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ひっそりと人気のない場所の景観は、昼夜や天候によらず妙に暗い風情を纏っていることがある。特に荒れ果てているでも、日当たりが悪いでもないのに、辺りの空気がなぜだかひんやりと寂しかったりする。
道端で終わりかけの花が崩れているのがやけに目についたり、風にたわんだ木々の枝葉が妙に低く大きなざわめきを立てていたり、ささやかな印象が積み重なることで辺りの空気が沈んでいる所。光差す暗がりとでも称する他にないものが、そういった所にはしっかりと根を張ってしまっているのだった。
その類の場所の一画である。昼下がりの明るむ草地にまで、どこかしら拭えない翳りが落ちている一帯。
人目を憚るように停泊しているローアの内部は、嘘のように静まり返っていた。
「……あ~あ、タイクツ」
静けさを破った呟きの独り言めいた響きに反して、それを発した当人であるマホロアは、傍らに佇むカービィを白い寝台の中から見上げていた。壁時計を瞥見するような無感情の視線を受け、カービィはこてんと頭を傾ける。
「えっと、じゃあ――何かお話をするね。そうだなあ……この前クラウディパークで」
「風でワドルディが吹っ飛ばされテ、大王のみぞおちに頭突き叩き込みながらゴウカイに転げ落ちてったトキのハナシ?」
「……あれ。もう話したっけ?」
大王本人カラ聞いタヨ、とそっけなく返してきたマホロアの生気に乏しい顔は、壁際の一ヶ所だけ点けてある平面型のカーゴランプに照らされて薄い陰影を帯びていた。灯りが仄かにちらつく都度、精彩を欠いた目の中で、漣立つ水面にも似た淡い光が翻る。
機関室と寝室は隔壁二枚と間の貨物庫で隔てられている。外からの音や光は届かない。寝具の衣擦れと微かな軋み、二人の話し声だけが、水底めいた重みのある薄闇を時折震わせた。
「その絵面、できれバじかに見たかッタナァ」
「指差して笑ってたら怒られると思うよ」
「エェ? ボクがそんなコトするように見えル?」
「すごく見える」
そう返しつつ力強く頷いた。ヒドイヨォ、とわざとらしくぼやく声音は、さっきより少し柔らかい。
「でも、カービィにもオイウチされたッテ言ってたケド?」
「あー……うん。びっくりしてパラソル離しちゃったら大王の顔に直撃した……」
「モウ大王が引き寄せてるデショそれ……」
呆れ混じりに面白がっている声音だった。笑いを堪える喉の鳴りがしのびやかに響く。
――再び何か言おうとした彼の、言葉を探そうとしている息遣いが不意につかえた。
喘鳴じみた甲高い呼気がごく短く鳴って、直後、声を噛み殺している息苦しげな音の漏れに変じた。気付いたカービィが咄嗟に伸ばした手は、拒むように寝台から持ち上がった震える手に押しとどめられた。シーツの擦れる音も彼の手も酷く冷たい。カービィはまばたきもせずにマホロアを見つめた。
「大丈夫?」
「……おおげさダナァ、おひとよし……キミってホント――」
その先は言葉にならなかった。煩わしげに目を瞑って浅く掠れた呼吸を繰り返す彼に、カービィは手を重ねたまま、もう案じる声を掛けなかった。
嘘と間違いを取り返せないところまで重ねた人が、過失の報いを一身に受けたその後で、どんな成り行きに委ねられたならば妥当なのだろうか。――呆れ返るほどに平和なこの地で、そんなことの答えを知る者があるはずもない。だから何もかも手遅れなままで時間だけが過ぎていく。気ままで身軽な、しかし狡く勝手なその生き方の寂しさだけを道連れに彼は横たわっていた。
日増しに重くなる衰えに抗うしるしのない静養は、もう彼のもとへ朝が来なくなるまでの事務的な手続きでしかなくなっている。そうでもなければ、マホロアを咎め立てないカービィの振る舞いをメタナイトは黙認しなかったかも知れない。
ただ床に伏したまま過ごす時間が増え、眠っているのか起きているのか当人にも分からない時間が増え、それでもカービィは日すがら彼を訪ねた。ほんの少しの間、他曖もない話をするだけのひと時。習慣と呼べるほどに回数を重ねられはしないと、互いに予感しているひと時が今日も過ぎる。
「――ハァ……めんどくさいっタラないヨォ。もう、一体どんなイワレがあっテ、ボクがこんなフビンな目にあわなきゃいけないンダカ」
マホロアのきつく瞑られた目は、軽い痙攣に似た挙動の後でゆっくりと開いた。眼差しには既に平静が戻っていて、その上何食わぬ顔でそんな言葉をうそぶいたりする。重ねた手がするりと引き抜かれ、薄い上掛けの奥に逃げていった。
