「はぁ………。」
「随分と落ち込んでいるな。………また、初霜が例の夢を見たのか?」
「そうですよ………全く、余計な事をしてくれたものです。」
執務室で作業を始めるなり、大袈裟に溜息を吐き、恨めしそうに呟くのは秘書艦の陽炎。
彼女は隣の机で書類を纏める藤原提督に対し、愚痴らずにはいられなかった。
初霜の悪夢とネガティブな発言は、今に始まったわけではない。
時期にしては大体、3年前になるであろうか。
「とある事件」が切っ掛けで、彼女はああなってしまった。
そして陽炎は………。
「私が来てから、お前は「提督」という存在に心を許せなくなったな。」
「別に藤原司令に、文句言いたいわけじゃないですよー………。でもね、申し訳ありませんが、八つ当たり出来る相手はもういないので………。」
「私に当たる事で解決出来るのならば、四六時中して貰って構わないさ。だが………。」
「分かってますよ。本当に許せないのは、私自身の不甲斐なさです。何で気付けなかったんだろう………。」
最後は消え入るような声で俯き呟く陽炎の方を敢えて見ずに、藤原提督は書類を束ねる。
そして、話題を少し切り替える。
「………アイオワには、どのタイミングで話すつもりだ?「あの秘密」に関しては、いつまでも隠せる物ではない。」
「時が来たら………って言っても、これは絶対に劇薬ですし………。」
「話すタイミングに関しては、第零駆逐隊全体の意志に任せる。とはいえ、同じタイミングで海戦に参戦して貰う任務も増えるはずだ。後、春風が言っていたぞ。」
「何て?」
「アイオワに、真実を知る覚悟が決まったら初霜に1対1の演習を申し込め………とけしかけたと。」
「マジ!?」
思わず陽炎は、書類に書こうとしていたサインの文字を間違えそうになり、慌てる。
初霜の「ある秘密」に関しては、みんなで隠しているような状態である。
その秘密を見られる兆候が、貨物船らいちょうを襲撃した北方棲姫との海戦の際に出そうになったので、陽炎は慌てて隠そうとしたのだ。
勿論、咄嗟の判断だったので、上手く隠せたとは思えないが、その秘密を堂々と暴露する機会を設ける、春風の判断は信じられなかった。
「何で大胆な事するのかな、春風は………。」
「お前が、臆病過ぎるからだろう。尤も、未だに答えを出せない時点で、アイオワもかなり悩んでいるみたいだがな。」
あくまで作業の手を止めない藤原提督の言葉に、頭を悩ませつつも、陽炎も書類仕事を進めようとする。
臆病と言われるのは、多少ムッと来たが、どうしてもそうなるのには理由があった。
「だって………「あの秘密」が暴露されたら、連鎖的に初霜の悪夢に関しても、話さなきゃいけないじゃないですか………。迷惑掛かるの、彼女だけじゃないんですよ?」
初霜の信用問題だけでは終わらない。
沖波の事、ひいてはショートランド泊地全体の事。
どうしても、影響を及ぼしてしまう事は多かった。
それに対して、藤原提督は初めて書類仕事を止めて、陽炎を見る。
「アイオワを信じられないか?」
「………アイオワさんはいい人ですよ。信じられる人のはずです。………ええ、そうですよ!怖いんです!私自身が!!」
今度は、思わず机を叩き、ヤケクソ気味に叫んでしまう陽炎。
ペンを置いて、思わず頭を押さえて首を振りながら机に俯いてしまう彼女を見て、藤原提督は腕を伸ばし、優しく頭に手を置いて撫でる。
「優しいんだな、陽炎は。」
「優しく無いです………。司令も仲間も信じられない、最低な艦娘です………。初霜と沖波が、ああなってしまった時から、強くなろうと決めて………神通さんの下で修業したのに!」
「その根底にあるのは、大切な仲間を庇おうとする意志だ。それが最低だと言うのならば、世の中の艦娘は全員最低だろう。」
アイオワも感じていたが、藤原提督は嘘を付かない。
はぐらかす事はあるかもしれないが、必ず真実を伝えようとしてくれる。
でも、陽炎はそんな提督すら信じる事が出来ない。
何故ならば、彼の前の提督は………。
「藤原司令………貴女が新郷司令と違うのならば、教えて下さい。「壊れた人形」は、どうすれば直りますか?初霜はずっと、自分の事を壊れていると言っています。きっと、私も………。」
