Red Flood × 宇宙世紀(仮)   作:うねる蛇

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皆さん、本作の著者であるうねる蛇です。
大変お待たせいたしました、今年初の更新です!
今回も前々回・前回に引き続き、転生ボグダーノフ(アレクサンドル・コルヤノフ)視点で続きます!


古く新しい夢への一歩

西暦2168年、フォン・ブラウン・ビレッジの基盤教育区画にて。

 

地球で言う小学校にあたる教育を行うこの区画では、只今卒業試験が行われていた。

この卒業試験でどれだけ優秀な成績を納めたか、それによって今後の自身に課される教育水準が変わってくるため、自らを宇宙開拓の先鋒を担う世代と考えており、そのために様々なスキルを磨きたい生徒たちは必死に試験問題を解いていた。

 

やがて薄い電子音が教室内に響き、試験終了の合図が告げられた。

 

「これで筆記試験は終わりです。全員、筆記用具を置いてください。」

 

教師の指示に従い、12歳のアレクサンドル・コルヤノフ——赤い洪水Red Floodの世界のアレクサンドル・ボグダーノフの魂を受け継いだ少年——は手にしていたタブレットをそっと机に置いた。

周囲からは小さなため息や椅子が軋む音が聞こえる。

教室の中には緊張から解放された雰囲気が漂い始めていたが、アレクサンドルの目はまだ鋭いままだった。

 

(問題自体は難しくなかったが、最後の設問は少し引っかけがあったな……)

 

内心でそう反芻しながら、彼は他の生徒たちと共に教室を後にした。

廊下へ出た瞬間、異様な光景が目に飛び込んできた。

教師陣がずらりと並び、子供向けの宇宙服を山のように積み上げて待ち構えていたのだ。

 

「これから試験の実務科目を開始します! 皆さん、それぞれ宇宙服を正しく装着してください。配布されたIDカードに対応する宇宙服がこちらに用意されています。制限時間は10分!」

 

一瞬、廊下がざわついた。

しかし、アレクサンドルはすぐに状況を理解し、宇宙服の山に向かって歩き出した。

 

(実務試験があるとは聞いていたが、こういう形で来るとはね……)

 

彼の手に渡された宇宙服は、自分の体にぴったり合うサイズだった。

酸素供給ユニット、通信システム、耐放射線シールドなどがすべて標準装備されている簡易型だ。

アレクサンドルは冷静に手順を思い出し、迅速に装着を始めた。

宇宙服の装着は慎重かつ迅速に行わなければならない。

特にヘルメットのシールチェックを忘れると命取りになる。

 

「……よし、完了。」

 

アレクサンドルが装着を終えた頃、周囲の子供たちも次々と準備を整えていた。

教師がエアロックへと案内し、説明を始める。

 

「これから皆さんはエアロックを通過して月面に出ます。そこから割り当てられた通信ビーコンに向かい、起動してください。どれだけ早く、正確に任務をこなせるかが評価のポイントです。幸運を祈ります!」

 

エアロックの扉が重々しく開き、月面への通路が現れた。

アレクサンドルは深呼吸し、月面へと一歩を踏み出した。

外に出た瞬間、視界一面に広がる灰色の風景が目に飛び込んできた。

月の薄い大気では音がほとんど伝わらず、無音の世界がアレクサンドルを包み込む。

彼は手早く用意されていた小型月面車に乗り込んだ。

この車両は太陽電池を動力源とする二輪タイプで、最大速度は時速15km程度。

荒れた月面の地形を素早く移動するには最適だった。

 

「通信ビーコンの位置は……あれか。」

 

遠方に小さな機械の影が見えた。

彼はアクセルを踏み込み、月面を滑るように進んでいった。

 

ビーコンに到着した時、アレクサンドルはすぐに異常を察知した。

 

「……起動しない?」

 

ビーコンのスイッチを押しても反応がない。

ディスプレイにはエラーメッセージが点滅している。

 

(こんな時に故障とは……いや、こんな状況も想定されていたのかもしれないな。)

 

アレクサンドルは迷わず月面車の工具箱を開き、必要な道具を取り出した。

電源ユニットの接続部を確認し、コネクターの状態をチェックする。

配線に少し焼き切れた痕跡を見つけると、すぐに交換作業を始めた。

無重力に近い月の環境では、工具の扱いも地球とは勝手が違う。

しかし、彼は慣れた手つきで配線を修理し、電源を再接続した。

 

「……これでどうだ。」

 

再びスイッチを押すと、今度はビーコンが正常に起動し、緑色のランプが点灯した。

アレクサンドルは安堵の息をつきながら、通信モジュールが正しく作動しているのを確認した。

 


 

試験終了後、すべての受験生がエアロックに戻され、教師たちが最後の説明を行った。

 

「今回の実務試験は、緊急時における月面コロニーからの避難手順を想定した訓練も兼ねています。コロニーのシステムが万が一機能しなくなった場合、皆さんが自分の力で生き延びる力を持つことが重要なのです。」

 

