死へと至る病   作:________

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2/12のプリステ34R、2/18のあこがれがとまらない18層に参加するかもしれません(多分)
死へと至る病2巻と、プリステの方では書き下ろし本を出す予定ですので、よければ。

では、よろしくお願いします。

追記:前話で登場した「アリシャは奈落に還る」ですが、正しくは「アリシャは奈落に還り巡る」でした。この場を借りましてお詫びと訂正を申し上げます。


3:成れ果て?──深度2500m

 もうそろそろ見慣れた天井となってきていた。口の中が苦しいほどに干からびていて、時計もないから、今、夕暮れなのか曙なのかも知り得ない。彼女は、目を覚まして、またかと、エリカは息を吐いた。木製の硬い感触が下半身にびっしり棲みついている。さらに、つめたい。彼女は部屋の隅にほとんどぶつかるようにして寝ていた。就寝前の記憶ではきちんと布団をかぶっているにも関わらず、である。彼女は欠伸をした。郵便受けにきっと苦情が溜まっているだろう。

 

 彼女一人になって、部屋は随分と広くなった。それは彼女にとって不便さの増幅にしかならなかった。ベッドを使うことは二人、アグネスタキオンとマンハッタンカフェの存在した証拠を、自らの手で汚すように思ってしまって、そうなるともうだめだった。ベッドの近くに置かれた小物棚、その上にぽつねんと存在する、笛。うつむいた空気。エリカと刻印されているそれが、彼女の持ちうる全てであると、彼女は思い込んだ。あれから、彼女は一度だけ探窟に赴いた。二人が装備を整えて、アビスに赴いて、もう二度と会えないことをわかっていながら、それを認められなかった、と断ずるのは、単なる言い訳であった。結局、ひとつたりとも遺物を持ち帰ることは叶わなかったのだけれど、彼女にとって遺物の入手は、ほとんど主の目的ではなかった。アビスに入ることを、制度上で許されたことが重要だった。頭の中で思い描いていたアビスの中からの景色、それは合致していたり、合致していなかったりして、そこに加え清純なにおい、生と死の入り混じる音が漂っていた。そうして彼女たちの装備、そのあまりの資金を細々と切り崩していく。彼女に、滑落亭へ笛をさげて入る勇気はなかった。彼女は「良い席」で一番安い食べ物を頼み続けた。

 

 お陰さまで、ほとんど他の探窟家に知られていない。そう思っているのは実は、彼女だけだった。彼女の無目的歩行はひどくなって、もはや彼女の記憶と断絶されていて、建造物内の探窟家は度々頭を悩ませていた。

 

「よぉ」

 

 滑落亭で、また同じ食べ物を食べていたエリカ、そこに快活な声がかかった。最初、じぶんの隣にかかった声だと彼女は思って、その数秒あと、額を指で弾かれた。

 

「おおい、俺の声忘れた……なんてことないよな」

 

「……もしかしてコレオさん……ですか」

 

「いやいや、もしかしてもないだろ」

 

 額を、こんどは人差し指でつつかれて、あぅ、と小さな声が漏れた。彼女を意図的に視界の外に出さんとする喧騒の中、二人は隔絶されていた。「すみません、久しぶりだったので」彼女は小さく苦笑した。

 

「敬語もいらねぇって……ま、お前らしくていいけど」

 

 変わらねぇなぁ、と、彼はエリカの目を見て言って、彼は盛大に笑った。ひとのことを覚えられないのは、彼女の生来からの癖だったから、実はこの事象は、エリカにとって印象づいている、数少ない人という証明なのである。滑落亭のなかで、彼女は久しく顔を上げていた。

 

「なんで、ここが」

 

「ぁー、ちょっとな」

 

 噂が、な。彼は神妙な顔つきで顔を寄せた。彼女は自分自身が、当たり前のように悪い方向で知られていることを耳にした。ましになっていた症状が、いつのまにか気にならないくらいに薄くなって、気付かないうちにひどくなっていた。彼女は無意識に、じぶんを取り巻いている問題が、自分の手の中におさまるほどで、だから自分で全てを対処できると結論を括っていた。

 

「……そちらまで、とどいてるんですか」

 

「まことしやかに、って感じでな」

 

