悪役を与えられた藤丸立香が聖杯戦争でオベロンを召喚する話   作:凛夏ナツ

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悪役を与えられた藤丸立香がオベロンと道化に邂逅する話

「ラヴィニア……私はまだ、終われな……」

 

 アビゲイルは苦し気に胸を押さえて喘ぐ。

 ヒュウヒュウと鳴る呼吸が少女の異常を知らせていた。しかし、それでも脅威は衰えることなく。額の鍵穴が禍々しく輝き、地面にへたりこんだ少女の頭上が歪んだ。解錠音と共に口を開けたのは、異界への門。恐怖を内包したそれが、今にも開かれんとして──

 

 ちりん。ちりりん。

 あたりに朗々と響いたのは、悪意に満ちた男の声だった。

 

「『自害なさい、フォーリナー』」

 

 途端、ずるりと触手が持ち上がる。刃を向けた己の眷属は、意思とは無関係に少女を貫いた。

 

「ぁ、」

 

 細い体躯が地面に叩きつけられ、微動だにしなくなる。解放寸前の扉が消滅し、吹き荒れていた風は収まった。後には不気味な静けさが漂っていた。場違いなのは、愉しげに袈裟を揺らす大男だけ。

 

「いやはや、なんたる享楽! なんたる愉悦! 素晴らしい最後でありましょうや。此度の茶番劇、大変面白おかしく見せていただきましたぞ、ライダー殿。そして、お初にお目にかかりまする、」

 

 教会の屋根の上から立香を見下ろしたそいつは、人を小馬鹿にしたような笑みを浮かべた。

 

「ライダーのマスター殿?」

「……」

 

 道化の姿には見覚えがあった。白黒の長髪に隆々たる巨躯、切り裂かんばかりの長い爪、携えた特徴的なヒトガタの式神。

 

 フラッシュバックするのは、彼に関わる記憶。下総の英霊剣豪の黒幕、地獄界曼荼羅ではその狂爪を立香に向け、カルデアに現界してからもたびたび騒動を起こしてはトラブルの火種になってきた。ここにきて、最悪の形でまた君と会おうとは。

 食いしばった歯のすき間から、声を絞り出す。

 

「リンボ……!」

 

 道化は目を見開き、仰々しく両手を広げてみせた。

 

「ンンンンン、拙僧をご存知で? いかにも! 我が名はキャスターリンボ! 辺獄より出でし美しき獣なり!!」

 

「お前、よくもアビーを……!」

 

 ニヤリと片手を立香にかざしてみせた。長い爪を持つ手の甲には、絞首刑の縄を象った令呪が刻まれている。アビゲイルの前のマスターから、令呪を奪ったのだ。

 

「ンンン、何故マスターがサーヴァントに命令してはならないのですかな? 役立たずは速やかに消してしかるべきですぞ? 最後の人柱を立てられなかったのですから、その罪はあがなって貰わなければなりますまい?」

 

「そんな、自分の仲間でしょう!?」

 

 アビゲイルを抱き起こす。うっすらと碧眼が開いた。

 赤い血溜まりは留まるところを知らず、白い肌は抜けるように蒼い。握った指先は氷のごとく冷めている。焦点の合わなくなった瞳で、アビゲイルは懸命に何かを探していた。

 

「ラヴィ……」

 

 震える片手を伸ばす先に転がっていたのは、抱えていたクマのぬいぐるみ。しかし少女がつかんだのは、手前にあった瓦礫のかけらだった。

 

「ああ、ラヴィ。最後まで私と一緒に居てくれるのね。だいすきよ、ラヴィ……」

 

 目の前は真っ暗で、自分の手が宙をさ迷っていることも分からない。

 

 けれど、分かっている。

 自分が掴んだコレは、柔らかな手触りのぬいぐるみではないことなど。ラヴィニアではないことなど、分かっているの。

 

 細い指がそっとひび割れた表面をなぞり、形を確かめるように撫でる。瓦礫を抱きしめ、嬉しそうに微笑んだ。ああ、孤独な私を支えてくれたのは、いつだって貴女だった。

 