教室内が静まり返った。

試験が単なる学力測定ではなく、彼らの生命を守るための訓練であったと知らされ、生徒たちはその重みを実感していた。

 

「それでは、これで試験はすべて終了です。お疲れさまでした。」

 

アレクサンドルは静かに宇宙服のヘルメットを外し、窓の外に広がる月の風景を見つめた。

 

(生きるための知識か……。この世界にはまだまだ学ぶべきことが多い。前世での私が想定もしていなかったような知見が、これからもっと必要になるだろう。だが)

 

彼は窓の外、遠くに輝く地球を見上げた。

日露戦争の後、自分がレーニンとの政治闘争に負けた結果、フペリョート主義が生まれず、社会主義運動もレーニン主義の教条主義に囚われ、21世紀を迎えることなく死んでしまったこの世界。

 

(…この世界に私の思い描いた理想郷を作り上げるためならば、その程度のことはやってのけようではないか。)

 

そんな世界でも諦めることなく理想郷の建設を夢見る、一人の少年がそこにはいた。

 


 

西暦2170年、フォン・ブラウン・ビレッジにて。

 

アレクサンドルは、放課後のいつもの道を軽やかな足取りで進んでいた。

この月面都市の通りには、仕事を終えた大人たちや学校を出たばかりの子供たちが行き交っている。

その喧騒の中、彼の目指す先は一つだけだった。

 

図書室。

 

それは、14歳のアレクサンドルにとっては第二の家のような場所だった。

7歳の頃から訪れていたその空間で、彼は無数の本を読み、地球と月の歴史、科学、哲学、文学に至るまで、知識を貪欲に吸収してきた。

そのあまりの知識取得の速さに、周りの大人たちからは神童と呼ばれるほどまでになっていたアレクサンドル。

しかし、最近では少し退屈を感じるようになっていた。

理由は簡単、図書室にある本のほとんどを読み尽くしてしまったのだ。

 

「新しい書籍が届いています。」

 

カウンターにいる司書ロボットが、柔らかい電子音でアレクサンドルに告げた。

その言葉を聞くと、彼の目が輝いた。

地球からの定期便は月にとって生命線であり、食糧や資源とともに新しい文化や知識を運んでくる。

それが月の住民にとってどれだけ待ち遠しいものであるか、アレクサンドルは誰よりも知っていた。

 

彼はカウンターの指示に従い、新着書籍の棚へと向かう。

そこにはまだ開封されていない、本の山が積まれていた。その中に、一際興味を引くタイトルを見つける。

 

『ソビエト連邦の栄光と没落:社会主義運動の歴史的教訓』

 

そのタイトルを見た瞬間、アレクサンドルの胸に冷たい緊張が走った。

 

(ついに見つけた……!)

 

彼はためらいなくその本を手に取り、近くの席に腰を下ろした。

表紙を開き、序章に目を通すと、まずはソビエト連邦成立の背景と、20世紀初頭の社会主義運動の熱狂について語られていた。

アレクサンドルにとっては既に他の本に書いてあった既知の内容だったが、彼の興味関心は他のところにあった。

 

「……この世界のソ連で、1920年代に早死にしたレーニンの死後に台頭したのは…スターリンか。まあ、彼はあの阿呆と比較的距離が近かったからな…」

 

前世の世界において、ボリシェヴィキの古参幹部の中でも比較的影の薄い存在であったスターリン。

ボグダーノフは彼と面識自体はあったが、一度革命軍が満州に撤退した後は音信不通となり、結局再会したのはロシア再統一戦争中の、彼の属するコーカサス協会の同志達との合流時であった。

しかし、この本に記されたスターリンの政策には、彼が知るものと異なる細部が記載されていた。

スターリンは農業の集団化を推し進め、工業化を急速に進めたが、その影響で起こった飢饉の規模や、反対者への粛清の内容が詳細に記録されていた。

 

(…なんだ、この飢饉の犠牲者数は…?一体どのような杜撰な経済運営をしたらこうなるのだ…?)

(そしてこの苛烈な恐怖政治…どんなツァーリよりもひどい暴政を敷いている、そう言っても過言ではないほどだ。)

(極め付けはこの大粛清だ…職業問わずとんでもない数の人間が犠牲となっている。古参のボリシェヴィキ達に至っては、ガスチェフなど私の知る者達も含めほぼ全員が粛清対象となっている…)

 

アレクサンドルは眉をひそめた。

恐怖政治が、いかに国家の内部を蝕んでいったのか。

それを冷静に分析する筆致に、彼は目を離せなくなっていた。

 

(あのレーニンの後継者として台頭した以上、この世界のスターリンがかなり教条主義的なのは想定していたが、ここまでの暴君だとは思わなかったぞ…NKVDとかいうツァーリ専制のオフラーナを想起させる秘密警察まで創設するとは…)

(…表現の自由を無くして、科学と社会の進歩、ましてや革新など、あり得んというのにな…)

 

