悪役を与えられた藤丸立香が聖杯戦争でオベロンを召喚する話 作:凛夏ナツ
夜の先へと伸ばした手は、空をかいた。銀の鍵と扉に飲み込まれたオベロンの姿はそこに無く。
光の奔流から目を開けた立香が立っていたのは、アビゲイルと最初にやって来た町外れの教会だった。生ぬるい夜風が頬を撫でる。
「アビー」
立香は教会の陰に溶け込むように佇む、小柄な少女を見据えた。
「教えてほしい。なぜ魔術師を殺してまわっているの? もしかしてマスターに命令されて……」
アビゲイルはクマのぬいぐるみを抱き締めた。頼りなげに視線がさまよう。悪いことをとがめられたように肩を縮こまらせた。
「いいえ、私の意思よ。確かに少しだけ、お手伝いをしてほしいとは仰ったけれど」
「私、ずっと寂しかったの。ラヴィだけがそばにいてくれた。……いいえ、いいえ、本当は分かってるわ」
ラヴィに、本物のラヴィニアに、会いたいなあ。ふたりでこっそりお菓子を分け会ったり、海辺で貝殻を並べてお互いの名前を描くの。……もう二度と、大切な友人に会うことはできないけれど。
「召喚されて、どうやったらラヴィニアに会えるのか、他の魔術師の方にも尋ねたわ。けれど、めぼしい答えは得られなかった」
……私を理解してくれたのはあの子だけ。
セイレムに悪魔が降り立った日、村の人たちはそんなもの見なかった、私を魔女だと罵った。方法を尋ねた魔術師たちも、分からないといったり、私を騙そうとしたり、おぞましいものだと罵倒したわ。
けれど、どこまでも浅ましく醜い人々よ。私を見る度に思い出せばいい。己の罪を知覚し、深淵を覗く痛みをもって救いと成しましょう。
「だから、覚えていてもらわなければ。痛みを以て。死の恐怖をもって。いつまでも忘れ去られないように」
黙って聞いていた立香は、ぽつりとこぼした。
「……私にも、会いたい人はいるよ」
いつだって医務室で私を迎えてくれた。私をマスターとしてではなく、一人の女の子としてみてくれた。最期は全てを引きかえにして逝ってしまったけれど。真っ直ぐにアビゲイルを見つめる。
「生きて進むことが、あの人に対して出来る私の唯一なんだ。だから、私はここであなたを倒す」
「……リツカは、忘れ去られてもいいとおっしゃるのね? それは、なぜかしら」
「大切な人たちがいるから。私に与えられたのは進み続けることだけだからね」
答えなどとうに決まっている。
だから、振り返ってる余裕なんてないんだよ。行くしかないんだ。
「そう。けれど、あなたはサーヴァントではないもの。抵抗出来ないはずよ。お友達なのだから、一緒についてきて頂くわ」
アビゲイルが静かに述べる。
立香は笑って、当然のように口にした。夕焼けの髪が風を受けて広がる。
「知ってるよ。私は何でもない、ただの人間だ。だから──来て、オベロン」
果たして。
立香の背後の空気が揺らぎ、空色の外套と金の髪が姿を現す。オベロンは気だるそうに立香の肩に寄りかかった。腕を少女の腰に絡め、目を閉じる。
「あぁもうウンザリだ。きみ、呼べば来ると思ってるだろ……」
「あはは、来なかったら令呪使うつもりだったよ。ぼろぼろだねオベロン」
からりと笑えばオベロンに掴みかかられた。
「あのねえ! どうしてきみはいつもいつも、危なっかしいことしか出来ないのかな!」
「いひゃい、いひゃいいひゃい!」
容赦なくほっぺたをつねられる。真っ赤になった頬をさすりながら抗議の声をあげた。ちゃんと戦闘の時には呼んだのに。一体何が気に触ったというのだ、全く。
「反省してないの、バレバレなんだけど。……おっと、お嬢さんがお怒りみたいだ」
アビゲイルのまわりには、立香を連れ去ったときとは比べ物にならない程の魔力と圧が渦巻いていた。碧眼がただ無感情に二人を見据える。
「おかしいわ。殺したはずなのに……」
人形の如く少女は首をかしげる。
会いたくても会えない、大切な人がいること。リツカとわたしはきっと、少しだけ似ているのね。でも、違うところもあるわ。リツカは強いのね。罪を重ねて過去に刻み続ける私と、重たい罪さえも全てを背負って未来へ走るリツカ。
