北方棲姫との戦いを終えて戻って来た初霜は、平然としていた。
だが………全身に黒い血を浴びており、制服も肌も右腕の義腕も、半分以上が真っ黒になっている。
特に義腕に関しては、何をしたのか、指先から腕の根元まで闇夜よりも暗い漆黒に包まれており、血をポタポタと垂らしている。
その異様な姿を見て、アイオワは思わず聞いてしまった。
「ね、ねえ………初霜………、北方棲姫は………?」
「沈めました。」
ゾワリ。
通信から返って来たのは、氷のように冷たい絶対零度の声。
さらりと言ってのけた初霜の声と衝撃的な姿を前にして、アイオワは思わず歯をカチカチと鳴らす。
どう見ても、出撃前までの初霜とは姿が違っていた。
だが………。
「なーにが、沈めました、だ!バカ!!」
「痛っ!?」
そこに、続いて現れた陽炎が、彼女の後頭部に拳骨を叩き込む。
思った以上に威力があったのか、初霜は思わずバランスを崩しそうになる。
陽炎は、アイオワが見ている事を察知したのか、明るい声で言ってくる。
「ゴメンね、アイオワさん。初霜、ちょっとほっぽちゃんの可愛らしさに、妬いちゃったみたいです。」
「何で妬いて………。」
「いいから、風呂!曙、お願い!悪いけど、船渠(ドック)入りさせて!初霜に付いた血を落とさないと!」
初霜の言葉を遮るように、陽炎が叫んで曙に大袈裟に手を振る。
そうしている内に、暗い顔をした沖波と、考え込む様子の大潮と敷波も現れる。
深雪の言った通り、轟沈した者はいないらしい。
只、深海棲艦の血はあまり身体に宜しくないので、陽炎の言う通り、出来ればすぐに洗い流した方が良かった。
しかし、アイオワの脳裏には、どうしても初霜のあの姿が目に焼き付いてしまっていた。
遠目でも分かる程の凄惨さと、通信越しでも分かる程の冷徹さ。
(一体、北方棲姫は………どんな最期を迎えてしまったの?)
普通の沈め方では、あそこまで全身に血を浴びる事は無い。
まるで、心臓を鷲掴みにして抉り取ったような………。
(っ!?何を考えているのかしら………!?)
怖い想像に走りそうになったアイオワは、首を横にぶんぶんと振って追い払おうとする。
初霜が残虐な艦娘だと考えるのは、助けて貰っている以上は失礼だ。
それこそ、仲間を信頼していないという事に直結しかねない。
隣で明石に手配を頼んでいる曙に、思わず聞きたくなったが、それもギリギリで我慢出来た。
でも………やはり、一度抱いてしまった不信感は、消える事が無かった。
――――――――――――――――――――
翌日の夕方。
貨物船らいちょうは、ブイン基地を経由し、ショートランド泊地へと戻って来た。
ブインの工藤提督に会いに行った、息子の肇の話だと、相変わらず岬から釣り竿を垂らして、現実逃避をしているとの事だった。
その一方で、ショートランドの藤原提督は、秘書艦の由良と共に、アイオワ達の帰投を喜んでくれた。
「どうやら、深海棲艦と一戦交えたみたいだな。傷は大丈夫だったか?」
「幸いにも、負傷者はいません。兵装は一部消耗しましたが、それだけです。」
初霜の報告を受けて、藤原提督は頷くと、真顔であったが初霜の頭を撫でる。
これには、彼女も予想外だったのか、思わずたじろぐ。
「て、提督!?」
「いつもすまないな。初霜達、第零駆逐隊には迷惑を掛けている。」
「そ、そんな事無いですよ!………でも、ありがとうございます。」
言葉とは裏腹に、子供扱いされるのを不満そうにしている初霜。
その姿を察知したのか、藤原提督は撫でるのを止めると、他の者を見る。
「他に撫でられたい者はいるか?」
「はーい!陽炎、褒められたいでーす!」
真っ先に陽炎が手を上げるが、他の者は巻き込まれるのは御免だと言わんばかりに、足早に寮へと走っていく。
結局、藤原提督に撫でられたいと思った者は、陽炎だけであった。
ところが………。
(ん?)
