「兄様、海が見えてきたよ」
「やっとか。流石に遠かったな」
ヒルダの背に乗って海を目指す事、約一日。漸く目的地の海が見えてきた。
地平線の向こうにまで続く続く蒼い大海原は、太陽の光を反射してキラキラと輝いている。
今日は快晴で風も強くはなく、波は荒れる事無く海は穏やかそうに見える。
あの広い海のどこかに化け物がいるらしいが、流石にこれだけ広いと闇雲に探すのは無理だろ。
一旦地上に降りて、海岸沿いを捜索した後で海の中を調べてみるしかないか。
「アレが海……。凄く大きくて綺麗……」
「そっか、ティファニアは浮遊大陸出身だから海を見た事がないんだっけか」
「うん。本の絵で見た事はあるけど、こんなに近くで見るのは初めて。ねぇレイジ、早く海に行こうよ! 私、もっと近くで海を見てみたい!」
「分かったからそう焦るなって。ヒルダ、あそこの砂浜に着陸してくれ」
「うん、分かった」
ヒルダに指示を出し、近くに見えていた砂浜に着陸してもらう。
外の世界とは違い、ゴミの少ない綺麗な砂浜だと思っていたんだが、俺達が降りた砂浜には沢山の木片が流れ着いていた。
別の所で折れた木が、海流によってこの砂浜に流れ着いた……って訳でも無さそうだ。
浜に流れ着いている木片は、どれもこれも板状に加工してある奴ばかりで、自然物とはとても思えない。
トリステインの空海軍が海に出た化け物にやられたって話だが、その時に落とされた船の残骸って考えるのが妥当なところか。
「これが砂浜……。本で見て知ってたけど、本当に砂の地面なんだ」
ティファニアは感慨深そうに呟くと、靴を脱いでヒルダの背から降りる。
砂の感触を確かめるかのように砂浜を裸足でゆっくりと歩いて行く。
素足から伝わる砂の感触が面白いのか、ティファニアは楽しそうに笑いながら浜を歩く。
波打ち際では海の水が寄せては帰すを繰り返し、泡となって砂の中へと消えてなくなる。
ティファニアが波打ち際にまで近付くと、寄せてきた波がティファニアの足元にまで伸びていく。
海の水の冷たさにでも驚いたのか、足に海の水が触れた途端、ティファニアは飛び跳ねるように後ろへと下がる。
「つめた~い。……レイジ! 海の水が冷たいよ! どうして!?」
「時期的に海の水が冷たくなってるだけだろ。夏にでも為れば水温も上がってくる筈だ」
「へぇ~……。でも、これはこれで気持ちいいかな」
海水の予想外の冷たさに驚きながらも、ティファニアは楽しそうに寄せてくる海水を蹴り上げて遊ぶ。
波打ち際で遊ぶティファニアの姿は、とても楽しそうで太陽の光を反射して光る海と相まって、一枚の絵のように様になっている。
浮遊大陸の、それも森の中で長いこと暮らしていたから、ティファニアにとって海にあるモノ全てが初めての経験なんだろう。
俺が初めて海に行った時はそれは酷いものだったな。修行で月の海に連れてかれたけど、酷い状態だったからティファニアみたいに感動した覚えはない。
あの海岸を破壊したのは親父だって聞いたが、一体何をやらかしたら海岸を破壊出来るんだか……。
《はしゃいでいるわね、あの子。あぁしていると実年齢よりも低く見えるわ》
「それはティファニアが童顔ってことか?」
《そう言う意味じゃないわよ》
「ねぇ! レイジもコッチに来て一緒に遊ぼうよ! 海の水が気持ちいいよ!」
「いや、俺は―――」
―――別に良いと言い掛けた時、海原に魚のヒレの様なものが出ている事に気付いた。
普通の魚にしてはサイズがでか過ぎるけど、昔図鑑で見た鮫の背びれには形が似ても似つかない。
アレの正体が何なのかは分からないが、背びれのサイズから見てかなりの大型魚である可能性は高い。……それこそ、人間を丸呑みに出来てしまうくらいの。
ティファニアに波打ち際から離れる様に言おうとしたが、それよりも先に魚が海の中へと潜ってしまう。
魚が別の場所に移動したとは思えなかった俺は、新しく購入した長剣を手に、ヒルダの背中から飛び降りて急ぎティファニアの元へと向かう。
「ティファニア! そっから離れろ!」
「……えっ?」
俺は大声を出して逃げる様に言うが、ティファニアの背後に広がる海からさっきの背びれが顔を出し、コッチに急接近しているのが見えた。
ティファニアの足じゃ今から逃げても間に合わない。そう判断した俺は竜の力を軽く解放して、足元の砂を力強く蹴って一気にティファニアとの距離を詰める。
蹴り上げた砂が舞い上がる中、ティファニアに喰らいつこうと巨大な魚が海から飛び出す。
鋭い牙が生え揃っている口を大きく開け、海から飛び出した勢いのままにティファニアに襲い掛かる。
海から飛び出してきた魚を前に、ティファニアは逃げる事も出来ず呆然と立ち尽くしている。
