お楽しみいただけたら幸いです。
焦りだけがあった。練習しても、練習しても、ギターヒーローのアカウントが大きくなっても、その飢えにも似た渇きが、焦燥だけが、常に頭をチラついた。
そこには停滞だけがあった。いつの間にか、夢を叶えるための過程が、目標になっているような…そんな気がした。
夢を追う。それを悪いことだとは思わない。むしろ、それはきっと、とてもすてきなことだ。私が冷たい人間だっただけ。夢を叶えることだけに必死で、彼女たちと歩む夢の過程を、自ら捨ててしまった。塗り固められた蝋の翼で、勢いのまま飛んだ。少しでも、夢に近づくために。
「ダメだ…」
スランプ気味、とでも言えば良いのだろうか。
歌詞が全くと言って良いほど書けなくなった。
半月悩んで書き出した歌詞。それこそ、私は録音以外で外出なんかしないから、時間は山ほどあったのにも関わらず、だ。時折良いフレーズは浮かぶのだけれど、それらを繋ぎ合わせても歪な歌詞になる。つぎはぎだらけの歌詞に、何も心が揺さぶられなかった。
かき鳴らし続けていたギターを立て掛け、簡素なベッドに倒れ込む。作りがしっかりしているからか、柔らかく、しっかりと私の重みを受け止める。昨日干した布団からは、少しだけおひさまの匂いがした。
「もう、寝よう。」
呟いて、私は目を瞑った。
僅かに残るおひさまの香りを求めるように、枕に顔を埋めながら、私は意識を手放した。
眠りにつくのは好きだ。何も考えなくても良いから。
朝目覚めるのが嫌いだ。
何かを、頑張らなきゃいけないっていう強迫観念に身を縛られるから。人間関係のしがらみに縛られてしまうから。
電子音が鳴る。いつもはもっと寝たいから、と二度寝をかますのだが、今日は違った。レコーディングの仕事が入っているから。私は寝ぼけ眼を擦りながら、珈琲を淹れた。部屋にふわりとかぐわしい匂いが立って、鼻腔をくすぐるキリマンジャロの香りで、朦朧とした意識が覚醒した。
角砂糖をふたつ。コーヒーフレッシュをひとつ。ふわふわと揺れる湯気を眺めながら、トースターに食パンを押し込んだ。焼きあがる頃に、コーヒーは飲みやすい温度になっている。飲みやすい熱さになったコーヒーを啜りながら、焼きたてのトーストに齧り付く。バターを塗っただけだが、仕事がある朝の朝食は楽な方がいい。
ざくざくと音を立ててトーストを頬張り、最後の一口と共にコーヒーを飲み終えた。顔を洗い、歯を磨き、着替えを済ませて、仕事に向かう。
「ギターヒーローの…軌跡、ですか。」
事務所に着いて、関係各所への挨拶もそぞろに、数名のお偉方に連れ来られた会議室にて、私は次の企画ライブの説明を受けていた。要約すれば、o-tubeアカウントであげていた弾いてみた動画を、投稿順に弾いていく、というもので。複数のバンドとギターヒーローのブースを作り、簡易的なフェスのような形式で行う、とのことだ。
「スケジュールは過密を極めると思うわ。けれど、作詞に行き詰まった貴女の、いいガス抜きにはなると思うの。」
確かに、過去の弾き語りから改善点を洗い出しての再構築になる。なんなら、最初期にあげた動画を見直す、という黒歴史を掘り出すような行為をしなければいけないのだから、私にとってはガス抜きと同時にストレスマッハな訳で。
「…やります。」
けど、今の私には選択する余地はなかった。ちりちりと湧き上がる焦燥感を紛らわせたくて、私は二つ返事で企画ライブを了承した。
「やっほー、ひとりちゃーん!なになに、久しぶり?って言うか、初めてじゃーん、電話なんて!」
電話口でキンキンと声が響く。あいも変わらずいつでも酔っ払っているなぁ…と思いながら、私はお姉さん…廣井さんに言葉を投げる。
「…今年の2月に、企画ライブをやるんです、けど。幾つか顔見知りのバンドにオファーをかけてほしいってことだったので…その、お姉さんとSICKHACKの人たちに、声をかけようかと思いまして。」
「おぉ…企画ライブのお誘いかぁ…んー、あたしたちはパス!」
「えっ…」
断られると思っていなかった。むしろ、渋谷にSICKHACKあり、と大々的にアピールできるチャンスでもある。決してお姉さんたちにとっても悪い話ではない、と言うことを伝えても、お姉さんの返事は変わらない。
