紅魔館はいつもの様に朝霧に包まれていた。紅魔館の主、レミリア・スカーレットは不在だった。昨日の夜に唐突に現れた八雲紫に招集された為だった。従者の十六夜咲夜は無論付き添おうとしたが、レミリアがそれを拒否したため、彼女は今館にて主の帰還を心待ちにしていた。
そんな最中、来客があった。門番の紅美鈴は何やら不気味な気配を感じ取って瞼を開く。武術の達人たる美鈴にしてみれば、門番という業務は寝ていても支障がないのである。たとえ寝ていようとも、人が近づいてくれば分かるからである。
美鈴が見たのは頭から足元まで真っ白な少女。和服に袴を着込み、髪を後ろで高めに結んだ少女はしかし帯剣していた。腰の後ろに帯びた四つの鞘は、しかし内二本しか満たされていなかった。
武装している相手に美鈴が少し警戒心を高めたところに、先程の少女が抜刀したと思った瞬間に目の前に現れる。回避は何とか間に合ったが、もしこの攻撃が死角からやってきていたら確実に斬られていた。
そう確信した美鈴は、避けた後彼女の気が斜め右後ろに現れたのを察知してノールックで蹴りを放つ。それを右に十数センチ瞬間移動することで回避した少女は伸びきった美鈴の足を切り上げる。
「クッソ!」
美鈴は咄嗟に少女を突き飛ばし距離を取る。そして前を向き直った瞬間には既に少女の刀が美鈴を八等分にしていた。美鈴の残骸はその場に散らばり、地面に血が滲んだ。少女は一息つくと美鈴を見下ろして、門をくぐって行った。
少女は中庭を通り、館の扉を開く。無駄に大きな扉は大きく軋む音を響かせて開く。
「いらっしゃいませお客様。……では無いようね。」
咲夜は会釈から顔を上げ少女を見つめる。そして開かれた扉の先に門前に転がる美鈴の残骸を見つけてしまう。
「えっ。」
そう呟いた瞬間に少女は咲夜の背後に立っていた。いつの間にか抜かれていた刀には血が滴る。それに気づいた咲夜は時を止める。世界が白黒に染まり、その世界の中で咲夜の右腕が落ちた。
断面から夥しい出血をしている。激痛が咲夜を襲うが、咲夜は現状の打開のためにも歯を食いしばる。スカートを破り何とか止血を終えると、改めて少女を見つめる。敵は素性も能力も知らない相手。使用していた能力は似ているが、しかし自分とは明らかに性質、根本から違う能力。
咲夜は牽制の意味合いも込めて、停止中の時間の中でナイフの弾幕を形成する。そして能力を解除すると、少女はやはりまたその場から消え失せた。それを確認した咲夜はまたも時を止める。その最中、一瞬だけ感じた悪寒の原因を彼女は悟る。
咲夜の真後ろに現れた少女はその二刀を彼女の鼠径部に添えていた。それはもう1秒にも満たない時間で咲夜の両足を刈ってしまう位置にいた。急いでその場を離れた咲夜は能力を解除しようとして、しかしそれを躊躇した。それは果たして能力を解いたところで少女を打ち倒せる展望が見えなかったからだろうか。
しかしそれでも彼女にはこの少女を見逃すという選択肢はなかった。それが主なきこの館においてメイド長の成すべきことであると信じているからである。そして咲夜は意を決し能力を解除する。灰色の世界が色を取り戻し、そして一瞬前まで咲夜の足があった空間を少女の鋭利な斬撃が通り抜ける。
そして既に反撃の構えを取っていた咲夜は、しかしなぜか体を動かすことができなかった。
「なんで……。」
それもそのはず。いくら信号を送ろうとも、既に絶たれた神経はなんの電気も通さないのだから。咲夜は腕と足の付け根から血しぶきを舞い散らせ、四肢全てを失った。 脱力し崩れ落ちていく咲夜は、その瞳に一切の光を排して血の海に沈む。広い玄関ホールに、彼女が地面に沈む音はいやに響いた。
(私は何をしているのだろう。)
そう頭の中で呟くと彼女は思考を止めた。完全に戦意喪失した咲夜を尻目に、少女はその場を去ろうとする。
しかしそれを許さないものが居た。
