福音、エヴァンジェリカル
救いを得るには回心や新生の経験が重要となる。
福音、エヴァンジェリカル
救いを得るには回心や新生の経験が重要となる。
とある管理外世界。
文明は決して近代的とは言えない。地球における西洋の中世あたりが近いと思われる世界だった。
「ケーキおいしかったね」
今日はアリシアの六歳の誕生日である。
また、旅行はアリシアの要望だった。そのためジェイルが旅行を計画し、管理局に捕捉されない場所へと行くことにした。
「それはなによりだ」
サングラスにアロハシャツ。
ジェイルはいつもと違う恰好をしていた。
「ドクターも楽しそうだな」
この恰好はなのはの進言によるものだった。ただこうなるとは予想していなかった。スーツに白衣だと目立つから着替えたほうがいいと言っただけである。だがかえって目立つ結果となってしまった。
合理性というものを理解しつつも、それを投げ捨てることのできる狂気を持った人間。本当に何をするのかわかったものではなかった。
食事を終えた三人が部屋に入る。
豪華な内装であり、一等地に建てられた宿。ミッドチルダから見たらセキュリティも何もあったものではないが、この町では十分なレベルと言ってもよかった。
「アリシア」
ジェイルがポケットから箱を取り出す。それをアリシアへと渡した。
「え? もしかして!?」
「君へのプレゼントさ」
「やったぁ!」
箱を受け取る。アリシアは素早く開封していく。
中には時計が入っていた。
小型でアリシアの小さい手にちょうど納まる大きさである。また、なのはと同じく首から下げられるようにペンダント状となっていた。
「君のデバイスさ」
アリシアの目がキラキラとしていた。
「アルハザードの技術をもとに製作してみた。是非役立ててくれたまえ」
ジェイルが聞き捨てならないことを言う。
「だ、大丈夫なのか?」
「何がだい?」
「何がって……」
ジェイルがなのはの言いたいことを理解していないはずがない。おそらく、作っていて楽しくなってしまったのだろう。ミッドチルダに持っていけば秘宝と言われてもおかしくない代物である。だからと言って廃棄するのも惜しい。使用による実用データも欲しい。
だからアリシアに渡した。アンリミテッドデザイアはただ欲望に従ったに過ぎなかった。
「きっとアリシアの身を守るのに役立つさ」
それを言われると何も言い返せなくなる。だが、何か引っかかることがあった。
なのはが言いたいこと。それはすごいものを持っていると誰かに狙われたりしないのかということだった。そう言いたかったのだが、言葉が出てこなかった。まだ勉強不足である。
「パパ! ありがとう!」
満面の笑み。アリシアはとても喜んでいた。
(まあいいか)
それを見てなのはが考えるのをやめる。
「どういたしまして」
優しい微笑み。たまに見せる人並みの表情。自覚を持っているかはわからないが、それは狂気とは無縁の感情だった。
「まあ、身を守るということならばヒドゥンがいる限り不要かもしれないがね」
先ほどの表情はない。不敵な笑みと言うべきか、含み笑いのようだと言うべきか。
いつも通り、悪いことを考えているかのような表情だった。
「名前は決めてあるのか?」
なのはがアリシアに問う。
「うん」
アリシアにはすでに心に決めていた名前があった。
「アガペー」
ジェイルが読み聞かせていた本。その中に出てきた言葉である。
「神から人へ与えられる愛」
ジェイルが説明する。
「無償の愛、又は不朽の愛」
ジェイルがなのはの方を見る。
「君の不屈の心と同じく、その愛は折れることも朽ちることもない」
再びアリシアへと目線を移す。
「その愛は誰から与えられるものなのだろうね」
アリシアを見るジェイル。その視線はアリシアの胸の内にいるヒドゥンを見ているかのようだった。
どうやらアリシアはヒドゥンと意思疎通ができているらしい。どのようなやり取りをしているのかは不明だし、ジェイルがヒドゥンと会話をしたことはない。
「パパ! 使ってみてもいい?」
「ああ、構わないが……」
「セットアップ!」
「結界を張ってから……フフ、欲望には逆らえない。それは真理。私も、誰もが同じなのさ」
「いや、そういうのいいから早く結界を張ってくれ」
魔法陣が展開され、窓から光が漏れていく。何事か騒がれる前に部屋を対象として結界を張った。
なのはと同じく白を基調としたバリアジャケット。袖や首元、スカートの裾は黄色であしらわれていた。
杖の先には空色の宝玉。それを囲むようにローマ数字で時字が浮かんでいた。時計を模しているのだと思われる形である。
「よろしくね、アガペー」
『こちらこそ』
杖を抱きしめる。とても幸せそうな笑顔だった。
「さて、そろそろ寝ようか」
ジェイルがそう言い、なのはも寝る支度をしようとする。
歯でも磨こうかとしたとき、なのはの袖が引っ張られた。なのはが振り向くとアリシアが真っすぐな目を向けていた。