「これも、神様の御導きなのね……」

 

 立香の腕のなかで、金の粒が立ち昇る。

 

 あまりにも簡単に。

 消滅寸前まで立香達を追い詰めた少女は、自らの触手に貫かれてあっけなく死んだ。

 

「……」

 

 どれだけ死を目の当たりにしようと、大切な人が消えてゆくのは慣れなかった。

 医務室で待っていてくれた彼が、居なくなった時も。雪原の國で、立香の身代わりとなって凶弾に倒れた彼のことも。永遠の流転を巡る輪廻の世界で、健気に立香を慕ってくれた幼い彼女さえも。

 夕焼けの髪が怒りに膨らむ。

 私は、たくさんの屍を踏みつけて立ち続けてきたのだ。それが、道化の戯れに近い行動でいたずらに増える、だと?

 

「……リンボ」

 

「おや、どうなさいました?」

 

 拳を握りしめ、肩を震わせていた少女は、ゆっくりと顔をあげた。夕焼けの瞳には、紛れもない怒りが燃えている。

 

「お前の企みは、私が何度でも潰す。必ず!」

 

 道化は扇のように広げた式神の束で口もとを隠し、目を細めた。

 少女の背後の巨木に寄りかかるサーヴァントを見やる。こちらを睨みつける視線だけは鋭いが、息も絶え絶えで戦闘続行は不可能だろう。

 

「ンンンンン、これはこれは。虫の息のサーヴァント一匹で、一体何が出来るのでしょうなあ? 拙僧は今ここで、貴女を殺して差し上げれば全てが済んでしまうのですぞ?」

 

 夕焼けの瞳はなお、煌々と輝く。

 

「それでも、だよ。いくら私が弱かろうと、惨めだろうと、最後には必ずきみを倒す。……何、が……あっても、ね……」

 

 言いながら、少女の顔が蒼白くなってゆく。離れない何かが頭に響くかのように、髪をくしゃりと握りしめた。

 

「……ほう?」

 

 道化は様子見の姿勢をとった。

 かくりと膝をついた立香をながめ、口元を歪ませる。愉しみを早々に潰してはもったいない。結末を見届け、力尽きたあとで始末したほうがより面白い。

 

「ンンン……」

 

 ああ、サーヴァントの目の前で少女をいたぶって殺してやるのも悪くないでしょうなあ。なんと、なんと甘露なことか! その顔が絶望に染まるのが待ち遠しい。少しだけ唆してやれば、少女のことが大切なサーヴァントは激怒するでしょう。繰り広げられる愛憎劇。……多少は、そそるか。

 

「マスター?」

 

 オベロンは動きを止めた立香を見上げた。目の焦点が失われている。妖精眼で捉えた精神はぐちゃぐちゃで、呼びかけは届いていなかった。少女の足元の影が、本能を抑えきれずに蠢く。

 

「……」

 

 どくん。

 狂おしいほどの飢餓感に、夕焼けの瞳が見開かれる。胃の辺りが疼いて、開かれた口からはつうと唾液が垂れた。前回と比べ物にならない衝動が立香を襲う。

 

「いい、匂い……」

 

 美味しそう。おいしそう。オイシソウ……! 

 甘い匂いがする。鼻の奥をついて、脳髄まで絡みつくような、いい匂い。

 ふらりと立ち上がった立香の足が、近くに居たオベロンへ引き寄せられる。こつり、こつり。一歩ごとに、ごちそうへ近づく。踏み出す影からは黒い魔力がうねって飛び出し、瞬く間にサーヴァントを捕らえた。

 

 ……違う、美味しくない。だめだ。

 

 お願い、おねがい。皮膚一枚、ううん、小指の先でいいから、髪の毛の一本でいいから、ワタシにちょうだい。お腹がすいてスイテしにそうなの。

 

 違う違うちがう、私は、私は……!

