死へと至る病   作:________

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更新が遅れてしまい申し訳ありません。実はあれからまた別件の交通事故を起こしました。相手とも五体満足かつ存命で、車両の損傷もこちらのみでありますので、不幸中の幸いといったところです。
では、よろしくお願いします。


4:友人──深度2500m

 探窟家は成れ果てを殺すという暗黙の了解が伝えられた理由は、実のところはっきりとしていない。醸成された呪いを経験することのできる貴重な探窟家は──ただ単に貴重というだけで、まったくもって幸運なこととはいえないが──、そもそも戻らない、戻れない旅に赴いた狂人のみだからである。深部から電報船を飛ばしたとしても、狂人である白笛以外ではまともに取り扱ってもらえない。だから確かに、成れ果てを殺すことを書いたのは、白笛である。

 

「……さま、起きてください、お師さま」

 

 肩を揺らしている。

 

  それだけはないだろう、というのが、アグネスタキオンの、オーゼンを前にして初めて成し得た反駁であった。そこからあふれ出る湯水のように、我々は事前発生的に生まれたこと、あまりに多くの個体数が世界の中で生活を営んでいること、人間とは酷似しているが生物学的に同一である保証が無いことなどを喋った。彼女はなるたけ堂々としていたが、それが中空の虫歯のような、もはや表の薄い殻だけであるという自覚がアグネスタキオンにぼんやりと浮かんでいて、きっと、思いつくうちの反論をされるのだろうと、一周(ひとまわ)りしてサビた冷静さを保っていた。それ穂とまでに彼女は、特定できない何かに怯えていた。

 

「大体二百年位になるんじゃないかなァ、きちんとは数えてないけど」

 

 私は歳だからねェ、彼女はこきっと首をならした。じりじりと迫って、そのまま圧し潰さんとするような質量を、二人は感じ取っていた。このひとは、私たちのことが嫌いだ。それも、大きく。マンハッタンカフェは奥の歯を少し強く噛んだ。

 

「ここに変ないきものがやってきたんだよねェ。尻尾と耳が生えてたんだ、そりゃ変だと思いもするさ。船に乗ってきた……なんて記述が残っちゃいるが、適当に偽装すればもう真偽は不確か、私だって今更確認の仕様が無いのさ。……知ってるかい、君たちに人権を与えたのは私なんだよ。余所者かも分からない君たちにさ」

 

 腕を組んで、オーゼンは座った椅子から動いていない。だけれど、その笑みがまったく、人を超越している。彼女たちは、自分たちの笑みに、狂気が宿っているという自信、彼女たちが自意識の外で持っていたそれを不躾に打ち砕いていった。彼女は、自分自身を理解させることを望んでいないに違いない。彼女が組んだ手を解いてポケットから、みごとにくたびれた蒼笛をふたつ取り出したので、その疑念はますます深くなった。理解と無理解の範疇にとらわれた二人を目に掛けないかのように、オーゼンは二人へ笛をかけた。別に貸与ということは無い、と彼女は口にした。どうせ死人の笛だからさ。すぐに二人は首から外した笛を、おそるおそる机の上に置いた。彼彼女がつけた笛の口──洗われてはいるだろうけれど──の、そこから導かれる、最期の姿。恐怖に笑っているようにも、恐怖に泣いているようにも見える。

 

「今更何をびびってるんだい、ここまで来たってのにさ」

 

 それは嘲笑だと、マンハッタンカフェは受け取った。だけれど、彼女が瞼を閉じて、オーゼンを見る、そこにはなぜか対立して、自嘲のような空気が存在していた。

 

「あなたも、同じでしょう」

 

「あァ、私はもう無頓着さ。ここじゃ生き死になんて議論はハナからお断りだからね。二回も同じことを聞くもんじゃないよ」

 

「じゃぁ」

 

 そこでマンハッタンカフェは声を詰まらせた。オーゼンは愉しがるように先を促した。私たちがこのひとを怖いと思うのは、きっと、分かりたくないからだ。

 

「その、そこの、もうひとり(・・・・・)は生きているんですか」

 

 オーゼンの、その言葉を聞いてからの動作は、とてもゆっくりとしている。迷いなく首を絞めようとする動作である。オーゼン自身にも、彼女をたとえば、このまましきって(・・・・)しまおうという意思があったか、答えられない。彼女の動作はただ、彼女の腕に埋め込まれた遺物によって、何者によっても、ウマ娘であっても、アグネスタキオンであっても止められない行動となる。その行動を止められるのは彼女自身であり、責任は彼女にのみ存在するのである。

 

「君、視えるのかな」

 

「なにが、です、か」

 

「魂だよ、魂」

 

