heroes   作:黒糖煎餅

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消えない憧憬、追うべき背中

「リョウ先輩。戻ってきてください!」

ロインの通知に、日に数度登ってくるチャットログ。鬱陶しいと思いながら、わたしはスマホの画面を落とした。

結束バンドが解散してから、もうじき5ヶ月ほどが経つ。2週間ほど前から、音沙汰もなかった郁代からロインが再び送られるようになっていた。電源を落としたスマホを机に置き、そぞろにベースを弾き始める。

半ニート生活をしていたおかげで、練習時間はたっぷりあった。ぼっちの練習量に合わせていたおかげで、集中力が保つようになって、結果、速弾きのスラップも正確にできる。反復とは力なり、とは、よく言ったものだ。…でも。

ぴたり、と演奏をしていた腕が止まる。当たり前だ。どんなに練習しても、どれだけ技量を高めても。もう、演奏することなんかないと言うのに。

「怖いもんだな、習慣って…」

ピックとベースを仕舞い、こぢんまりとした、もはや自室と化した防音仕様の小さな部屋でパソコンと向き合う。流れてくるのは、ギターヒーローのオフィシャルチャンネルの動画。たった5ヶ月でチャンネル登録者を大幅に増やしたギターヒーローは、今では音楽業界では名を知らない者はいないほどの人気となった。音楽界の超新星だ、という見出しで、音楽雑誌に掲載されていたのが3ヶ月ほど前だったか。蠱惑的なまでの情動を孕む音色は、一瞬で数多の人々を虜にした。わたしもその一人だ。機械のように正確なピッキングと運指。かと思えば、歌うようなビブラートが鼓膜を震わせる。何を弾かせても超一流。同じ時間を過ごしていたはずのわたしとぼっちの間には、歴然とした差があって、それがわたしから『音楽で食っていく』という大きな目標を奪うには十分だった。

ひとり用の冷蔵庫から缶コーヒーを取り出し、呷る。鼻を抜ける芳醇な香りと、緩やかに舌先を刺す苦味が口の中に広がった。

「…昼ご飯、食べに行くか。」

わたしは小さくため息を吐きながら、財布を持って街に繰り出した。

 

 

 

 

夜になると人混みは鳴りを潜め、閑散とした雰囲気だけが広がっている。この数年で、慣れ親しんだ街はどんどんと風化していった。人気があった純喫茶も、安くて美味い定食屋も、家の近くにあったカレー専門店だって、気がつけば閉店している。時の流れは無情だと思うと同時に、仕方ないことなのだろうとも思う。変わらないものなんてなくて、それが街か、人か。たったそれだけのことで。何一つ変わらないものなんて、あったとしてもそれはきっとつまらないものなのだろう。…けど。

「ここも、潰れたんだ…」

いつぞや、初めてぼっちと二人きりで話した純喫茶…のような風体のレストラン。ノスタルジックな雰囲気が好きで、よく通っていたはずの店だった。随分と寂れて、看板があったはずの場所には広告を募集する貼り紙が貼られている。

「…ここだけは、無くなって欲しくなかったな。」

思えば、ぼっちと共に過ごす時間の何割かは、この店だったように思う。主に、ぼっちが高校を卒業するまでは、だけど。スタジオ練習を早めに切り上げた後にここで食事を摂りながら歌詞を見たり、逆にデモ音源をぼっちに聞かせたり。有体な言い方をしてしまえば、ここはわたしとぼっちの思い出の場所なのだ。…いや、わたしだけか。ぼっちからこの店に誘うことは終ぞ無かったし。ただわたしが、特別に感じていただけで。

「なんだかなぁ…」

嫌に郷愁が頭をよぎる。わたしの、数年間の、青い春。それが、もう終わってしまったんだと。認めたく無いが、認めざるを得ない。現実とはどう足掻いたって残酷だ。

訥々と溢れた感情をしまい込み、私は踵を返す。いや、返そうとした、その瞬間。

「見つけた…!」

振り向いたその先には、久しく顔を合わせていなかった幼馴染の姿があった。

「…や、久しぶり。」

おおよそ、半年ぶりの再会。

ぼっちの脱退を機に、私はバンド練習に顔を出さなくなった。シフトの入っている日の営業後に、STARRYのスタジオを借りて、個人で練習するだけ。勿論、STARRYの上階は彼女の家で、彼女は定期的に帰省していたから、顔を合わせる機会がなかったわけじゃない。帰り際に遭遇したり、出勤時に階段を登っていく彼女を目で追った事は数知れず。けど、バンドという共通点がなくなってしまってからは、彼女と言葉を交わすことはなくて。

「…今更、何。」

絞り出せた声は、情けないくらいに震えていた。郷愁が胸を刺す。輝いて見えたあの頃が、五月蝿いくらいに叫び出す。

 

もう無理だ。諦めろ。

彼女たちは変わらなかった。

私は…私たちでは、変えられなかった。

だから解散したんだろ。

だから、一人で誰に聞かせるためでもなく、狭い殻に閉じこもって、自分の弾きたいようにベースを弾いているんだろ。

戻りたいなんて、馬鹿な考えは、捨ててしまえ。

 

「あの、さ…!リョウに、話が…」

「聞くつもりはないよ。…今更でしょ。音楽を捨てて、バンドも捨てて…今更、どの面下げて話がある、とか言ってんの?」

聞いてはいけない。そう思った。

だって、彼女の瞳の奥には、あの頃と同じような輝きが燻っていたから。思えば、彼女のこの瞳が、私をバンドに誘ったあの言葉が、全ての始まりだった。

「私はもう、知ってしまった。ぼっちのギターを。あの、心震えるテクニックを。狂気的なまでの研鑽の果ての、あの音色を。…今更、ぼっち以外のギターと合わせる気なんてない。ぼっち以外の演者のために作曲する気もない。」

そして、もう二度と…きっとぼっちと、肩を並べられることはない。

「…だから、バンドなんて二度と組まない。…分かってよ。」

 

「だからこそ、だよ。」

「私だって、今更他のギターの人と合わせる気もない。足りないの。あの熱狂が、忘れられない。あの音が忘れられない。長い前髪で隠れた瞳に、狂気的な…炎のような意思の宿ったあの姿を、忘れられるわけがない。」

なら、どうして。

「私だけじゃ届かないの。」

「喜多ちゃんも、私も。自分が実力不足なのは痛いほどわかってる。だからこそ、リョウが必要なの。一度失望して、離れて…だからこそ、私たちを一番厳しく見てる。遠ダメなところはとことんまでダメ出ししてくれる。だから、お願い。無理だと思ったら、その場で切り捨ててくれて構わないから。だから…」

 

もう一度、私たちでバンド組もう。

そう言い切った虹夏の瞳には、小さく、でも、確かに。

蒼い炎が、灯っていた。

 

彼女が。わたしが憧れた、猫背の虎と、同じ意志を持っている。ただ、それだけで、冷たかった指先が、じんわりと温まるような。

 

あぁ、わたしは…

 

ぐっ、と無意識に拳を握った。

 

「ホントに、最後だからね。」

あぁ、どうやらわたしは、とことん幼馴染に甘いらしい。

 

「結束バンド、締め直して行こうか。」

 

「…うん!」

 

もう一度、青い春が動き出す。

 

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