羽沢つぐみの想いは続く。
私の朝の日課はお父さんとお母さんが営業している羽沢珈琲店の店内清掃だ。
別に毎日頼まれているわけじゃないけれど、なんとなくこれが私の朝のルーティンに入っていた。
カップが汚れてないかを確認し、キッチンの大まかな清掃をし、テーブルを消毒していく。
そして最後に店内に一通りモップを掛けていると、ノックの後に扉が開かれた。
その人物はきょろきょろ視線を彷徨わせている。
男の人……、常連さんにもおじいちゃんとかサラリーマンとかいるので苦手というわけではないが、それでも歳が近い男性と接する機会はあまりない。
ので思わず凝視していると、目が合ってしまった。
何か声をかけなくてはと一度息を呑んでから慎重に口を開いた。
「あの、すみません。まだ開店前なので、もう少しお待ちいただいても宜しいですか?」
言うと目の前の男性はしどろもどろしながらも、頭を掻きながら要件を伝えてくる。
「あ、やっ、えっと……今日面接の予定をさせていただいたものなんですけど」
面接。
言われて、昨日お母さんからの伝言を思い出す。
『つぐみ、明日朝早く面接が入ってるんだけど、お母さん町内会の用事があったのすっかり忘れてて……だからお願いできない?』と言われていたのだ。
名前は比企谷八幡。特徴は大学生。ちょっと癖っ毛で目元が特徴的、と教わっていた。
なるほど、と思ってしまったが、この目を特徴として教えるのは相手に失礼ではないだろうか。
何はともあれ、目の前のこの人が面接を受けに来た人なら、通さないわけにはいかない。
私は掃除が終わるまで待ってもらい、面接を開始した。
× × ×
最初、怖くなかったと言えば嘘になる。
話始めも、なんかぶっきらぼうで人と話すのが苦手なのかな? と思ったりはしたが、接客業をしてる身として表情には出さず、終盤まで無事に終える。
面接の途中には雑談も交えつつ話せてたから、慣れるまでに時間のかかるタイプなのかもしれない。
私は最後の質問をした。
「比企谷さんは明日からでもシフトに入れますか?」
「はい。大丈夫です」
「よかった。じゃあ、お母さんに伝えておきますね。多分あとでお母さんから連絡行くと思います」
「はい、わかりまし……えっ、それってどういう……?」
一瞬納得したようだが、その後に戸惑ったような声を出した比企谷さん。
まあ無理もない。既に翌日から働けるのが確定したのだから。
私は店のお手伝いしかしたことないからよく分からないけれど、大体面接を終わってから二日、三日は合否に掛かるのかもしれない。
既にお母さんは比企谷さんを雇うつもりだったことを説明すると納得してから、ようやく面接が終わりを迎えた。
最後、比企谷さんが帰ろうとした時、背中に鼻をぶつけちゃったのは恥ずかしかったけど、立ち止まったことをわざわざ謝ってくれるあたり、良い人なのがわかる。
最初の怖さがどこへやら、せっかくバイトとして入ってくれるなら、私は比企谷さんと仲良くなりたいと思っていた。
× × ×
「比企谷さん。レジは大丈夫そうですか?」
「ああ、レジならいじったことあるから割となんとかなる」
見てた感じ心配なところはない。
面接時には最初こそ言葉に詰まってたりしたが、接客は普通にこなしている。
多分、コンビニバイトとかは高校の時に経験があるのかもしれなかった。
比企谷さんと仲良くなるためにお手製マニュアルを作って良かったと思う。
私はマニュアルを渡した時に喜んでもらえたことを思い出しながら笑みを浮かべて、ふと比企谷さんを見るとあるものが目に入った。
「…………」
「……? どうした?」
クリームがついていた。
多分、休憩中に試作品で渡した苺クリームケーキだと思う。
その証拠にクリームの色がピンクだった。
なるほど。通りでさっき前島さんも比企谷さんを見て笑って帰って行ったわけだ。
私は微笑を浮かべながら比企谷さんの口元に付いてるクリームを拭い取り、それを自分の口に含んだ。
……うん、甘い。
今度蘭ちゃんたちにも試食してもらおう。
私がそう決めて比企谷さんに目を向けると、驚愕した表情を向けてきた。
何か驚くようなことでもあったのだろうか。
