恐る恐るSTARRYに戻ると、そこには静かに怒りを露わにする星歌がいた。
「お前ら……どこほっつき歩いてたんだよ」
「せ、星歌姉ちゃん……。ちょ、ちょっとね……」
「……まあいい。他のバンド見るのも勉強だ。もう最後の一組だけど見ていけよ」
「はい。すみません」
「ご、ごめんなさい」
頭を下げる陽歌と一緒に、慌ててふたりも謝る。
顔を上げると、星歌はふたりのことをジーッと見つめていた。
(な、なんだろう。で、出禁とかかな。そうだよね。普通、段ボール被って演奏なんて、ダメだよね)
「良かったよ、初ライブ」
「えっ!! あっ、どっどど、どうも」
予想外の褒め言葉に吃ってしまう。
ふっ、と笑い星歌はふたりに手を伸ばした。
何をされるのかと少し身構え、ぎゅっと目を瞑ると、頭を控えめに撫でられたことがわかった。
「あ、あの、星歌さん……?」
「ぼっちちゃんは元気?」
「……あ、姉は忙しいので、あんまり実家には、帰ってきません。多分、元気だと思います」
「実家には……って?」
「あ、私、一人暮らししてるので……」
「え!? そうなの!?」
陽歌が横から会話に入ってくる。
星歌も不思議そうな顔をしてふたりのことを見ていた。
「あ、えーと、はい」
「それって、親御さんは?」
「も、もちろん許可は貰ってます。学校が、遠いので……」
「もしかして秀華高校なの?」
「は、はい」
姉を目指す上で、姉と同じ高校に入ることはふたりの中で当然のことだった。
秀華高校を志望することを話した時、両親はやはりその遠さを懸念した。姉が通っていた頃、色々と面倒があったようだ。
両親は姉には友人がいないことや、部活に入る気もないことから、放課後すぐに帰ってくることを予想して遠方の高校でも許可したらしい。
しかし実際はバンドを始め、バイトも始めたおかげで毎日のように帰宅が遅くなっていった。
帰りが遅い時間になるということは、単純に女子高生にとっては危険が増す。
幸いにも姉の時は何も無かったようだが、だからといってふたりも安全だとは限らない。
それに今回は姉と同様に友達がいないと言っても、その姉を追いかけているのだからいずれはバンド活動を始めて、帰宅が遅くなるのだろうと予想していたらしい。
そういったこともあって、条件付きの一人暮らしの許可が下りた。
条件は二つ。
週末には実家に帰ってくることが一つ。ふたりだって両親やジミヘンには会いたいから条件などつけなくても帰っていた。
もう一つは、常に学年上位の成績を保つこと。
あくまで学業が本分であり、それ以外のことに熱中することは勝手にしても成績は維持しろとのお達しだった。この条件については、一つ目以上に楽な条件だった。
(お姉ちゃんが入れる学校で、上位が取れないほど落ちぶれてないしね)
姉と違い、ふたりは一芸にのみ秀でているわけではなく、やればなんでもそつなくこなす万能タイプだった。
学業もその一例で、真面目に授業に出ていれば上位はキープできるレベルであった。
…………姉とあまり顔を合わせたくなかった。
あれこれと合理的な理由を付けても、結局心の隅にその気持ちが残ることは無視できなかった。
姉に生活力は一切無く、一人暮らしなど当然できない。
訪問営業なんかが来たら、言われるがまま意味の分からない契約をいくつも取らされて、一ヶ月で数十万円の請求をされてしまうだろう。
そのくらい姉は、ギター以外の何もかもがポンコツなのだ。
(私も似たようなものだけど……)
一昨日、母にウォーターサーバーのクーリングオフをお願いしたばかりだったことを思い出した。
そんな姉だからか、家を出ようとはしなかった。今も実家暮らしである。
ただやはり人気バンド。全国ツアーやフェス出演で地方各地を巡る以上、家に帰ることは少なく、家族よりもバンドメンバーとホテルで過ごすことの方が多い。
そうは言っても同じ屋根の下に暮らす姉妹である。
一週間に一回は顔を合わせるし、当たり障りない話もした。
学校がどうだとか、バンドがどうだとか。
……姉は、妹の変化に気が付かなかったようだった。
昔と変わらず友達がたくさんいて、ギター以外にも多くの趣味があって、毎日が充実している明るい子。
それが姉の中でのふたりのイメージだった。
ふたりもそのイメージに合わせて話をしていたが、現実とのギャップと、姉から聞かされる華々しい栄光に苦しんでいた。
兎にも角にも、ふたりはこの春から学校の近くで一人暮らしを始めたのだった。
「ふたりちゃん、家賃とかは?」
「あ、両親が仕送りしてくれてます……。最低限ですが」
「バイトとかしないの?」
「う"っ!」
(労働! 嫌だ! 絶対にしたくない! 社会が怖いいい)
星歌にそう聞かれて、ぶんぶんぶんと首を振ってしまう。
アルバイトなんて始めてしまったら、悲惨な結末が容易に想像できる。
────────────
「後藤さーん、レジお願いしまーす」
「ひゃ、ひゃい!」
「タバコ、セッター8ミリ」
「セ、セッター? ほ、ほい!」
両手を頭上に上げて、ほい、ほい、とボールを突く動作をする。
「い、いや、お姉さん、そのセッターじゃなくて……」
「あ、え、ああ、すみません……」
カンカン!