 コレオは席に座って、給仕を呼んだ。手を上げて来た一人は、全くの無頓着で、彼がハモロゲ丼を頼むと、エリカの方を一瞥しただけで去っていった。給仕の少年は自我を持っていた。冷や水を飲みながら、彼は待つ。その間エリカも待とうとしたけれど、それを彼は良しとしなかった。彼は彼女と違ってまた、人を見ることに長けていた。より俗物的にいうならば、処世術だった。

 

「俺らがいたとこ、もとは孤児院だったんだ」

 

 あら、前言ったかな、まいいや。片手を椅子の背もたれの後ろに垂らしている。いくつかの肉、魚、野菜の香り、それらが彼女の鼻をつついている。

 

「でもあれだな〜、ここって殆ど探窟家しかいないじゃん。病院が足りなくなって組合から圧力があったっぽいんだ。で、今の院長先生様がこうしたらしいんだ」

 

「……それと私のあれと、何か」

 

「ま聞きなよ。成れ果てっているだろ」

 

「六層の上昇負荷、ですよね」

 

「……」

 

 そこまで言及して、コレオは悩んだ。三ヶ月あたりから数えていなかった時間ぶりにエリカと出会って、嬉しいと感じている自分がいた。それでも、彼女の目を見る、それで、やはりエリカという存在は、奈落を見ているのだと確信する。コレオとエリカの付き合いは、それなりに長かった。彼は岩壁街の出身で、エリカは母を失って、同じ医院に来たから、生まれ育ちは何もかもが違う。幸運だった、あるいは不運だったと言わざるを得ない。

 

「お持ちしました〜」

 

 先ほどと違う給仕が乱暴にハモロゲ丼を持ってきた。明らかに不快な動作だった。匙をとって、食べる。彼にとってそれは初めての体験だった。金をくすねたり隙を見て逃げ出すことは、岩壁街の生活に比べると児戯以上のものを持ち得なかった。

 

「うまいな……」

 

「私は食べたことないですけど、ぜんぶおいしいらしいです」

 

 エリカは苦笑した。他の人がみてもわかるくらいに、やはり危険な色だった。突然の来訪としての二人、あの二人を、なぜだろう、彼は知らず知らずのうちに、いくらか恨んでいた。

 

「……逸れたな、話。そう、その成れ果て」

 

「──お前が、つまりウマ娘が、そう(・・)なんじゃねぇかってさ」

 

 エリカの、もうひとくちを取ろうとした手の動きが、止まった。

 

 

 

 また森に入ったけれど、それはついさっきまで入っていた森の、なんとも言えないじめじめとした雰囲気を完全に失っていて、静かな獰猛さを窺わせるものであった。明らかに温度が下がっていて、気圧そのものが変わっているのではないか、とも考えるほどであった。

 

「君ら、笛はどうしたんだい」

 

 男か、女か判別のできない、きっと二メートルを越す背丈。振り返らずに進みながら、その人物が問うた。「捨てたよ」アグネスタキオンの声色には、警戒の念が張り巡らされていた。

 

「へぇ、良い度胸だ。確かに赤笛は一層までしか降りられないからねェ、捨ててしまえばそんな咎はないなァ」

 

 幾万回通ったか推察もできないほどに、人物の足取りは確信的だった。周囲の地形を窺いながら進むことすらしないその無防備さは、もし彼女たちと同じ風貌ならばどこか危うい印象を抱かせたやもしれない。それを防いでいるのは、人物の巨きさ、語り口であった。黒い、底なしの黒さがマンハッタンカフェの視界にあった。

 

 ──ふたりいる(・・・・・)。それは彼女が声をかけられてからずっと抱いている疑問、恐れだった。間違えたという、ただの自己犠牲で話を終わらせることを、彼女は許していなかった。

 

「私も」マンハッタンカフェは、だから口にした。「私も人を」

 

「殺したのかい」

 

「間接的に、ですが。貴方も、同じでしょう」

 

「いやぁ、私は違うね」

 

 まるきり直接的さ。その人物は、左手を嘲笑するかのように少し上げて、手のひらを握りつぶした。その中にあった空気全てが虚無に帰されたのだと錯覚した。そういえば、と、直前の動作から考えられない、またの平坦さ。単純にわからないというだけでなく、わかってしまうことすらも怖い、そんな人物。