読み進めるうちに、アレクサンドルはスターリン時代の終焉と、ソ連が冷戦時代に入る様子に到達した。

核開発競争、宇宙開発競争、アメリカとの冷戦構造、停滞のブレジネフ時代。

ゴルバチョフ政権の改革の失敗、そして社会主義国家群が次々と崩壊していく様に至っては、ボグダーノフは思わず目を覆いたくなった。

しかしこの本の中で一番ボグダーノフの興味を引いたのは、冷戦期のソ連の科学界において流行した『サイバネティクス』と言う研究分野の、ある一項目だった。

 

(2万機以上のコンピューターをロシア全土に置き、それらの間の通信網を用いて計画経済を電子化・分権化する”OGAS”計画、か…)

 

『電子決済などの機能も想定されている革新的な計画であり、地方規模での実証実験では大成功に終わったが、貨幣経済がなくなれば自身のポストが危ういと確信した財務大臣の反対、およびその計画によるソ連の強大化を恐れた西側諸国の工作活動により頓挫した』

 

この本にはそう書かれていたこの計画は、アレクサンドルの興味関心を引いた。

 

(…私の思い描く理想郷でやってみる価値はありそうだな)

 

気がつけば、図書室の照明が夜間モードに切り替わっていた。

アレクサンドルは深い息をつきながら、本を閉じた。

 

彼は本を丁寧に棚へ戻し、立ち上がった。

図書室を去る彼の顔には、何らかの確信に満ちた表情がありありと浮かんでいた。

 


 

西暦2173年、月面都市『フォン・ブラウン・ビレッジ』。

 

発展教育区画——地球でいう中学と高校を併せたような六年制の教育機関——の区画責任者室、その部屋の前で、アレクサンドル・コルヤノフは静かに深呼吸をした。

17歳となった彼は、すでに発展教育区画内で医学研究志望生の中でも屈指の優秀さを誇り、周囲からは当然のように医学の道を進むと見なされていた。

しかし、彼が今日この場を訪れた理由は、それだけではなかった。

ドアをノックするアレクサンドル。

 

「入れ」

 

中から低く落ち着いた声が響くと、アレクサンドルは扉を開け、室内へと足を踏み入れた。

室内は月面都市らしく無駄な装飾がなく、シンプルなモジュール家具で統一されている。

部屋の中央にあるデスクの向こうには、区画責任者であるグレゴリー・ヴォルコフが座っていた。

地球生まれの壮年の男で、短く刈り込んだ銀髪が特徴的だった。

 

ヴォルコフは書類を一瞥し、アレクサンドルに視線を向ける。

 

「お前が進学先について相談があると聞いた。医学研究志望としては、当然、ここに新設される大学の医学部を選ぶつもりだな?」

 

アレクサンドルは静かに首を振った。

 

「はい、ですがそれだけではありません」

「それだけではない、だと?」

「医学研究に加えて、コンピューターと情報通信技術の研究も専攻したいと考えています」

 

ヴォルコフの眉がわずかに上がる。

ヴォルコフはしばし沈黙し、彼を値踏みするように見つめた。

 

「二つの専攻を同時に? なぜそんなことを?」

 

アレクサンドルは少し言葉を選んでから答えた。

 

「私たちは、地球とは異なる環境に生まれた開拓者の世代です。宇宙に進出する人類として、単に技術を継承するだけでなく、地球社会に特有の様々な方面のしがらみのない、新しい形の社会を築く責任があると考えています」

 

ヴォルコフは腕を組んだまま促す。

 

「続けろ」

「医学を志望していたのは、宇宙開拓の過程で避けられない事故や疾病による犠牲者を減らすためでした。しかし、長期的に見れば、それだけでは不十分です。初期開拓段階を超えた後、持続可能な社会を築くためには、情報通信システムを基盤とした公平で効率的な社会インフラによる効率的な資源配分が不可欠です。私は、その二つを支える技術の両方を学びたいのです」

 

ヴォルコフは深く息をついた。

 

「医学とコンピューター科学を同時に専攻するとなると、並大抵の負担では済まないぞ。分かっているのか?」

 

アレクサンドルは真っ直ぐにヴォルコフの目を見つめ、はっきりと頷いた。

 

「承知しています。しかし、私はそれを成し遂げる覚悟があります」

 

ヴォルコフは彼の決意を見極めるように、しばらく沈黙した後、小さく笑った。

 

「なるほど、並の学生なら止めるところだが、お前ならやり遂げる可能性があるかもしれんな」

「では……」

「許可しよう。ただし、時間の使い方を徹底的に管理しなければ、どちらの道も中途半端に終わることになる。覚悟しておけ」

 

アレクサンドルは表情を崩さず、しっかりと頷いた。

 

「ありがとうございます。必ずやり遂げます」

 

ヴォルコフは再び笑った。

 

「その意気だ」

 

こうして、アレクサンドル・コルヤノフは前世より医学とコンピューター科学、二つの分野にまたがる挑戦の道を歩み始めた。

これがどのような形で実を結ぶかは、まだ誰にもわからなかった。

 




後書き:
というわけで、今回はボグダーノフの月面の小学校における卒業試験、史実のソ連の有り様に対する反応、そして彼の進路の決定が描写されている回でした!
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それでは、今回はこれにて!
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