彼は態度だけで現状に歯向かっていた。もうすぐ彼を連れていくであろうものの影に彼は全く与しなかった。彼自身に対する欺きを、この期に及んで通そうとしていた。見かねたワドルディはいつからか来なくなった。デデデ大王も最近になって足を運ばなくなった。理由を尋ねたカービィに、きっとお前以外にはもう見られたくないだろうし、あいつがお前と話す時間を削ったら化けて出そうだ――などと言って。
「……ネェ、カービィ」
「ん?」
「キミがこうしテ性懲りもなくボクに構うオメデタイヤツだから、イチオウ訊いてみるケド」
「言い方」
「マァ気にシナイ気にシナイ。……チョウシがもどって、ほとぼりが冷めたらサァ」
「――うん。なあに?」
折に触れて当然のように先のことを実現しうる体で話す彼の意地を、カービィは別段痛ましく受け取りはしなかった。自分にとり好ましくない点をとことん無視して都合好く喋る性格に関しては、今に始まったことでもなく、そういう性分なのだろうからこちら側からはどうしようもない。
「どうやってメタナイトを丸め込むかがナヤミドコロで」
「謝ろうよ」
「ムリムリ、アイツ融通利かなさそうジャンカ。ノンビリやでノーテンキなキミらを見習って欲しいヨォ」
「……褒めてるの?けなしてるの?」
「さて、どっちだろうネェ」
ただ、からかい調子に笑うマホロアの億劫そうな息継ぎや、吐息に乗せてどうにか押し出している具合の嗄れた声の危うさが、時としてカービィに忍耐を強いた。そこにある無理と嘘を窘めて休ませたくなり、けれどそうすることで何かが変わるかと言えば、もう何もかもが余さず終わっている。
「仲直りできるといいね。メタナイトとも」
「とも、ネェ……」
「え、ぼくたちとはもう仲直りしたでしょ?」
「……どうだったカナァ」
「えー?」
終わった物事に慰めを欲する感傷をカービィは知らない。知らないまま、彼の望む形で関わり方を定めたに過ぎない。しかし、こうして実相を偽った不慣れな物言いに付き合う内、一つ分かったことがあった。
嘘が全ての前提にある時でも、嘘も本当もない気持ちが、どうしようもなくそこには育ってしまうのだと。
だからきっと、マホロアの本性を知らなかった頃の日々も、今のこの時間も、まるで無意味なものになったりはしないのだろうとカービィは思う。
そこに培われた全てが、遠からず失われてしまうとしても。
⁂
マホロアがどう振る舞おうと無関係に、事の応報は確かにひと足ずつ階を昇ってきていた。
減らず口さえ日ごとに減った。――細く震えた呻吟すらも折に触れてはたと途切れてしまう幾夜さかを経て、ある日を境に彼はほとんど意識を失くした。
うわ言にカービィを呼んだり、驚いたように凍った表情で目を瞠ってはカービィや周囲に一瞬だけ視線を巡らして、不明瞭な呟きと共にまた目を閉じたりするばかりである。カービィは黙って傍に寄り添った。
細く微かな、悲鳴じみた泣き声が上がったのはとある夜更けのことだった。微睡みから醒めたカービィが身を起こすと、壁のカーゴランプは以前よりも弱くなった光をちらちらと僅かに明滅させていた。
(……ローアも泣いてる)
カービィはふとそんな風に思った。労る調子で隔壁の端を少し撫でてから、泣き声の主が眠る寝台を覗き込む。言葉にならない声の上擦りから、恐怖や苦痛ばかりが伝わってきた。
マホロアの目は恐ろしいものを目の当たりにしているように見開かれていた。戦慄きながら空を掻いている強張った手をカービィは握った。
何の抵抗も返ってこなかった。それが今しがた動いていた、生きているものの感触とは信じられないほど。
「……大丈夫だよ」
不思議だった。
嘘の素質も素養もないカービィにとっては、思いがけない未知の発見だったけれど、マホロアにとってはそうでないはずの一つの事実が。
――嘘は、本当の祈りや願いを乗せた嘘であっても、心から口にする言葉とは何かが違う。確かなものを心に残しはする癖をして、偽りに先立つものは虚しさで、後に残るのは寂しさだった。
ただ意味のない気休めを言う、今の状況でも少しだけそう思う。もしもこうした事情を抜きに、誰かのためでなく、自分のためだけに何度も嘘を重ねたなら――人に信用されなくなるより前に、自分の全てが疑わしくなりそうだと感じるほどに。
不思議でならない。そんな寂しいやり方を進んで選ぶ人のいることが。
(どうしてだろう?)