 

「マスター」

 

 どくん。

 ああ、イイ匂イ。

 キレイで、キラキラしていて。

 足りない、タリナイ。丸呑みニシテ、骨の髄マデ喰らいツクシテしまおう。全てを飲み干して、カラッポになるまで。

 

「……立香」

 

 とうとう立香の足が止まる。蠢く少女の影が、座りこんだオベロンを締めつけた。虫はただ、少女を静かに見上げる。

 

「アナタ、オイソシウ、ネ?」

 

 嫌な音がした。

 立香の手刀が、オベロンの胸を貫く。ゴボリと口から血をこぼしても、虫は彼女を見上げるのを止めなかった。

 

「っは、こんな虫けらを美味しそうだ、なんてね。……永遠に眠っているつもりかい、立香」

 

 光を失ったままの夕焼けの瞳から、一筋の滴が静かに流れる。

 虫はただ、彼女の名をくり返す。なんとかここまでやってきたオベロンも、度重なる戦闘で限界で。意識はゆるゆると、闇の中へ薄れていった。

 

 

『立香』

 

 優しく呼ばれた気がして、目を開けた。ぼやけた視界に映るのは、力なく下がる黒銀の髪。目を閉じた、美しい青年の顔。

 自分はどうしたのだったか。……目の前の人が美味しそうに見えて。それから、それから。

 

「……!」

 

 自分の腕は、静かに目を閉じたオベロンの胸を貫いていて。内心動揺しながらも判断は早かった。焦りを抑えて血濡れた腕を引き抜く。

 

「『令呪を以て命ずる。彼の者の霊基を修復せよ!』」

 

 ごそりと身体から力が抜ける。立っていられなくて、意識を失ったオベロンの上へ崩れ落ちた。

 

「まだ、足りない……!」

 

 治りきってない……傷が深い…………! 彼の胸に手を押しつけ、歯を食いしばり言葉を吐き出す。

 

「『重ねて命ずる! プリテンダー、汝の霊基を修復せよ!!』」

 

 強制的な令呪が起動し、塞がりきれなかった胸の傷がすべらかな皮膚へと戻っていく。

 

「良かっ、た……」

 

 満足そうに微笑んだ立香は、静かに目を閉じた。

 

 

「ンンンンン……」

 

 意識を落とした二人を屋根から見下ろし、道満は思案する。少女が最後にみせた、蠢く黒い影。普通の人間ぶっていながら、明らかに別のモノが混ざっている。その異質さは道化の目をひいていた。術の最高峰に迫るといっても過言ではない陰陽師をもってしても、その正体を推察するのは難しかった。

 

「はてさて、不穏分子として殺しておくべきか。それとも、拙僧の術式の肥やしとして組み込むべきか…………どう思いますかな、そちらのお方?」

 

「──私としては、何も分からずに放逐してしまうのは賢明ではない、と助言するとも」

 

 一見何もないように思える、崩落しかかった教会の影。暗がりから浮き出てきたのは、黒い革靴。独特な黒い外套。理知的な瞳。

 

「二度も見抜かれるとは。気配を殺す術は、探偵として磨いてきたはずなんだがね」

 

 ホームズは、咥えていたパイプを離すと紫煙を吐き出した。道化の縦に開いた瞳孔が、ギロリと探偵を見抜く。

 

「ンン、ご冗談を。隠す気など最初から無かったでしょうに。もしや、そこなマスターの命乞いでもなさるおつもりで?」

 

「私がやって来たのは、彼女に確かめたいことがあってね。それが聞ければ、私がこの戦いに手を出すことはないとも」

 

 藤丸立香を殺そうが、陰陽道の術式に取り込もうが。なぜならこれは、聖杯戦争。裁定者(ルーラー)は、ルールに反する行いがなければ手は出さないのだ。

 探偵は、眠る立香へと足を向けた。

 

「何、少し観察させてもらえれば十分だとも。意識があればなお良いのだがね。気付けが必要なら薬を……、っ!」

 

「──『Fixierung(狙い穿て)!』」

 

 立香への道のりを阻むように、流星が堕ちた。冷えた空気の中で、轟音と粉塵が舞い上がる。

 

「どいつもこいつも立香、立香……いい加減にしなさいよあんた達。どんだけこの子にちょっかい出せば気がすむのかしら。これだけドンパチやってて、私が気づかないワケないわよねえ?」