アイオワは気付く。
頭を撫でられていた陽炎が、こっそりと何かメモのような物を藤原提督に渡すのを。
彼女が初霜達を追いかけるように走り去って行った後で、藤原提督はそのメモを開き、少しだけ顔をしかめる。
「アドミラル、そのメモは………?」
「只の意見書だ。陽炎はそこら辺、五月蠅いからな。いつもの事だ。」
そう流す藤原提督であったが、アイオワの頭には、初霜に拳骨を喰らわせて、「わざと明るく振る舞って」、あの場の空気を和ませようとした彼女の姿が思い起こされる。
まさか、その手紙に書いてあるのは………。
「あの………。」
「人の内部に触れるには、覚悟が無ければならない。」
「え?」
「アイオワ、お前はこの泊地に着任してまだ日が浅い。全てを呑み込むには、時期尚早と言えるだろう。」
「……………。」
この男は鋭い。
だから、アイオワの考えを悟ったのだろう。
そして、嘘を付こうともしない。
だから、アイオワに敢えてこのような言葉を投げかけたのだ。
彼女はその場で固まってしまう。
あの初霜に触れる覚悟は、何故か持てなかったから………。
藤原提督は、俯き狩りになったアイオワを見ると、徐に告げる。
「ところでだ。ここにいるという事は、お前も撫でられたいのか?」
「い、いえ………それは流石に!?」
「では、由良に案内して貰って、風呂と着替えを済ませるといいだろう。物資が届いたという事で、そろそろ歓迎会の時間だ。」
「え………?」
何を言ったか理解できなかったアイオワに対し、藤原提督は再度告げる。
「歓迎会だ。このショートランド泊地に来てくれた事に対する、感謝のな。」
彼は、少しだけ笑みを見せた。
――――――――――――――――――――
その夜に開かれた食堂での歓迎会は、らいちょうの面々も巻き込み、大いに盛り上がった。
まず、酒を飲んだ事でレンジャーが豹変。
様々な艦娘達を巻き込み、飲み比べに至る事になってしまう。
特に、ビスマルクやローマは、国の威信を賭けて限界を超えるまで飲んでしまった為、ダウンをしてしまった。
慌てて、由良やプリンツ、イタリアに介抱される中、尚も暴れるレンジャーに対して2人共、悔しい表情。
遂には、彼女はバケツに酒を入れて飲もうとした為、同郷のヒューストンが、パースやデ・ロイテルと共に、3人掛かりで止めに入る羽目に。
提督である曙も、今夜ばかりは飲んでいるのか、瑞鶴や秋津洲に対し、亡き夫の愚痴を言いまくっている状態だ。
らいちょうにいる子供達は大騒ぎをしており、春風も含めた第零駆逐隊と一緒に、各国の美味しい料理を食べて遊んでいる。
その中で、主役であるはずのアイオワは、色々な艦娘と酒を飲みながらも、酔えないでいた。
横目で初霜を見てみるが、彼女は珍しく楽しそうに子供達と戯れている。
その彼女の姿が、あの冷徹で冷酷な姿と一致はしなかった。
(何だったのかしら………あれ………。)
アイオワは酒を飲み、あの初霜の姿を何度も忘れようとした。
しかし、それは最後まで叶わなかった。
結局の所、アイオワの歓迎会は、皆が疲れ果てるか酔いつぶれるかして終了し、夜更けを迎える形になった。
――――――――――――――――――――
「……………。」
アイオワは、ふと目覚める。
どうやら自分は、考え込む内にいつの間にか眠っていたらしい。
食堂の壁際に眠らされる形で、毛布を被っている彼女は、周りを見る。
子供達と駆逐艦等の小型艦は、もう寝室へと移動したのか、それとも運ばれたのか、その場にはいない。
いるのは酔いつぶれた、大型艦だけであった。
(もう0時を回っている………。かなり寝たわね………。)
時計の針を見た後、頭が響くような痛みに襲われ、思わず手で押さえるアイオワ。
何だかんだ言っても、酒の力は侮れないらしい。
そこに、水を持った春風がやって来ていた。
「大丈夫ですか?」
「春風………。ごめんなさい、私が主役だったのに………。」
どうやら彼女は、こうなった時の為に、飲酒量をセーブしていたらしい。