まるきり間違っているとは言わない。誰かに悪戯で済まないような迷惑を掛けたりしなければ構わない。こうと信じて人に強いたい基準などないし、揺るぎなく正しいと確信しているのは食べることと寝ることの大切さぐらいのカービィである。善し悪しではなく単純に、カービィにはマホロアの考え方がよく分からなかった。出会いを思い返す。それからのことを思い返す。やっぱり分からないや、と結論する。
そして、これからを思う。――分からなくても一緒にはいられるし、お互いを少しずつ分かっていくこともできるのに、もう『これから』がない事実を思った。
「――カービィ」
急にはっきりと呼び掛けられ、カービィはふと我に返った。か細い泣き声はいつしか止んでいた。
寝台の中から自分を見つめている双眸の、暗く静かな奥底の方で、温度を感じない光が揺れていた。何かを諦めた眼差しにだけ、却って生々しく命の気配が残っている。
彼は彼の意志と意識を保っていた。少なくとも今この時は。囁きに近い声量の、しかしどこか無機質に冴え返った掠れ声が言葉を紡ぐ。
「……もう一度ダケ、タスケてくれル?」
あれ、とカービィはまたたいた。叶うならばとっくにそうしていることをマホロアは理解しているはずで、どうしてわざわざ訊くのかが分からない。
ちょっと考えた。
考えて、分からないので、思うままを言うことにした。
「何度だって助けになりたいよ。友達だもの」
「……」
「でもね、今のきみに何をしたらいいのかも、ぼくに何かしてあげられるのかも分からないんだ。だから、ここにいるぐらいしかできないけど」
重ねた手にほんの少しの力を込める。
錯覚かと思うほどの弱々しさで、けれど確かに握り返された。
「一緒にいさせてね」
「……バカじゃナイノ、おひとよし」
絞り出すように悪態を吐く彼の、恨みがましい目付きを眺める内に、カービィは漠然と理解した。
(――ああ。多分……ぼくに、なんにも言えなくなって欲しかったのかな)
その様を見て笑うつもりだったのだと、何となく分かった。
(それってちょっといじわるな気がする)
そんなことをしても、きっと互いに悲しいだけなのに。カービィはただ不思議に思う。
「カービィ」
マホロアの悔しげな掠れ声には、無謀な物事に挑むような、ある種の切羽詰まった響きがあった。
「なあに?」
「……謝らないカラネ」
「そっか」
「それでも、まだ同情スル?」
カービィは意味を図りかねてきょとんとした。マホロアのこうした問い掛けは、カービィからすればただ不可解なものに過ぎなかった。
「よく分からないけど、きみがどこにもいなくなるのは嫌だな」
「……」
「ずっと会えなくなるのって、やっぱり寂しいもの。……悲しいって思う。話したいことがいっぱいあるし、これから先も……きみに話したいって思うようなことが、きっとたくさん起きるのに」
寂しさに耐えられない性分ではない。悲しみに暮れ続ける性質でもない。どんなことでも時間が過ぎ去れば『それはそれ』としてしまえるのだと知っている。それでも、今ここにある言いようのない気持ちに向き合ってみれば、ただ苦しかった。
「だからね、マホロア。だから……」
切れ切れに言葉を選んでいても、涙はまるで流れなかった。泣きたいのはマホロアの方に決まっているから、もし泣きそうになっても堪えたけれど、元より込み上げもしなかった。
もう何もかもが余さず終わっている。拒んで泣くには遅すぎて、受け止めるにはまだ早い。心の内を伝える他に、したいこともできることも浮かばなかった。