「おそら、とんでみたい」
アリシアの気持ちはわからないでもなかった。なのは自身、同じ気持ちを抱いたことがある。
「また明日にしよう」
もう夜遅い。月明りがあるとは言え、いくらなんでも危ない。
「や」
アリシアが駄々をこねる。
「ダメ、また明日」
「むぅ~」
ほっぺを膨らます。何とも可愛らしかった。つい仕方ないなと言いそうになってしまう。
「なのはくんのイジワル」
アリシアがそっぽを向いてしまう。
「小さい子が夜に出かけるとさらわれちゃうぞ」
「ヒドゥンがいるから大丈夫だもん」
最近、口答えが多くなったなと感じるなのはだった。
「パパ!」
今度はジェイルにお願いするようである。
「この星は魔力素が少ない。それに今の君はやや興奮状態だ。魔力運用に支障が出るだろう。今日のところは止めといた方がいい」
「むぅ~」
ジェイルもなのはに賛成らしい。気持ちは諦めきれないようだったが、それでも聞き分けはある方だ。
「わかった」
アリシアが二人に従う。バリアジャケットを解除する。それから寝る準備をして、各々ベッドに入っていった。
なのはとジェイルから寝息が聞こえてくる。その中、まだ眠っていない少女が一人。
アリシアはまだ寝ていなかった。それは異常なほどに感情が高ぶっていたせいである。もらったデバイスが嬉しすぎて全然眠ることができずにいた。やってみたいこともたくさんあった。早く空を飛びたかった。
興奮冷めやらず、ベッドから身を起こす。
アリシアは物音を立てないように歩き出す。そして二人を起こさないようにそっと部屋を出て行った。
路地裏。
そこに一人の男が逃げ込んでいく。
「くそっ!」
奥は行き止まりだった。これ以上逃げることはできない。
「もう逃がさねぇぞ」
複数人の男が現れる。中には大柄で屈強な男もいた。
「まずは足の骨折らせてもらうぜ」
ゆっくりと距離を詰めていく。逃げてきた男が徐々に追い詰められていく。
しかしある事態により男達は動きを止めることとなった。
突然、両者の間に一人の少女が現れる。現れたと言うよりも降ってきたと言った方が正しいだろう。
「あいたた」
飛来したのはアリシアだった。アリシアが尻もちをついてしまった部分を撫でる。
「すごいスピード出たね」
『すみません。私も初めてで張り切ってしまいました』
あまりにも場違いな雰囲気だった。まるで昼間の公園で遊ぶ女の子がいるかのような光景だった。
「よいしょ」
アリシアが立ち上がり周りを見る。どうやらお邪魔してしまったことに気づいたようだった。
「えっと、ごめんなさいでした」
ペコリと頭を下げる。間を開けず、アリシアが浮遊を始める。
「ま、待って!」
一人の男が駆け出す。ここまで逃げてきた男である。
男は近寄りアリシアの杖を掴んだ。それと同時に発動する飛行魔法。
「うわっ!」
飛んでいく。
「うわあああ!!」
男が叫ぶ。
「あれ?」
アリシアが下を見る。目に映るのは涙と鼻水でグチャグチャになった男の顔。
「お、降ろしてくれ!」
杖に必死に掴まる男。落ちたら助からない高度である。
「ごめんね、さっきのところにもどるね」
「そっちはダメだ!」
制止される。
「どうして?」
「あいつらに追われてるんだ! 戻ったら殺される!」
「そうなの?」
「ああ! だから違うところに降ろしてくれ!」
それを聞き入れる。早いところ降ろしてあげた方がいいと考え、すぐ近くの場所に降りていく。
「はい、ついたよ」
着地する。男は腰が抜けてしまったのか手を地面に着けていた。
「……し、死ぬかと思った」
汗を拭う。それから荒くなっていた呼吸を整えていく。
「だいじょうぶ?」
アリシアが心配そうに見つめる。
「あ、ああ」
「そっか、ならよかった」
微笑む。無邪気で可愛らしい笑顔だった。
「ありがとう。おかげで助かった」
男の呼吸が安定していく。息が整ってきたところで男はアリシアと向き合った。
「君は一体」
「わたしアリシア。よろしくね」
聞きたかったのは名前ではなかった。だが名乗られた以上は名乗り返すのが礼儀である。
「俺はカール。ここらへんの地域に住んでる」
地面に座る。四つん這いからあぐらへと体勢を変えた。
「空……飛んでたよね?」
「うん」
「魔法使い?」
「そうだよ」
即答する。
「そ、そうなんだ」
自分で聞いといてなんだがすぐには信じられなかった。
「なんでおいかけられてたの?」
カールは下を向く。
「あいつら、子どもをさらってるんだ」
その言葉に怒りはない。ただ平坦な声色で話す。
「そんなことしてどうするの?」
「遠くに売り飛ばすんだよ」
この世界ではよくあることなのだろう。日常の一コマのようにカールは語る。
「だから、助けたんだ」
カールは特別に正義感が強いわけではない。良くも悪くも一般的な感性の持ち主である。
「助けて、しまったんだ」
馬車に乗せられた子どもと目が合ってしまった。
だから助けた。ただそれだけだった。