 それはオーゼンにとっての、肯綮(こうけい)であった。怖がることはないとは言わなかったが、彼女はゆっくりと、いましがたマンハッタンカフェが置いた笛をもういちど首にかけた。やはり、重い。爆弾でも括り付けられたかのような、そんな不信感が彼女を締め付けていた。君もかけていたまえ、手を離したオーゼンがアグネスタキオンに向かって声をよこすと、彼女はきっと、生まれて初めて、ひとに拳をぶつけた。当たったのは手の甲の部分で、しかし(・・・)硬い。自分の殴打に手を引いてくれたのは、もしやすると、オーゼンのやさしさ? なのかもしれないのではないか……彼女はそれでも、素早くマンハッタンカフェから笛を取り去った。息をしていないことに、マンハッタンカフェはそこでようやく気づいて、しばらく胸を手で押さえて、荒く呼吸をした。

 

「悪いがわたしたちはもう探窟家じゃないのでね」

 

「おや、そりゃいけない」

 

 アグネスタキオンの右手は、少なからず痛みを残していた。オーゼンはまるで殴られたことをなかったかのように、自分のいた椅子に座り直した。手を、だらりと下におとしていた。また笑っていた。

 

「君たちは不法侵入者なわけだ」

 

 殺される。直感した二人は、なんと逃げ出そうとした。まるで理屈を吹き飛ばして結果だけを錬成する魔法少女のような結論の出し方だった。二人は奇妙に、普段の正反に対してこういったとき見事な一致を成しているのである。彼女たちの脳味噌はたしかに逃亡を叫んでいた。ペグと布切れをもって、いくらか上り返してでも野営することを考えていた。もしくは、もうずっと進んでしまうことを考えていた。オーゼンはそういった、彼女たちの怖気について、とてもよく理解していた。今決めることじゃないさ、別にね。

 

「ここから出る時に決めたらいい。よく選択することだね」

 

 適当に空いてるとこで寝るといい、と装備を片手で抱えながら、オーゼンは最後までゆっくりと去っていった。二人はそのあとしばらく放心して、机の中央に置かれたふたつの青笛を見ていた。ここには元来木々の暖かさがあって、気候的にはやや肌寒いけれど、そういった遠慮がちな優しさが彼女たちを包み始めている。手の先から麻痺薬が切れた時の、震えるような痛みが襲ってきて、アグネスタキオンはそれでも安堵した。守ることができた、彼女はそれだけを脳髄に浮かべていた。殺されずに済んだ、よりも、殺さずに済んだ、が先に来て、彼女は少し笑ってしまった。泣き笑いのようなものだった。どこまでも進んで、そのどこまでも、の内で、何か無様に絶たれる生命、という文言。彼女たちはそれを、言い訳としてではあるが、認めていた、または認めなければもう話が進まないところまできていた。しなだれた耳、慣性に揺られるままの尻尾をそのままに、彼女たちは無言で、部屋を出た。

 

 

 

 久しぶりに食べた、碌な食事は二人の心に想像以上の快復をもたらした。テルと名乗った月笛の探窟家──本当はテオというらしいが、オーゼンがあまりに間違えるのでもうテルと名乗ることにした、と文句まじりに言った──が運んできたものは、単に肉を煮て、適当な調味料と味噌で味付けをしたものだったが、オースとアビス(ここ)にきていちばんの、まともな食事だと言えた。滑落亭での、ギャリケーとの一悶着、その始終を見ていたと彼がアイス・ブレイクの一環として話したので、彼女たちはややもすると、すでに相当の注目下に置かれているのではないか、などと考えた。だけれど、この、目の前の器に盛られた汁のあたたかい感触あたりを味わっているうちに、そういった問題がひどく瑣末なことだという結論方向に向かっていって、帰着的に彼女たちは、その部屋で倒れるように眠っていた。自分の出自がもしかすると、何かしらの度し難いものかもしれない、といった想像が二人を巡って、その一面で彼女たちはつながっていた。それを手掛かりにして、ほとんど背中合わせになるように彼女たちは眠っていた。

 