「嗚呼、どうか、この手をとってもらえないかしら。私という罪さえも受けとめてくれないかしら。そしたらきっと、素晴らしいのに」
アビゲイルは、か細い手を黒天の空へとかかげた。風が逆巻き唸りをあげ、屋根瓦が吹き飛び、石畳がめくれあがる。
「誰にでも、手の届かない存在にすがりたくなることはあるわ。大いなる存在に身をゆだね、虚無の狭間にたゆたうの。夢は救いであるのだから。……ええ、いいわ。私が、セイレムの魔女よ」
歌うように告げれば、ぞろりと周囲に蛸の触手が蠢いた。立香は静かに呼び掛けた。夕焼け色が力強く輝く。
「……オベロン」
「なんだい、マスター?」
オベロンはふわりと微笑んで見せた。
その瞳で立香の考えていることなど分かるだろうに。もったいぶって素知らぬふりをした返答が返る。
「私のこと、後でいくら恨んでもいいからさ」
こちとら人理修復に加えて数多の文明を踏み潰し、ブリテンをも破滅させた極悪人だ。戦力は手負いのサーヴァントが一騎だけ。旗色が悪いのはいつものこと。
「ごめん、今からすごく無茶なことを言うよ。…………行ける?」
オベロンはせせら笑った。優雅な冠と蝶の羽を持ちながら、その笑みには世界を嫌う本性が透けている。片手を伸ばし、現れた槍を掴んだ。
「隠すなよ。いたいけな虫を狂気の扉に飛び込ませるなんて、さすがはマスター様だ。さぞかし楽しんでるんだろ?」
「……ああ、そうだね。とっても楽しみだ」
目を伏せ、拳をそっと握りしめる。
そう。私は聖杯戦争を乗り越えて、生き残らなければならないのだから。
◇
「──それで? 遊びは終わりかしら、王子さま」
血染めの冠が転がっている。
教会の敷地の一角。巨木の玉座に背をあずけ、物言わぬ虫をアビゲイルは見やった。幹には銀の鍵がいくつも突き刺さり、縫い止められた蝶の羽は無惨に引きちぎれている。うつむいた前髪の奥からは赤いものが滴り、純白の襟を染め上げていた。
「可哀想に。皮肉をおっしゃる気力すらないのね」
「…………」
力なく地面に打ち捨てられた指先がぴくりと動く。アビゲイルが何かに気づいたように首をかしげた。
「あら?」
ぐしゃり。
小さな手のひらで潰されたのは、スズメ蜂だ。刺されたというのに痛がるでもない。ただそこに邪魔な虫があったから潰したのだという、関心のひとかけらもない眼差しを少女は向けた。
「いけない人だわ。この期に及んで悪あがきはみっともなくてよ。もう終わりにしましょう。主に最後の祈りを捧げるといいわ」
「が、ぁッ……!」
湧き出た触手がオベロンの首に巻きつき締め上げる。両足が宙に浮いて、こぼれた血液が地面に水溜まりをつくった。
「分かるわ。この方は、リツカの大切な人なのね。優しい目でみているもの」
アビゲイルは手を差し出す。
「さあリツカ、一緒に行きましょう。大切な方が目の前で苦しむのは、心が痛いでしょう? 王子さまが消えれば、分かってくださると思うの。永遠に忘れられない、残されたものの悲しみを」
立香は静かに首を横に振る。
「行かない。アビーの会いたい人は、アビーの心の中にいる。寂しさは私を連れていっても埋まらないよ」
瞳孔の開ききった瞳がこちらを捉える。少女の白銀の髪が意思持つように動き、立香を覆うように広がる。無言で立香の方へと踏み出し、
「……ぁ、」
「っ、アビー!」
突如、膝から崩れ落ちた。
手から転がった巨大な鍵が澄んだ音をたてる。立香の足元に白銀の髪が散らばった。
呼吸が、できない。息がくるしい。身体の震えが止まらない。目の前が霞んで暗くなる。
「な、にを、したの……!」
アビゲイルは胸を抑えて背後をにらむ。首を吊られて沈黙していた虫には、何も出来ない筈なのに。
「……おや、刺されてしまったのかい?」
満身創痍。満足に動かぬ頭を意地だけで上げ、虫は凄絶に笑ってみせた。
「きみは、アナフィラキシーショックを知っているかい?」
それは、刺激に対する身体の防衛反応だ。