「判決! お客様の要望に応えられない刑! 死刑!」
────────────
(うわあああ、黒歴史確定だあああ!)
床に倒れて頭を抱えてゴロゴロと転がる。
社会に出るということは、そのまま死に直結する危険行為だ。
ふたりにはまだ早すぎる。
「本当に似てるな……」
「星歌姉ちゃん、ギターヒーローさんもこんな感じだったの?」
「ああ。うちでバイトしてたけど、最初は全然使い物にならなかった。可愛かったからいいけど」
「え! ここでバイトしてたの?」
「虹夏も……というか、結束バンドは全員してたぞ。ある程度売れてからはほとんどシフト入れなくなったけど」
「へ〜〜、そうなんだ……。あっ!」
陽歌の、何か良い事を思いついたような顔を見て、ふたりは嫌な予感がした。
これまでふたりは姉を目指す上で、姉の真似をひたすらにしてきた。
しかしその中でも、絶対にやりたくないと決めていたことが一つだけある。
それは……、
「ふたりちゃん! 凛! ここでバイトさせてもらおうよ!」
(ほらああああ、絶対そう言うと思ったあああ!)
STARRYでアルバイトをすることだった。
名案だとばかりに高らかに宣言した陽歌は、すぐに同じことを星歌に報告しに行ってしまった。
それを聞いた星歌は「うーん」と首を傾げ、少し考え込んだ。
「なんだお前ら、バイトしたいのか」
「うん!」
「わたしはべつにどっちでも」
(したくない、したくない!)
「本当に働きたいのか……?」
三者三様の様子を見て、星歌は呆れる。
そんな星歌の様子を見て、見かねた陽歌が声を上げた。
「二人とも! これからバンドやるってことの意味、わかってる!?」
「なに?」
凛が胡乱げな顔で聞き返すと、陽歌は自信満々に人差し指を立てた。
「まずはお金が必要なの!」
そこから陽歌は、ライブをするにしてもノルマが課されることや、機材にどれだけお金がかかるのかを説明した。
「それからふたりちゃん!」
「ひゃ、ひゃい!」
「一人暮らし……。当然仕送りはあると思うけど、それでやっていけるのかい!」
「た、たしかにそれは思ってました……」
両親からは家賃と光熱費、最低限の食費と生活費は貰っているが、それ以上に関しては自分で調達するように言われている。
労働は絶対に嫌なので、今はこれまでのお年玉やお小遣いの貯金を切り崩そうと考えていたが、それも三年間保つとは思えない。
アルバイトをして自分でお金を稼ぐのが一般的なことは分かっている。
分かっているが……。
(無理なものは無理!!!!)
社会に出る=死であることは明白であり、姉がそれを可能にしていたのは、結局のところ姉はそこまでコミュ障ではなかったというだけだろう。
ふたりにはSTARRYでアルバイトをする自信も勇気も無かった。
(しかもバンドメンバーと一緒になんて一番怖いよぉぉぉ! 同じコミュニティの人と働いたりなんかしたら、もし失敗した時のバツの悪さが半端無い! 知ってる人に無能だと思われるなんて、知らない人に思われる百倍は辛い!)