その後は少しお客が落ち着いてきて時間に余裕が出来たので比企谷さんとお話ししていると、お母さんも加わって三人で会話をする。
比企谷さんと私が話してるのが楽しそうだったから、とお母さんは言ってきた。
私は気恥ずかしくなり、疑問をそのまま比企谷さんにぶつけてしまったけど、「まあ、俺は楽しいぞ。羽沢との会話」と言ってくれたことでドキッとしてしまう。
けどすごい嬉しい。私も比企谷さんと仲良くなりたかったから。
「っ……! そ、そうですかっ」
「あらあら、八幡くんも言うわねー」
なんとなく雰囲気が気まずくなりかけたところで、ちょうどよく蘭ちゃんたちが来てくれて助かった。
意外にもみんな比企谷さんと普通に話してたし、仲良くできると良いなと思う。
× × ×
今日は新入生歓迎会で催しとして私たちAfterglowが演奏する日。
五、六時間目を使って歓迎会が行われるので、私たちAfterglowは昼休みに体育館に集まって練習をしていた。
「つぐみ、今のところもう少しだけテンポ早く出来る?」
「うん、分かった。やってみる」
「モカはもう少し抑えめで。なんかいつもより先走って無い?」
「いや〜、久々のライブでテンションが上がっちゃって〜」
「上がるのは良いことだけど、みんなで合わないと良い感じにならないから」
「は〜い」
蘭ちゃんの指示を聞き、私たちは再び演奏を始める。
……うん、さっきよりは良い感じかも。
演奏技術で言ったら私はみんなより劣ってる。
だから人一倍練習してるけど、追いつけているか常に不安だ。
それでも私は頑張るしか出来ないからなんとか食らいついていく。
「……ふぅ。うん、良い感じ」
「おっ、蘭の『良い感じ』いただきました〜」
「蘭がそう言うなら大丈夫だな!」
最後の音合わせが終わり、私たちはここでお昼ご飯を食べることにした。
みんなそれぞれお弁当を出して、交換したりしている。
「つぐ〜、つぐの卵焼きちょーだい」
「……モカ、貰ってばかりじゃ無い?」
「え〜、そんなことないよー。ひーちゃんの唐揚げとあたしのパセリ交換したし」
「それ、モカが食べないだけだよね⁉︎」
ひまりちゃんの一言で笑いが起こる。
私はモカちゃんのお弁当箱の蓋に唐揚げを乗せてあげた。
「お〜、つぐ神様や、ありがたや〜」
「……つぐが神様ならモカがお供えする方じゃないの?」
蘭ちゃんから的確なツッコミをされたモカちゃんだけど、首を傾げるだけで乗り切ろうとしていた。
「……はぁ」
蘭ちゃんが呆れたようなため息をついたのでフォローしようとしていると、スマホが振動した。
開くとそこには『比企谷さん』と表示されている。
『昼後の講義が潰れて新入生歓迎会行けるようになったんだが、行っても大丈夫か?』
そのメッセージを見た途端、私はすぐさま待ってます! と返信していた。
それを見ていた巴ちゃんが話しかけてくる。
「どうしたつぐ? なんか嬉しそうだな」
「あっ、うん。比企谷さんが今日来れるようになったって!」
「へぇ〜、じゃあこれでつぐのカッコいいところ見せられるね!」
ひまりちゃんの言葉で思い出す。
そうだった。そもそも私が今日のライブに比企谷さんを誘ってたのは、私がバンドって似合わない……いや、違うな。
似合わないじゃなくて、やってるところが想像つかないって言われたんだっけ?
それでつい、むっとしてしまって、比企谷さんを誘う流れになってしまったんだった。
「あっ、そうだ。日菜先輩にも伝えておかないと」
ポケットにしまおうとしていたスマホで日菜先輩に連絡をとる。
これで比企谷さんが来た時に日菜先輩が案内をしてくれるはずだ。
大学の同級生も一緒に連れてくるらしいけどどんな人だろう?
メールでは川崎沙希さんっていう名前からして女性なんだろうけど、そこまで人と話すのが得意じゃないはずの比企谷さんが女の人と仲良いのは少し意外だった。失礼かもだけど。
そこで考える。
彼女さんって可能性もあり得るのか、と。
「……むぅ」
「つぐ〜、リスみたいになってどうしたの?」
モカちゃんに言われてハッとなる。
……あれ、私今何考えてたんだろう?