「きゅっとして……」
そう呟いた瞬間に影は少女を見失う。
「あれ?」
それと同時に手中に収めたはずの”目”を喪失してしまったのだ。廊下の角から姿を現したフランドール・スカーレットは五感を研ぎ澄ませて獲物を探る。しかし、あれほど存在感のある純白の少女が、この真赤の館において見失えることなどあろうか。
フランはそう不思議がって、周囲を見回す。しかしそれが仇となった。いくら強力な能力を所持していようとも、戦闘経験の少ない彼女は戦いの土俵になかった。
「がら空き。」
彼女の耳元でその声が聞こえた時には、すで彼女の体は斜め十字に切り裂かれていた。
「がっ!!」
しかし、たとえ体がいくつに裂けようとも、吸血鬼である彼女の肉体はそう簡単に朽ちない。フランは中空で体を再生させながら、体を捩じり後ろへと爪を振り抜く。されどそこには侵入者がいた痕跡もが、すでに消失していて、その気配はまたもやフランの真後ろに。
そして二度目の攻撃に身構えたフランを襲ったのは、あの鋭い剣戟ではなく大きな爆発音と熱風であった。立ち上る煙。それが晴れるとその向こうには、堰を切らして駆けつけてきた紫色の魔法使いが。
「まっ、まったく。これじゃ動かない大図書館が台無しだわ。」
「パチュリー!!」
紅魔館が頭脳、パチュリー・ノーレッジの見参である。フランに二の太刀を入れんとしていた侵入者にその業火を叩きつけた張本人であった。ただ、やはり彼女も見落としていた。人一人が業火に焼かれたといえ、たったの一瞬ではそれが灰と消えることは難しい。
彼女もまたこの平和ボケした幻想郷で、久しく戦闘の感覚を忘れてしまっていたようだ。
瞬間。
「メタルファティーグ!!」
パチュリーは目の前にいたフランを抱き寄せ、魔法を放つ。虚空に現れたひし形の金属が、二人をその凶刃から庇う。酷く歪んだ、ぎゅわんという音が響き、押し返された盾が二人を弾き飛ばす。
「くッ、何が?」
パチュリーが目を開けると、そこには半端にねじ切られた分厚いひし形の残骸と、中ほどから折れた直刀を握る奴の姿があった。
「参った。」
とうとう武器を失った彼女は、それを鞘に納めると瞬きの合間に消え失せた。パチュリーは、心底恐怖していた。魔法で生み出した盾は、少なくとも生半な威力では傷をつけることも難しい強度を誇る。
幻想郷中の剣の使い手をかき集めても、切っ先三寸めり込めば上出来といったところか。それをああも強引に、捩じ切ってしまうとは。紅魔館の頭脳というように、パチュリーの本分は安全地帯に引きこもって指示を出すことである。正面切っての戦闘は、苦手も苦手なのだ。
「勘弁して頂戴…。」
そう小さく呟いて、自らに倒れ掛かって気絶しているフランを退けて、血の池に沈む咲夜の方を目指して歩き出した。
スキマを一番に抜けたのはレミリアだった。
「咲夜!!」
レミリアに次いで永琳と紫がはい出てくる。
「パチェ…。」
「一応部品は集めて止血はしておいたけど、これ以上は無理よ。専門外。」
咲夜を見つめるレミリアに、パチュリーは開いていた魔導書を閉じてそう吐き捨てる。
「十分よ。生きているものなら、なんだって直して見せるわ。」
そう強気に返事した永琳は、携帯していたカバンから様々な医療器具を取り出し、オペに入った。紫はオペを進める永琳の助手を務める。
「はぁ…。」
「パチェ。美鈴は?」
「あっちは頑丈だし、くっつけて安静にさせてるわ。さすがね、八等分にされたっていうのにもう意識が戻り始めているわ。」
呆れた様にそういう彼女にレミリアは平服する。
「パチェ、ありが「やめて頂戴。」」
それをぶった切る。
「私は私として、レミィの不在を守ったつもりよ。けど、あれは想定外。まぁ、死人が出なかったのはまだよかったけれど。」
その言葉にレミリアは笑った。パチェらしいと。そして同時に、安堵から大きな怒りが膨れ上がった。
