『……………。』
時は現在に戻る。
沖波の長い回想が語られた事で、ショートランド泊地の皆が、静かになっていた。
貨物船らいちょうの中にある竹の墓の前で、全てを話した沖波は、少しだけ溜息を付く。
薄雲と共に過ごした、地獄のような懲罰艦隊での生活。
竹との出会いから始まった、3人の友情。
大本営上層部によりもたらされた、左目の義眼。
仲間を想う心から始まった、ギンバイ行為によるすれ違い。
薄雲の誤射と竹の絶命と、そして成宮提督に対する大潮の怒り。
その大潮が教えてくれた、成宮提督の隠された本音。
らいちょうで過ごす中で、沖波が憧れる事になった潮の背中。
あまりの情報量を前に、初霜も陽炎も誰も何も言えなくなっていたのだ。
やがて、しばらく時間が経った後で、沖波が聞いた。
「初霜さん………陽炎さん………幻滅した?」
「そ、そんな!?何で!?」
「沖波は何も悪く無いじゃん!?」
色々と後ろめたい行為をしていた事で、沖波は俯きがちに自嘲するが、初霜と陽炎は即座に否定する。
誰も、彼女を責める資格は無いからだ。
その反応の速さに感謝しながら、沖波は喋る。
「ありがとう、2人共。でもね………私、過去を全て白状しても、まだ区切りが付かないんだ………。」
「区切りって………?」
「成宮提督や薄雲に対して、抱いている感情。」
初霜の疑問に、沖波は夏の墓地での出来事を語る。
あの時、久々に出会った成宮提督に砲門を向けた。
陽炎が止めなければ、ペイント弾とはいえ、撃っていたかもしれない。
元々彼女は、彼の元で地獄を見て、彼のお陰でショートランド泊地に帰って来た。
そんな複雑な理由を抱えている以上、彼に対して、どういう感情を向ければいいのか分からないのだ。
「だから、アンタ………あの司令に、砲門を向けて、自分の感情を確かめようと………。」
「結果は分からなかったけどね。薄雲もそうだけど、竹の事を想ったら、許せる事じゃない。でも………あそこで撃ったら、それこそ竹に怒られたかもしれないって、思ったんだ。」
「……………。」
陽炎と沖波の問答を前に、思わず黙ってしまったのは初霜。
彼女もまた、相棒を奪った角付きのレ級に対する復讐心を捨てられていない。
父性愛を持って接してくれる藤原提督は、それが生きる為のモチベーションに繋がるのならば、今は構わないと言ってくれている。
只、沖波の場合は、少し事情が違うように思えた。
彼女の口ぶりを聞く限り、竹の為と言いながら、成宮提督や薄雲に砲門を向ける事を、良い事だと考えていない。
恐らく、彼女の本来の優しい性格故だとは思うが、そういう意味では、まだ沖波は「壊れていない」と言えた。
だから、初霜は敢えて沖波に告げる。
「沖波………我儘を言うわね。私は、沖波に復讐をして欲しくない。思い留まって欲しい。………勿論、私がこんな事を言う資格は無いけれど。」
「初霜さん………。ゴメンね、感情にケジメを付けられれば一番いいんだけれど………。」
沖波は、決意と共に自身の封印していた過去を語った。
でも、沖波自身の感情は………それで晴れるものでは無かった。
――――――――――――――――――――
「陽炎さん、珍しいですね。久々の演習で、貴女が負け越すなんて。」
「申し訳ありません、神通さん………。やっぱり、心に引っ掛かっているみたいで………。」
貨物船らいちょうでの沖波の独白から数日後の夜、陽炎はショートランド泊地の演習海域で、ブイン基地から近況報告にやって来た神通と、手合わせをしていた。
しかし今の陽炎は、沖波の過去の想像以上の衝撃から、バルジトンファー二刀流の腕が鈍ってしまっていた。
その心の落ち込みを、感じ取ったのだろう。
神通が、彼女の相談に乗ってくれる。
「沖波さんの過去は、こちらにも資料で送られてきました。陽炎さんにしてみれば、間に合わなかった結果が、ここまで重くのしかかった事に責任を感じているのですね。」
「はい………。沖波は、それは私が気にする事では無いと断言してくれていますけれどね。でも、それで割り切る事が出来れば苦労はしません………。」
まず、半年もギンバイをしていた沖波の姿を、陽炎は予測出来なかったのだ。