 

 降り立ったのは、額に青筋を立てた黒髪の少女だった。

彼女を抱えていたサーヴァントの腕から下ろされると、流れるツインテールを後ろに払う。片手に宝石を挟んで相手へ向けるのも忘れない。

 怒りを示すようにチリチリと青白い火花が周囲に飛び散った。

 

「セイバー。私いま、すっごく怒ってるの。あいつらの綺麗な顔に一発ずつ入れてやんなきゃ、我慢ならないわ」

 

 呼ばれた赤髪のサーヴァント──村正は、静かに刀の鯉口を切った。

 

「応よ、本来なら儂が止めるべきなんだがなァ。今回ばかりは賛成だ。ただの平凡な刀鍛冶だが、お前さんの剣となって、暴れてやろうじゃあねェか」

 

 

 ──取るに足りない、いつかの冬を思い出す。

 逃げる間も、別れを告げる暇もなかった。

 悔しいけれど仕方がない。

 飾電灯が落ちてきたと思って諦めるさ。

 

「……きろ。……おい、起きろ」

 

 全身を包む冬の光。

 冬眠には、ちょっと早すぎる気もするけどね。

 願わくば、人類が奈落に堕ちてしまえばいいのに、なーんて。

 

「いいや、お前さんにはまだ役目がある。嬢ちゃんのこと見ててやるんだろ? くたばってねェでさっさと起きてやんな」

 

 目を開く。

 揺れる視界の先にいたのは赤い髪の男だった。

 

「……きみは」

 

「おう、儂はセイバー。そこのイノシシ娘のサーヴァントでい」

 

「ちょっと! 誰が猪ですって!? ていうか私ばっかり戦ってる気がするんですけど!?」

 

「そりゃア、あちらさんやる気がゼロじゃねぇか。よく見ろ凛、最低限の応戦しかしてこねェぞ」

 

 示された先には、黒髪の少女が宝石を構えている。蒼い瞳はさながら、バビロニアの女神のように煌めいていた。黄金率から外れているくせに、宝石に縁があるのは前世と変わらないらしい、とぼやけた頭で考えた。

 

「ん、オベロン……」

 

 腕のなかでは、日だまりが寝息を立てていた。傷つけないよう、離さないよう、そろりと髪を撫でる。輝ける星が、重なるあの子と同じ結末にたどり着いていないことに安堵した。

 

「また会おう。私は戦闘に参加するつもりはない」

 

 凛の放った宝石魔術を易々と弾くと、ホームズは肩をすくめてみせた。外套をひるがえし、人の声が聴こえ始めた雑踏へと紛れて行く。

 

「マドモアゼルの怒りに火をつけてしまったようだからね。出直すことにするとも」

 

 ホームズの姿が完全に見えなくなると、道満も目を細めた。

 

「ンン、それでは拙僧も倣うと致しましょう。……こちらを」

 

 こちらへやってきた道化が差し出したのは、一枚の紙片だった。和紙に時間と場所が書かれた簡素なもの。

 

「ハァ? あんたも逃げるですって?」

 

「ンンンンン、そうご案じ召されるな。何も呪はかけておりませぬ。後ろで死にかけているお二方もご一緒にお出でくだされ」

 

 睨みつける凛の手をとって押しつけると、その姿は霞んで消えていった。ホームズと道満が姿を消し、教会に静寂が訪れる。

 

「立香……あなたは一体、何者なのかしらね」

 

 凛は、木にもたれて仲良く寄り添うサーヴァントとマスターを見やった。どこからか、ひばりの声が聴こえる。二人の後ろからは、夜明けを告げる朝の光が差していた。

 

 

「やっとお目覚めかい、寝汚いのも考えものだね」

 

 目を開くと、オベロンの整った顔が至近距離で立香を見下ろしていた。暗い銀髪がさらりと揺れて、目つきの悪い双眸が立香を射抜く。胡座をかいたオベロンに、横向きに抱えられているようだった。

 それと同時に、戦闘の記憶が蘇る。私は、オベロンを美味しそうだと、思って……。

 