あと少しで食いつかれるという状況だったが、寸前のところで間に合い、ティファニアに抱き付くようにして地面に押し倒した。
波打ち際に水しぶきが上がり、俺達の上を巨大な魚が飛び越えて行く。
間一髪と言ったところだったが、まだ油断は出来ない。
俺は急いでティファニアを立ち上がらせ、魚から距離を取るように波打ち際から離れる。
突然海から襲い掛かってきたのは巨大な魚……で間違いないと思うが、アレを〝魚〟だと認めるのはかなりの抵抗感がある。
身体だけみれば巨大な魚なんだが、翼の様に発達した胸びれに地面に立つことの出来る足が生えている。
翼の様なヒレはまだ良い。アレはまだ容認できるが……足の生えた魚ってなんだよ。もはや魚じゃねぇだろ。
《アレは……ガノトトスだったかしら? また随分と大きいのに目を付けられたわね》
「んな暢気に言っている場合か。今はどうやってアレを捌くか考えろ」
「捌くって、レイジもしかしれアレを食べる気?」
「……いや、魚みたいな見た目だからつい。故郷だと職漁師だったし」
故郷での職業が職業だったし、魚釣りは俺の趣味みたいなものだからどうもそう言う風に考えてしまう。
あのガノトトスとか言うのが食べられるかはさておき、向こうは完全に俺達の事を狙っている。
海に来て早々戦う事に為るとは思ってなかったが、新しい剣の試し切りには持って来いの相手だ。
長剣を鞘から抜いて剣を構えながら、何が来ても対処出来る様に相手の出方を窺っていると、ガノトトスに向かって玉の様な何かが投げられる。
投げられた玉がガノトトスの目の前で炸裂した瞬間、閃光が弾けて目の前が真っ白になってしまう。
光に遮られて前が見えなくなってしまうが、閃光は思いの外早く収まってくれた。
真っ白になっていた視界もすぐに直るが、閃光を受けたガノトトスは眼を回し、その場でふら付いている。
最初は何の悪戯かと思ったが、アイツに大きな隙が生まれたのはコッチにとって僥倖だ。
この隙にガノトトスに斬りかかり、一気に仕留めてしまおうと剣を握り締めたとき―――
「何してんだ、あんた等! こっちだ、早く来い!」
―――色黒のオッサンが大声を出して俺達を呼んできた。
状況から考えてさっきの玉を投げたのはあのオッサンだろうが、もしかして俺達の事を助けようとしているのか?
オッサンの切羽詰ったような顔を見て、なんとなくそんな気がする。
あんなオッサンなんか無視して魚に斬りかかっても良いんだが、徐々にガノトトスも回復してきているのか、少しずつふら付きが治まり始めている。
このまま戦っても良いんだが、ここは一つあのオッサンの指示通りに撤退してみるか。
「……此処は退くぞ、ティファニア」
「え、戦わないの!?」
「あぁ。……それとも俺がまた無茶して怪我するところを見たいのか?」
「そんな事無い! うん、今すぐ逃げよう!」
「分かった分かった。……ヒルダもいいな」
「……兄様がそう言うなら」
「よし、それじゃさっさと行くぞ」
俺は素早く長剣を鞘に納めると、ティファニアの手を引いて一目散に砂浜を後にする。
逃げている最中にガノトトスが目眩から回復したのか、俺達に向かって巨大な生物の走る音が聞こえてくる。
その様子を見ていたオッサンは、さっき投げた玉と同じ物をガノトトスに向かって放り投げ、閃光で眼が眩んでいる内に俺達と一緒にこの場を後にした。
………
……
…
ガノトトスから逃げるために砂浜を後にした俺達は、そのまま水辺のない平原へと辿り着いた。
周辺に肉食獣の姿はなく、草を食べる草食獣の姿もない静かで穏やかな平原。
此処に来るまでに大した距離は走っていない筈だが、ティファニアとオッサンは疲れているのか、肩で大きく息をしている。
実家の神社から里に行く道よりも短い筈なのに、肩で息をするなんて意外と体力がないな。
「はぁ…はぁ……。こ、此処までくればもう大丈夫だろう」
「……そうみたいだな」
「あ、あの、さっきは助けてくれて、ありがとう御座いました。私、ティファニアって言います。それでこっちの彼は―――」
「零児だ。あっちにいる緋色の竜はヒルダ。見ての通りの旅人だが……オッサンは何者だ」
「おれか? おれは近くの漁村に住んでいるギースってもんだ。一応漁師をやってんだが……今は船が出せねぇから、干乾びるのを待つだけの魚みたいなもんだ」
干乾びるのを待つだけの魚ってまた妙な言い回しをするが、海に出られなきゃ何れ死んじまうって遠回しに言いたいんだろう。
魚を獲るだけなら別に沖合いに出る必要は無いが、生計を立てると為るとそれなりの量がいるからな。船が出せないのは何かと不便なんだろう。
「えっと、それでギースさんはあの浜で何をしていたんですか?」