「な、なんでもないよ?」
モカちゃんはそれ以上追求してくることはなく、弁当を食べ終えた私たちは、最後に念のためもう一度音合わせをすることにしたのだった。
× × ×
無事に新入生歓迎会が終了し、私たちが控え室にしていた空き教室に、日菜先輩が比企谷さんたちを連れて来てくれた。
「あっ、比企谷さん!」
「ん、お疲れ」
私が比企谷さんに気づくと、次に反応したのはモカちゃん。
「おっ、比企谷さんじゃないですか〜。えーっと、それと──」
「あっ、川崎沙希です」
この人が川崎さんか。
長身で髪を後ろに結っていて、表情が少しキツめに見えなくはないけど、なんとなく分かる。
多分比企谷さんと同じタイプだ。
みんなで一通り、川崎さんに自己紹介をしていて分かったのは比企谷さんと川崎さんは高校時代の同級生。で、大学も偶然一緒だったこと。
彼女ではないことにホッとした。
……………………?
なんで安心したんだろう。
自分の気持ちが分からず、ふと比企谷さんを探してみるとモカちゃんと話している最中だった。
どんな会話をしていたのか気になったが、すぐに終わったようでモカちゃんが戻ってくる。
そして何か含みのある笑みを讃えていた。
「良かったね〜、つぐ。目的はちゃんと果たせたみたいだったよー」
「? 目的って?」
「ふっふっ〜。比企谷さん、演奏してるつぐのこと、凛々しくてカッコいいって言ってたよー」
「──っ」
瞬間、顔に熱が集中するのが分かる。
嬉しい。ただ純粋に。
それは比企谷さんが褒めてくれたからか、それとも別の感情からなのかは分からないけども。
モカちゃんはそんな私の背中を軽く押してくれて、私は比企谷さんの方へ向かっていく。
「その……、楽しんでもらえましたか?」
聞くと、比企谷さんは早口で捲し立てた。
「お、おう……。楽しすぎて家に帰ったらAfterglowの曲を調べまくるところだったわ」
「ほ、本当ですか……⁉︎」
私を褒めてくれたことも嬉しかったけど、Afterglowの曲を好きになってくれたことがさらに嬉しい。
Afterglowは私たちにとって『日常』であり『絆』だ。
それを好きになってもらえて嬉しくないわけがない。
「じゃ、じゃあ後で私の家に寄りましょう! CDあるので差し上げます!」
「良いのか?」
「はい、比企谷さんにはぜひもらって欲しいです!」
多分、演奏後でまだアドレナリンが出てたのだと思う。
高揚気味に伝えると、比企谷さんはお礼を言ってくれる。
私が微笑むと、比企谷さんも顔が綻んだ。
初めてみる表情。ドキッとした。
──ドキッ?
今気づいた。私、心臓がバクバクしてる。
演奏前の緊張で拍動するのとは違う、演奏後のやり切った感とも違う、不思議な感覚。
けど嫌じゃない。
その正体を考えてみようとしたところで、教室の扉が勢いよく開かれた。
「ねぇねぇ、みんなで写真撮ろうよー!」
「良いですね!」
日菜先輩の発言にひまりちゃんが頷く。
と、比企谷さんは日菜先輩からカメラを受け取ろうとしていた。
「んじゃ、俺が撮ってやる──」
「何言ってるの? みんなで撮るんじゃん!」
言うと、日菜先輩はカメラの設置を始める。
私たちは自然と、よくフライヤーで撮る位置に並び、ひまりちゃんが川崎さんの手を引っ張っていたので、私は立ち尽くしている比企谷さんに声をかけた。
「比企谷さんもこっちに来てください」
言うと、比企谷さんは息を吐きながら私の隣に来てくれる。
「……よし。じゃあ撮りまーす」
日菜先輩はカメラをタイマーにセットしたのだろう。
ボタンを押して素早く川崎さんの隣に並び立つ。
しばらく待ちシャッターが切られる瞬間──、
「いぇーい!」
日菜先輩がそう叫んだ。
なんとなくやる気がしていたので、私たちAfterglowはその反応に対応することが出来た。
比企谷さんと川崎さんは引き攣った笑みで立ち尽くしていたのが、申し訳ないけど少し笑えてしまう。
これもいつかここにいるみんなで笑い話に出来たらな、って思った。
けど案外その夢は叶うかもしれない。
なぜなら、今ここにいる全員がもれなく笑顔なのだから。