「っ!」

「おっと。暴れない、暴れない」

 

 弾かれるように離れようとすれば、膝裏に手を添えてしっかりと抱えなおされる。脱出は失敗に終わった。するりと手首を掴まれて、鋭い指先が皮膚をなぞる。

 

「もしかして、俺に申し訳ないとか思ってる? はは、どんな下らない言い訳を聞かせてくれるのか、たのしみにしてるんだからさあ。……その程度で俺から逃げられると思ってるわけ?」 

 

「う、スミマセンでした……」

 

 ため息をついたオベロンは部屋を顎でさした。

 

「……ここはセイバーのマスターの自宅さ。客室を借りてる。同盟を組んだと言っていただろう?」

 

 いわれてみれば、見慣れない部屋の内装だった。大きなダブルベッドに、落ち着いた色合いのカーテン。オベロンいわく、凛があのあと来てくれたのだという。立香は彼の胸の辺りを見て、へにゃりと笑みを浮かべた。夕焼けの視線がオベロンを見上げる。

 

「でもオベロン、傷治ったんだね! 良かった!」

 

 なんで傍に来たの。

 もう少しできみを殺してしまうところだった! 私がしっかりしていなかったばかりに! 最後まで衝動に耐えられるんだろうか。いや、迷ってはダメだ。これ以上マスターとして情けない姿は見せられない。

 

「まだ、私はやれるから」

 

 生きなきゃ。世界を救うために生きなきゃ。その為なら、私はいくらでも都合のいいマスターの皮を被る。出来なくても演じてみせる。

 

「最後までよろしくね、オベロン!」

 

 笑え。

 こころを透明にしろ。

 一度やったんだから、出来るはずだ。

 

「……いい加減にしてくれない?」

 

 こつりと立香の額に青年のそれが当てられる。さらりと黒髪が立香の首筋をくすぐった。曇天の眼差しが、これでもかと言わんばかりに細められる。

 

「……あの。なんか、怒ってる?」

 

 オベロンの笑顔が凄みを増した。虫の羽音が喧しくなり、黒銀の髪が溢れた魔力で広がる。あまりの剣幕に立香の頬がひきつった。

 

「まあね。やっぱり僕は、きみなんか大嫌いだ」

「あ、」

 

 舌打ちと共に降ってきたのは、黒いふわふわの外套だった。正面から抱き寄せられて、繊細な白い指が柔らかく髪をすく。

 

「もう一生関わりたくもないし」

 

 耳朶をくすぐった手の甲が、隠しきれずに目のはしに浮かんだ涙をぬぐう。

 

「顔だって見たくない」

「なに、」

 

 どうしてこんな時ばかり優しくするの。

 あー重たいとぼやきながら軽々と持ち上げられて、ベッドへ下ろされる。身じろぎする間もなく温かな体温が隣に入り込んだ。胸元にふわりと抱きとめられて、耳元で穏やかな声が低くささやく。

 

「僕の知らないところでさっさとくたばりなよ。いつまで運命の糸に手足を吊るされてるつもりなのか知らないけどさぁ、」

 

 きみの足はきみだけの物語を歩くためにあり、その手は自由を掴むためにある。誰が世界のために我慢して笑えだって?

 

「役不足。もう世界を救うのは終わったんだ。いい加減舞台から降りなよ」

「……や、だ。離して」

 

 だって、それ以外にどう生きればいいのだ。

 記憶を思い出してから、今世の立香の人生は一変した。人類の救済と殺戮の記録は、平穏な十数年を塗り潰すには十分過ぎた。

 

「ごちゃごちゃ腐った思考しか出来ないきみには、もうしばらく寝こけているのがお似合いさ」

 

 額にくちづけが落ちる。抱きしめる力が強まれば、僅かな抵抗は無意味で。くらくて、あたたかくて、ゆるやかに意識は落ちていく。

 

「おべろん、わたし、眠くない……さっきまで寝てた……」

「ハイハイおやすみ。俺が得意な魔術が何か、忘れちゃった? よい夢を、立香」

 

 夜の帳を告げる声が、聴こえた気がした。

 

 

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