新暦1985年に神聖ゲルマニア帝国が始祖プリミルより続く王国4か国の同盟、王権同盟に対抗して作り上げたハルケギニア条約機構両陣営は10年に渡る冷戦ののちに世界を巻き込む大戦へと発展した。これはハルケギニア大陸のみならず東方の諸島や群島、果てはアイシェアイア新大陸にまで飛び火し、総人口50憶の人類は20憶にまで激減する事となった。
その結果、2019年に両陣営は休戦協定を締結し、不毛と化した世界大戦に一端の終息を見せる事となった。とはいえ誰もがこの休戦は長くは続かないと感じつつも消耗した国力の回復や町の復興に精を出すこととなった。
「そこから1年が経過し、戦争があったとは思えないほど平和になってきている、か……」
王権同盟の一つであるトリステイン王国のヴァリエール大公家、その領都に存在する屋敷にて一人の男がそうつぶやいた。20代前半くらいの男は窓の外に見える領都の街並みをつまらなさそうに見ていた。20年前に神聖ゲルマニア帝国軍の侵攻を許し、2年間占領されていたこの町は即座に奪還できたこととここまでの休戦期間で元々の町の様相である摩天楼を有する大都市として復活しつつあった。しかし、それでも戦争前の発展に比べれば遠く及ばないほどこの領都も戦争の被害を受けいていた。
「上も何を考えているのやら。ここまでやってきたんだ。痛み分けでは終わるわけにもいかないだろうに……」
24年に及ぶ戦争の結果、得られたものは驚くほどに少ない。24年の間に互いの国土を取ったり取られたりを繰り返したが休戦直後には戦争前とほぼ同じ状態だったからだ。しいて言うのであればこの24年でいくつものハルケギニア条約機構に加盟する小国家が財政破綻し、神聖ゲルマニア帝国に取り込まれる形となって領土が増えたくらいであろう。
「ですがそのおかげでこうして穏やかな時間が過ごせているのですよ?」
そして不満げな男の呟きに返答する声があった。男がいる部屋を掃除するメイドだった。美しい金髪を腰まで垂らし、誰もが絶世の美女と断言する美しい容姿をした女性だった。
「そうか? 俺としては戦場で敵を殺していた方が楽しいがな」
「……それ、ほかの人の前で言ってはいないですよね?」
女性は男の言葉に少し悲しげに問う。男とは長い付き合いであり、こうなってしまった経緯を一から知っているだけに男にはいってほしくはないセリフだった。
「もちろんさ。お前の前以外でこんな事を言ったことはないよ、アイリス」
「……それならよかったです。ルシアン様」
男、ルシアンの言葉に女性、アイリス・ド・
幼少期より共に時間を過ごしてきた二人は婚約していた。ヴァリエール大公家に長く使えるウエストウッド家はついに主人たるヴァリエール大公家に正式に嫁ぐ事となった。
「式まであと1年。俺としても戦争がまた始まってせっかく進められている結婚式がおじゃんになるのは嫌だしな。最低でも式まではこの状態が続いてほしいものだ」
「私としては生涯、いえ。子供たちの代も平和だとうれしいですね」
そう言ってどこか母性すら感じさせる笑みを浮かべるアイリス。ウエストウッド家の女性は聖女とも言われる純粋な心の持ち主が多かった。それが初代ウエストウッドから続く遺伝であり、ヴァリエール大公家の人間が惹かれる理由でもあった。
「……ふ、戦争が始まったら俺が敵を全て殲滅して二度と戦争なんて起きないようにしてやるさ」
「ふふ、それは心強いですがそれよりも私はあなたとともに生きていたいのですよ?」
気づけばアイリスは掃除の手を止めてルシアンのそばに寄っていた。そしてルシアンもアイリスを拒絶することなく受け入れ抱きしめる。自分たちがここにいると確かめ合うようなハグは長く続き、ポツリとアイリスがつぶやく。
「戦争は、嫌いです」
「……そうか」
「みんな遠い場所に行ってしまいます」
「……ああ」
「そして二度と戻ってきません。お父様も、ルシアン様の弟君も、領都の人たちも……」
「俺は戻ってきた」
「でも瀕死でした。いつ死んでもおかしくはなかったのですよ?」
「……そうだな」
「そして傷が癒えればすぐに戦場に行ってしまいました。きちんと、お話も出来ずに」
「……」
「お願いです。もう戦場になんて行かないでください。お願いです……」
「……それは、無理だ」
泣きながら懇願するアイリスにルシアンはさみし気な笑みを浮かべてそう言った。それはルシアンが戦争が好きだからではない。そうしないといけないようになっているからだ。戦争があればルシアンは行かなくてはならない。
そしてそれはアイリスにもわかっていた。自分がこうして懇願しても出来ないことだという事を。だからこそ、彼女は涙を流しながらルシアンの方を見ていった。
「わかっています。無理だという事は。だからお願いです。死なないでください。どんな状況でも生きる事をあきらめないでください。必ず、ここに戻ってきてください」
「そんなこと、言われるまでもない。アイリスを置いて死んだりはしないさ。必ず、どんな事があろうとも必ず帰ってくるさ。俺が約束を破ったことなんてあるか?」
「……8歳の時に“明日のおやつを挙げるからそれ頂戴”って言って私のお菓子を食べたのに翌日はさっさと食べてしまいましたよね?」
「あ!? あれは……。すまない」
まさかの思い出にルシアンは慌てつつも素直に謝罪するしかない。心配させないように言ったつもりだったがまさかの返しに台無しであった。
「……ふふ、でも私はルシアン様を信じています。必ず戻ってきてくれると」
「アイリス……」
「ですので必ず帰ってきてくださいね? 帰ってこないなら、私が迎えに行きますから」
「もちろんだ。お前なら、本気で迎えに来そうだしな」
そう言ってルシアンは笑った。将来のヴァリエール大公とその妃となる女性はどこまでも穏やかな時間を過ごしていくのだった。
……翌日、ルシアン・ゲープハルト・ツー・グランクロワ・ド・ラ・ヴァリエールが武装とともに姿を消すまで。