六月
私の知り合いの村中さんが【ウマ娘トレーニングサポーター】で支援する『ムラクモヒメ』や、私が支援する『クローバーレース』が所属するチームのメンバーの『スノウエンゼル』が大健闘した五月のG1レースの翌月
日の入りが伸びて定時近くに上がっても明るい空を見上げ、梅雨と夏と繁忙期が来ることに若干の憂鬱感を持ちながら自宅へ帰った
六月にはマイルのG1『安田記念』、ファンの投票で出走者が選ばれる『宝塚記念』があって
そして、今年度から本格化が始まったウマ娘によるトゥインクルシリーズの第一歩『メイクデビュー戦』が行われる
クローバーレースも今年本格化したウマ娘の一人
絶対に勝利しますからね、と息巻き日程を連絡すると言った彼女から送られてきたLane(この世界の緑色アイコンのSNS)の文書を見て私は目を見開いた
チーム〈モサラー〉のチーム部屋の壁際のソファで寝転び紙パックのオレンジジュースを咥える私のチームの一員である『クローバーレース』
本来ならだらしない姿に説教をするところだが、原因の一端がこちらにもあるので今回のところは見逃しておく
「…デビュー戦は秋以降、スか…」
今夏にデビュー戦を行わない事を告げ、言い争いをして不貞腐れたクローバーレースがソファに倒れ込むまで口を閉ざしていたチームメンバーの一人、『スピッツチアー』が呟く
ウマ娘の成長は各々違い、本格化が始まる時期もその期間の長さもそれぞれ違う
成長の仕方は二つに分けると、成長も早いがピークに至るまでもが早い早熟型、成長は遅いが強く長く活躍出来る大器晩成型の二つ
トレセン学園に導入された育成をサポートしてくれるAIによって、今まではトレーナーの力量のみで行われていたウマ娘達の見極めが膨大なデータによって可視化され判断しやすくなった
故に、例えトレーナーとしての経歴が比較的浅い私でもクローバーレースは大器晩成型寄りという判断を下し、秋以降のデビューにすると決めた
…それが相手にとって受け入れ難くても私はそう決めた
「…ワタクシも勝つのが遅くなりましたがダービーには出走出来ましたわ!だからこの夏は我慢の時ですわ!」
大器晩成型が悪いわけではない
むしろ長く活躍出来るのはウマ娘のレース引退後の生活を考えれば沢山のレースに出てファンが沢山ついてくれるので望ましい
しかし、ウマ娘達が夢見るクラシック期の栄光、一生に一度のチャンスしか無い『クラシック三冠』、『トリプルティアラ』など、URAに登録表明をして一定の期間後に行われる期間限定のレースまでに身体が追いつかないケースがある
クローバーレースは『クラシック三冠』の一つ、『日本ダービー』を目指している
来年の5月に行われるレースに参加するためには一年にも満たない期間で結果を出すしかない
その内の二、三ヶ月をトレーニングのみで過ごすのだから内心不満だろう
挑んで負けたのならともかく、挑戦すら許されないのは恨まれても仕方がない
「…すみません…ちょっと、頭を、冷やしてきます」
「…えぇ」
例えウマ娘が望んでも、距離適性の違い、本格化の速度で挑みたかったレースに出れないのはよくある話
幸いクローバーレースは距離適性はある、後は身体が育ち切ってくれるかだ
トレセン学園の図書室には映像資料も機器も置いてある
当然歴代のG1レースの映像は一通り揃っており、度々憧れの先輩らの勇姿を目に焼き付けるべく利用するウマ娘は多い
チーム部屋から出たわたしは心を落ち着かせるべく『日本ダービー』の映像データを貸し出しのタブレットに落とし、ウマ娘用のイヤホンをつけて眺めていた
…
身体が出来上がっていない状態でのレースでは勝ち上がるのも厳しいし接触して転倒した時の怪我のリスクが高い
だからこれは、わたしのワガママ
今すぐにでも走って、勝って、あの人に喜んでもらいたい
ただ、それだけの感情なのだから
「ねぇねぇ!それって〇〇年の『日本ダービー』だよね⁉︎」