「どうしておちこんでるの?」
カールは暗い顔をしていた。後悔していると言ってもいい表情。
「いいことをしたんじゃないの?」
「それは……」
助けるつもりはなかった。
出来心だった。見捨てるべきだった。それがこの街で生きていく常識だった。
普通無償で助けるようなことはしない。見返りを求めずに動くことは決して賢い行動とは言えなかった。追われる身となった今では後悔しかない。捕まれば殺される。到底善い行いと釣り合うものではなかった。
「見つけたぞ!」
先ほどの男たちが駆け寄ってくる。どうやら飛んで行った方向を頼りに追ってきていたらしい。
「まずい!」
カールが立ち上がる。
「逃げよう!!」
必死の形相。怒声とも思える声でアリシアを呼ぶ。命が掛かっているので当然ではある。
しかしアリシアは動かなかった。
「だいじょうぶ」
カールを背にアリシアが立ち向かう。
「わたしにまかせて」
屈強な男達。相対するは小さい女の子。
「おじさんたち、わるいことしちゃダメなんだよ」
アリシアが杖を向ける。目には強い意思。
「お嬢ちゃん。俺達はそっちのお兄さんに用があるんだ。悪いけどそこをどいてくれないか?」
子どもをたしなめるように言う。男達にしてはかなり優しく対応している方だった。
「ダメ」
しかしアリシアは引かなかった。どちらが悪いのかくらいは判断できていた。
「構うな。あんまモタモタしてると日が昇っちまう」
「いや、ついでだ。そいつもさらっちまえ」
一人が物騒なことを言い始める。
「もうわるいことしないってちかって。じゃないとゆるしません」
その言葉を聞いて男達が目を合わせる。
「許さないんだってよ?」
笑う。大の大人が少女をあざ笑う。
「どう許さないのか教えてもらうか」
一人の男がアリシアに歩み寄る。言うことを聞かないのは最初からわかっていたことだ。
だとしても、これが男達の選択となった。これにて彼らの運命が決まる。
「アガペー! お願い!」
『お任せください』
アリシアが願う。願うのは反省と更生。
そのイメージがアガペーに流れていく。アガペーはイメージから最も近い魔法を選択した。
「なんだ!」
魔法陣が展開される。強く発光し男達に魔法が掛かっていく。
行使される魔法。魔法陣の上にいたはずの男達はここからいなくなっていた。
「ニャー!」
否、猫になっていた。
「ニャー、ニャー!!」
全員猫に変身させられていた。
月夜に鳴き声が響き渡る。数匹の猫がアリシアに向かって叫んでいた。
全員を猫にしてしまった魔法。それはアルハザードにおいて執行されていた刑の一つだった。
主にこの魔法は更生の一環として使用されていた。またある条件を満たさなければ一生猫のままとなってしまう魔法でもある。
戻る方法は二つ。
一つは術者が解除すること。
そして二つ目。この魔法の主目的とも言える部分である。それは二度と悪いことをしないと心の底から反省することだった。でなければ人間の姿に戻れることはない。
「メっ! だよ?」
アリシアが叫ぶ猫を叱る。それに対し反骨精神の強い一匹がアリシアに飛び掛かる。しかしアリシアは軽々と捕らえる。それから両腕で抱え込んだ。
「よーしよし」
顎を優しく掻いてあげる。最初は抵抗する様子を見せていたが、そのうち自然とゴロゴロと鳴き始めていた。
この魔法にはもう一つ恐ろしいところがあった。反省を促すための魔法だが、反省をしない者もいた。意地や虚勢でもない。猫のまま過ごしているうちに、このままでいいかと思う者が一定数いたのである。
猫になり可愛がられる。それは愛されることに無縁だった者ほど抗いがたいことだった。
待っていればごはんが出てくる。足をスリスリすれば撫でてもらえる。ちょっとイタズラしても許される。昼寝は自由。甘美で蜜のような時間。
人間に戻りたくないと思わせてしまう。そんな恐ろしい部分も併せ持った魔法だった。
ただそれはアルハザードでのことであり、野良生活が強いられるこの世界ではどう転ぶかは不明である。
「みんなちゃんとはんせいするんだよ?」
捕まえていた猫を手放す。それから脇に抱えていた杖を持ち直す。
「そろそろいくね」
宙に浮く。
「あ、ああ」
カールは呆然としていた。色々起きたせいか理解が追いつけずにいた。
ただ危険が去ったことだけはわかっていた。
「おにいさん」
アリシアがカールを呼ぶ。
「おにいさんはね、えらいことしたんだよ」
宙に浮いたままカールへと近づく。
「えらいえらい」
そしてアリシアはカールの頭を撫でた。
「じゃあね」
飛んでいく。アリシアは一瞬で星空へと消えていき、カールからはすぐに見えなくなってしまった。
残されるカールと猫。まるで夢のような出来事だった。だが夢ではなく、まだ頭に残っている感触が現実だと教えてくれた。
「良いこと、するもんだな」
自分の頭に触れる。
広がる温かい気持ち。
たまには善い行いもしようと考えるカールだった。