 布団も寝袋も何もないところで寝てしまったものだから、彼女たちは翌日、おそろしいほどの腰痛と首、腕、脚、頭その他様々の痛みで目を覚ました。どうやら適当に世話を任されたらしいテルは、流石に男性であったから身辺がどうのこうのまでは干渉できなかったけれど、そこはなとなく食事を置いたり、風邪を引き熱を出したアグネスタキオンのタオルを替えたりしていた(マンハッタンカフェが頑なに看病を申し出たし、アグネスタキオンも願ったが、二人の世話をするのは面倒だというテルに彼女たちは言葉を飲み込んだ)。そこに無機質さは意外なほど少なく、姿こそほぼ見せなかったけれど、この男がオーゼンの探窟隊に所属しているということが、まったく信じられなかった。マンハッタンカフェまでもがオーゼンのことを、とくにぶきみなひとだと感じていたから、彼女たちはオーゼンを、負方向のひとだと考えたのだ。笛を捨てるか否か、という議論について、彼女たちはそれぞれ、ひどく難航した。難航という言葉が、発されず、そのまま彼女たちで共有された時、それは皮肉以外の意匠を持たなかった。寝て、起きても、逆さ森の葉に遮られた光が明度の違いを運んでこないので、時間感覚の無意味さは日毎に加速していく。抑も日がわからない為である。

 

「あぁ、タチキリ熱。……へえ、そっち(・・・)じゃカゼって言うんだな。ひゅーひゅー吹いてる風とどうやって見分けるんだ」

 

「文脈です」

 

「面倒なことだねぇ」

 

 案内役を買って出たテルはマンハッタンカフェの前に出て、極めて無意味な会話に終始した。彼女の看病の願いかたは、きっと本人は気づいていないだろうけれど、ほとんど脅迫のような圧力であった。それよりも不気味なのは、病人自らが、後ろの少女と少しでも長くいることを望んでいたことで、つまるところこの会話は、マンハッタンカフェを少しでも平静にする手段の一つであった。

 

「ま、ちょっと見て回れば大抵はわかるさ。迷ったらでっかい方の壁に手ついてさえいりゃ大抵のところには行ける」

 

 彼が逐一彼女のことを気にかけているのを、マンハッタンカフェはより抽象的な、彼女のもつ生命力のようなもの、それに対する触れかたで察していた。彼の、その他様々な予断はついに種を枯らして、二人はもう直ぐ一周してしまうような監視基地の全体を、まるで真の目的でもあるように無意味に回っていた。じゃぁ、と言ってテルがきっと、何か飯を作るか持ってくるかのために去っていった後も、彼女は本当に無意味に、何の気なしに、左手を壁についてぐるぐると監視基地を回っていた。梯子で上り下りする場所と階段で上り下りする場所がなぜか混在していて、だけれど全体は円形を保っている。四方の望遠鏡と、巨大な木の中にできた、瘤のような監視基地。窓のない廊下の中照らされている石灯の明かりは、その小ささに対して大きいけれど、どこか怪しい。加えて木をくりぬいた中の、壁の冷えた感触……特段の関心なく、ただゆったりと視線を送っているような気配……。二、三日熱は下がりそうにないというのを、アグネスタキオンはよくわかっていた。マンハッタンカフェにわらいかけたものの、それは嘘で、マンハッタンカフェも、嘘だとわかっていた。それがどうしようもなく嬉しくて、彼女は奥歯を一度だけ強く噛んだ。彼女は放浪して、二時間もしないうちに紹介された部分の全てをもう一度見尽くしてしまった。

 

「おや、なんだ視える(・・・)方の子じゃないか」

 

 背後から声がかかったもので、彼女は振り返って対峙しようとした。つまり、頭に置かれた手によってそれらを完全に塞がれてしまった。たとえ手を置かれていなかったとしても、彼女は動けなかった。全身の毛が反射的に震え上がっていた。

 

「あの子タチキリ熱だって? まったく残念だねぇ」

 

 オーゼンはわざとらしくため息を吐いた。彼女たちのうちにはまだ、自分たちの人ならざる力で、何とか、何とか、掠れかけた目標をかすれかけたまま追走することが出来ると信じるここと、つまり差別の念が残っていた。驕っていたといってもいい。身の丈に合った身の延ばし方だったと形容してもさしたる支障はないかもしれない。行けばあんとかなる、何とかならなくたって別に構わない……笑顔すら思い浮かびそうなその文面が、この城府に話しかけられる、それで儚い一本の蝋燭になっていく。

 

 何をしていたんですか、といったあたりの、特段当たり障りのない話題を彼女は選んでいた。オーゼンはつまらなさそうに眉をしかめたが、先ほどとは別の、仕切りなおすようなため息を吐いた。こうあった、意識をしてため息を使い分ける人たちに、凡そろくなものはない。彼女が二十と少しの人生で学び取った教訓であった。

 

「私室に帰るのさ。あとに野暮用があるからねェ、誰だって安らぎの一つや二つ欲しいだろう」

 