一度刺された時はまだいい。しかし、再度同じ毒が体内に入った場合は? 身体が過剰に反応し、毒に侵された組織ごと、自分自身を攻撃する。
拘束が緩んで地面に這いつくばったオベロンは、咳き込みながらも続けた。緩慢に口もとをぬぐう。
「あぁ、気をつけてー? 放っておいたら息が止まって、動けなくなってしまうよー? って、もう遅かったかな」
──でも、どうぞ、いつまでも忘れずに。
どんなに丈夫なお城でも、土台だけは変わらない。どんなに狂気に魅入られた少女でも、もとを正せばかよわいニンゲン。
「確かに、僕ではきみに勝てなかった。今の状態だって、足留め程度にしかならないだろうね。僕は周りを飛び回ることしかできない、簡単に踏み潰されてしまうような虫だから……」
世界が新しくなるほど大樹の根は古び、誰も知らないまま、このとおり。いつだってセイレムの魔女は、自分の背負った罪に苛まれていた。
「きみが、きみ自身を裁くといいとも」
恐ろしい冬の女王でさえ。神の巫女たる深淵の観測者でさえ。
その威光は取るに足りない、小さな虫のひとかみで崩れるのです。
◇
「やだなぁ……」
とある少女は部屋の隅っこでうずくまり、毛布を頭から被って震えていた。召喚されてからずっとこの調子である。が、べりっと勢いよく剥がされる。毛布を奪ったのはもちろん、彼女のマスターだ。布地の下から現れたのは湖面を思わせる碧い瞳。麦帆のような金髪があちこちに跳ねている。
「ほら、家にずっと引きこもっていては勝つものも勝てません! 今度こそ行きましょう!」
すがるものが無くなった少女は、今度は傍らの巨大な杖を抱きしめる。
「わ、私はいいんですう! 引きこもり得意だし! むしろその方がこのクラスの特性である陣地作成を発揮できるし!」
「もう、そんなこと言わないでください!──ほら、キャスターさんったら!」
「いーやーでーすー!!」
戦闘を嫌がるサーヴァントと好戦的なマスターがどこにいようか。ここ数日、マスターは怒るでも悲しむでもなく(若干キレてはいるが)、ただ少女を励まして寄り添っているのだった。
「幸いにも私の魔術は守護に特化していますし。私が守ってみせますから! ね?」
マスターはがん、と身の丈ほどもある巨大な盾を地面に打ちつけてキャスターをみる。意外と肉体派なのだ、このマスター。
「うう、ぐすっ……やだなあ、行きたくないよう……」
あまりにもキャスターが嫌がるものだから、マスターはおろおろと紫紺の瞳を揺らした。
「ち、チョコレートはどうでしょうか!? 帰ってきたらチョコレートパーティーです! 甘くて美味しくて……ほら、早くしないと私が食べちゃいま──」
「やります。私の魔術なんかでよければ、戦闘でも探索でもそれなりにお役に立ちましょう」
「キャスターさん……」
マスターの生ぬるい視線がさくっと刺さる。
本当にしぶしぶ、しょうがなく、どうしようもないから、諦めてキャスターは立ち上がった。チョコに釣られたわけではない。ほんとに。
とうとうキャスターさんがやる気に! と顔を輝かせるマスターを見上げる。
「貴女は、覚えていないのですね──マシュ」
彼女に召喚されて、すぐにこの地を探った。見覚えのある霊基もいくつか召喚されている。全く、知り合いと闘わねばならないとは。それでもブリテンに比べれば守るものがあり、使命もあり、何より私は私が誰であるのか答えを得ている。少しばかりマシなのかもしれなかった。
「はあ、でも私、本当に何にも出来ないんだけどなあ……」
「? 何かおっしゃいましたか、キャスターさん?」
「ううん、なんでもない! っていうか、キャスターでいいよ!」
「いえ! キャスターさんで!!」
「あー、こういうとこは変わってないよなぁ……」
生真面目というかなんと言うか。ぼやきながらキャスターはようやくマシュの手を掴んだ。
聖杯戦争、召喚に応えし最後の7騎目。
未だに沈黙を保っていた最後のサーヴァントとマスターが、遂に闇夜へと動き出した。