「犯人は、絶対に引きずり出して八つ裂きも生ぬるい目に合わせてやるわ。」
紅魔館の主に相応しい態度のレミリアを見て、パチュリーもようやく肩の力が抜けたようだった。
「けど、実際どうするの?正直レミィがいても、あいつを捕らえて叩きのめすのは相当厳しいと思うわ。」
パチュリーがそう提言する。その予想は当たっていて、正直レミリアも紫と霊夢を退けた奴への対抗策は一切思いついてはいなかった。
しかし、
「それとこれとは話が別だわ。可能だからやるのではなくて、不可能でもやるのよ。それにその知恵を絞るのがあなたの仕事でしょ、パチェ?」
「はぁ…。」
これはレミリアの我を通したいだけの、ただの我儘だ。正直パチュリーもこんなことだろうと思っていたが、しかしその我を通し続けてきたのが紅魔館の主レミリア・スカーレットだ。今回もまた面倒なことになりそうだと、彼女は深く肩を落とした。
「治療が終わったわ。」
そうこうしているうちに、永琳の方も仕事が終わったようだった。
「そこな魔法使いさんのおかげできちっと繋がってはいるけれど、出血が酷いわ。しばらくは安静にしないと。まぁ、あっちの門番さんはほっといても大丈夫そうだけど。」
開かれた門の先では体を修復した美鈴が、さっそく立ち上がろうとしていた。そして、パチュリーもようやく感じてきた所だった。腹の底が煮えくり返るような怒りを。今は二人とも冷静な振りを装ってはいるが、しかしその衝動は身を焦がさんばかりだった。
「パチェ、まずは作戦会議よ。」
レミリアはそう、低く唸った。
魔法の森の浅瀬。そこには多くの野良妖怪が住み着いていた。森の深くに潜れるほどの実力もないが、かといって人里に出入りできるような見目をしていない木っ端妖怪が潜む。そんな場所に、一軒の小屋があった。
一人暮らしには少し手に余るその小屋は、しかしその半分は居住者の仕事場であった。少し日が傾き始めた頃、その小屋からは澄み切った金属を打ち鳴らす音色が響いていた。ふと家主が作業の手を止め後ろを振り向く。そこには中ほどから捩じ切れた直剣をこちらに向ける、真っ白な少女が立っていた。
家主、多々良小傘は困惑した。いつの間に、だとかどうして脅されているのかとか、様々な言葉が頭の中を飛び交う。しかし彼女の口をついて出たのは、非難でも命乞いでもなかった。
「…ありがとう。」
感謝であった。元が道具である付喪神の小傘は知っていた。刀の本懐とは、蔵の中に先祖代々保管されることではないと。美術品ではなく、人切り包丁として使い潰されることこそが、私たちの真の願いである。
少女ももちろん困惑していた。どのような命乞いが聞けるかと思えば、しかし飛び出してきた感謝の言葉にそれはそれは動揺していてた。しかし要求は伝えなければ。
「武器が欲しい。」
「それくらいわかるよ。使いものにならない刀が二本。そして空の鞘を四つも引っさげた来客だ。まぁ、この場合は押し入り強盗だろうけど。」
小傘は理解した。きっと彼女は幻想郷に仇なす存在なのだろうと。 しかし目の前に武器を欲している少女が居る。鍛冶屋として居ても立っても居られないのは、ただの職業病だろう。
「実は出来の良いものは、昼頃に刀剣商人があらかた買い取って行っちゃったの。だから、少し待ってて。この一本を仕上げたら、貴方に素敵なプレゼントができると思うわ。」
「分かった。」
少女は消え入りそうな声でそう言うと、小傘の傍の上り口に腰かけて彼女をじっと見つめる。多少遣りづらさを感じながらも、しかし一たび玉鋼を叩きつけるとその思いは吹き飛んで、彼女は黙々と作業に取り掛かった。
一定間隔で打ち鳴らされるその澄んだ心地の良い音に、白い少女は表の世界にやってきて初めての睡眠を取った。日は沈み、すでに辺りは夜の帳が降りかかっていた。しかしその鋼を熱する竈だけは、ただひたすらに轟轟と唸りをあげていた。