逆に言えば、それだけ沖波達の生活は追い詰められていたとも言える。
それを考えれば考える程、陽炎は頭が痛くなってしまう。
神通はそんな陽炎に対し、別の視点から物事を伝える。
「………では、沖波さんが今になって、陽炎さん達に伝えようと思った理由を考えてみたらどうでしょうか?」
「どうって………丁度タイミングが良かったから………。」
「陽炎さんは、夏に話せる時でいいと言ったのでしょう?沖波さんは、陽炎さんが「間に合った」という成功体験を得た事で、言う覚悟が決まったのでは無いのでしょうか?」
成功体験というのは、弟子のサミュエル………サムが危機に陥った時に、陽炎が神通に真正面からぶつかってでも、助けに行った時の事だ。
焦っていたとはいえ、入渠を中断してでも出撃したその想いの強さを、神通は知っている。
沖波の時は、知らないまま全てが終わってしまっていた。
でも、サムの時は、後悔する前に間に合う事が出来た。
それによって、陽炎は過去のしがらみから前に進む事が出来たから、沖波もまた前に進む時だと判断したのかもしれないのだ。
「私がそうならば………初霜はどうなのでしょうか?」
「初霜さんは、藤原提督の父性愛に気付いたからなのかもしれません。支えてくれる人がいる事に気付けた事で、メンタルが危うくなる可能性が少なくなりましたからね。」
「逆に言えば、それまで私も初霜も危うかったって事か………。まあ、春の大喧嘩見れば、仕方ないですけれど。」
陽炎が、思わず深く溜息を付いてしまう。
半年前の春には、暴走した初霜と、キレた陽炎で一触即発になり、結果的に沖波が実力行使で止める事になった。
それだけ、この3人の状態がアンバランスだったとも言えるのだが、ここ最近は、ちょっとずつだが仲間達の支えによって、関係が修繕して来ているようにも思える。
少しずつではあるが、3人共歩みを進めているのだ。
「でも、それならば………沖波が自分の感情にケリを付けるには、どうすればいいのでしょうかね?」
「それは、沖波さんにしか分かりませんよ。………尤も、私にしてみれば、今回の沖波さんの独白で、気になった事が1つ出てしまいましたけれどね。」
「え………?」
最後は、1人呟く様子であった神通の言葉に、陽炎は首を傾げた。
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同時刻、執務室では、初霜が藤原提督の元で、自身の義腕の関する報告書を提出していた。
秘書艦補佐の春風は、秘書艦室で書類を纏めている。
昼の秘書艦である由良は、自室で就寝した為、この部屋には今は2人しかいなかった。
「私………何も知りませんでした。」
「当然だ。語らなかったのだから、知らないのは当然だろう。」
「藤原提督は、知っていましたよね?」
「資料が送られてきたから、ある程度はな。だが………それを私から話に出すのは、許される事では無い。」
藤原提督は、淡々と報告書を見ながら答えていく。
初霜はそんな彼を見て、若干俯きがちになり、ポツリと独白していく。
「沖波は………成宮提督と薄雲に、復讐をしたいのでしょうか?」
「お前は、それは止めて欲しいのだろう?」
「はい。でも………繰り返しますが、若葉の復讐を考えている私には、それを止める資格なんて無いです。」
「だったら、私もそうだ。一時期、許婚を奪われた事で、深海棲艦への復讐心を抱いていたのだからな。」
普通に考えれば、沖波が成宮提督や薄雲を許せないのは理解できる。
自身に光を与えてくれた竹を、成宮提督は最期の最期まで道具としか扱わなかった。
薄雲もまた、誤射とはいえ直接竹の命を奪う原因を作ったのだから、同罪だ。
しかし、一方でこの2人をどうしようもない罪人だと断定するのを躊躇われる理由もある。
成宮提督は、懲罰艦隊の待遇改善の申請を、何度も行ってくれていた。
薄雲は、自身の立場や行動に悩みながらも、半年も竹のギンバイに付き合ってくれた。
2人共、完全な黒でもなく、白でも無い。
グレーな色合いであるからこそ、沖波は自分の感情を整理しきれないのだ。
「悪と断定出来れば………こんなに苦しむ事は無いのに………。」
「断定出来れば………か。私は、その感情は危険のような気がする。」
