機動戦士ガンダム水星の魔女 異伝 地球の守り人 作:ナタタク
ガレージの中で2つの煙が換気扇の前で交わり、一つとなって外へと追放されていく。
屋内に滞留する匂いを我慢しつつ、ソファーに座るクレアは出されたコーヒーを口にするも、口に合わないのか遅々として進まない。
「ったく、お前よぉ…。わかってんのか?ここに連れてきても意味はない。引き渡し場所の指示もあっただろう?」
ガレージの主であるゴウトはジャックがワーカーごとここまで来た時には嫌な予感がした。
これまでいくつか依頼を出してきたが、このガレージまでジャックがワーカーで来たことがない。
しかも、一緒にいるのがハロだけならまだいい。
問題は今回の仕事のターゲットであるクレアまで連れてきていることだ。
クレア確保後については、ゲティスバーグで代理人に彼女を引き渡し、その場で仲介人であるゴウトに報酬が送金され、取り分をジャックがゴウトから受け取ることで今回の仕事が終わる。
逆に言うと、それまでジャックとゴウトが顔を合わせることがなければ、ゴウトとクレアが出会うことも一切ない。
こういうイレギュラーが発生した場合、ろくなことが起こらないことが相場だ。
厄介ごとを持ってきたジャックを睨むゴウトだが、気にすることなくタバコを吸う様子に苛立ちを感じる。
そんな中、コーヒーをようやく飲み終えたクレアの体がポフッと柔らかな音と共にソファーに沈む。
わずかに舞う埃が彼女の髪や服につき、その中で小さく寝息を立てた。
「睡眠薬か」
「あんまり、聞かれない方がいいだろ。で、どうするつもりだ?」
「こいつの身元が知りたい。できるか?」
「身元?おいおい、こんなの、知りすぎると馬鹿を見るぞ」
何度も言うが、ジャックの仕事は彼女を代理人に引き渡すこと。
彼女が何者かをジャックが知る必要はない。
そんなことはこれまで傭兵として何度も仕事をしてきたジャック自身が一番よくわかっているはずだ。
「殺されかけた。こいつ一人のために、町までつぶす奴までいる。そこまでの価値が彼女にあるというのか?」
「…フェンウェイシティでの話は聞いている。ひでえ話だが、珍しい話でもねえ。まぁ、人間一人のためだけにやるってんなら、キナ臭いがな。言っとくが、情報料はてめえの取り分から差し引くからな」
ため息をついたゴウトがパソコンを起動させ、手慣れた手つきでキーボードをたたく。
その様子を見たジャックはタバコを灰皿に捨て、床に横たわる。
「ったく、こんなんなら、もっとマジなろくでなしだったらよかったよ」
炎上する町、耳元に響くモビルスーツの足音。
ジャックにとって、これがおぼろげに覚えている最初の記憶。
ガレキの下敷きになり、体中から感じる暑さと痛み。
幼い子供なら大声で泣きだすほどの傷だが、もうそれをするだけの体力もなかったことは覚えている。
血で両目がぬれているためか、視界が真っ赤だった。
今考えると、それでよかったのだと思う。
まともな視界で崩壊した町や無残な死体を見ることになった場合、気が狂ったかもしれないからだ。
そんな中、ジャックは養父と出会った。
彼が目の前にやってきて、ガレキをどかそうと手を伸ばしたのを最後に、ジャックの意識は闇へと沈んだ。
(たまに…夢を見る。俺が、じいさんと出会った日…。それ以前の記憶はない。覚えていても、意味がない。そこから、俺はじいさんとしばらく一緒に暮らすことになった。戦闘に巻き込まれた町で、死にかけのガキを助けて、しかも世話までする。とんでもないお人好しだ)
次に目を覚ました時は町の外にいて、養父がタバコを吸いながら自分の様子を見ていた。
日焼けした肌に長く、整っていない白髪の男。
ジャックは彼の名前を知らない。
名乗ることはなく、一緒に過ごしている間もジャックは彼を「爺さん」と呼ぶだけ。
そんな養父の元で、ジャックは傭兵として育っていった。
(爺さんが死んだのは2年前、一人で初仕事をした帰りだった。発作を起こし、苦しんでいた。俺にできたのは、最後の頼みであるタバコをくれてやることだけだった。爺さん自身のことも、レグルスのことも、俺を助けた理由も…何も言わないまま逝った)
多くの疑問を残したままの彼だが、育ててくれたことと武器を残してくれたことについては感謝をしている。
同時に、謎や疑問をそのまま残すことの気持ち悪さも遺してくれた。
そんな気持ち悪さを抱えたまま生きるつもりはジャックにはなかった。
夕方になり、太陽が沈みつつある中で金髪の青年がノックもせずにガレージに入ってくる。
「よ、邪魔するぜ爺さん。生きてるか?」
「へっ、まーだ爺さん呼ばわりされるほど年を取っちゃいねーよ。まったく、ジャックといいおめーといい、どうして近頃のガキは礼儀を知らねーんだ」
「そりゃ、俺もこいつも、育ちがよくねーもんでな」