しかしそうは言っても、バンド活動をする以上、陽歌が言ったように相当なお金がかかるのも事実。
「さあ、バンドとバイトを始めるんだ、ふたりちゃん! やれるよ! バンドとバイトって文字も似てるし!」
「…………ぐ、ぐぅ」
「ぐうの音は出るんだ」
期待に満ちた陽歌と、対照的に心底どうでも良さそうな凛の二人の視線に囲まれて小さくなってしまう。
「…………やっぱり無理ですぅ」
ここでYESと言えるのがギターヒーローなのだろうが、真のコミュ障はそうもいかない。
無職を貫く確固たる意志があるからこそ、ここまで労働とは無縁の生活を送ってきたのだ。
そうやすやすとこの牙城が崩されて良いわけがない。
「陽歌、無理強いするものじゃない」
「うーん、そうだよね。でも……」
「もうやめとけよ、陽歌。本人ができないって言ってるんだから」
引き下がろうとする陽歌を凛と星歌が引き止める。
「ご、ごめんなさい……。お姉ちゃんはできてたって聞いたけど、私にはやっぱり……無理です」
俯いてスカートの端をギュッと握り、ようやく出た声は震えてばかりだった。
すると星歌がふたりの前に立ち、優しい声で語りかけた。
「ふたりちゃん、バイトはやらなくていいよ。ぼっちちゃんがやってたからって、ふたりちゃんが無理にやる必要は無いと思う」
「……ありがとう、ございます」
「むしろ私は、ぼっちちゃんと同じ道を辿って欲しくないと思ってるよ」
「え……?」
予想外の言葉に、ようやく顔を上げる。
姉を追うことこそ、この八年もの年月そのものなのだ。それを否定されることは少し、アイデンティティの否定のようなものを感じてしまう。
しかし星歌は、慈しむような優しい笑みを浮かべていた。
「ふたりちゃんの演奏、ぼっちちゃんにそっくりだったよ」
「……そんなわけ、ないです」
段ボールを被ってたせいで陽歌と凛がどんな演奏をしていたのかもよく分からない。
途中から音さえ耳に入ってこなかったくらいだ。
姉のようにバンドメンバーを信じきって、客を魅了させるような演奏は到底できていたとは思えない。
「ううん。そっくりだった。でも似てるって感じじゃない。
ふーっと星歌はため息をつく。
ふたりには星歌の言葉の真意が計り知れない。
恐らく、当事者以外では唯一と言っていいのだろう。
結束バンド、そして後藤ひとりの黎明期を深く知っている唯一の人物がこの伊地知星歌だ。
「ぼっちちゃんは初めてのバイトの後に熱出して倒れてたし、ライブ終わったら吐いたこともあるし、正直めちゃくちゃしんどそうだった」
「……」
「結果的に上手くいったけど、ふたりちゃんもそうとは限らないし、途中で心が折れちゃうかもしれない。少し……心配なんだよ」
頭を撫でる星歌の手のひらには、それが善意による忠告であることがよく分かる優しさがあった。
「ふたりちゃんには、ぼっちちゃんと同じ才能の芽があると思うよ。でもだからって、それを無理に咲かせる必要はないと思うんだ。実力は伴っていたって、やりたくない人に強要することはできない」
嘘だ。星歌はやさしい嘘を吐いてくれている。
ふたりに姉のような才能は無いし、努力したところでそれは叶わない。
これまでも何年も努力してきたのに、姉には少しも届いていないのだ。
「わ、私に姉のようなさ、才能はありません……」
たまにワンフレーズだけ姉のように弾けたりすると、自分にも才能があるんじゃないか!? と思うこともあったが、本当にたまたまなだけであり、姉の実力とは天地の差があったはずだ。
「……なあ、陽歌」
「うん?」
「
星歌は「すっかり分からん」と疑問を口にする。
姉のことを知っていて、ふたりのことを知っているのならよく分かるだろう。先ほどからずっと言っているではないか。
ふたりは星歌の言うことがいまいち分からなかった。
「自信が無いんだよ。ね、ふたりちゃん」
「は、はい。自信も、実力も、ありません……」
「だーかーらー!」
星歌は痺れを切らしたように声を大きくし、懐からスマホを取り出した。
画面を横にし、ふたりに見えるようにこちらに向けてくる。
「こんな演奏しといて、なんで上手いって思えないのかって言ってんだよ」
「待って星歌姉ちゃん! もう見せるの!?」
「良いんだよ。こういうのは早い方が」
そう言うと、表示されていた動画の再生ボタンを押す。
どうやら先ほどのリストバンドでのライブの録画のようだった。
ドラムの陽歌とベースの凛が向かい合ってリズムを取って、カウントを刻む。
右端の段ボールを被ったふたりは、正面を向いたままでなんだかシュールな絵だった。
「な、なんでこんなのを……」
周りの音が聞こえないほどパニックになり、大失敗に終わった初ライブ。
(正直思い出すことすら辛いのに、ライブ映像を見せられるなんて……。もしかして公開処刑!?)
お前はもう来るなと言うために見せているのだろうか。
そうに違いない。
演奏が始まる。
最初の方は特段悪いわけではない。
テンポを外しているわけではないし、運指もそれなりに正確だった。
バンドメンバーと連携が全く取れていないことが最悪だが、それはもう目も見れていない以上、予期できる失敗だ。
(うう、そろそろ周りの音も聞こえなくなって、自分のこともよく分からなくなってパニックになる頃だ……。見たくないな……)
やがて画面の中の陽歌と凛が目を合わせ、二人同時にこくんと大きく頷いた。
「ここからだ」
「…………え?」
目の前で映し出される三十分ほど前の記録は、ふたりが記憶とまったく違うものであった。
「え? ……え? な、なんで、二人とも……」
「気が付かなかった?」
気が付かなかった。
いや、それには気が付いていた。
「二人とも、演奏を止めた、の……?」
陽歌はドラムスティックを、凛はピックを置いた。
その瞬間、もちろんドラムとベースの音は無くなり、ふたりの奏でるギターの音のみがライブハウスを響かせていた。
「え……あ……」
周りの音が聞こえなくなったのではない、本当に周りの音がしなくなったのだ。
(な、なんで!? どうして!?)