「………どういう意味ですか?」
顔を上げた初霜の頭に、ポンと藤原提督は手を置く。
最近の初霜は、そうやって撫でられるのが、好きであった。
前は子供扱いみたいで嫌であったのだが、彼の父性愛に気付いた事で、好意的に捉えられるようになったのだ。
そして、そうする事で、今は初霜の心の揺らぎを抑える効果もあった。
「初霜………仮の話だ。悪だと決めつける事は、不測の事態に対応出来ない事になる。」
「不測の事態とは?」
「悪と断定した存在が、完全な悪では無かった場合だ。………何かしらの理由でやむを得ない事情があった場合、価値観が足元から崩れてしまうからな。」
「……………。」
確かに、藤原提督の言葉は間違っていないように、初霜は思えた。
沖波が、成宮提督達を悪と完全に断定してしまった場合、その根底を覆すような出来事があった場合、取返しの付かない事にも発展しかねない。
だから、沖波は自身の感情にケジメがつかない部分もあるのだろう。
でも、それ以上に………。
「藤原提督………それは、角付きのレ級にも当てはまると思っているのですか?」
「どうだろうな。………只、深海棲艦も一筋縄では無い。仮に、角付きのレ級の背後に、更なる黒幕が存在していたら、その掌で踊らされている事になる。」
「更なる黒幕………。」
藤原提督が自身に言ってきた事を考えながら、初霜は考えてしまう。
そっと頭を撫でられた事で、心が暴走する事は無かったが、黒い物は渦巻いていた。
知能を持つ深海棲艦は、徒党を組んだり、強力な随伴艦を連れたりする事がある。
初霜に対し、藤原提督は角付きのレ級に縛られ過ぎるな………と、言いたかったのだ。
「難しいですね………。私も、沖波も………。」
「考え続けて、悩み続けるのが人生だ。苦しくても、思考は止めるんじゃない。お前の大切な仲間の為にもな。」
「はい………。」
藤原提督の言葉は、初霜の心に深く刻まれる事になった。
――――――――――――――――――――
更に数日後の朝、沖波はベッドで就寝をする前に執務室に寄っていた。
深夜に行われた訓練をこなし、風呂にも入った彼女は、眠る前にどうしても確かめたい事があったのだ。
「失礼します。」
「沖波か。何か資料でも、見に来たか?」
「………工廠に寄った時に秋津洲さんから、もうすぐ成宮提督………調査船しらさぎが来ると伺いました。」
どうやら、本土で特殊な駆逐棲姫と軽巡棲姫の解剖が終わった事で、しらさぎが再びショートランド泊地に向かってきているらしい。
秋津洲からそれを聞いた沖波は、藤原提督に確認を取りに来たのだ。
「対応は、私と由良で行う。お前達が、無理に出る必要は無いさ。」
「心遣いは感謝します。でも………私としては、話さないといけない気がして………。」
「衝動に任せて砲門を向けといて………か?」
藤原提督は資料を纏めながら、沖波に少々厳しい声で言う。
夏に沖波は、墓地で成宮提督達に砲門を向けている以上、下手な事はさせられないと考えているらしい。
沖波もそこは自覚しているのか、視線を落とす。
しかし、すぐに顔を上げるとハッキリと言う。
「今度は艤装を付けません。お願いです、話す機会を得られないでしょうか?」
「敢えて厳しい事を言う。お前の独断行動で、泊地の皆に迷惑をかけるわけにはいかない。そもそも艦娘として鍛えている以上、生身でもその気になれば………。」
ジリリリリリリリリリリ!!
藤原提督が話し始めた所で、泊地の警報が鳴る。
それまで部屋の中で静かに作業をしていた由良が、通信機を開き、タブレットを弄る。
「救難信号です!方角は北北西!これは………調査船しらさぎからです!」
「何………!?まさか………!?」
藤原提督が立ち上がると同時に、通信機から悲鳴が聞こえて来た。
「助けて………!お願い、しらさぎを………!成宮司令官を助けてーーーっ!!」
それが、護衛を勤める駆逐艦の雷の声だと気づいた時、部屋にいた沖波は戦慄した。
沖波が全てを話す事が出来たのは、陽炎にも初霜にも支えてくれる人が出来たから。
それが、このアフターケアに繋がっていますね。
しかし、それで平穏が戻るわけでも無く…。
しらさぎの危機を前に、沖波は…?