断りもせずにドカリと来客用の椅子に座った青年はミリタリー風のジャケットと長いシャツにカーゴパンツといった服装で、左ほおには銃弾をかすめたような傷跡がついている。
左手には酒瓶が握られており、豪快にその中身を喉に通していく。
「ったく…で、頼んだモンはあるんだろうな?ショーン」
「ああ。でなきゃ、ここまで出向かねーよ」
飲みかけの酒瓶を置いたショーン・ギャレットが懐からUSBを出し、それを受け取ったゴウトがパソコンに接続する。
しばらく読み込んだ後で、パソコンにはUSBに格納されたデータが表示される。
「おいおい、こいつは…」
「正直、当たってほしくない情報だったぜ」
パソコンモニターに映るのは2年前、アド・ステラ120年に起こった事故の記事だ。
ラグランジュ2宙域で行われた、ベネリットグループ傘下の企業の新型モビルスーツのテスト中、そのモビルスーツが突如として暴走を引き起こした。
暴走したモビルスーツは護衛のために配備されていた同社のモビルスーツ部隊によって撃破されたものの、その戦闘は激しく、相討ちという結果となった。
パイロットは全員死亡、後方で待機していた試験支援艦も撃沈された。
そこには経営者家族も乗艦しており、乗組員には数名の生き残りがいたものの、経営者家族は全員死亡したという。
「ベンヌス社…経営者家族がみんな死んだ上に暴走の原因は不明な以上、新型モビルスーツの話題もパー。おかげで株価も大暴落…。当時の社員は頭抱えただろうな」
「そりゃあな。ま…ランクの低い会社とはいえ、安定的に収益を出してたから、系列融資の停止は避けられた。今は当時の専務さんが社長に就任して絶賛立て直し中…と。それで話は終わったはずだった…。ところが、ここでこの嬢ちゃんだ」
クレアという名前とゴウトから送付された彼女の写真、コップについている指紋。
これらを宇宙議会連合の市民データ保管サーバにハッキングをして照合した結果、クレアが何者かを知ることとなった。
「クレア・フレイヤ…。記録上は死んでいるはずの、ベンヌス社前社長の娘だ。死んだはずの彼女がなぜ地球にいて、おまけによくわからん連中に狙われているかまでは、わからねえけど。ひとまずわかるのはここまでだ」
「うーん、記録上死んだことにして別人に成り代わる…やろうと思えば、できなくもねえが…」
スペーシアンについては、各フロントで市民データが保管されており、そのデータが宇宙議会連合にも集積されている。
フロント、および宇宙議会連合によるダブルチェックが行われる環境となっているため、別人に成り代わることは難しいが、不可能ではない。
その候補となる場所の一つが水星で、特にペビ・コロンボ23のような太陽風の影響による人死にや機械の機能停止が頻繁に起こってもおかしくないような辺境のフロントがおすすめだ。
そうなると、市民データの破損やバグが発生するもので、そこで宇宙議会連合の保管している市民データとの照合が行われる。
ただし、頻繁にデータの破損や市民の死亡が発生するようなフロントでは、その分管理はいい加減なものになる。
故に一度死んだ扱いにする、もしくは表向き死んだ人間が新しい市民データをでっち上げて、別人の人生を歩むといったこともできる。
最も、彼女にそんな知識があるとは思えず、できたとしても、周囲の大人の入れ知恵かと思われるが。
「爺さん、悪いことは言わねえ。この嬢ちゃんとは関わらない方がいい。面倒くさいことに…」
「ショーン!」
何かに気づいたゴウトによっていきなり押されたショーンが椅子と共にあおむけに倒れ、同時に飛んでくる銃弾が
窓を突き破り、向かい側の壁に命中する。
倒されたことに怒りを感じたショーンだが、壁に突き刺さった銃弾と割れた窓を見て、状況を察した。
「お前、つけられたんじゃないだろうな?」
「…かも、しれねえな。確証はねえが…おい、ジャック!」
「もう起きてる」
いつの間にか目を覚ましていたジャックが眠っているクレアを物陰へ隠し終えていて、拳銃を手にロッカーの影に隠れる。
「いきなりてめえの嫌な予感が敵中だよ!」
「へへ…改めて俺の腕、わかっただろ?」
「んなこと言ってる場合か!クソッ!」
護身用のピストルを手にし、焦りを見せるゴウトと冷や汗をかくショーンに対して、ジャックは表情を変えることなく、割れた窓と壁に刺さった銃弾を交互に見る。
いくつかの足音が近づいてくるのも聞こえ、ジャックは手にしている銃を握りしめた。
(俺たちを狙う奴らも、狙われている俺たちも、どこのだれかにとってはどうでもいい存在だ。そいつにとって、問題なのは彼女、ということだろう?そいつが依頼人か、もっと別の人間かは分からない。だが…一つだけ言えることは、何も知らずに死ぬつもりはないということだ)