 歩き去っていくオーゼンはひとつ手振りをしただけで、特に彼女たちを害するようなそぶりを見せなかった。私たちがどのような選択をするのか、その如何によって彼女が今振っている掌の、矛先を持つかが変わるのだ。己の中に生れいづる臆病な自尊心と呼んでしかるべきものが、鎖を繋がれ吠える犬のように慟哭していた。わたしたちは、そう言おうとして、彼女はえずいた。胸を叩いてみたり、喉仏を弄ってみたりしたけれど、どうにもかすれた声のみが出るようで、彼女は歯ぎしりをした。言えなかったことに安堵している自分が確かに存在して、彼女はその、空想の存在の心臓に向けて、迷いなく手刀によって貫いた。それは当然のように幻影で、だけれど貫いた右手は、確かに彼女の想像上の血によって濡れていた。はっきりと、友人(・・)でないことがわかった。

 

 そうだ、とマンハッタンカフェは、気づいた。友人が、いない。いない、と感じるのは彼女にとって自然なことで、しかし彼女のいないは、いずれ確実にやってくる「いる」に保証されたいないだった。その保証は薄い安心感をマンハッタンカフェに与えていて、全身を薄く包む重量のない衣服のように、境界なく漂っていた。まちがいなくオースにいるあいだ、その感覚はマンハッタンカフェを不干渉に、優しく包んでいた。じぶんはひとりだ。彼女はひどく気が動転していた。いまひとりだということが彼女にとって、耐え難い寒さであったのだ。だれか、と考えて、左手を壁について、三階にあるアグネスタキオンの寝床まで、ほとんど全速力を切らさずに走っていた。ひさしぶり、であるとか、そういったことをベッドの上からかけようとしたアグネスタキオン、その手を、彼女はきつく、両手で握り込んだ。なんと、驚くべきことにここにも友人は居なかったのだ。アグネスタキオンはもうほとんど快復していて、衣服の濡れ具合を鬱陶しいと思えるほどの力を有していた。

 

「……」

 

 きみもやすむといい。アグネスタキオンは少し汗ばんだ顔で言った。彼女の不安、恐怖、そして少しの欲望を、アグネスタキオンが把握していたとは到底考えられない。だからこそアグネスタキオンは、マンハッタンカフェを好いていたし、マンハッタンカフェはアグネスタキオンを好いていた。この好色を恋愛だと論ずるのはあまりに滑稽である。寧ろ好事家であると考える方が幾分か近い。

 

 マンハッタンカフェは精神的に、疲労していた。それとは別にまた、彼女たちを苛む共通の問題。結局隣の部屋で仮眠を取ることにした(無論テルの、半ば強制のようなあれこれである)彼女は、それからほぼ一日、目を覚まさなかった。

 

 

 

 アグネスタキオンがもう一眠りして、ほぼほぼ完全な体調と共に目を開けたのは、マンハッタンカフェが胎児のような姿勢で眠った半日後であった。テルの運んできた残り物の飯を適当に食べて、まぁもう動いても問題なかろう、という結論のもと、彼女は監視基地を歩き回った。奇しくもマンハッタンカフェと同じように、ぐるぐると壁に手をついていた。唯一違ったのは、外に出たことだ。シーカーキャンプを一回りするような縄と形容すべき部分があって、どうやらそこで洗濯物を干したりしているようであった──かなり乱雑に干してあって、いくつかは風で飛ばされている最中であったが。外の空気は寒く、やや下から光が立ち上っている。木製の手すりに寄りかかってみるものの、地形に囲まれてとても観察できたものではなく、アグネスタキオンは失意のため息をついてデッキを進んでいった。

 

 やがてその歩みが、あまりにも巨大な扉にて止まる。人の力では、たとえウマ娘の力でもってしても、扉であることを疑わせるような反発で答えるとアグネスタキオンに確信させるような、重厚感。指の関節で叩くと響く、密度。オーゼンと名乗った女性の部屋だろうか、と疑った。その疑念を助長させたのは、お誂え向きに開いている人一人分の隙間である。

 

 ウマ娘に人権を与えた、と主張するオーゼンは、彼女から見ればまるで善の体現者であるにも拘らず、彼女は明確に、オーゼンへの不快感を抱いていた。マンハッタンカフェに死者の笛を被せるという行為は、アグネスタキオンにとって、絞殺未遂となんら変わりのないほどの重みを持って、彼女のもつ、彼女自身の知らない部分に楔を打ち込み、こじ開けんとしている。時折小さく震える、眠るマンハッタンカフェの手をそっと握ったあとから、アグネスタキオンは、ともかくオーゼンを嫌っていた。何かしらの策略だろうと考えても、アグネスタキオンの体は扉の中へ吸い込まれていった。紛れもなく、自分の意思がそうさせたのだ。




2/12(月、祝)開催のプリティーステークス34Rに参加します。
続きます。
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