突然斜め後ろから接近されイヤホン越しからも届く声に驚く
「君も『日本ダービー』が好きなの⁉︎いいよねぇ!ダービー!たっくさんのお客さんが熱くなる…」
「ストップストップここ図書室です声抑えて下さい」
「あ、ごめん。教えてくれてありがとぉぉお!」
「だから声量ぅ!」
「ごめんねぇ…せっかく動画見てたのに…」
「あ、いえ…ただ眺めてただけですから…」
図書委員の視線が厳しくなったので、首から来訪者である事を示すパスをつけた大音声ウマ娘と一緒に外に出てベンチに座っている
「ねぇねぇ、君は『日本ダービー』に興味があるの⁈出走してみたいって思う⁈」
「えっと…はい、『日本ダービー』目指してます」
「いいよねぇ!ダービー‼︎アタシも小さい頃連れてもらった時から憧れてさぁ!あの時からずぅっっっと目指しててさ、ターフから見た景色はとっっっても最高なんだよ‼︎」
「あ、そうなんですね、出走されてたんですね」
「うん!ライバルと一緒に競い合ってさ!懐かしいなぁ〜タイシンもハヤヒデも元気かな!それで君は誰かに憧れているの⁉︎どのレースが好き⁉︎」
「えっ⁈…いや、わたしは誰かに憧れてたかそういう訳じゃなくてですね…」
「うんうん!」
…話しづらい
わたしは目の前の(推定OGの)ウマ娘の真っ直ぐな憧憬で目指していた訳ではないのだ
「えと…お世話になっている人がですね…東京レース場が一番近くて応援しにきやすいかなって、そこで一生に一度のレースで勝った姿見せたら喜んで貰えるかなって…」
後、『最も運のいいウマ娘が勝つ』ので自分の運がいい方だからピッタリかな、なんて最初思っていたなんて言えない
「…か…」
「…か?」
「が ん゛ど う゛じ だ ぁ〜‼︎」
「号泣⁈」
「お世話になった人の為に君はレースを走りたいんだねぇ!偉いよぉ!ぜぇったいダービーで走る姿を見せてあげよう⁈」
突然大声で泣き出して涙を拭いながら激励されて少しこそばゆい
「デビュー戦かぁ…アタシも9月にデビュー戦を走ったんだけどね、負けちゃったんだよね」
「そうなんですね…」
あの後泣き止んだOGウマ娘にデビュー戦が遅くなった悩みを相談している
「でもでも、無敗のままダービー取った子もいれば何回も負けてからダービーを取った子もいるんだよ、だから周りが前を走っていたって諦めない事が大事なんだ!ダービーへの道は一つじゃ無いんだよ!」
「一つじゃ、ない…」
「うん!みんながそれぞれの想いを背負ってダービーを目指していくんだ!みんなが全力で走ってそれぞれ違うレースで勝利して、最後に東京レース場で全身全霊の勝負をするから輝くんだ!」
「…そうですね!デビュー戦が遅くなったって、差しウマらしく後ろからまくってやります!」
「いいぞぉ!その意気だ!目指せダァービィー‼︎」
元気づけてくれたOGウマ娘にお礼を言い、トレーナーに謝るべくチーム部屋に向かった
雨の日が多くなり青空が見えずとも日々迫り来る仕事に追われる毎日
気温も湿気も高くなったので着る物を夏仕様に変えて、日々業務に勤める
「〇〇先輩〇〇先輩!〇〇先輩が担当する『クローバーレース』のデビューは決まったんですか⁈」
後輩の石川から私が【ウマ娘トレーニングサポーター】にてサブトレーナーとして担当をしている『クローバーレース』の近況を聞かれた
「デビュー戦は遅くなります、と連絡が来た」
「そうなんですねー、ならこの夏でバリバリ鍛える感じですかね!秋が楽しみにまりますね!」
「石川の推しはどうした」
「勿論応援しています!全員等しく全力で推しています」
「…そうか」
この前送られてきたLaneの内容を思い出す
デビュー戦が遅くなる事、それについての謝罪
夏の間は合宿で遠くへ行く事
そして、改めて『日本ダービー』を目指すという宣言
改めて協力をお願いします、と
彼女がこの先どのような蹄跡を刻んでいくのかわからない
ただ、彼女の行く道が幸多い道である事を祈る