「約束させて。これから少しの間、お別れしなきゃならなくっても……いつかまたどこかで、絶対に――絶対に、きみと出会うよ」
悲しみも、寂しさも、心に留めて構ったところで何に変わってもくれないから、カービィはそれらを約束の中にしまいこむ。遠い未来を願う言葉と、その願いが届くことを信じる言葉で築いた約束の中に。
部屋を満たした薄暗がりの、物思いを痺れさせる静けさに、稚い誓いは余韻も残さず溶けていった。
「――呆れタ……」
消え入りそうな声の底に、うっすらと泣き笑いの影が差す。
「ホント、キミは……手に負えないナァ……」
心持ち途方に暮れた風な、それでいて張り詰めていたものの和らいだ目を伏せ気味にして、マホロアは仄笑う。抵抗も重みも温かさも失くした手は、もうカービィに縋り付いてもこなかった。
「でも、ネェ、カービィ。……マタ出会えたとシテ、そのトキに……スグにはボクだって気付けないようなヤツになってたラ?」
「え?……ちょっと困るかも」
「……たとえば――今のボクとは、ゼンブ真逆なカンジでサァ。バカショージキで、無口で、ブアイソで。……キミのコトナンカ、大ッキライで……」
マホロアはそこで言葉を打ち切り、順序を弁えない散らかった物言いで前言を否定した。サスガにあり得ないカ、とか、マッピラだしネェ、とか、ボクも困ル、とかをくぐもった小声でぽつぽつ零した。
カービィは当惑しなかった。彼を知っていた。どうしてそんなやり方でしか振る舞えないかを理解できずとも、どんなやり方で振る舞う人かをよく知っていた。――殊更に何か抑えているような静けさと重々しさをもって彼が口走った「大嫌い」の意味を、これ見よがしな逆手の伝言を、よく分かっていた。
「マホロア」
カービィは曖昧に笑った。
さっきまでの言いようのない苦しさ、満ち溢れるような感覚が、内から引いていくのを感じていた。そうして次に降りかかったのは、ものの欠けたような別種の寂しい心地である。もはや別離を既定の事実としてしまっている言葉を交わした今、偽りは彼に先立ち、彼に向けて選る一言一句も餞別でしかなくなった。
それを承知でカービィは言継ぐ。心を映し取って渡せはしないから、せめて言葉として伝えられる分だけは、彼が傍らに携えていけるように。
「ぼくね、色んなひとから色んなものを貰ってるから、いつも幸せでいられてて、これからもずっとこんな風でいたいなって思ってるけど。……きみから貰った分は多分、きみが自分で思ってるより、もうちょっと多めにあるんだよ」
マホロアの伏していた目が静かに開いた。不帰の先触れが穏やかな自棄を添え始めている面立ちの中にあって、痛ましいほど鮮やかな瞳の、水面の月にも似た揺らめきが薄闇に光った。
冷たい寂しさがカービィをふいに打ち、微かな笑みに一瞬だけ険しいものを過らせた。思わず声に出しそうになった未練がましい詫び言、ともすれば彼を傷付ける類の詫び言の衝動に耐えて、束の間絶えた言葉の続きを口にする。
「……だから、忘れたって変わったっていいから、会えたらちゃんと思い出してね」
ぼくは覚えてるから。――そう締め括ったカービィを、マホロアはじっと眺めていた。
「……ソッカ」
似つかわしくないほどにほがらかな、待ち受けている末路を忘れたような声が、ただ一言そう呟いた。
夜明け近く、ローアの灯りが残らず落ちたその時を、カービィだけが見届けた。