「私個人の考えでいいのならば、陽炎も初霜も壊れていないと感じている。壊れた人形が、自分で悩むものか。自分で苦しんでいるからこそ、壊れていない証拠にもなる。」
「……………。」
「だが、どうしようもない時は、少し楽になる事も必要だろうな。」
藤原提督は席を立つと、戸棚へと向かうと、中からウイスキーを取り出す。
艦娘は見た目の年齢と実年齢は不一致である。
陽炎も当然ながら、10代に見えて、実際にはもっと長い時を生きているのだ。
そんな彼女の机に空のグラスを用意して、藤原提督は言う。
「私は就寝前だからな。………気分転換に一杯、飲むか?」
「………飲みます!」
陽炎はウイスキーをグラスに受け取ると、思いっきり飲み干した。
しばらく、執務室で2人は静かに飲みかわしていた。
――――――――――――――――――――
その頃、義腕を付けた初霜は、陽炎以外の仲間達と夕食を終え、トレーニングルームに入っていた。
本来ならば、トレーニングウェアに着替える所ではあるが、第零駆逐隊は常に緊急出撃の連絡が来る事がある為、基本的には全ての行動を制服で行う。
初霜が、寝間着すら制服を着用していたのも、それが理由だ。
まずは軽くストレッチをしながらも、彼女は右腕以外の筋肉の状態を念入りに確認していた。
「もうちょっと筋肉が欲しいわね………。幾ら義腕があっても、元々の筋肉がしっかりと付いてないと意味が無いもの。」
「初霜は真面目だなぁ。大潮もそうだけど、背丈が低いんだから、筋肉の量には限界があるのに。」
敷波がストレッチの手伝いをしながら、感心半分、呆れ半分で呟く。
駆逐艦は基本的に小柄である為、付ける事が出来る筋肉には限りがある。
らいちょうにいた朧や天霧という例外はいるものの、基本的にムキムキになる事は不可能なのだ。
しかし、それでも筋肉があった方が、艤装を付けた時に強化される割合も、相乗的に増える為、鍛えるに越したことは無い。
「駆逐艦になった以上は!小さくても大きな存在を、目指すべきですからね!初霜の気持ちは分かります!」
一方で駆逐艦の中では、初霜並みに背丈の低い大潮は、一足先にストレッチを終えて、深雪の補助を受けながら、バーベルを軽い物から順に持ち上げていた。
一応は初期艦というだけあってか、意外と筋肉は鍛えられているらしく、常人では有り得ない大きさの重りをどんどん持ち上げていっている。
「改二になると、背丈が微妙に成長する事があるからなぁ………。深雪さまも、それに期待したいぜ。」
「深雪は今のままでも、私達よりも背が高いじゃないの。ちょっと羨ましいわ。」
「そうだけどさ………隣の芝生は青く見えるんだよなぁ………。特にあたしは、主機がまだ缶とタービンの強化に耐えられないし。」
思わず愚痴を言い合う、深雪と初霜。
正しく、隣の芝生は青く見える効果であったが、そうやって自分達の足りない所を言い合って補っていくのも仲間だからこそだ。
そんな2人を遠方から眺めつつ、フィットネスバイクで競争をしているのは、沖波と春風。
かなり激しいデッドヒートを繰り広げていたが、最終的に勝ったのは沖波だった。
「はぁはぁ………やはり、秘書艦補佐で事務仕事ばかりしていますと、こういう時に差が出ますわね………。」
「春風さんは、最初から全力を出すから途中でばてるんだよ。徐々に力を加えていって、最終的に全力を出せるようにするのが一番じゃないかなって。」
「この制服だと、袴が邪魔なのですよね………。藤原司令官様以外は、みんな女性陣ですし、いっそ脱いでしまおうかしら………?」
「えっと、春風さん………そういう大胆さは、必要ないと思う。」
割と本気でやり兼ねない春風の言葉を受けて、沖波は顔を強張らせる。
下手したら、海戦中でも邪魔という理由で脱ぎ捨てかねないので、こういう所で程々にセーブさせておく必要はあると思った。
まあ、大正ロマン風の神風型の制服が動きにくいと言えば、その通りではあるが………。
「深海棲艦が男だったら、色仕掛けも有りかもしれないけどさぁ………。春風ならまだしも、アタシ達じゃ、色仕掛けにもならないと思うよ。」
