけられて。
逃げることすら赦されなくて。
きみの心は、どこにも行けない。
「…………そういうところが反吐が出るって、いってるんだ」
濡れた毛先が微かに震えていたのは気のせいだろうか。少女を見上げた曇天の瞳は、わずかに潤んで見えた。
◇
「わ、オベロン!?」
雨よけとばかりに雑に黒い外套でくるむと、ふわりと少女の身体が持ち上がる。立香を抱えたまま飛び上がり、後方の崩れた瓦礫の山に降り立った。戦闘を続ける道化を見下ろす。寺の境内だったはずの場所は、ただの更地になっていた。うつむいたまま、口角をあげてつぶやく。
「……はは、足場を作るのは得意なんだ。何せ、死骸は勝手に積み上がる。最後くらいは盛大に奉ってやろうじゃないか」
道化が目を見開いて叫んだ。
「無様、無謀、無為、無駄、無益ィ!! 全てを使いきったあなた達に今さら何が出来ましょうや!」
滅びゆく街を嗤う道化。ただ崩れていく冬木。湿り気を含んで重たくなった風が、少女を抱いたオベロンの髪を揺らす。
「……そうだね。よく『後の祭り』と言うだろう? まったくもってその通りだ」
虫は表情を変えず、ただ有るがままを呟いた。視線を上げる。つられて見上げたアルトリアの瞳が見開かれた。
「っ! オベロン、まさか」
「言っただろう? 全ては夏の夜の夢だと」
この空は、いつから黄昏に染まっていただろうか。
鮮やかな赤とイエロー、透き通ったオレンジに柔らかなピンク、優しげな紫。全部ぶちこんでごちゃ混ぜにした、蒼穹にも匹敵する遠い宇宙。
「……これでも、策を練るのは得意だからね」
オベロンは宝具を使えなかったのではない。
「ある意味立香が『欠片』を持っていて幸運だった。イレギュラーだらけの戦いだったから、これくらいはハンデがないとね」
無論、宝具の稼働に必要な膨大な魔力の源は、マスターである藤丸立香から。──正確には、藤丸立香と繋がった聖杯から魔力を引き出し転用した。
多少濁った魔力だろうが、使えるものは全て使う。道満が事件を起こして聖杯の目覚めと宝具展開の魔力を蓄えていたのに対し、オベロンは立香に埋め込まれた欠片の繋がりを利用して、聖杯そのものから魔力を得たのだ。
気づいた道化が叫ぶ。目を見開き、これでもかと口を開けて悔しげに吠えた。
「ンンンンン! この、外道めェえええええええええ!!!!」
「……っく、あはは! どの口が言うかなあ。裏切り者の反逆者なんて、俺には最高の褒め言葉だけど」
曇天の瞳が細められる。
何てったって、大嘘つきだからね。
オベロンにも、頬に歪なひび割れが出来る。宝具を展開し続けたツケが回ってきたのか、視界がチカチカと明滅した。泥が霊基を侵食し、思考さえも闇に沈めようと本来の人格を奪っていく。それでも宝具を止めることなんてしない。
「──待っていたよ、この瞬間を」
もう一度、世界を騙す時を。
企てをさらした道化が奥の手を出しきって、逃げ道という逃げ道が無くなるまで待っていた。確実に一掃出来るように、最後の最後まで機を伺って。逃さないようにタイミングを図ることなんて、散々やった。極めつけはブリテンで己の企みを阻んだ、決定的な大誤算の彼女。藤丸立香は、今や自分のマスターだ。これ以上のイレギュラーなんて考えられない。
ああざんねん、あっというまにこの街は、奈落の虫の腹のなか!
舞台装置は『冬木の聖杯戦争』を上演する。すべてが夢。どこからが幻? きみの目の前にあるのは、本当に現実かい? 眠りは避けられないものだ。誰だって、いつだって、夢くらいはみるさ。
──わかるよ、空想の世界のなかで、少しだけ幸福になりたいんだろう?
詠うのは、旧き妖精王の盟約。
「──さあ、『
朝のひばりが聴こえる。
オベロンが指を鳴らすと、一面の焼け野原が瞬く間に姿を変えた。舞台の幕を一枚はらったかのように、破壊された寺の境内が一瞬で復元され、焼け野だった土地に緑が生い茂って、倒壊したはずの高層ビルや電波塔が乱立する。赤黒かった空を押しのけるように、黄昏が傲然と彼方へ広がっている。壊された人も建物も、全てすべてオベロンが作り出して魔力で置き換えた偽物。
互いの宝具が拮抗したのは一瞬。残っているのは暗黒の太陽だけ。直ぐにそれも黄昏に圧し負け、飲み込まれて崩れ去った。
「束の間の繁栄、一夜の狂乱は楽しかったかい?」
道化を見下ろして、虫の口元が凶悪につり上がった。
隣人が鬼に変わり他人を食らう? 阿鼻叫喚の地獄だって? それはいい、命のバーゲンセールを始めようじゃないか! 今宵演じるのは、狂乱の
「ンンンンン……」
宝具は破られ、立香の聖杯化にもことごとく失敗した。道化は地面に丸まって、背を震わせていた。
「おのれェ……己おのれおのれおのれぇええええ!!!」
無秩序に呪符が辺りを飛び交い、あちこちで黒い炎が上がる。道化がかざした手のひらに、黒い光が集まって光線が乱射された。
「──ほう。そろそろ事件も終幕、というところかね?」
その悪あがきすらも、道化の背後から加わった打撃で霧散する。行使されるのはニホンの格闘護身術、バリツ。現れたベーカー街の名探偵が、くわえたパイプの先を道化へ向けた。
「無関係な一般人の殺害に、英霊による英霊の召喚支配、令呪の強奪。ルール違反と見なすには十分だ。──
「ンンンンン、かくなる上は……」
ぎりりと奥歯を噛み締めた道化が、何事か呪を唱える。どこからかどしゃりと地面に投げ出されたのは、人の形をした──
「……キャスターさん」
「……ええ。残念ですが、もう亡くなっています」
マシュがキャスターに問う。
それは道化が噂を使ってアビゲイルに殺させた、名も知らぬ魔術師の死体だった。痩せこけた肌。虚空を見る目。そこにはもはや、魂は宿っていない。
「ンン、そのまま取り込んでしまうと、拙僧がサーヴァントとして聖杯の養分にされてしまいまする。ですのでこうして、」
道化の姿がドロリと溶けたかと思うと、死体の指がぴくりと動いた。ぎろりと開いた黒曜石の瞳が立香を見つけ、唇からは愉悦を含んだ声がこぼれた。周囲の魔力を取り込んで、姿かたちが様変わる。仮面が外れたように元の顔が現れた。
「死体に憑いて半受肉状態になりますれば、拙僧でも核となり得ることは可能でございます。ええ」
瞬く間に膨れ上がった肉塊に取り込まれて、その顔も見えなくなる。聖杯と呼ぶには不完全。しかし、十分世界を滅ぼしたり得る脅威。滲んでこぼれた泥が、冬木の街へ這い出していた。
籠目、かごめ。
籠の中の鳥は、
策が失敗したのなら、自らを聖杯へ作りかえてしまえ。
肉体を同化させ、
ああマスタァ。もっと劇的で、より愉悦を誘う
「……はてさて」
新たに目覚めた拙僧は、