そんなことをする意味が分からない。
二人の顔を見ようとしたが、怖くて見ることができなかった。
(これを動画サイトにアップロードして、笑い者にするため? せっかくの初ライブを、ステージを捨ててまですることなの?)
人間不信になってしまうような。
トラウマになってしまうような。
これはそんな動画に違いない。
「……あれ?」
動画を止めることのない星歌に恨み節を心の中で流しつつ、少し目を逸らしながら聴いていると、違和感を感じた。
「……おねえ、ちゃん?」
姉の、演奏が聞こえる。
何百、何千と聞いた姉の演奏動画だ。
それが目の前の動画から聞こえる。
「な、なに、どう、いうこと」
「ふたりちゃん」
「は、はい!」
星歌が久しぶりに口を開いた。
「陽歌と凛はすぐに気付いたんだ。ふたりちゃんはバンド演奏よりも、ソロ演奏に慣れてるってこと」
それはその通りだ。
なによりバンド演奏は今回が初めてだったから、まるでお話にならなかった。
「いや慣れてるってよりも、
ようやく目を合わせることができた星歌の目は真剣そのものだった。
陽歌と凛のことを見る。
二人も星歌のような目をしていた。
「無理してバイトをする必要は無い。その意見に変わりはないよ。結束バンドみたいになることもない。ただ、バンドメンバーがどれだけふたりちゃんのことを想ってくれているのかは、知っておいた方が良いよ」
そう言って星歌はスマホをしまい、どこかへと去っていった。
気が付けば最後のバンドの出番も終わっており、帰ろうとする客達でざわつき始めた。
姉のレベル。
とても信じ難いが、先ほど突きつけられた映像も音声が本物であるならば、確かにふたりは姉のレベルに到達していると言っても過言ではなかった。
むしろほぼ寸分の狂いもなく、姉の演奏そのものだった。
ふたりは自覚していないが、八年もの間同じ動画を見ながら練習していたのだ。
むしろ下手だということの方があり得ない。
ひとりは確かに才能があったが、膨大な練習量が才能を表出させた。
その血縁でかつ練習量は倍以上となれば、才能の有無はまだ分からないにしろ相当な実力があることは明確であった。
「あの時は、ふたりちゃんの本気を見たい! っていうのと、みんなにふたりちゃんの本気を見せたい! っていう気持ちでいっぱいだったよ」
「そんな、風に……、そんなに、お、想ってくれて、期待してくれてるんですか?」
「うん! 期待してるよ!」
「私は陽歌が決めたことだったから」
「そういうこと言わなーい!」
「……ははっ」
不思議と陽歌の期待は、重いものだとは思わなかった。
バンドに誘ってくれて、初ライブにも関わらず全幅の信頼を寄せてくれて、ライブが終わった後も居場所をくれる。
そんな人の頼み事を無下にしていいものだろうか。
(良いわけ、ない!)
そう素直に思わせてくれる、キラキラとした気持ちがふたりの中に湧き出てきた。
「……ます」
「え?」
「やります! バイト!」
「良いの? やったー!」
陽歌が勢い良くガバッと抱きついてくる。
突然のことに驚きながら、ふたりもおずおずと陽歌の背中に手を回し、控えめに抱き返す。
すると嬉しくなったのか、陽歌がグルグルと回り始めた。
抱えられているふたりも必然的に回ることになるため、ライブハウスの隅に小さなコーヒーカップが出来上がった。
「やったー! やったー!」
「あ、は、陽歌ちゃん……うぷっ」
ぐるんぐるんと回転する視界が、三半規管を激しく揺する。
ただでさえ身体的疲労と、立て続けに起きたハプニングに対する精神的疲労が溜まりに溜まっていたふたりの身体はすぐに悲鳴を上げた。
「ま、ほ、ほんとに」
「陽歌、やばいかも」
「え!? なになに!」
「う、お、え、げ、ゲロゲロ──!!!!」
「うわー!!!!!!!!!!」
その日ふたりは、後年STARRYに語り継がれる嘔吐姉妹の伝説を作り上げることとなったのである。
「なにやってんだよもう。……やっぱり姉妹なのな」
嘔吐の処理をしながら、星歌がひとりごちた。