 

「オーゼン」

 

 私の名だよ。

 

「……アグネスタキオン」

 

「マンハッタンカフェ、です」

 

「ふぅん……珍しいね」

 

 オーゼンと名乗った、そのひとは、彼女たちの名に反応してひとつ振り向いた。こんどはその笠と、首部分の装甲との間に、ようやっと表情、その横だけを読み取ることができた。それは全くの仏頂面であった。アグネスタキオンと、マンハッタンカフェは、それぞれ全く違うアプローチで、人を理解することに長けている。そのなかで奇妙なつながり、正反のふたりなのにどこか繋がっていて、それでいてお互いがわからないから、お互いに居ようと言い出すこともなく、二人で過ごしていた。だけれど、今、屹立しているオーゼンというひとは、まず、自分たちの空間に立っていない。それよりも大きな、二人を囲む立方体があったとして、その世界を両の(てのひら)、その上に置いている。わたしたちのせかい、それは無限に続いていると、信じていたのに──。

 

「あァ、もしや君らこれも知らないだろ、余所者なら」

 

 オーゼンが左を指すと、そこには溢れんばかりの大穴が、横に穿たれていた。明らかに人工的だった。直径百を超えるかと言わんばかりの大きさで、周りには今、誰もいないけれど、確実に誰かがいた形跡がある。まるで銃弾に撃たれたようだ、という想像が、マンハッタンカフェの中で、いつかここから出てくる探窟家たちを流れ出る血液のように想像してしまって、そこで空恐ろしさを感じてしまった。その明確な恐怖を、オーゼンは敏感に、手に取るように察知していた。

 

「ここは遺跡さ。二百年前に見つかって今もわかってない」

 

 このひとのわかっていない、と、薄紫(はくし)の髪、エリカのわかっていない、それには字面だけしか共通点がなかった。知らないことによる無知と、知りすぎたことによる無知のような、互いの粘度が混ざって、二人の中に、硬くも柔らかい感触をもたらしていた。君らにはまだ関係ない話さ、まだね。オーゼンは笑んだけれど、それが仏頂面の範疇に含まれる笑みであることを、彼女たちは声に出さず理解していた。アビスの自然が、あまりにも美しすぎて、目の前の人物らしからぬ人物のことしか目に入らない。彼女たちはこのままついていくのか、いかないのか、考えながらオーゼンの後を進んでいった。やがてたどり着いた逆さ森という名称も、本当に木が逆さに生えていて、猿に酷似した群れの縄張りや怪鳥の巣が点々としている。霧の影響か、滝までもが上に向かって落ちている。オーゼンは一度も、原生生物たちに「歓迎」されることがなかった。すなわちそれは、この人物が、二層のほぼ全ての動植物環境を記憶しているか、圧倒的強者であるが故に原生生物コロニーの畏怖対象となっているか、と示している。

 

「きみは」

 

「……ン?」

 

「きみは一体、何なんだ」

 

 アグネスタキオンはオーゼンと相対して、初めて言葉を絞り出した。そこには沈黙の期間、溜められていた怒りとか、後悔、恐怖あたりが含まれていたけれど、なんとそれは指一本で、かるく払われてしまった。

 

「オーゼンだよ。探窟家……白笛さ」

 

 木材でつくられた人工の橋を渡っていく。高いところから吊るされていて、しっかりとした構造が組み立てられている。あれを見な。オーゼンが指をさして、彼女たちはやや上を見る。島のような、球形の施設が浮かんでいる。望遠鏡が四方を望んでいるようで、そのひとつが彼女たち三人を捉えている。

 

 ごとごと、と、何か小さなものが落ちて来ている。それはゴンドラであった。

 

監視基地(シーカーキャンプ)って言うんだ、あそこ」

 

 私の探窟隊もあそこに居るよ。オーゼンは意気揚々とゴンドラに乗り込んだ。彼女たちはほとんど強制的に乗せられたに等しい。それは自然が押し付けてくる理不尽とはかけはなれていて、とても居心地の悪い、奥歯の静かな噛み締めだけをもたらしている。上昇負荷がかかる。二層は、重い頭痛、吐き気。降るばかりだった彼女たちは、その存在を少しだけ、忘れていた。ほうほうの体で、再び開いたゴンドラから転がり落ちた二人と対照的に、オーゼンは吐くそぶりのひとつすらも見せない。