介抱してくれる彼女の優しさに感謝しながら、アイオワは起き上がって壁にもたれかかるように座り直すと、水を含んだ。
少しだけ頭がスッキリしたのを感じると、コップの水を眺める。
そこには、頭の奥に刻まれている、初霜の冷徹な姿が浮かんでいた。
「………何か、悩みがあるようですね。」
「………ええ。」
春風が、同じく水を持って来て、同じように壁に腰かける。
彼女にしてみれば、はしたない姿だったかもしれないが、アイオワに合わせてくれた形だ。
その事にも感謝しつつも、彼女は中々言いだせなかった。
「……………。」
「洗いざらい話すのも、罪では無いですよ。むしろ、言いたいことを言えず、後悔をしてしまうよりも余程………。」
春風自身も、何か重い過去を背負っていそうな雰囲気を、この泊地の工廠に初めて行った時に見せていた。
何処か深い彼女の言葉を聞いて、アイオワは俯きがちに言う。
「私、最低な艦娘なの………仲間を信用できなくて………。」
「初霜さんですね。」
「え!?」
アイオワは思わず驚き、皆が周りで眠っているのを思い出して、慌てて口を塞ぐ。
春風は、アイオワが抱いた不信感を即座に当てた。
その理由を問う前に、彼女は説明をしてくれた。
「ここに戻る前に、海戦があったと司令官様から聞きました。第零駆逐隊が出撃したという事も。」
「待って何………!?じゃあ、初霜のあの姿は………!?」
「護衛対象がいない状態での海戦中の初霜さんは、アレが普通です。わたくしも、恐らくアイオワさんが目撃したような姿を、何度も見ています。」
「で、でも………。」
「そうでなければ、即座に陽炎さんが隠そうとはしないでしょう?」
「確かに………。」
春風の的確な言葉を受けて、アイオワは考えさせられる。
同時に何故、彼女がここまで話してくれるのか分からなかった。
「春風、貴女は一体………。」
「アイオワさん。もしも貴女の中で、覚悟が決まったのならば………彼女に1対1の演習を申し込んでみて下さい。」
「え、演習………?戦艦と駆逐艦で?」
何というハンデマッチなのだろうか、と思わずアイオワは思ってしまった。
だが、その心情を察したのか、春風が少し笑みを浮かべながら問いかけてくる。
「あら?アメリカの決戦艦娘であるアイオワさんとはいえ、慢心は感心しませんよ?初霜さんは、ある意味日本の決戦艦娘に近い存在になっているんですから。」
「た、確かに蒼海の英雄って呼ばれているものね………。でも………。」
「踏み出すのが怖いのならば、おススメはしません。でも、踏み出す勇気を持ったのならば、騙されたと思って、ぶつかってみるのもいいかもしれませんよ?」
「……………。」
春風の言葉を受けて、アイオワは考えさせられる。
確かに蒼海の英雄と呼ばれている初霜の実力は、純粋な意味で気になった。
しかし、脳裏にあの冷酷な姿が浮かんだ途端、その覚悟がどうしても揺らいでしまう。
「私………。」
「すぐに結論を出さなくても、大丈夫です。時間はあるのですから、ゆっくりと彼女を………いえ、私達を知っていくのも有りですよ。」
「そうね………確かに、そうよね………。」
アイオワは思う。
ここにいる艦娘の中には、重い物を持った者もいる。
特に、第零駆逐隊は、その傾向が強いように思えた。
いずれは彼女達の内面にも、触れていく事になるのかもしれない。
「ありがとう、春風。少しだけ楽になったわ。」
「では、気分直しに少しだけ余っているお酒を飲んじゃいましょうか。」
少しだけ舌を出して茶目っ気を見せた春風に感謝をしながら、アイオワはグラスを持ち、彼女と乾杯をした。
アイオワのショートランド泊地での任務は始まったばかり。
まずは、仲間との交流を深め、知る所からである。
これで、主にアイオワ視点で繰り広げられた、序章である導入編は終わりになります。
次からは、第1章の初霜編へと移っていきます。
1章ずつ完成する度に、順次予約投稿をしていきますので、皆様、完成するまでお待ちください。