呆れた様子で、敷波は嘆息しながら呟く。
第零駆逐隊の面々の中では、比較的女性らしい体つきである春風はともかく、他の面々では色気が無いだろう。
それで例えば、いきなりスカートを脱ぎ捨てるような真似をしても、相手が動揺してくれるとも思えない。
むしろ、貴重な装甲を取り払ってしまう以上、デメリットの方が多そうであった。
「ならば陽炎さんも集めた上で、試してみます?藤原司令官様に突撃して、誰の色仕掛けが通用するか………。」
「沖波!一発後頭部殴っといて!」
「ご、ごめんなさいっ!」
「痛っ!?」
敷波の指示を受けた沖波に殴られた事で、フィットネスバイクの持ち手の上に肘を付き、頭を抱える春風。
その様子に苦笑をしながら大潮は、バーベルを置いて初霜を見る。
彼女は、自分の胸部装甲を少し気にしている様子であった。
「初霜………まさかと思いますが、春風の言葉を真に受けて………。」
「え!?………ち、違うわよ、別に………!?」
思わず手をあたふたさせる初霜をジーっと見ながら、大潮もまた溜息を付く。
そして、敢えて釘を刺す意味で、周りに静かに告げた。
「春風、度の過ぎた行動は控えて下さい。司令官は良い方ですが、変な誘惑は危険です。………陽炎辺りが聞いたら、怒るでしょう。」
「そうですね………ごめんなさい。」
大潮の叱りを受けて、春風は流石に調子に乗り過ぎたと感じて頭を下げる。
続いて大潮は、初霜を見る。
「初霜も、藤原司令官との距離は適正を保って。前の司令官との距離を誤った事実は覆せませんが、だからと言って今を間違えたらいけません。」
「………ごめんなさい、私は………。」
「「壊れているから」………は禁句です。」
「あ………。」
秋津洲に続き、大潮にも念を押される初霜。
フィットネスバイクに乗った沖波が、悲しそうな顔で見ていたが、大潮は構わず念を押す。
「自分が壊れているという考え方は、陽炎や沖波にも失礼です。自分で自分を、もう一度律し直してください。」
「大潮………。」
またしても、考えを先読みされた上に念押しをされた事で、初霜はどうしようもなくなってしまう。
秋津洲も大潮も、初霜の事を考えてくれているのだ。
だが………初霜自身は、それでも根底にある「壊れている」という考え方を覆せない。
「大潮、私、どうすればいいのかしら………。」
「残念ですが、大潮にも答えは分かりません。でも、壊れているという自虐が良くない事だけは確かです。」
初霜は、徐に自分の義腕を見る。
この義腕と引き換えに、失った物。
それを思い浮かべる度に、初霜の中でやるせない想いと怒りが沸き起こる。
「初霜さん………もっと、前を向こうよ。」
「沖波………でも、私はもう………守るべき相棒が………。」
ジリリリリリリリリリリ!!
『!?』
その時である。
トレーニングルーム全体に、警報が響き渡った。
――――――――――――――――――――
仮眠室で就寝をしていた藤原提督は、警報に飛び起きて執務室に入る。
そして、部屋に設置された通信機を聞きながら、タブレットを高速で弄っていた陽炎の姿を見て、即座に問いかける。
「救難信号か?」
「はい、位置情報を示したので見て下さい!私は初霜達と合流して出撃します!」
「念の為、今回は春風も連れていけ。遊撃部隊編成だ。」
「了解!」
言うや否や陽炎は、執務室を飛び出していく。
タブレットを見ると、方角は南のソロモン海。
だが、距離はそう遠くは無い。
第零駆逐隊の速力ならば、比較的間に合うレベルでの範囲であった。
泊地内放送で初霜達にその情報を伝えると、藤原提督は落ち着く為にお茶を入れて一気に飲み干す。
そして徐に、陽炎が嘆いていた事を思い出す。
「「壊れた人形」………か。「お前」は初霜も陽炎も沖波も、そうだとは思わないだろう?」
その独り言を聞いている者は、誰もいなかった。
艦娘の制服は様々な種類がありますが、駆逐艦の中で、特に特殊なのは神風型。
あの大正ロマン風の衣服は、いざという時は本当に邪魔かもしれません。
だからと言って、春風の言っている事は、かなり過激ですが…。