 

「そこで少し休むかね」

 

「……大きな世話だ」

 

 アグネスタキオンは込み上げる胃酸をすんでで堪えて、立ち上がった。ここで、戻すと、いけない。マンハッタンカフェにとってそれは、十分な理由であった。

 

「大した根性だねェ」

 

 オーゼンはあたたかい光の中に進んでいく。暗い気配は、どうにも浄化されていない。明かり自体が遠慮がちに避けていくようである。

 

 行きますか。マンハッタンカフェは彼女に問うた。彼女は、マンハッタンカフェの方を見ずに、かすかに頷いた。マンハッタンカフェは少しだけの、悲しさを持った。同時に、オーゼンと名乗った白笛に対する、やはり怒りがあった。進まないわけにはいかなかった。

 

 

 

「君たちに聞きたいことは幾らでもあるんだが、一先ず座ると良い」

 

 応接間らしきところに入り込んだ三人、そして、オーゼンは装備を脱いだ。それはやはり、信じられないほど大きな音を立てて地面の木に落とされた。中から現れたのは、紛れもなく人。オーゼンと名乗る女性であった。耳の後ろ程度にしか伸びていない髪が、奇妙になでつけられている。元々の地毛を捨てて、黒と白に染めたような、そんな、淡青な印象。

 

「不動卿なんて呼ばれたりするけど、私はあんまり気に入ってないから、なるたけ呼ばないように。一応監視基地(ここ)の防人ってことらしい」

 

「ひとつ、いいですか」

 

「なんだい」

 

「……なぜ、二人いるんですか」

 

 ──白笛は、碌なひとがいない。エリカが確かそう言っていた。碌なひとがいない、という事実を、まったく彼女たちは甘く見ていた。たとえば人には多かれ少なかれ、信念がある。基盤がある。本人にもわからない核を、素で取り繕って、そこから得られる行動がある。だけれど、この人には行動だけがある。あまりに大きすぎる過去が、きっと何かを窺い知ることを拒んでいるのだ。そんなひとが見せる笑顔。いい気分になるということは、残念ながら起こらない。

 

「へェ、きみ、見えるんだ」

 

 オーゼンはテーブルを挟んだマンハッタンカフェ、その頬に手をかけ、点眼薬を垂らすように指をうごかして、見つめた。マンハッタンカフェは逃げなかった。しっかりと、オーゼンの瞳を見ていた。青い(・・)。黒いけれど。少なくとも彼女は、マンハッタンカフェを丁重に扱うようだった。硝子細工のように。

 

「やっぱり君たちは……成れ果てなのかなァ」

 

「なれはてとは、なんだ」

 

 オーゼンの見せる、笑み。それはたとえその表情が消えても、消えたということが、アグネスタキオンの体の振動……呼び起こされる怨嗟の数々であったりを、再認識させている。成って、果てる。それは化け物に? きっと違う。もしかするともっと高貴なもの。あたたかな室内で、やはり彼女の周りには独特の匂いが漂っている。夥しい数の命の香り。彼女の中で蠢く命の、もしくはマンハッタンカフェの言う、ふたりめの。紛れなく黒い。けれどその瞳をよくみると。やはり青であるのだ。

 

「六層の上昇負荷は知ってるかい、死か、人間性を失うか……もっと分かりやすく言うなら、死ぬか、死んだ方がマシな姿で生きるか、ってことさ」

 

「……」

 

「──君たちのその耳、尻尾……ねェきみら、アビス(ここ)について何か知ってるんじゃないかい」

 

 物語が動こうとしている。そこに諍いはない。少なくとも表面上は。全てが当然のように進んで、だけれど、彼女たちは確実に中心、もっと深い、光る闇の中としか形容できないものに吸い込まれている。下を見ながらゴンドラを降りていった彼女たちは、いつしか背中に落下の風を受けている。衣服がぱたぱたとひらめいていて、白い白衣、黒いコート……次第に身に纏われていく、記憶の箱にそっと入れた衣装。

 

 私たちは、もしかして、ここから。

 




続きます。
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