「ただの魚釣りさ。船が出せないからって何もしない訳には行かないからな。海岸で釣った魚で生計を立てていたのさ。今日は全然釣れなくて不思議だと思ってたんだが、まさかガノトトスが近くにいたとは」
「……船が出せないってのは近海に現れた化け物の所為か」
カマを掛ける事無くはっきり口にすると、オッサンは隠そうともせず驚いたように目を丸くする。
「な、なんでその事を知ってるんだ?! 軍の連中は貴族の沽券に関わるとか何とか言って、話を広めないようにって言ってたのによ!?」
「人の口に戸は立てられない。どんなに情報を規制しようとも、必ずどっかから洩れたりするもんだ」
「……なんかよく分からねぇ言い回しだが、とりあえずお前さん達は怪物の事を知っているんだな」
「知ってるというよりもそれを調べに来たって方が正しいがな。俺達も訳ありで、そういう物騒な話に首を突っ込まないといけないんだ。アンタの村に迷惑を掛けるつもりは無い」
「そう言われたってなぁ……。アイツを調査するって言ったって、下手にちょっかい出すと命が幾つあっても足りねぇぞ」
「向かって来るなら狩るだけだ。元々この仕事を押し付けてきたババァからも、可能なら討伐しろって言われてるからな。どの道戦いは避けられない」
「……おめぇさん、まさか本気でアイツに勝てると思ってるのか? この国の軍隊が負けた相手だぞ。メイジでもねぇ奴が挑んだって勝ち目はねぇぞ」
「どんな奴か分からないんだ。勝てると断言は出来ない。……でも、最初から負けることを前提に戦うつもりはない。やるからには勝つ、ただそれだけだ」
俺の言葉を聞いてオッサンは何も言えなくなったのか、絶句して会話が途切れてしまう。
近くの漁村に住んでいるって言ってたし、おそらくこのオッサンは空海軍が負ける所を見ているんだろ。
だから俺みたいな若造に勝てるなんて思っていないんだろうし、心の何処かでこのまま死んでいくのだと諦めているんだ。
漁村の一つが潰れても俺に大した影響は無いが、仕事をこなさないといけない以上は引く事は出来ない。
このオッサンがなんと言おうとも勝手に調査はさせてもらうが、さて……どう出てくる。
「……おめぇさん、本当にアレに勝つつもりでいるのか?」
「さっきも言っただろ。やるからには勝つ、ただそれだけだ」
「そうか。……なら、おれもお前さん達に力を貸すぜ。軍の連中は手を出すなって言ってたが、俺もあの野郎には腹を立てているんだ。このまま海が荒らされるのを黙ってみてられねぇよ」
オッサンの思い掛けない言葉に俺の方が驚いてしまい、思わず面食らってしまう。
「いや……手を貸してくれるのはありがたいが、命の保障は出来ないぞ」
「別にかまわねぇよ。このまま陸の上で死んで行く位なら海の上で散りてぇのさ」
「……先に言っておくが自殺志願者なら一人で勝手に死んでくれ。そんな事に手を貸す気はない」
「わーってるって。……ま、確かにおれ一人じゃ足りねぇだろうから、村の皆にも協力してもらおう。皆もアイツには腹を立ててるから、きっと協力してくれるはずだ」
「……だといいけどな」
「おれが説得するから大丈夫だって。そんじゃおれの村に案内するからついて来てくれ」
オッサンは意気揚々と村へと先導してくれるが、俺はオッサンの強引さに呆れて溜息を吐く。
件の化け物を探して広い海を捜索するよりも、地元の漁師の協力を得て探した方が効率が良いのは良いんだが、あのオッサンなんとなく苦手かもしれん。
なんかこう……金髪白黒を思い出すと言うか、予想外の反応に圧倒されたと言うか……。上手くやっていけるのか若干不安ではあるな。
「はぁ~……なんか知らんが疲れる」
「大丈夫レイジ? なんか珍しく押し負けてたけど」
「まぁ一応大丈夫だが、あのオッサンの強引さはなんか苦手だ」
「苦手って言うけど、レイジも割りと強引な方だと思うよ」
「そうか?」
「そうだよ」
《……成る程。これが同族嫌悪と言う奴ね》
「いや、そこまで酷くはねぇよ」
ボケたのか、素なのかイマイチ分からないサイフィスにツッコミを入れつつ、俺達は先に行ってしまったオッサンの後を追いかけ始める。
あのオッサンが村の住人達を説得できるかは分からないが、こうなった以上は何とかして説得するしかないだろう。
問題が有るとすればティファニアとヒルダか。ヒルダを村の中に入れるわけには行かないし、外で待っていてもらうしかないが、ティファニアの正体がばれるのはなんとしても避けないと。
ティファニアにも外で待っていてもらうのも手だが、なんか別の方法を考えておかないとな。
最近ヒルダの出番が少ない様な気がする。もっと彼女を活躍させられるように頑張らねば。……でも今は海での話だからなぁ~。