「ぼっちちゃん、今日、時間ある?」
「…まぁ、少しなら。」
「じゃ、渋谷に来てよ。」
そう言うとお姉さんは電話を切り、そして数秒後に、位置情報が送られてきた。リョウさんもそうだったけど、ベーシストはマイペースというか、勝手気ままというか。
私は着替えを済ませて、位置情報の示す位置へとタクシーを走らせた。
「や、久しぶり。」
マップに示された居酒屋まで行くと、個室に通された。お姉さんはそこで1人、ぐいっとお酒をあおりながら、私を迎え入れる。
「お久しぶりです。相変わらずですね。」
「…そっちは、何とも言えない顔してるねぇ。ま、何か飲みなよ。お酒飲めるようになったんだっけ?」
「…いえ。今日はそんな気分じゃ無いので。」
そういうと、タッチパネルでコーラを注文して、出されたお冷をちろりと舐める。
「なんだよ、つまんねぇ生き方してるなぁ。そんな気分をぶち壊すのがお酒だってのに。」
ゴッ、ゴッ、と勢いよく日本酒をあおるお姉さんと、届けられたばかりのコーラを飲む私。
異様な空気が場を満たした。冷たく、重い空気。あまり時間もなかったので、私は話を切り出した。
「さっきの話の続きなんですけど」
「あたしたちは出ないよ。さっきも言ったけど。」
「…お姉さんは、上を目指したいと思わないんですか?」
「音楽に上も下もないよ。」
「…あの頃の、ギラギラしてたお姉さんはもう居ないんですね。」
その言葉にピクリと反応したお姉さんは、ため息をついた。そして、少し苛立ったように乱雑にグラスを置く。
「…あたしから見れば、ぼっちちゃんの方が丸くなっちゃった気がするけどね。」
お代わりの焼酎を持ってきた店員さんにゲソの唐揚げを頼みながら、お姉さんは続ける。
「ありきたりなフレーズ、つまんねぇ歌詞…いつから君は、愛を説く詩人になったのかな?」
ラブソングなんて柄じゃ無いでしょ。そう言いながら、一升瓶に入った焼酎を喇叭飲みする。三分の一ほど流し込んだあたりで、お姉さんはひとつ息を吐くと、再び口を開く。
「思っても無いことをつらつら書いて、歌って…ロックのカケラも知らないミーハーな連中に釣られて、浮かれて…馬鹿どもが『流行ってるから』で落としてくれた金でメシを食うのは、楽しいかい?」
それが嫌だから、インディーズでやってんだよ、あたしらは。
「思っても無いことなんて歌いたくない。ダセェフレーズなんて弾きたく無い。そんで何より、今のあたしらを愛してくれるクズ共を切り捨てて、大衆受けする曲なんて出す気はサラサラ無い。大手のライブになればなるほど、尖ってるあたしらのバンドは丸くならざるを得ない。しがらみだらけの鳥籠みたいなものさ。そこじゃあたしは自由に飛べない。観てる奴らも、楽しく無い。楽しく無いことはやらない主義なんだよ。」
「…そうですか。分かりました。」
「…じゃ、餞別代わりに、最近伸びてるバンドを推しとくよ。スリーピースの。やる気あるか聞いとくから、また連絡するね。」
そう言うと、お姉さんは再び焼酎に口をつける。相談料として一万円を置いた私は、席を立った。
『あ、妹ちゃん?もしもーし!元気してるぅ〜?』
「廣井さん、酔っ払ってます?」
『いつものことじゃーん!』
「それはそうですけど…どうしたんです?」
『いやー、不味い酒になっちゃったからさ、口直しにと思ってさー!今から妹ちゃんの家行くからさ〜。』
「お断りします」
『いいの〜?妹ちゃんたちにとって、悪く無い話も持ってきたんだけど。』
「…わかりました。吐いたりしたら叩き出すので、それだけはよろしくお願いします。」
『おっけ〜!じゃ、残りの二人も呼んでおいてね〜!一時間くらいで行くからさ〜。』
それじゃ、と言うと、電話が切れる。勝手だ。けど、いつものことだし。それに、練習の手伝いとかも、なんだかんだしてくれたし。
そう思いながら、私はリョウに電話をかける。
「もしもし、リョウ?うん、今から。うちに来て。喜多ちゃんには私から伝えるから。」
それだけ言うと、気だるげな幼馴染は嫌々と言いながらも了承した。喜多ちゃんにもメッセージを送ると、了解の意のスタンプが送られてくる。
廣井さんの言う『良い話』に僅かばかりの期待と、大きな不安を持ちながら、私は客人が来るのを待った。